地獄の門番
「俺が責任を取る。あいつに装備を送る」
室長がメンテナンス内にある通信装置へと告げた。
オペレーターの声が問い掛ける。
「宜しいのですか?」
「構わん。今の混乱を何とかする方が先だ。あいつがうまくやってくれれば後で何とでもできる」
光が薄暗い室内を照らす。
スターライト。
魔術で生み出された、その光が。
光へと黒いナイフを突き刺す。
その瞬間、はらりとコードが解けた。
切り裂くようにナイフを動かすと、コードはバラバラになり、光は消える。
宙に意味を成さなくなった魔力の糸がはらはらと舞い落ちた。
このナイフにはコードを切り裂く力があった。
今の俺が良く使っている装備である黄錬鋼の物にも魔術に対する耐性というのはある。
それでも、ある程度防ぎ、弾くのがせいぜいだ。
しかし、このナイフは違う。
コードを分解し、魔術を殺す。
まさしく魔術殺しと言って良い代物だった。
もしも俺の敵がこれを手にしていたら、簡単に傀儡を解かれてしまうだろう。
黒い刃をじっと眺めていると、インカムからオペレーターの声が響いた。
「お待たせしました。今から装備を送ります。正確な座標を」
「今いるのは五更区の南通り、xy地点の工場の中だ。頼む」
「了解です」
瞬間、頭上から光の糸が降ってくる。
転移魔術のコードが。
天井をすり抜けて、俺の立つ目の前へと。
コードはそのまま大きくなっていき、やがてひと塊の山になった。
山は徐々に色づいていき、そして現れたのは鱗の肌を晒し、鎧をまとってうずくまるマイアだ。
傍らにはハルバードにも似た槍とドラグノフ。
俺の黄錬鋼の鎧と両手剣もあるので急いで装備する。
さらには大きなザックがひとつ。
開けて確かめると、中にはザジとピクシーが2体、それにドラグノフの予備のエーテルが2本詰め込まれていた。
フル装備だ。
これなら例え何匹魔物が来ようとも戦える。
問題はマイアに何の偽装も施されていない事だろう。
その実態はどうであれ、マイアはひと目で魔物だと分かる。
街中には当然ながら住人たちがいるのだ。
後々の事を考えたらそのままという訳にはいかない。
マイアを操り、工場の中の機械に被さっていた大きな布を巻き付かせた。
ドラグノフは俺自身が持ち、マイアには槍のみを持たせる。
ザジは取り合えず外には出さずにザックに入れたまま背負った。
最後に2体のピクシーを取り出し、宙へと浮かせ、外へと向かった。
◇
扉を塞いでいた機械をどかして外に出ると、間の悪い事に目の前に3頭の黒犬。
俺を見、唸り声を上げる魔獣に問答無用で俺の手の内のドラグノフを撃ち込む。
黒犬には炎の効き目は良く無い。
しかし、炎の矢が炸裂した事によって生じる衝撃には効果がある。
2頭がそれに巻き込まれて吹き飛ぶ。
その間に、残った1頭へとマイアを肉薄させ、一振りで黒犬をふたつに斬り分けた。マイアの後ろにはピクシーが追走するように飛んでいく。
吹き飛んだ2頭も、すぐに体勢を立て直して同時にマイアへと飛びかかる。
マイアはステップでも踏むように軽やかに後退した。
そのまま斬撃を振るうと、まるで吸い込まれたように黒犬が刃の線上へと現れ、あっさりと1頭の首を刈る。
それをマイアの頭上に飛ばすピクシーの目で確認する。
マイアを前に出して戦うと、マイアの懐に死角が生じる。
それをピクシーを間近に飛ばし、その目へと意識を飛ばす事で無くす。
ピクシーの目に映ったのはもう1頭の黒犬の姿。
もう1頭はマイアへと飛び込むのに成功していた。
マイアの首を噛みちぎろうと開かれた赤い口。
その口に、マイアの鱗に覆われた腕が差し込まれる。
硬い音が微かに俺の耳へと届いた。
マイアの腕を砕くには、黒犬程度の顎の力では全然足りない。
マイアは走り、そのまま向かいの建物の壁へと黒犬を叩き付ける。
壁が衝撃でひび割れ、黒犬の顎が開いた。
ずるりと落ちかけた黒犬を、マイアは槍で突き刺す。
その時には既に意識を俺自身の目へと戻して周囲を見回していた。
黒犬の姿は他に無い。
取りあえずは魔物が湧き出したという銀星門へと向かう事にし、走り出す。
「五更区には黒犬しかいないのか?」
「状況は混乱しています。五更区で連絡のついているレギュラーはあなただけです」
「ちっ」
オペレーターの告げる状況は良くない。
つまり、この場を何とかできるのは俺だけだ。
街の中の警備兵では群れで襲ってくるコイツらには対処出来ないだろう。
「他は?どうなっている?」
「二更区はスバル軍がおりますので、そちらが対処しています。ただし、二更区には3体の巨大種の姿も確認されております」
思わず進む調子が狂い、足を止めかけた。
「親だと?馬鹿な」
二更区にはスバル軍の庁舎がある。
そして兵器庫もだ。
それはまるで、それをふまえて戦力が送られているように感じられた。
いや、状況が見えていないだけで、五更区の銀星門にも同程度の戦力がいるのかもしれない。
銀星門へと向かう間にも、進路を邪魔する黒犬に出くわしては潰していく。
まだ息があるのか、倒れ、震えている人の姿も目にする。
それはひとりふたりではない。
それを無視して進んで行った。
生きているのか、死んでいるのか。
今は、ひとりひとりに声を掛けて確かめて回るような場合ではない。
ひとりを助けようとする間に、俺ならば5体の黒犬が殺せる。
俺に向かって呼びかける声も、遠くをうろつく魔獣の姿も今は無視して銀正門へと向かった。
今も魔獣が門から湧いてきているなら、まずはそれを止めなければならない。
もしも、そこに巨大種がいるなら。
そこまで胸の内で言葉にして考え、思考が止まる。
俺は巨大種がいたらどうするのだろうか?
表情を消し、感情を平板に保つ。
今、自分が出来る最優先の事だけを考えて走る。
確認する。
ただそれだけを考えて。
銀星門へと近づくにつれて、人の姿は減っていった。
先行するピクシーが黒犬の姿を捉える。
T字路の突き当たりの建物の前に、ただの1頭の姿を。
考えたのは一瞬だけ。
俺はそれを無視する事に決め、マイアの手を取った。
目指す場所は、その建物を超えればすぐそこだ。
マイアがまとっていた衣を脱ぎ捨てる。
背中に折り畳まれていた翼が広がる。
そのまま、引っ張り上げられるような強い引力に引かれ、空へと舞い上がった。
一気に飛翔し、建物を飛び越える。
俺はその惨状を目にした瞬間、息を飲んだ。
そこは広場になっている。
中央にはそそりたつ2本の巨大な柱。
銀星門。
その内の1本が半ばから折れていた。
誰がやったのかは知らないが、銀星門は今はその機能を止めているようだ。
広場は真っ赤に染まっている。
それに群がる黒犬の群れ。
広場を見渡し、ある場所で目が止まる。
あまりにも異常なその光景に。
広場の一角の建物が崩れていた。
そこにいるのは3つ首の巨大な犬。
犬と呼ぶにはあまりにも巨大だ。
ひとつひとつの首が人間をそのまま丸呑み出来そうなサイズがある。
ブラックドッグと同じく、岩のように隆起した巨大な体がその3つの首を支えていた。
そのそれぞれの首がかつて生きていた人の頭を噛み砕く。
「銀星門に着いた。敵、巨大種を確認。ケルベロスだ」
有名な巨大種だった。
迷宮の最前線に無縁だった俺でも、その名前と特徴を知っている。
建物の屋根へと降り立ち、インカムに向かってそれを報告した。
「ディー、無理はしないでください。被害を抑える事を優先すべきです」
単独で倒すのは無理だと判断したのだろう。
オペレーターが告げたのは広場からの撤退だった。
確かに、状況は最悪だった。
広場を見渡してみても、生きている人間の影はひとつもない。
埋め尽くしているのは死体と黒犬の群れ。
巨大種1体だけでも手に余るのに、数えるのも馬鹿らしくなるほどに黒犬がたむろしている。
何か無いかと探し、視線を走らせ、かつては兵だった者の成れの果てを見つけた。
青錬鋼の鎧で全身を覆っていたのだろう。
それはよくよく観察して、やっと分かる有様だった。
赤く染まり、四肢が引きちぎられている。
気が付き、改めて見れば広場の至る所にそれはあった。
ここに来るまでに、ほとんど兵の姿を見なかった訳だ。
俺が装備を待ち、隠れている間に隊を整え、突撃したのかもしれない。
黒犬どもにおもちゃにでもされたのか、いくつもの兵の死体がばらばらにされて、今は赤い湖を飾るオブジェと化していた。
増援は期待出来ない。
さて、それで俺は一体何をするべきなのだろうか?
「ディー、何を考えているのですか?」
俺が何も言わずにいると、オペレーターが繰り返し問い掛けてくる。
「さてな」
「今、あなたに出来る事は銀星門周辺にはありません。街の中に散らばっている個体を個別に狩り出すべきです」
確かにその通りだろう。
巨大種を見た。
おそらくは狭い通りを無理に通り抜けようとして、それで建物にぶつかったのだろう。
一部が崩れた建物の中にまだ人がいるのだろうか。
先程までは死体を噛み砕くのに夢中だったのが、今はしきりに鼻先をその中へと突っ込んでいた。
それを心底、不快だと思った。
気に入らない。
ここは人の街だ。
それが一体これは何なのだろうか。
血の湖で戯れる黒犬の群れ。
自らを赤く染め、それではしゃぎまわっている。
背負っていたザックを下ろす。
中からザジを取り出す。
2体のピクシーの内の1体をマイアの首へと掴まらせた。
もう1体は俺の頭上を飛ばす。
コードを繋いだザジを抱え、マイアを掴んだ。
両手が塞がってしまうので、ドラグノフはザジに持たせる。
「行動を開始する」
「ディー!?」
マイアが俺の手を掴んだまま力強く羽ばたくのに合わせて、屋上を蹴った。
降りる。
広場へと向かって一直線に。
降りるのは広場の端。
ケルベロスがいる位置とは反対側。
頭上から降り来る人間の存在に気が付いたのか、いくつかの黒犬が見上げ、吠えかけ、走り寄ってくる。
「もう降りた。これ以上は邪魔になる。黙ってくれ」
オペレーターがずっと何やら騒いでいた。
ここまで来たら覚悟も何もない。
それがオペレーターにも伝わったのか。
ひと言だけ呟くように声が響き、それきり静かになった。
「無事の帰投を、ディー」
言われなくても、そのつもりだ。
オペレーターにではなく、自分へと呟く。
「さあ、自らを試す時だ」
抱えたザジの手が動いた。
その手に握られている鉄のかたまりの引き金を引く。
真下へと向けられたそれから炎の矢が吹き出した。
爆炎が集結しつつあった獣の群れを吹き飛ばす。
地に着く直前に、マイアから手を離し、飛び降りる。
ザジも既に抱えてはいない。
ザジが地へと着いた刹那、もう一度ドラグノフを放つ。
俺は着地と同時に剣を抜いた。
マイアも槍を既に振り回している。
俺はそれを空からの視点で確認する。
俺は既に目をつぶっていた。
空から俺とザジとマイアとを含めた宙からの視点、ピクシーへと意識を移している。
周囲から黒犬が殺到してくる。
ピクシーの目で全周を一度に見る俺にはそれが分かる。
今や俺自身が傀儡と化していた。
俺の意のままに動く俺の体を別の視点で眺め、まるで操るように敵を切り裂く。
ザジが投げたドラグノフを俺が受け取り、ザジは自らの剣を抜き、マイアは踊るように敵の攻撃をかわし、時に槍で弾き飛ばし、時に自らの手で魔獣を貫く。
時折、俺自身の目で敵との距離を正確に測り直し、時折マイアの首にしがみついているピクシーの目で敵をまとめて斬り伏せる。
頭が燃え上がるように熱くなっていた。
それに喉も渇いている。
体はすでに汗まみれでそれを不快に思う余裕も無い。
それをどこか他人事のようにピクシーの目で見る。
しきりに吐きつけられる黒犬の炎によって周囲は既に地獄のような熱気に包まれている。
黒犬の死体が邪魔にだったのでそれを蹴り飛ばす。
別の黒犬の死体の山をドラグノフで吹き飛ばす。
それをしたのがマイアだったのか、自分だったのか、それすらも曖昧のままにして。
敵を宙のピクシーの目が捉え、一番近い別の目で正確に敵を潰す。
ザジの体も、マイアの体も、自分自身の体も分けて考えている余裕は無い。
そこにあるのはひとつの意志。
それがすべての肉体を動かす。
いつからそうしていたのか。
いつまでそうしていたのか。
気が付くと、周囲に黒犬がいない。
すべてを斬り殺した訳では無かった。
一際大きな黒い影が迫ってきていた。
渇き切った喉を多少なりとも何とかしようとしたのか、喉がごくりとなった。
それで初めて自分の身体がそれだった事を思い出す。
自らの目を開ける。
迫ってきていたのは3つ首の巨犬。
ケルベロス。
マイアの槍は血で滑り、既にただのリーチのある鈍器と化している。
俺の剣も同じような物だった。
ドラグノフは既にエーテルが切れている。
予備のタンクがあったが、変えている余裕は無いので手放した。
ザジの剣は折れたので、代わりに俺から受け取った魔術殺しのナイフを手にしていた。
ほんの少しだけ降って湧いた余裕に改めて確認した状況は、巨大種を相手にするにはあまり良いとは言えないものだ。
自分達の親の登場に、他の黒犬は退がっていた。
同時に襲ってくる気はないらしい。
それほどまでに、自分達の親を信頼しているのか。
それとも巨大種の偉容は同じ種であるはずの子ですら引き下がらせるのか。
何にせよ助かる事は確かだ。
もはや拭う物が何も無いので、気をまぎらわす程度にしかならないが、それでもマイアは槍を、俺は剣を、ザジはナイフを振り、血を払う。
不意に笑いたくなった。
その動きは完全に同期されている。
1個の意思。
1個の体。
今、ここにあるのは全て俺自身。
俺の笑いに合わせて、ザジも、マイアも、ピクシーですら笑った気がした。
ここにいるのは個だ。
ひとりではない。
孤軍奮闘、とはまさしく今の俺の事だろう。
ゆったりと迫ってきていたケルベロスの、その3つの首の真ん中のひとつが口を開く。
真っ赤な口蓋が覗き、そこから魔力の糸が吐き出されるのが俺の目に映った。
それを確認した瞬間、俺たちは散開するように跳ぶ。
炎の奔流が荒れ狂う。
それは今まで相手にしてきた黒犬とは比べ物にならない濁流のような炎だった。




