ブレアデス
この時点では主人公すらモブ。
人類が挑み続ける迷宮。
人類共通の敵である魔物が生まれ出ずる魔物の巣。
その中の、点々と明かりが灯る薄暗い通路を進んでいく。
地下だ。
通路には窓など無い。
迷宮の外を知る術は無かった。
それは地上からこの迷宮へと転移してきた銀星門にはじまり、迷宮内部に築かれた街の中、そして街から目指す区域に一番近い銀星門から今の位置に至るまでに、迷宮の外を覗き見る事が出来る、そんな窓はただのひとつも存在し無かった。
それでも真っ暗闇ではない。
通路には点々とつく灯り。
有線で魔力供給されたそれが敷設されている事で、薄暗いながらも視界は確保されている。
地図を片手に前を新堂カズヒコが進んで行く。
私はその後ろ、2番目に付いていた。
左隣には綾瀬ミチヒコが、右隣には佐藤リョーマ。
そして後ろには並木トシヤと吉佐シュートが続いている。
「ああ、大分近いな。もうちょいだ」
地図を見ていた部隊を率いる新堂が声を上げる。
「また隊長が地図を読み間違えたのかと思いましたよ」
綾瀬が軽口を叩く。
確かに以前に新堂は地図を読み間違えて、迷宮内で過ごせる貴重な時間を無駄にした事があった。
「迷ったら言ってくださいね。私が見ますから」
吉佐が続けて言う。
方向感覚に優れ、作図担当である吉佐に任せた方が、良いと思うのは確かだ。
灯りが敷設してある区域なら、灯りにナンバリングがしてあり、地図もそれにリンクしているので迷う事は無い。
それを知っているので、吉佐は気軽に言った。
吉佐は恐らく、頭の中でここまでの道筋を地図として描いているはずだ。
新堂もそれを分かっている。しかし譲らなかった。
「黙って歩け、とは言わんがな。もう少し緊張感を持て」
と言いおいて、再び地図へと目を落とす。
点々と灯りがあるこの場所では、多少の弛緩を許すだけの余地はある。
それでも私は周囲に耳を澄まし、空気にあのにおいが混じっていないか確かめる。
私たちが任されているのは、この区域の未開部分の調査だ。
軍の精鋭部隊が最前線の魔物を狩りながら、この迷宮内における人間の陣地を広げ、そして私たち後衛部隊がその陣地を確保する事で、魔物の陣地から人間の陣地をより明確にしていく。
新堂が地図を自ら見て、ここまで来たのはルートを覚えたかったからだ。
地図は重要機密文書扱いで、例え調査部隊であってもひとつの隊には1枚しか支給されない。
複製も許されていない。
それはポラリスの管轄であり、そしてつまり誰も口出しできない事だった。
新堂は何度か訪れる事になるであろうこの辺りまで、隊を率いる人間として、スムーズに来られるようになっておきたくて、自ら地図を見ている。
調査は一度では終わらないのは確実だった。
外と違って迷宮では魔物は突如として現れたりはしない。
迷宮内に魔物が転移してくる事はなかった。
魔物は親と呼ばれる巨大種から生まれ、そして迷宮内をさまよいながら成長し、やがて迷宮内に存在する門によって外へと出て行く。
閉じた地下世界でいかなる理が働いたのか、人類が長年の叡智の果てに手に入れた転移魔術を実現させる奇跡、それが迷宮には存在している。
原始的な転移魔術を実現する門はどうやら巨大種は通れないようだ。
それもいかなる理によってそうなっているのかは不明であり、今なお研究が進んでいるらしい。
今、私たちがいるのは最前線からは遠く離れた後方だ。
そして迷宮内の街からも遠い。
精鋭部隊は巨大種が巣くう部屋を求めて進んでいく。
巨大種がいる周辺では魔物は増え、巨大種のいない区域では減る。
自然、調査の行き届かない区域が必ず出るのだ。
わざわざ何も無い区域の探索に人を割ける程に精鋭部隊に余剰人員はない。
ただし、そうした区域でも、構造の調査は必須である。
最前線の精鋭部隊への補給物資を置く倉庫の構築のために、あるいは守りやすい構造であったり、広い空間があるのなら新たな転移魔術用の門を築き、そして街を築くために。
迷宮は呆れる程に広大で、その大きさはマゼラン大陸全土に匹敵するとも言われていた。
現在、ポラリスに属する国が共同で、それぞれに担当地区を持ち、様々な地点から探索を進めている。
座標も何もあったものではないこの場所では、転移魔術で一息に探索する事はできなかった。
私たちはその迷宮のスバル担当地区、ブレアデスの一角の未開区域を目指して進んで行く。
今いる地点はブレアデス最後方である地下都市、ブレアデス第1区からは遠い。
その周囲に存在する第2区は巨大種の駆逐を完遂、探索、マッピングも終了し、現在は防衛拠点としての機能を拡充させている真っ最中。
そして第2区東側である第3区を私たち後衛部隊が探索している最中であり、最前線たる精鋭部隊は第2区西側、第4区の攻略中だった。
「やっと来たな。ここからが未開区域だ」
銀星門からここまでは距離があった。
前線部隊の都合で開かれる門なので、そういう事はままある。
銀星門。
地下迷宮内部専用の転移魔術による移動装置。
地脈から魔力を吸い上げ、貯蔵し、誰でも魔力の消費無しで転移する事を可能とする門。
転移魔術に掛かる魔力は膨大で、それは人の身には余る。
そのために必要となるのが門だった。
本来、転移魔術を使えばどこにでも転移できる。
とはいえ無秩序にやたらと転移を使う事は無用な事故を生みかねない。
現在では門同士を繋いで転移を行うのが規則となっている。
ちなみに金星門と呼ばれる門もあるようで、それならばどこへでも自由に転移が出来るらしい。
ただしそれはお偉方専用であって、ただの一平卒が使用出来る事は絶対に無い。
私たちが歩いている通路の先、T字路の突き当たりに印があった。
通路の先は暗い。
まだ誰も足を踏み入れていないこの先には灯りの敷設など当然されていない。
「さて、気を引き締めていくぞ」
既に巨大種の駆逐が完了しているとはいえ、第3区で魔物が出ない訳では無い。
前線部隊が討ち漏らした魔物が、遥か後方と呼べる第1層の街の入り口に現れる事だってないとは言えないのだ。
さすがに巨大種の駆逐宣言が出ている区域で、巨大種の巣に出くわす事は滅多にない。
ただし、そういう事も歴史上皆無ではなかった。
つまり油断はできない。
全員がその手に武器を構えた。
有用な魔術師の多くは最前線へと駆り出される。
人の手にはあまる巨大種の討伐のために。
ただの調査部隊に攻撃魔術を自在に操る魔術師が配備されるのは極めてまれだ。
つまりは。
「さあ、自らを試す時だ。頼るべきは己の腕であり、手にする武器であり、そして共に戦う仲間だ」
新堂の声に全員が息を合わせた。
「応!」
第3区28調査部隊は、光ひとつない暗闇へと、前進を始めた。
◇
ランプを手に進んで行く。
背にはランプのための魔力タンクの入ったザック。
タンクに詰まっているのは濃度の薄いエーテルなので魔力量はそれほど多くはない。
魔力で光るランプの点灯時間はおよそ2時間分。
他のメンバーが持つ予備のタンクを入れても6時間で未開区域入り口まで戻る必要がある。
ランプの灯りはそれを持つ私自身が眩しいと感じるほどだ。
進む道は広い。
5人の大人が手を広げたほどの広さだろう。
そして両手剣を掲げてなお余裕のある高さがあった。
どこも溶岩が冷えて固まったような岩が覆っている。
床も、壁も、天井も。
溶岩流が冷えて固まった時に、たまたまこのような空洞が出来た?
あまりにも考えにくい妄想を打ち消す。
まるで神の所行だ。
ポラリスですら解明できていない理由を考えても仕方無い。
私を中央に配し、灯りを前後に届かせるために隊列は左右に別れている。
灯りが照らし出すのはほんの5メートルにも満たない。
隊列を維持しながら、慎重に進んで行く。
不意に、右前方を進んでいた新堂が足を止めた。
すぐに全員がそれに合わせて止まる。
全員が足を止めた事ではっきりと音が耳に届く。
カッ、コッ、と軽く硬い足音が。
カカッ、コッコッコッ。
いくつも重なり合うその音は反響しているからではないだろう。
複数の敵。
新堂、綾瀬、佐藤の3人が即座に前を固めた。
並木が後方の警戒にあたる。
吉佐と私は中央で身構えた。
綾瀬が左手を挙げた。
その手は開かれている。
数は5。
特殊な訓練を受けた兵の中には足音で正確に敵の数を掴める者がいる。
ソナーと呼ばれるそれは、こうした暗い未開区域に足を踏み入れる時には必須の人員でもあった。
敵の種族はもはやこの場にいる誰もが分かっている。
まるで猫のように軽やかに足音が響き、それは近づいてきていた。
やがて、光の中へと姿を現す。
ゴブリン。
通称、半人とも呼ばれる魔人の一種。
その肌の色は暗い緑。
その顔はどこか老人を思わせる。
魔人と聞けば恐ろしげだが、実際には種族分類としての名目であり、その強さはそれぞれだ。
そして半人と呼ばれるように単体の強さは大した事は無い。
装備は汚い。
奇妙にめくれあがり、ひび割れ、そして所々腐敗している皮鎧。
おそらくは迷宮の中の魔獣の皮なのだろう。
しかし、なめしてすらいないであろうそれは、既に何の魔獣の皮なのか分からないくらいに劣化していた。
まるで腐ったドブ川のような臭いが、かすかに流れた空気から感じられた。
魔物は臭う。
風呂にもシャワーにも縁がないからだろうか。
とにかく魔物は臭うのが当たり前だった。
手にしているのは小さなナイフだ。
木の葉にも似た形のそれは鉄製ではあるものの、まるで石器のように歪。
そのナイフを振りかぶり、光の中に現れたと思った瞬間には前を固める3人に飛びかかっていた。
暗闇から急に灯りの中に出てきても、爛々とした殺意に光る目は眩まないらしい。
その動きに迷いは無い。
3人は下がらずに剣を一閃させる。
それぞれの斬撃は半人の喉を切り、首を落とし、そして頭を砕いた。
その間に、新堂に1体が組み付いていた。
もう1体は佐藤に。
ゴブリンの基本行動は、まとわりつく、だ。
とにかく接近し、そして体へと取り付き、よじのぼってくる。
全身をくまなく鎧っていても、必ずどこかは露出している。
ブーツと鎧の間だったり、首だったり、顔だったり。
そうした場所を目指して集団でまとわりつき、そして手にしたナイフで突き、掻き切る。
技などない。
猿と一緒だ。
しかし、それが最も恐ろしい事を知っている。
ゴブリンが恐ろしいのは集団で襲う事の強さを自覚している事だろう。
外の世界では、時に数十体にも膨れ上がった群れに遭遇する事もある。
イナゴの群れからたった数本の稲を守るのは難しいように、そんな群れに遭遇したら、殲滅するには敵の倍以上の戦力が必要になる。
時にフルフェイスのヘルムですら、その目を狙って突いてくる。
2体に同時に組み付かれたら、ダメージを覚悟する必要がある。
それほどゴブリンの行動は的確であり、そして素早い。
例えば、今の自分の装備は青錬鋼の鎧でほとんど全身覆われている。
奴らが手にするナイフでは満足に傷すらつけられない青錬鋼の鎧でも、膝の裏、肘の裏、首、顔、奴らが襲うに十分な箇所は多い。
鎧を引きはがされ、それで命を落とす兵もいる。
だから、そうなる前にたたき落とす。
斬り捨てる。
数が少なければ、それほどに恐ろしい相手ではない。
外の世界では大きく膨れ上がるゴブリンの群れも、迷宮の中ではそれほどに大きくなるのは親である巨大種の周りくらいの事で、あまり大きな群れを作らない。
ゴブリンは驚く程に小食だ。
その小食なゴブリンでも、迷宮内では飢えるからではないだろうか?と言われていた。
それくらいに外と比べると、迷宮内では生命の気配は決して多くはない。
大きな群れを形成しても、それを維持できるだけの食料が確保できない。
それが理由だろう。
何にせよ助かる。
組み付かれた佐藤は動じる事なく、その場に倒れ込む。
腿へと組み付いていた半人は床と鎧に挟まれて、プギャ、と小さく悲鳴を上げる。
半人は衝撃を受けてナイフを振り回す余裕も無い。
佐藤はすぐさま体を起こし、そしてその喉を肘で撃ちつけた。
金属鎧で守られた肘の一撃が半人の喉を潰し、首の骨を破壊した。
新堂は剣の柄で顔を殴りつけていた。
そうして無様に床へと落ちたそれを、ゴミでも処理するかのように淡々と手にした剣で突き刺し、殺した。
増援による追撃が無い事を確認し、そして再び進んで行く。
半人どもの死体をそのままに。
戦闘記録の報告を行うと、掃除屋と呼ばれる専門部隊が後で始末に来る。
死体から未知の病原菌が発生しても困る。
その処理をいちいち行っていては調査が進まなくなるので、仕方の無い事だろう。
進んでいく私の隣で、吉佐が新堂から渡された地図に新たな情報を書き込んでいく。
敵が少なければ、私と吉佐は戦いに加わらない。
ランプを守る事。
それが未開区域における最重要事項。
灯りを生み出す魔術を覚える事はこの迷宮探索においては必須であり、それを知らずして迷宮には入れない。
それでも灯りを生み出す魔術をいつでも確実に使えるとは限らないのだ。
体力を消耗すれば満足に照らす事は出来ないし、いつ敵の集団に襲われ、消耗しないとも限らない暗闇の中で、魔術があるから平気だ、などと安易には考えられない。
時に安全圏まで数時間、歩き続ける必要がある探索では、より安全よりの計画で進んでも、十分とは言えない。
魔力は極力温存する。
それが人以外が支配する魔物の陣地での絶対的な指針だった。
事実、半人の中にも賢い者はいるようで、真っ先にランプを目指して突撃してくる者もいる。
常に余裕を。
それが持てないようであれば即座に引き返さなければならない。
初戦が簡単に済んでも、常に暗闇に気配を探し、五感を研ぎ澄まし、進んだ。
金星門=どこへでも転移可能。
銀星門=銀星門同士を繋いでいて、門同士なら転移可能。




