村人たちの挫折
人間はたった1人では何も出来ない存在である。確かに食べる事も飲むことも、考える事も話す事も、そして生きる事も、たった1人だけで十分可能かもしれないが、それ以上は続かない。2人、3人、いやそれ以上の数が集まらないと、より良い考えも思い浮かばないし、もっと美味しいものを食べたり飲んだりすることも出来ない。そして、外から迫り来る恐ろしい存在に対しても、1人では到底立ち向かう事はできないだろう。逆に言えば、多くの人たちが力を合わせ、互いを尊重しながら協力すれば、どんなに恐ろしく強大な存在でも倒す事ができる。これが、世界の常識だ。
しかし、残念ながら人間たちにとって、その常識は今や雲の上にあるような幻想に過ぎないものになっていた。
例えば、この村――ダミーレインに必死に抵抗しようとする人々が集まっている村のように。
「今、何と言った……?」
「聞こえないならもう一度言わせて貰うよ」
「キリカとか言う奴の教え、全然役に立たないって!!」
世界を次々に覆いつくそうとする、純白のビキニ衣装の謎の美女ダミーレイン。人類のために尽くし、奉仕し続ける彼女たちを相手に人々は堕落しきり、全てを彼女に任せきりになっている。このままでは人間の尊厳自体が危ない――同じような思いで集まったはずの人々は、あちこちで自分の考えをぶつけ、互いに争う事が多くなっていた。お前だけいい格好をしている、と言う言いがかりのような理由すら、喧嘩の火種になるのに十分すぎる材料になるような状況になっていたのだ。
そして、ここで男女が文句を言っている相手は、この村の人々にとって希望の証となっていたはずの存在――魔術の勇者『キリカ・シューダリア』であった。
「お前たちもキリカ様から魔術を教わっただろう。何が不満なのだ?」
ずっとこの村から出る事無く、住民にキリカから伝授された魔術や自ら学んだ剣術を教えていた彼女の弟子は、怪訝そうな表情を見せた。しかし、それは彼に喧嘩を売ってきた男女の怒りをさらに増す要因となった。当然だろう、この弟子は自分たちが怒っている根本的な原因が全く分かっていないように見えてしまったからだ。
「あんたたちから教わった魔術なんてさ!!」
「どこの村も町も!!」
「「全く役立たずなんだよ!!」」
男女は声を合わせ、はっきりと自分たちの意志を告げた。
キリカとその弟子2人がやって来た最初の頃は、確かに人々も希望や勇気、そして未来を夢見る心に満ち溢れていた。かつて魔物を次々に蹴散らし人々に平和を取り戻させてくれた勇者が自分たちの意志に賛同してくれた事は、村にやって来た人々にとって非常に明るい話題となった。そして人々は我先に、キリカやその弟子たちから剣術や魔術の教えを受けるようになった。時に非常に難しい内容もあったが、それでも村の人々は打倒ダミーレインを合言葉に、懸命の努力を続けていた。
これならきっと、ダミーなどいなくても自分たちが人類を守っていける、いや、自分たちこそがか弱い人間たちを守らなければならない存在なのだ――着実に腕を上げていく中、村の人々たちは実力と自信を伸ばしていった。そしてこれらの実績を心と体に秘め、彼らは各地の町や村へと飛び出し、彼ら自身を売り込もうとしたのである。
その結果は、散々なものであった。この村の中でやさぐれ、喧嘩ばかりしている者たちこそが、ずっと前に意気揚々と村を後にした面々なのである。
彼らが予想していたほど、世間は甘くなかった。一切の賃金や食料をあげなくともひたすら人間のために働き続け、能力も人間の常識を遥かに超えたものであるダミーレインの存在を前にされては、ただ自らのために鍛えただけの人間では太刀打ち出来るはずがなかったのだ。彼らができる事と言えば、ダミーレインはいつか人間を裏切る、彼女たちは危険な存在だ、とダミーを卑下するぐらいしか無かった。そして当然、彼女に心身ともに浸りつくした人間たちに、その声が届かなったのである。
どこまでも「無かった」尽くしの状態が続けば、村人たちが苛立つのも当然だろう。
だが、文句を言う彼らに対し、勇者キリカ・シューダリアの弟子は冷たい言葉を投げた。それは、世界を救いたいと言う大きな心よりも自分の欲望――ダミーレインを蹴落としたい、ダミーよりも自分たちがのしあがりたい――を優先した結果ではないか、と。そのような事では受け入れられないのも当たり前だ、と告げたのである。
それはまさしく図星を突いた内容であった。
「……ざけんなおら!!」
「あたしたちを舐めやがって!!」
溶けた鉄のように顔を真っ赤にさせながら襲い掛かろうとした男女を、弟子は軽く抑えた。命を奪おうと彼らがぶん投げた魔術の球はまだまだ弟子にとっては未熟なもの、掌にオーラを込めれば簡単に受け止められるほどであった。それでも諦めず素手で殴りかかろうとした男を、弟子はあっさりと抑えつけ、それを見守るしかない女と共に現実の重さを知らしめた。
そして、弟子はそのまま冷酷な口調で告げた。
「次の鍛錬は明日の昼だ。遅刻するなよ」
何とか立ち直り、その場から逃げていった男女に、その鍛錬に参加する気は毛頭無かった。最早彼らは、この村から逃亡する事もせずただひたすら無益な時間を費やす事しか考えていなかった。
現実の重さに、耐えられなくなったのである。
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「はぁ……」
「……そうか……」
その夜、あの男女に応対した弟子は、もう1人の弟子や師匠にこの一件を告げた。全員とも、同じような悲痛な顔を滲ませていたが、そこに秘めていた考えは微妙に異なっていた。弟子の2人はこれまでも同じような事を何度か経験し、その度に村人たちが荒んでいく様子に心を痛めていた。だが、師匠であるキリカは既にその事を予見していた。
「……キリカ様」
「何だ?申してみろ」
「以前、キリカ様はこうおっしゃられました。本心を表に出すな、と」
「確かにおっしゃられていましたな……」
「よく覚えていたな」
今自分たちが出来る事は村人に対して失望する事ではなく、彼らの力になりダミーレインを凌ぐほどの逸材を生み出すことだ、とあの時弟子たちはキリカに意見していた。彼女はそれを咎める事は無く冷酷な自分の考えを謝るほどであったが、やはりキリカの考えは正しかった。無限に増え続けるダミーレイン、調子に乗っているであろうゴンノーやトーリス、そして日々悪化する現状への苛立ちをもし表に出していれば、今頃自分たちもあの村人のように荒みきっていたであろう――弟子たちは、そう考えたのである。
あの時の自分たちは甘かったと言う弟子たちの謝罪を、キリカは深い頷きと共に認めた。
そして、独り言のように彼女は呟いた。結局この村の人間たちも、愚かそのものであった、と。
「……愚か、ですか……」
「村長も村人も、皆個人の欲望でしか動いていない。それが偶然一致したから、ここに集まっているだけだ……」
「キリカ様……」
その言葉と共に突然自分の手をしっかり握った弟子たちの行動に、キリカは驚いた。だが、それは彼女とずっと苦境を共にし続けている2人の『本心』の現れであった。例えどこまで心が荒もうとも、信用と言う心が失われようとも、自分たちは嫌でもキリカ様に付き従い、どこまでもついていくだろう――彼らは言葉も使い『本心』を露にした。
今にも涙を流しそうな表情の弟子たちを見て、キリカはそっと笑顔を見せた。彼女にその意志は無かったのだが、その悲しそうな表情もまた涙が零れ落ちそうなものであった。
そして、何かを覚悟したかのようにキリカはすぐ表情を真剣なものに変え、弟子たちに告げた。
もし自分の予感が正しければ、もう間もなくこの村は何らかの要因で滅びる事になる、と。
「……そして、その滅びに私たちが利用される可能性がある」
「「……!?」」
安住するつもりでいたのだろうが申し訳ない、と前置きを入れながらも、彼女は弟子たちに命令を下した。ここにいる面々以外の誰にもばれないよう密かに遠出の準備を整え、そしてキリカの指令が出次第、誰にも気づかれないうちに村を脱出する、と。
弟子たちに、逆らう意志は一切無かった。絶望的な現状の中で、彼らはキリカ・シューダリアと言う藁にしがみつく以外に道は無かったのだから……。