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キリカの大群

「……な……な……」



 何なんだ、これは。


 この簡単な言葉が出るまでに時間を費やしてしまうほど、勇者トーリス・キルメンは目の前で起きた事態を心の中で消化しきる事が非常に難しい状況にあった。彼をじっと見つめながら凛々しくも優しさを織り交ぜている瞳で見つめているのが、自らの預かり知らぬ所で命を絶たれたはずの魔術の勇者、キリカ・シューダリアであった事も勿論その理由だったのは間違いないだろう。だが、それ以上に目の前で起きている状況を、彼はなかなか理解することが出来なかったのだ。何せ――。



『『『『『『ふふ……どうしたんだ、トーリス?』』』』』



 ――宴会場の中を埋め尽くしながら、勇者の来訪を待ち望んでいたというこの村の住民は、頭のてっぺんからつま先、滑らかで美しい長髪、そして麗しい唇から発する声に至るまで、何十、何百もの人全てがキリカ・シューダリアと寸分違わぬ女性だったのだから。

 呆然としながらずっと立ちすくむ男を前に、大量の美女たちは口々に彼を癒すような言葉を投げかけた。自分たちは彼の到来をずっと待っていた、こうやって再会できた喜びはとても大きい、と。だが、それでもトーリスは状況を理解するのを放棄しかけているかのように固まったままだった。そんな彼を見ていた『キリカ』の大群は、まるで諦めたかのようにため息を一斉についた後、ある言葉を口にした。このまま『勇者』が止まったままでは仕方ない、ここにある山盛りの御馳走は自分たちで片づける他無い、と。

 せっかく用意したのに、このままでは無駄になってしまう、どうせ勇者はこのまま動かないのだから、私たちで食べるのが無駄にならない最高の策だ――。



「……ま、待て……」



 ――トーリスにとって、目の前で待ち構えていた食事は本当に久しぶりのまともな食事だった。確かにこれまでもパンや野菜、飲み物などを口に入れては何とかその日を生き続けるための燃料に変えていたのだが、どれも彼を最後の勇者、トーリス・キルメンと信じてくれない人々の隙を突いて盗み取り、這う這うの体で逃げ延びた先で必死になって食べ続けていたのである。勇者の面影も誇りもない食事からようやく解放されるという直前で、このような事をされてはたまらない――。



『『『『『まあ仕方ないな、食べるとするか』』』』』

『『『『『『そうだな……』』』』』』



「やめろおおお!!やめろやめろやめろやめろやめろやめろおおお!!」



 ――山盛りの御馳走が奪われる、と言う利己的な考えに満たされる事で、ようやくトーリスの体は動き出した。

 そこに積まれていたのは彼が待ち望んでいた高級品でも何でもなく、『配給』された品物を何とか美味しく調理したような食べ物や工面して用意できたような酒であった。しかし、目の前の食べ物が奪われてしまう、と言う危機に直面した彼にはそのようなえり好みをする余裕などなかった。少し前にパンに食らいついた身からは信じられないほど、トーリスの体には大量の食べ物や飲み物が入っていったのである。まるで野獣が獲物を食らいつくすような、勇者とは思えない格好になっている事、そしてそれを周りから『キリカ』が冷たい視線で見つめていたことなど、気づくはずがなかった。


 そして、何とか食事が終わった彼に、キリカの1人が触ろうとした瞬間、トーリスは物凄い勢いでその手を払い、不思議そうな顔に向かって唾を散らしながら喚いた。いったいお前らは何者なのか、と。




『『『『『何者?何を言ってるんだトーリス?』』』』』

『『『『ずっと仲間だった者の顔を忘れるとは……』』』』


「うるさい!!僕がキリカの顔なんて忘れるはずがない!でもお前らは違う!!キリカじゃない!!!」


 魔術も使えず、剣の修行も怠り、ただ勇者の地位を維持し続けることに固辞し続けてきたトーリスの唯一にして最大の武器は、多くの人々を魅了してきた口から発する様々な言葉であった。しかし、その言葉が効力を発揮するのは、彼より無知で愚かな者たちのみである事すら、彼は忘れかけていた。早く出ていけ、キリカの姿を見せるな、と自分の周りを取り囲む全く同じ姿形の女性を幾ら拒絶しようとしても、状況は一向に変わらないままだった。そんなに怖がらなくても大丈夫だ、この場所は絶対に安全だから、とどれだけ優しい言葉を投げかけられようとも、それらは全て彼の全身に鳥肌を立たせるほどの恐ろしい響きにしか聞こえなかったのだ。


『どうしたんだ、トーリス?』

「だからその声で僕の名を呼ぶな!!!!!」


 そして、どんな言葉を使っても現状が良くならない事を思い知らされたトーリスが取った策は――。


『何故だ?』いいじゃないか、トーリス』ここで一緒に暮らそうな♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』…



「……うわあああああ!!!!!!」


 

 ――これまでと同じように、窮地に陥ったその場から逃げ出す事だった。



 だが、今回はこれまで彼が訪れ、そして食べ物や飲み物を盗み取り続けた町や村とは状況が異なっていた。普段なら彼は一切食べ物を明け渡さず、勇者としてもてなしてくれないことに腹を立て、空腹のまま食料を分捕っていたのだが、今回の場合彼の腹は大量の食べ物や飲み物で満たされていた。その状態のまま全速力で走ろうとするとどうなるのか――。


「ぐっ……はぁ……はぁ……くっ……」


 ――それを考えると言う選択肢など、トーリスの頭にあるはずはなかった。

 痛み出した脇腹を抱え、息も絶え絶えになりながら、彼は近くの家の壁にもたれかかった。なかなか落ち着けない苦しさを味わいながらも、懸命に走った結果だいぶ遠くになったあの宴会場を見て、彼の心に一瞬だけ安心感が芽生えかけ始めた。『村人』は皆あそこに集まっている、と言うキリカの口から聞いた甘い言葉を噛みしめながら。


 だがその直後、彼は鼓動が止まるほどの衝撃を味わった。突如、村中の明かりが一斉に灯り、トーリス・キルメンの情けない姿を露わにしたのである。そして、村にある扉と言う扉、窓と言う窓が一斉に開き――。



『『『『『『『『『『『どこへ行くんだ、トーリス?』』』』』』』』』』』

『『『『『『『『『『私と一緒に暮らそう、な♪』』』』』』』』』』』



 ――全く同じ姿形をした長髪の美女が、次々にその凛々しくも優しい声を浴びせ始めたのだ。

 悲鳴すら上げる余裕がなく、口から声ともつかない音を出したまま、腰を抜かして後ずさりするトーリスの前で、さらに信じがたい事態が起きた。宴会場からこちらへ向け、規則正しい音が少しづつ大きくなりながらこちらに向かい始めたのである。その正体は何か凝視した途端、トーリスの抜けたはずの腰はあっという間に正常に戻ってしまった。当然だろう、このままずっと居座り続けていれば――。


『トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』トーリス♪』…


 ――笑顔で彼に迫りくる、大量のキリカ・シューダリアの大群に巻き込まれてしまうからだ。



 誰か助けてくれ、いい加減にしてくれ、どうして僕ばかりこんな目に遭うんだ――その思いを叫びに変えながら、懸命にこの村からトーリスは逃げ出そうとした。歩みを進めるごとに大きくなり続ける、消えたはずの過去の仲間の声など、もう聞きたくもなかった。いっそこの光景が夢であったならば、どんなに良かったのだろうか、そこまで思いつめた時、ある意味彼の願いは叶った。



『『『『『『『『やあ、トーリス♪』』』』』』』』』』』



 勇者の逃げ道を完全に塞ぐかの如く、目の前の空間をぎっしりと埋め尽くしながら声を合わせる、キリカの集団によって。

 前後左右、あらゆる空間を全く同じ姿形の美女によって取り囲まれるという異常な事態の中、トーリスがとった手段は――。



『あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』あはははは♪』…



 ――その場で気を失う事しかなかった。



~~~~~~~~~~~



「……はっ……!」


 トーリス・キルメンが気づいた時、既に太陽は空高く昇り、朝がとっくに終わっている事を告げていた。

 木陰でぐっすりと眠りについていたような姿勢のまま目覚めた彼だが、その心にはあの恐ろしい光景が色濃く刻まれていた。自分たちの成功に嫉妬したかの如く逃げ出し、各地を放浪した挙句魔物によって命を落としたという過去の仲間が、その数を無尽蔵に増やして自分をもてなすという『復讐』を行う、悪夢としか考えられない光景が。


 だが、幾ら忘れようとしても、その情景はトーリスから消える事はなかった。少しでも意識を遠のかせてしまうと、たちまち彼の頭の中にあのキリカ・シューダリアが自分を呼ぶ声が響いてしまうのだ。



「……くそっ……くそっ……くそっ……!!」


 何故このような辛い目に遭い続けないといけないのか、どうしてこんなに苦労を強いられないといけないのか――トーリスの八つ当たりを今日も素直に受け止めてくれるのは、彼が殴った地面だけだった。

 そして、トーリスは静かに立ち上がり、木陰を後にした。目的地もなく、ただ生き続けるため、あちこちを放浪するしか、今の彼に残された道はなかったのである。



 どうして普段より腹が満たされているのか、その理由から彼は目を反らし続けた。

 自分は悪くない、悪いのは世界、そして『レイン・シュドー』である――その前提が覆るのが、怖かったのかもしれない……。

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