プラント
地下水路。
と言っても、下水道ではないようだ。
案内された先にあった一軒の家。
そこの床下に大穴が開けられていた。
そこからハシゴを伝って降りた先にあったのは、幅2メートル程の水路。
メアリがいつのまにかスターライトをつけていた。
その素早い魔術行使に眉を潜めた。
やはり敵に回したくは無い。
水路を見回す。
嫌な臭いはしない。
むしろ、かすかに甘い菓子のような香りがただよっている。
その臭いに心当たりがあった。
「エーテルか」
簡単に言ってしまえば魔力を含んだ水だ。
精製されたそれは、主に大きな機械を動かしたりするのに用いられる。
流れに手を入れると、金色の糸が流れの中に大群の魚のようにゆらめいた。
そこそこの品質のエーテルのようだ。
多くの都市ではこれを各家々に流して、様々な生活用途に用いる。
この水路もおそらくはそれだろう。
「そう。生活用のエーテル水路ね。それをこの国では長い月日を掛けて拡張、さらに整理し直したわ」
そう言って、1枚の地図を差し出してきた。
それを見ると、細かな水路がまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされているのが分かる。
すべての建物に供給されるにはこれくらい微に入り、細を穿つのは当然だろう。
そう思ってよくよく見てみると、中には意味がないような所にまで水路が入り込んでいた。
これから都市を再整備するつもりでもあるのか。
メアリを見た。
メアリは意味ありげに笑って、地図を指差した。
答えはそこにある、とでも言うように。
一旦、何が建っているのかを忘れ、改めて地図上で水路だけを見た。
そして気付く。
所々、見た事のある配置が並んでいた。
それは魔術コードの構造そのものだ。
これだけ大量のエーテルを流せば、コードとして既に完成しているようなもの。
「疑似コード」
構造としては初歩的な攻撃魔術にも似た、割と単純なものだ。
しかし、これほどの規模で編み上げられたそれが、どれほどの大きさの魔術として起動するのか、考えるだけでぞっとした。
「ご明察。地下のエーテル水路を巨大な疑似コードとして転用。今よりも高濃度のエーテルを流して後は上でそれなりの魔術師が集まってコントロールすれば、実際に魔術は発動するわ」
「今は濃度を押さえて調整しているのか」
つまりは、この地図が掴めと言われていた大規模破壊魔術の詳細そのものだ。
それこそこの水路を破壊し尽くせば発動の阻止すら出来る。
ただ、あまりにも規模が大きすぎた。
一度に壊すには人手が足りず、そして多少壊した所ではこの規模になると魔術の発動そのものを止めるには至らない。
今、下手に壊せばすぐにここにも警戒の網が張り巡らされる事になる。
対処のしようが無かった。
「気が付いた?そう。ここをどうしようと止められないわ。ここまで完成しちゃってるともう無理ね」
「何で完成しているのに、使わない?……そうか、エーテルの準備か」
「さすが。今プラントで高濃度のそれを精製している最中って訳」
つまり、何とかするならそっちの方、という訳だ。
プラントの場所なら既に掴んでいる。
侵入に成功したあそこだ。
「それで?あんたは俺に何をして欲しいんだ?」
核心をただで教えるようなお人好しではないだろう。
自分の目的のために教えてきたはずだった。
「プラントの位置も、もちろん掴んでるわ。でも、ちょっと警戒が厳しくてね。だから、エスコートしてくれない?」
俺は鼻で笑った。
「何を言っているんだ?いくらでも物騒な魔術を使って突破すれば良いじゃないか。出来るんだろう?」
「失礼ね。人をテロリストみたいに言わないで」
「違うのか?」
真顔で言う俺に、がっくりと肩を落とした。
「そう、真面目に言われてしまうと、自分でも考えてしまうけど。あなただって用はあるんでしょう?」
この地図1枚でも、潜入成功と言えるだけの成果だ。
後は期限が来るのをただ待つだけで良い。
ただし、それで良いのか、という思いはあった。
魔術の完成を止めろ、とは言われていない。
その事に違和感があった。
なぜ止めないのか?
いくらでも戦力を傾ければ止められるはずなのに、何故それをしないのか?
何かろくでもない事を考えている。
そんな予感があった。
目の前の女を見る。
ろくでもない事を考えているのはこの女もそうだろう。
どちらがよりろくでもないのか、そう考えて笑いたくなる。
どこにも正義なんて存在しない、そう言われている気がした。
不意に思う。
もう少し先を調べてみても、そして対処出来るのなら対処しても良いだろう、と。
大規模破壊魔術。
それによって傷付くのはポラリスの人間でも、目の前の謎の女でも無い事は確かだ。傷つくとしたら、何も知らない兵や、生活する人々の可能性が高い。
俺や佐藤がいつの間にかポラリスによって望まない方へと変化させられてしまったように、すべての人間が望まない方へと変化させられてしまう事すらあるかもしれない。
ゴーレムや成瀬レイナを見て感じていた。
ポラリスに染まった人間は自らを過信している。それが正義であると疑わない。
そして言うのだ。
自らがポラリスなのだと。
自らが世界そのものなのだと。
俺自身が正義になるつもりはない。
しかし、俺自身が世界そのものなのだなんて、絶対に思いたく無かった。
そんな自分になりたいとは考えたくも無い。
大規模破壊魔術、その計画を止める。
胸の内で言葉にして、そう決心した。
目の前の女は考え込む俺を、何も言わずにニコニコ眺めていた。
最悪、ポラリスに不都合な事は、彼女がやった事にすれば良いだろう。
どうせ、俺を何かに利用するつもりだろうから、それでお互い様にできる。
「あんたはポラリスとは相容れない所に属しているんだよな?」
あえてはっきり敵とは言わなかった。
敵ならば、同行する訳にはいかなくなる。
しかし単純なポラリスの敵なら、最初に会った時に、さっさと俺を処理してあのまま将軍にポラリスをどうこうさせていただろう。
それをしなかった以上、単純なポラリスの敵では無いはずだ。
正直、俺ひとりで何もかもをこなすには手が余る。
戦力になるのなら、猫の手でも借りたい。
目の前にいる猫は、あまりにも気まぐれそうではあったが。
「そうね。あなたが私の事をメアリって呼んでくれるなら、少しくらいは話をしてあげようかな?」
俺は息を吐いた。
どこまで真面目に取り合ったら良いのか分からない口調。
しかし、この女の実力は本物だ。
その情報収集力も、魔術の腕も。
明らかに危険な相手。
そんな相手が何故か俺に甘い。
殺すつもりなら、最初の出会いで片がついている。
この女は理由は分からないが、ポラリスに追われている今ですら俺を害するつもりは持っていなかった。出会った最初から。
お互いに組織としては相容れなくとも、今回、この国の中においては個人として妥協出来る部分がある。はっきりと自らを敵と断じなかった相手の事をそう考えて、無理矢理にでも納得する事にした。
「分かったよ、メアリ。案内する」
「そう。宜しくね」
「それで?あんた、じゃなかった、メアリは一体何なんだ?何に属している?」
約束通りに答えたそれは、しかし少しも答えになっていなかった。
「私は私よ。ポラリスがどうとか、国がどうとか関係ないわ」
そう言って、メアリはにっこり笑った。
◇
昼の内に動くよりも、夜の方が動きやすいので、ひとまずはメアリと別れた。
飛んで侵入するなら、夜の方が見つかりにくい。
夜を待って再び合流する。
メアリは全身を黒いマントで覆っていた。
その下の装備は窺い知れない。
特に武器の類いは持っていないようだった。
顔も同色のスカーフで覆い隠している。
暗がりで出くわしたら、暗殺者だと判断して間違い無いような格好だ。
そういう俺も、室長からもらったジャケットを着、そしてその上から薄手の黒いマントで全身を覆っている。
一度、侵入しているので、二度目は手慣れたものだ。
前回の侵入がバレていないのか、警戒は特に強まったりしていない。
屋根の上へと降り立ち、そこから研究所の中へと入る。
さすがにふたり同時だと高度を稼げなかったので、最初にメアリを、それから俺を抱えてマイアは飛んだ。
メアリは音を立てずに3階の通路を走る。
メアリは目指す先が分かっているのか、迷わずに進んで行く。
その後をマイアと共に走る。
途中、何度か兵に出くわした。
それに研究員らしき人間にも。
メアリは問答無用でそれらを昏倒させていく。
手の平から伸びた細いコード、おそらくは雷系統のものであろうそれは、あっという間に相手へと伸びて、その首なり顔なりへと辿り着くと、黄色い電光の花を咲かせた。
倒れた相手を隠しもせずに進む。
侵入した事を隠す気は無いようだ。
「良いのか?」
せっかく静かに侵入したのに、これではやがて騒ぎになる。
中で動き回れる時間が大幅に減ってしまう。
「勿論。入ってしまえばもう問題は無いわ」
計画通りよ。
背中越しに呟くメアリの言葉は、ぞっとする程に冷たかった。
ここまで付いてきた事は間違いだった、そんな感覚に襲われる程に。
「なぁ」
どう確認して良いのか分からないまま声を掛けようとして、メアリが立ち止まった。
突き当たったそこには、硝子の扉。
その向こうは吹き抜けになっている。
林立する巨大なタンクが見えた。
「着いたわ。プラントよ」
目指すべきプラント、そこに辿り着いた。
◇
「それじゃあ先に行くわね。ここからは別々よ。私は私のやるべき事をやる」
ありがとう。
そう言い残して扉の向こうへとメアリは消えた。
止める間もない。
どうにも違和感を覚える。
突入し、タンクの機能を止めればそれで終わりだ。
しかし、メアリは言った。
計画、と。
彼女には彼女の計画がある。
それを彼女に聞いた所で、どうせまともな答えなんて返ってこなかったに決まっている。
最初は親しげな味方として、そして後にはそれが豹変し、別人の顔を見せる。
前回もそうだった。
つい今しがた見たメアリはまた別人の顔になっているように思えた。
今の顔は一体、何の顔なのか?
それを考えている暇はあまり無かった。
通路のはるか後方から叫び声が聞こえた。
倒れていた兵に気付いた者が現れたのだろう。
今に、ここへと兵が駆けつける。
やる事がある。
そしてそれをやれる時間はこうしている間にも減っていく。
迷ってなどいられない。
目の前の扉へと手を掛け、先へと飛び込んだ。
地階へと降りてすぐに走り出す。何人かの研究者が倒れていた。
メアリの仕業と見て間違い無い。
タンクは見るからに頑丈そうな鉄製だ。
それをひとつひとつ壊して回るのは骨だ。
すべてを制御している装置があるはず。
それを探して進む。
すぐにそれらしい物が見つかった。
ただし、それはガラス張りの部屋の向こうに。
すぐさまマイアに槍を抜かせた。
分厚いガラスへと叩き付けられた槍は容易くそれを打ち砕く。
いくつもの管が集まり、多くのハンドルやスイッチ、それに計測器が付いた装置は静かな唸り声を上げていた。
狭い部屋のほとんどをその装置が埋め尽くしている。
マイアを中へと入れた所で声が掛かった。
「そこの怪しい奴!動くな!」
ちらりと見れば、4、5人の兵が走り寄ってきていた。
さすがにここで魔術を使う訳には行かないのだろう。
いずれも剣を抜いていた。
魔術師風の人間はいない。
構わずにマイアが槍を装置へと突き入れる。
深く。何度も。
やがて装置から甘い匂いが漂い出す。
エーテルが漏れ出ていた。
そこで漏れ出たエーテルに自らの手から生み出した新たなコードを繋ぐ。
操っていたコードが途切れ、糸の切れた人形と化したマイアを抱えて走り去る。
スーパーノヴァ(輝く星も終わる)
背後から爆音が響く。
光だけのノヴァとは違い、実際の破壊力を伴った強烈な光が一瞬、すべてのタンクを照らし出した。
あれで完全に破壊されただろう。
後は逃げ延びるだけだ。
メアリの支援が無くなってしまったとはいえ、マイアもいる。
まだ何とかなるだろう。
すぐにマイアへとコードを繋ぎ直した。
タンクの影に入ってマイアを下ろし、再び進み出す。
その先を、ひとりの女が立ちふさがった。
その格好はこの国へと転移してきて最初に見た姿だった。
見慣れぬ軍服に身を包んだメアリ。
その手からはいくつものコード。
そして後ろに数多くのこの国の兵を付き従えて。
「止まれ。賊」
表情も口調も切り替わっている。
先程まで一緒に行動していたメアリはそこにいないとでも言うように。
後ろからは先程よりも、さらに増えた兵が押し寄せてくる。
完全に取り囲まれていた。
「さて、これはどうしたもんかな」
メアリに皮肉を言っていても仕方無い。
そんな事を口にする暇があるなら、逃げる策を講じなければ。
俺は気楽そうに口にしながらも、油断無く周囲を確認した。
魔術師はメアリだけだ。
マイアに飛ばせれば、敵はメアリだけにできる。
十分な高さはある。
しかし、マイアを操っている今、他に使える魔術は無い。
逃げに専念する事しか出来ない。
それで果たして逃げられるだろうか?
「すぐには殺さん。投降しろ」
メアリが言う。
そして音には出さずに唇が動いた。
心配しなくて良いわ。デッドアイ。
眉をひそめたその瞬間、メアリの手からコードが伸びる。
一瞬の事だった。
避けようと身をすくめた瞬間、コードは獲物を狙う蛇のように動き、あっという間に俺の首筋へと達し。
衝撃。
それは自らが倒れた事によるものか、それとも一瞬だけ見えた電光の花によるものか。
俺は意識を手放した。