デッドアイ
分断された世界。
点在する都市国家。
転移魔術でそれを繋いだポラリス。
ポラリスの支柱たる国のひとつであるスバルに生まれ、そしてスバルで育った私はその恩恵を確かに受けてきた。
平和で、物に溢れた国。
孤児院で育ったとはいえ、そう悪い生活ではなかった。
ただし、平和で富んだ国で、持たざる者である孤児がつける職業はそう多くはない。
その中では、実力次第で上の立場に就く事の出来る軍人は人気職業だった。
危険はあっても、その中でうまく立ち回ってきたつもりだった。
それがついに、転げ落ちた。
自嘲的な笑みが浮かぶ。
デッドアイ。
それが私の、いや俺の新しい名前だった。
「どうしました?ディー」
「いや、何でも無い」
耳にはまったインカムから女の、オペレーターの声が響く。
疑似コードがぎっしり詰まったそれは、いちいちコードを自分でより上げなくとも、中に入っている魔石から供給されるほんの僅かな魔力だけで遠く離れたオペレーターとの通信を可能にする。
これがあれば迷宮攻略も随分、楽に進むだろうに。
そう思ったのも昔の話だ。
インカムはポラリスが秘匿する技術のひとつだ。
ポラリスが発表していないという事は、まだ世界に存在していないという事に等しい。
そうして俺たちは世界に先立つ技術を利用し、人々の上に立つ。
ポラリスとはそうした組織だった。
俺たちは。
そう、今や俺自身もポラリスだった。
その事に、感慨は無い。
「敵を発見。数は13。全て半人」
「了解。全て殲滅してください」
今いるのは地上の、鬼宿と呼ばれる山だ。
スバル国領に存在する、厳重に人の立ち入りを制限している危険区域。
魔物の湧き出す湧出点。
そしてこれも世界中の多くの人が信じている嘘のひとつ。
人の立ち入りを制限しているのは危険だからではない。
ここは、ポラリスが管理する実験場のひとつだった。
魔物が湧き出す、それ自体は嘘ではない。
それは意図的に巨大種を生かし、そしてここへと転移させているからだ。
指揮官がいないのか。
半人どもは背の低い草が生い茂る斜面を隠れもせずに歩いていた。
その動きはばらばらで、1体ごとの間隔は遠い。
樹々の間に隠れ、それを一方的に観察する。
ポラリスになるという事は、世界中にあふれる嘘を知る事だった。
そして、今や俺自身も嘘の塊に他ならない。
俺の後ろに佇んでいた者達が動き出す。
ゴブリン。
通称を半人。
緑色の肌の小人。
しかし、敵とはその風情は異なっている。
着ているのはサイズを測ったようにきっちりと造られた青錬鋼の鎧。
手にするのは通常、奴らが手にしている小さなナイフではなく、大振りのダガー。
数は7。
その内の3体が敵の背後を目指して移動を始めた。
残りの4体は俺の前へと移動し、そのまま伏せる。
コードを敏感に察知する魔人だったら気が付いただろう。
今、動き回っている鎧われた半人どもにはコードが幾重にも絡み付いているのが。
コードは俺の意志を実際の行動命令へと変換する。
行動命令となったコードは半人どもへと繋がってその動きを縛り、操る。
「行動を始める」
「了解」
その声に反応するように、鎧の半人3体が敵の半人の背後を襲った。
走る半人が立てる金属鎧の音が耳に入ったのか、13体の半人は即座に振り向いた。
振り向いた途端に3体の敵半人が倒れる。
一撃で首を切り裂いていた。
即座に、こちらの半人を集結させる。
敵半人は集結する事無く、ばらばらに3体へと走り寄る。
残り10体。
3体のこちらの半人を走らせ、その内の比較的近い2体にぶつけた。
2体に同時に組み付かれた敵半人が倒れる。
「ちっ」
知らず、舌打ちが漏れた。
そのまま敵半人を押さえ付けさせ、残りの1対1の半人へと意識を移す。
同時に操れる数にはやはり限度がある。
動かす事自体はそう難しくない。
問題は、1体1体に対しての正確な命令を個別に、混線させずに操る事の難しさだ。
しかし、全体の状況を把握しながら、すべての半人を精密に操作できるだけの腕はまだない。
1対1の半人に意識を移し、手早く敵の胸へとダガーを突き入れた。
1対1なら同じ半人でも、装備の違い、そして剣の腕の違いは歴然。
俺が操る半人は人の知識と技術を持った魔物、そのものと化すのだから。
再び2体に意識を戻すと、既に1体が別の半人2体に襲われて、その首を掻き切られていた。
「ちっ」
再び舌打ちする。
残った1体を離脱させ、1対1を演じていた1体と合流させる。
例え、首を掻き切られ、胸を刺されようとも、ある程度の間は操る事は出来る。
例え、その命が無くなっていたとしても。
しかし、血を失い、損傷した半人を操るのは困難だ。
何しろこの魔術は魔物の魔力をタンク代わりに使っているのだから。
残り9体。
こちらは6体。
もはや死体と化した1体を操り、無茶苦茶に暴れさせた。
その間に2体をこちらへと走らせる。
暴れた死体に驚いた半人が5体、群がった。
4体は走る鎧われた半人2体を追ってくる。
そこで、残しておいた4体を出した。
茂みから突如として現れた増援に、敵4体はひるまない。
指揮官がいたなら引いただろう。
しかし、そんな判断をする半人はここにはいない。
合流し、6体の鎧われた半人で敵4体を迎え撃つ。
つまり1体につき2体当たれる。
単純に考えれば、それはとても楽な戦いだ。
しかし、一度に操る数が増えた事で負担が大きくなる。
1体1体を操ってなどいられない。
操る4体をまとめて防御を固めさせた。
操る半人に意識は無い。
こちらの命令がなければその動きは即座に停止する。
そういう風にポラリスによって調整が為されている。
面倒な事この上ない。
せめて、ある程度の自律性があれば。
嫌な笑いを浮かべる研究者の顔が思い浮かんだ。
くそったれが。
あれに何かを期待するなら、目の前の状況に死力を尽くせ。
自らを叱咤し、操るコードに意識を乗せる。
鎧われた4体はまとまり、隙間無く体を寄せて身を硬くした。
これだけでも、すぐにはやられないだろう。
残った2体に意識を集中し、1体ずつ片付けていく。
その間にも、まとめておいた内の1体が引きずり倒され、顔が潰され、鎧は引きはがされ、胸をナイフで刺された。
まとめておいた内の1体が使えなくなる。
隣の1体へと移る前に、残りの敵半人へと次々とダガーを突き刺し、被害を1体に留めた。
残りはただの1体で暴れさせていた半人に群がっていた5体。
その頃には死体となりながらも暴れさせていた半人は既に、鎧を引きはがされ、四肢をばらばらにされていた。
もはやそうなっては操れるパーツはない。
5対5。
数の上ではイーブン。
ただし、それを操る術者たる自分の負担は既に限界に近い。
頭は熱く燃え上がるようで、それに反して体は芯まで冷えていた。
まるで半人を操るコードへとその熱が吸い取られているように。
息を吐いた。
樹の影に隠れたまま、もう一度、自らの意識を束ねる。
鎧われた半人を密集させる事で、少しでも負担を減らす。
1体1体を操ろうと思うな。
1体1体を指の1本1本だと思え。
指を動かそうと思うな。
手を動かすのだ。
あれは体のパーツのひとつ。
息を吸い、そして吐く。
さあ。
「行け」
鎧を着たゴブリン達が、汚らしい半人どもへと躍りかかった。
◇
操っていたゴブリンの中で残ったのは結局、3体だけだった。
数が減る程に精度は増し、敵の数と操れるバランスが何とか取れるようになった所で圧倒し、そしてすぐに片がついた。
オペレーターに行動の終了を告げる。
返ってきたのは帰投命令だった。
使い物にならなくなった俺が操っていた半人から鎧と武器を回収し、それを別の操っている半人に持たせて既に確保が済んでいる安全なルートを辿る。
「集団同士での戦闘における同時運用は、基本、3体が限界だ。個々に移り変わる状況の変化に対処できない。相手が1体ならこの限りではないが、個人で部隊を運用させる構想は諦めて欲しい」
帰りがてらにオペレーターに音声で報告を行う。
「あなたの練度の問題ではないか、との問題提起がなされておりますが」
誰から?
一度、確かめてみたいものだ。
自分は一体何によって操られているのかを。
自分は末端に過ぎない。
それこそ、自らが操るこの半人どもと何ら変わりない。
「確かに向上はしている。これからの向上の可能性を否定はしない。しかし、その成長曲線はもう緩やかだ。自分で分かる。あまり先を期待されても……な」
言葉を飲み込んだ。
先を期待しているのではなく、単に使い潰す気でいるのではないだろうか?
それをこのオペレーターに問いかけた所で、意味は無い。
目を潰され、研究者に体をいじられ、そして待っていたのはひたすらの魔術訓練の日々。
いくつかの攻撃魔術を覚えさせられた所で仕込まれたのが、ポラリスが秘する魔物の操作魔術だった。
様々な実験。
そして様々な試験運用。
それを試すための専用端末。
それがデッドアイの役目であり、そして生きる意味。
その他、生じた些細な問題を報告すると、オペレーターが最後に告げた。
「了解。お疲れさまでした。それと伝言があります」
嫌な予感がした。
「今晩、食事を取ろう。君の成長を祝って」
オペレーターが一字一句違えずに、請け負った伝言を告げた。
それはあの研究者からの食事の誘いだった。
◇
「やあ、久しぶりだね。報告は聞いているよ。自分が手がけた作品が実績を残していくのは素直に嬉しい」
迷宮内部の都市、ブレアデス第1区へと転移し、その中の一角にあるレストランで研究者と同じテーブルについた。
この研究者とは1年ぶりだろうか。
なにやら調整だとか何だとか言って検査を受けた時に会ったのが最後だった。
個々のテーブルを照らすろうそくの明かりが妖しくゆらめく。
貸し切ったのか、店内には他の客の姿は無い。
研究者が手にしたワイングラスを向けてきたので、儀礼的に合わせた。
こうした儀礼的な事を好むとは、意外だ。
「それで何の用です」
「性急だね。まずは楽しもうじゃないか」
研究者が手を挙げると、給仕が料理を持って現れる。
しばらくは何も言わずに食事をし、そしてワインを飲んだ。
コース料理が後半に差し掛かった頃、研究者が口を開く。
「さて、どうかな?デッドアイ。ワイアードの調子は?」
ワイアード。
魔物を操る魔術。
「報告を聞いているのなら、今更言うべき事などありません」
研究者が微笑む。
婉然と。
それを見て、心底気色悪いと思う。
母親気取りか。
「相変わらずだね。報告がすべてでは無いだろう。こうして顔を会わせたからこそ言える事だってあるんじゃないのかな?」
「ありませんね。報告がすべてです」
給仕が新たな皿を持って現れた。
給仕がいる間、沈黙が訪れる。
やがて給仕は離れていき。
「そう。私は今、新たな魔術の研究開発チームに入っている。そこでは君のような現場で戦う者の声というのはほとんど届かない」
ワインを口にしつつ、話した。
研究者はほとんど食事を取らずに、飲んでばかりだ。
おそらく強いのだろう。
その表情にはいつもの見下した笑いが張り付いている。
自らの欲望を満たすために研究する。
そんな研究者の姿が思い浮かんだ。
目の前の研究者がとても、人類のために、人のために何かを成しているようにはどうしても思えない。
研究者の言葉は、それを肯定しているようにも聞こえた。
「チャンスだよ。何か面白いアイデアがあれば聞かない事は無い。君に対してその程度の義理はあるんじゃないかな?」
私は。
そう続けて、手にしたワインを飲み干した。
危うく鼻で笑いかけて考える。
義理などという軽薄な言葉を信じるつもりはない。
しかし、言えというのなら言っておいて損はないのかもしれない。
「例えば」
「ああ、例えば?」
「ワイアードを使っていると、他の魔術が使えません。傀儡を維持したまま攻撃魔術が使えれば驚く程に簡単に済むような戦況があります。戦力が俺ひとりの単独行動である場合には特に。別に魔術師を配すれば済む事ではありますが、傀儡を維持したまま魔術を使う方法があるなら欲しい所です」
「なるほどな」
そう言うと、研究者は考え込んだ。
攻撃魔術には結構な魔力を消費する。
ワイアードは基本的に魔物の魔力で傀儡を維持するので、魔力の消費は相当に抑えられるので、そこまで神経質になる必要はないと俺は考えていたが、その辺りの消費魔力の事を考えているのかもしれない。
欲しいものがないのか?という問いならば欲しいものは他にもある。
言うべきか一瞬だけ考えてから、言葉にした。
「魔物にも意志はある。そうですよね?」
「ああ。もちろんだ。君に渡しているのは調整してその意志を眠らせているだけだからな。まあ、私たちに魔物のそれを理解できるかどうかはさておいてね」
意志はあるのだ。
ならば。
「その意志をもっと活かすように出来ませんか?」
「つまり?」
「人形劇でも、ひとりの人形使いが操れる人形には限りがあるでしょう?どんなに熟練の人形使いでも両手にいっぱいの人形を吊り下げながら、そのすべての人形を生き生きと動かすのは無理です。もしも人形に意志があれば、演技指導をしてやるだけで済む」
自分は操作で手一杯で、いちいち状況を見てなどいられない。
それは混乱しながらも、ひとりで何役をもこなそうとするどだい無理な芝居だった。
「見て、判断して、そして動かす。どうしてもそれぞれに隙が生じる事があります。1体の判断をした時には既に別の1体が後手な事だってあるでしょう。一瞬の隙でも戦場では命取りだ。意志のある兵なら自身の隙は勝手に埋めてくれます。しかし、操り人形ではそれは無理だ」
酒の勢いか。
一瞬、言うべきか迷い、けれどもはっきりと口にした。
「あれもこれもと要求されて、使い潰されるのはまっぴらです。隙を埋めてくれるように魔術なり魔物なりを改良するか、あるいはゴブリンの複数運用よりも強力な個体を運用するように方向転換するべきだ」
何か言うかと思ったが、研究者は口を開かなかった。
笑っている。
いつも通りに。
しかし、どこか違うと気が付いた。
研究者の口の端は吊り上がっている。
しかし、目が違った。
決して、笑ってなどいなかった。
「そうか。私の立場で君の問題を解決できるかどうかは微妙なラインだが、まあ掛け合っておこう」
その程度の義理はある。
そう言うのかと思ったが、研究者は言わなかった。
ワインを飲み干し、用は済んだとでもばかりに研究者は立ち上がった。
こちらの皿にはまだ料理が残っている。
席についたまま、研究者を見送った。
席から離れ、研究者は一度、振り返った。
「ああ。肝心な事を言ってなかった。そろそろ君も実戦へと回されるだろう。そうなれば私と会う事は二度と無いかもな」
再び振り返り、出口を目指す。
研究職と、実戦を管理するのは部署が違うのだろう。
不意にその右手が上がった。
別れの挨拶を告げるように、手を振る。
「それにしても、君はついに私の名前を聞かなかったな」
立ち去る背を俺は無言で見送った。
一人称が変わったのは、ポラリスから別人として振る舞うように命令されたから。
あと、やさぐれたので。