強化人間
魔石。
赤い結晶。
ランプを壊すために蹴りつけた時にザックからこぼれたのか。
半人が手にしていたのはそれだった。
それを理解するより早く、激痛が私の体を支配した。
「ぐ!」
目を閉じ、顔を背けるよりも早く、半人が私の目にそれを突き刺していた。
熱い。
世界が赤く染まるよりも前に暗闇へと落ちる。
それは視界の半分を失ったからではなく、ダメージのショックでスターライトが無へと返り、明かりが失われたからだった。
未だ目をえぐるように突き入れてきていた半人の手を闇の中で掴み、地面へと叩き付ける。
半人が悲鳴を上げた。
手で左目を確認すると、そこには未だ魔石が刺さったまま。
自分で抜くのはためらわれた。
隊の中の誰かがスターライトを使い、再び光が戻る。
「撤退するぞ。戻れ。早く」
抑えた声が耳へと届く。
新堂の声だ。
半人のほとんどが切り伏せられ、地へと落ちていた。
まだ息のある者もある。
見れば私以外にも負傷していた。
背後の闇に何が潜んでいるか分からないこの場所で、相手を殲滅するよりも先に撤退を新堂は選んだ。
激しくズキリズキリと明滅するような痛みに堪えて、小道の入り口へと走った。
小道に入りさえすれば、その向こう側から別の群れが現れない限りは、仮に後ろから大勢の魔物が現れても、対処しやすくなる。
痛みは絶え間なく襲ってくる。
頭痛を伴い、吐き気すらしていた。
1歩ごとに体から何かが抜け落ちていく。
「小太刀?目をやられたのか」
目には魔石が刺さったままだ。
そう問う新堂も左腕が血に染まり、点々と血を垂らしていた。
「悪いが、戻ってからだ。今は何もしてやれんぞ」
その声に頷く。
隊の全員で、ぽつりぽつりと魔術の光を灯しながら早足で進む。
幸いな事に、敵の襲撃は街に戻るまで無かった。
隊のほとんどが負傷していながらも、誰ひとり欠ける事無く私たちは街へと戻った。
◇
目を覚ますと、真っ暗だった。
いぶかしむように目を細めると、左目がズキリと痛んだ。
「っつ……」
そっと右手を左目にやると、そこには包帯らしき布が巻かれているのが分かった。
右目にはない。
左目を覆うように、きつく巻き付けてある。
挙げた右手がいやに重かった。
ともかく明かりを。
そう思い、スターライトを使おうとして気付いた。
魔術を使おうとイメージした瞬間に、私自身の目の前に光る糸が現れたのを。
部屋は暗い。
かざした自らの手が見えない程だ。
なのに、光る糸だけが私の目の前に浮かぶ。
実際に光っている訳ではないようだ。
光る糸に照らされているはずの手は相変わらず見えない。
それは私の右手から伸びていた。
そしてそれは魔術を習った時に教わった概念そのものだった。
コード。
魔術ひも。
あるとされながらも、誰も見た事が無い概念。
そう。
多くの人にとってのただのイメージ。
それが、目の前に浮かんでいた。
魔力の糸をより合わせる。
それは意味のあるコードになり、やがて球になり。
「スターライト(一番星見つけた)」
球は手のひらの上で光と化した。
なんて簡単なのか。
イメージのみでコードをより合わせ、織り、構造物とする。
言うのは簡単でも、実際にやるのは相当な訓練が必要だった。
何しろ、私自身が満足に使えるようになったのはスターライトだけだ。
目には見えないコードをより合わせろ。
それは目に見えないものを実際に幻視するほどのイメージが必要とされる。
スターライトは魔術の中では極端に簡単な部類だ。
それでも、普通の人間にとっては難しい魔術。
それが攻撃魔術にもなると必要になるコードの種類は多く、複雑で、そして常に幻視し続けなければ発動しない。
それが実際に目にしながら発動させる魔術のなんと簡単な事か。
眠り、目覚めると、私にはコードが見えるようになっていた。
どう受け止めたら良いのか。
これを誰かに告げるべきなのか。
なぜこうなった?
それを考えられる時間は思いのほか短かった。
スターライトの光が扉の外へと漏れていたのか、ほどなくして部屋にひとつだけの扉が開く。
「やぁ、目覚めたか」
差し込んでくる通路の光と共に入ってきたのは白衣の女。
長く、緩くウェーブした髪。
眼鏡の下の目は垂れ下がり、口の端が吊り上がっていた。
何が面白いのか。
嫌な笑い方だった。
ひと目で分かる。
ポラリスだ。
ポラリス。
転移魔術を見つけ出した研究機関。
現在ではあらゆる魔術を研究し、そして先進魔術を統括する組織。
おそらくはそこの研究者だろう。
見下した笑い。
理由も無く、初めて会った相手でも、遠慮なくそれを浮かべる研究者は過去に何度か見た事がある。
なるべく関わりたくない人種。
それが部屋の中へと入ってきた。
スターライトで照らされた室内は白く、そして同じくらい真っ白なベッドとサイドボードがひとつ。
窓は無い。
研究者が入ってきた扉の外にはちらりと衛兵の姿が見えた。
病室だと思ったこの部屋は、もしかすると研究室なのかもしれない。
衛兵が扉の脇のスイッチを入れると、天井の明かりが点いた。
衛兵はすぐに外へと出て行き、そして扉を閉めた。
それにあわせてスターライトを消す。
ハラハラとほどける光る糸が私の目に映る。
迷宮内部の地下都市、ブレアデス第1区。
そこにもポラリスの研究室はある。
撤退し、第1区、つまり街へと辿り着き、そのまま治療院へと運ばれ、そこで意識を失った。
その後に何があったのか。
「はじめまして」
「あぁ、はじめましてだねぇ。寝ている君にはもう何度も会っているけれど、起きた君と会うのは初めてだ」
「では、名乗る必要はありませんね」
「ああ、ないね。小太刀リョウ君。第3区28調査部隊所属、中級探索兵士。未開区域探索中に左目を魔石により負傷」
研究者は手を白衣のポケットに突っ込んだまま、私の目を見て話す。
相変わらず人を馬鹿にしたような笑いを浮かべて。
「私は何日寝てましたか?」
「うん。良いね。それなりに判断がきいている質問だ。そこそこ評価されてるだけはあるね。前線に行ってないのはもしかしてわざとかな?」
「何の事です?」
「いや、良い。君に興味があるのはそういう事じゃないんだ。寝ていたのは20日だよ」
「なっ!? 20日?」
噛み合わない会話ながらも答えは聞き出せた。
20日。
それはただ左目を負傷しただけにしては長い。
長過ぎる。
「なぜ?」
「それは君自身も気が付いたんじゃないかな?」
性急な話し方だ。
これで普通の会話のつもりなのだろうか?
それでも、相手が何の事を言っているのか、直感的に分かってしまった。
コードが見える。
その変化が起こるに足る何か。
それに20日を要したのか。
「何の事です?」
「ああ、そう警戒しなくても大丈夫だよ。君の処置をしたのは私だからね。私はちゃんと君の事を知っている」
「……」
「私には見えないけどね。君が羨ましいよ。私にも移植したいものなんだがね。本当に」
研究者が軽く首を振った。
それはやれやれとでも言うように。
「この、包帯は取っても構いませんか?」
「勿論。既にソレは君の目だ」
包帯をむしり取る。
右目の前に手をやり、隠す。
何も見えない。
世界は闇へと変わる。
両目は開いたままだ。
つまり、左目は機能していない。
いや、正確には見えたものがあった。
細い、光る糸。
それが闇の中を泳いでいた。
右目を隠すのをやめ、そのまま指で直接、左目に触れた。
それは硬く、まるで石を触っているかのような手触りだった。
触った瞬間に、少しだけ痛みが走る。
「この目は何ですか?」
研究者に尋ねる。
「分かっているんじゃないかな?魔石だよ。君が掘り出してきた、ね」
研究者がポケットから手を出し、何かをベッドの上へと放った。
小さな手鏡。
真四角のそれを手に取り、顔の前へと翳す。
そこに映ったのは、真っ赤に輝くガラス質の石だった。
そして、その顔は知らない顔だった。
◇
研究者の説明では、魔石は思いのほか深く刺さっていたらしい。
その場で意識不明に陥っていてもおかしくないほどに。
自身で歩いて戻ってきたのが奇跡的だったと言えた。
治療院で意識を失った時には本当に危険だったようだ。
そしてその治療院に、たまたまいたのが、この研究者。
研究者は私を見ると、ポラリスの名の下に私の体を接収。
かねてから研究していた魔石を人の体へと融合させる実験の被検体とした。
「ああ、本当に危なかったんだよ、君は。あのまま魔石を抜いて処置しても意識が本当に戻ったかどうかは不明なくらいには、ね」
その言葉に反論しない。
ポラリスの人間に文句を言っても意味など無い。
かつては戦争を止めるという名目で虐殺すらもやってのけたなんて噂もある組織の末だ。
同じポラリスの人間で無い限り、この女に言うべき言葉は無い。
それでも。
「ありがとうございます、と素直に言う気にはなれませんね」
鏡に映るのは知らない顔。
鋭い目じりがいやに目を引く。
目や鼻の印象が大きく変わっていた。
髪の色は黒から白に近い灰色へと変じている。
ここまでされているのはどういう訳か。
嫌な予感は鏡を見てからずっと消えない。
ひとつの噂があった。
そして研究者は、それを否定しなかった。
「寝て起きたら改造されてました、ではね。良いよ。それくらいの文句を聞く義理はあるかな?」
強化人間。
噂だけは耳にしていた。
魔術によって改造された人間が存在する、と。
魔人にも負けない強靭な肉体と魔力を持った人間の創造を目指し、今も研究が進んでいる、と。
「接収された、という事は私はこれからどうなるんですか?」
被検体と化したのなら、もはや普通の生活には戻れまい。
ご丁寧に整形までしたのは、そういう事だろう。
もはや小太刀リョウという人間は死んだ事になっているはずだ。
もともと孤児だったので、諦めは良い方だった。
別れを惜しむ家族もいない。
しかし、ちらりと少ないながらも仲間と呼べる人たちの顔が思い浮かんだ。
「あまり物分かりが良いというのもつまらないものだね」
「ポラリスと間近に接する時というのは、つまり死んだようなものでしょうよ。いや、顔をいじっている以上、もう死んでいるはずだ。少なくとも書類上は」
「ふふふっ」
研究者が突然、笑い出した。
「もう君もポラリスなんだよ。おめでとう。まぁ、今日はそのまま寝ていなさい。こちらにも準備というものがある。君は君の準備を進めなさい」
部屋を出るべく、扉へと研究者が歩き出す。
「心の、ですか?」
「そう。分かってるじゃないか。それにしても」
扉を開け、振り返った。
「君は私の名前を聞かないんだな。命の恩人であるこの私の」
表情が歪んだのが分かる。
既に色々と受け止めきれていない感情があった。
これからどうなるのか。
人が寝ている間に好き勝手されて。
そして、とにかくこの女は気に入らない。
何も言えずにただ研究者の顔を見返すと、研究者は。
「まあ、今日の所は勘弁してあげるよ」
それじゃあ、また。
そう言うと、研究者は名乗らずに部屋を去った。