女性議長の前夜
毎日のようにビキニ衣装の美女『ダミーレイン』が増え続けていた世界最大の建物の中は、久しぶりに静けさを取り戻した。あらゆる場所が全く同じ姿形をした人間のような何かにぎっしり埋め尽くされるという異様な空間は、それ以前の広々とした姿を見せていた。だが、それが当たり前の光景であるという事実をほとんどの人間たちは忘れ、ただ不安だけを感じていた。
確かに、世界そのものを奪わんとする恐ろしい魔王とその勢力に立ち向かうには、ダミーレインの全てを用いないと勝てないというのは理解できる。それにこの事実を伝えたのはあの軍師ゴンノーだから信じざるを得ない。だが、それでも本当に大丈夫なのかと言う気持ちが沸き上がってしまう――この場所のみならず、世界中の多くの人々は同じ気持ちを抱えていたのだ。魔物からの防衛はおろか、日常生活までダミーに任せっきりになりかけていた者たちばかりであったこの状況なら当然の成り行きかもしれない。
しかしながら、そんな中でほんの僅かだが、静まり返った空間に安心感を覚えるがいた。
「……はぁ……」
世界各地の代表者を集めた会議の進行を担う女性議長も、その1人だった。
まるで日々の疲れが一気に抜けていくかのように彼女は自室の椅子に深く腰掛け、会議では絶対に見せられないようなだらけた姿を晒していた。これまでならその醜態はばっちりとダミーレインに見られていたが、今はそのような心配は一切要らなかった。
確かに、議長も最初はこのダミーレインと言う存在に畏怖の心を覚え、世界中にその力が広まれば平和が訪れるかもしれない、と言う淡い期待を抱いていた。ある日突然現れ、『軍師』と言う役職に就いたゴンノーと言う老婆が見せた、ダミーレインの大群が魔物を駆逐する様子を見せつければ、誰もがそう思ってしまうだろう。だが、その後いくら考えを改めようとしても、一度動いた世界を変える力を彼女は持っていなかった。世界中の代表者を纏めるという重要な立場にいる以上、自らの考えを勝手に述べて人々の考えを左右する事はあってはならないからだ。
例えゴンノーや勇者トーリスが様々な提案をしたとしても、それに従い続ける世界に従うしか、公の場で女性議長が出来る事は無かったのだ。
「……ダミーめ……だが……」
しかし、不快感を抱かせる事柄も、それが存在しない場所でじっくりと思い返せば別の考えが浮かぶ事もしばしばある。女性議長もまた、勇者レイン・シュドーに瓜二つの姿をしたあの存在に対して、哀れみのような心を抱いてしまっていた。人間たちに日々こき使われ、文句一つも言わないまま無茶な命令にも従い、そして人間たちの都合で戦いに向かわされる――そんな状況に一切違和感を覚えないような当事者たちの様子も含め、彼女は少しづつ『人間』と言う存在そのものに不快感を感じ始めたのである。
だが、その考えが独りよがりであると言う事も、彼女は十分承知していた。
「そうだ……あれは『ダミー』に過ぎん……」
感情を一切見せずに淡々と動く存在に様々な思いを抱く事もまた、ダミーたちの存在を犯しているのと同等なのだから。それに、ダミーを無下に扱う人間を憎めば憎むほど、彼らと同じ人間に過ぎない自分自身の存在をも否定することになる。所詮自分もまた、この世界が滅びに向かっているのを容認したまま何もできずに消えていく、愚かな存在なのだ――そう考えながら、彼女は深いため息をついた。誰にも聞かせることが出来ない、発することも許されない、女性議長の泣き言であった。
そして、少しづつ潤み始めた目で静まり返った部屋の壁の向こうを見つめながら、彼女は考えた。
もし今、本当の『勇者』が残っていたら、どのように思うだろうか、と。
確かにまだトーリス・キルメンという男が『勇者』という二つ名の元、各地で活動している。今も軍師ゴンノーからの依頼を受けてはるか遠くの場所へ赴き、ダミーレインの供出の説得を担当していると聞く。それだけ彼の影響力というのは人々にとっては凄まじいものがあるのは間違いないのだが、それでも女性議長にとって、彼は『勇者』の名を持ったただの人間にしか見えなくなっていた。軍師ゴンノーほどではないが、彼もまた世界を意のままに操り、地位や名誉を貪り食うだけの存在のように感じてしまうのである。
彼女の心に秘めた『勇者』の姿は、今のトーリスのようなものではなかった。自らの地位や名誉に溺れる事無く日々鍛錬に励み、心身ともに人々の良き見本として活躍する、いわば人々の理想が形になったような存在だったのである。そして、彼女の中でその姿に近い『勇者』は3人いた。だが、もうその全員の命は、この世界には無いと知らされていた。
「ライラ……キリカ……レイン……」
恐るべき魔物や魔王の力によって、その勇敢な心もろともねじ伏せられてしまった――それが、女性議長に知らされていた『真実』だった。
もう誰も、この世界を救える者はいない。恐らくあのダミーレインたちも、やがて魔王の凄まじい力の前に敗れ去る事になるだろう――たった1人の部屋の中で、彼女は今までずっと抑えてきた悲観的な思いを溢れさせながら、いくつもの雫を瞳から落とした。
「誰でも良い……どうか、この世界を救ってくれ……」
夜更けの部屋で、無力な人間はただ祈り続けるしかなかった……。