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擬態

翌日も社会科見学は続いた。

軍庁舎。さらには内部の資料整理の状況まで。


どうせ見える所に怪しい物など置いてある訳が無い。

いい加減に眺め、そしてそれを隠してもっともらしく見て回った。


結局、その日も何事もなく終わってしまう。

拍子抜けだ。

てっきり、今日こそは何か仕掛けてくるのではないか?と身構えていただけに気が抜けた。


「どうした?デッドアイ」


ホテルの部屋でメアリと話す。

取り巻きは、またメアリが追い払っていたのでふたりきりになる。


「いや、何でも無いさ。装備はどうなった?」

「確認した所、既に届いている事になっていた。しかし、それがどうにも見当たらない。念のため、再度送るように申請してはある」


届いた荷物は将軍の権限で既に移動されているようだった。

それがどこに行ったのかがまるで掴めない。

メアリは頭を下げて、すまない、とぽつりと呟いた。


「いや、無いなら無いなりに作戦を組み立てるだけだ」

「そうか。私に用意出来る物は無いか?」


メアリの顔が必要以上に近づく。

メアリの体から甘い香りが俺の鼻へと届く。


「そうだな……」


さすがにゴブリンを1ダースくれ、と言ってもそれは無理な相談だろう。

この国でスバルのメンテナンスのような調整など、期待どころか全く無理な話だ。


当たり障りのない所で、自分用の鎧と剣の用意を頼んだ。

今の状況で、実際にそれを着て動き回る事態はそうそう起こらないだろう。

だからといって、今の状態そのままでいる訳にはいかない。

監視役たるエージェントにも何らかの行動をしているように見せなければならないと考えてのチョイスだった。


「そうか。分かった。手配しよう」


言うと、メアリは俺の胸に手をついて離れた。

歩き、扉へと向かう。


これからその準備をするつもりなのだろうか。

そうならば勤勉な事だ。

そのまま部屋を出るのかと思えば、メアリはくるりと振り返った。

その顔にはからかうような笑みが浮かんでいた。


「望むなら、泊まっていっても構わないが」


鼻で息を吐いた。

何を言っているんだか。


「余裕だな。俺は無手であの豚を襲う気は無いぞ」

「そうか。残念だ」


今度こそ、メアリは部屋を出て行った。


窓へと向かい、開け放つ。

そしてずっとベルトに付けたままのポシェットを開いた。

コードを紡ぎ、編む。


階下の通りの様子が見える。

ややあってから、メアリが姿を現した。

振り返らずに進んで行くのを確認して、ポシェットの中の女郎蜂を解き放つ。

その小さな体は相当な長距離までコードを伸ばしても操る事が可能だ。


それはメアリを追っていき、夜の闇へと消えた。


この国ではポラリスの監視がうまく行き届いていない。

つまりポラリスには秘密にしておきたい事を試すにはちょうど良かった。


コードが見える。

それはつまりコードを解し、自ら研究する事にとても便利だ。

それを利用してあの日からワイアードを自分自身で研究していた。

その成果のひとつが魔物の目と自らの目をコードを介して魔術的に繋ぐ事だった。


何もかもをポラリスに知られてしまうのは危険だ。

きっと何かに利用される。

ポラリスに秘匿しながらも、出来る事を増やす。

そうしていつかは。


目をつぶり、そしてそのまま意識を開く。

まぶたの裏に映ったのは歩くメアリの姿。

ポシェットから飛び去った魔物の目を介してそれを見ている。


メアリは進んで行き、やがてとある建物へと辿り着く。

それは軍庁舎でもなければ、自らの部屋でもない。


そこは、将軍の私邸だった。



将軍とメアリが話している。

それを魔物の目で見る。

複眼の視点というのは正直、見ていてかなり疲れる。

時折、意識を手放しそうになりながらも、なんとか堪えた。


将軍の私室であろう部屋には豪勢な調度品が並んでいた。

手の平に乗る程の小さな魔物を潜ませる場所は多い。

メアリの背に張り付くように室内へと侵入し、書棚の上からじっと観察した。


音は聞こえない。

それはこれからの課題だ。


口元を注視して、その唇を読む。

対面して話すふたりの唇を同時に読むのは難しいので、将軍に的を絞る。


メアリが俺の事を色々と報告しているようだった。

時折、デッドアイの名前が挙がる。

やはり、俺がデッドアイだと既に知られている。


会話の内容は、俺がポラリスのエージェントたるメアリに何を要求したか、だった。

話は進む。

その内容はポラリスのエージェントというよりも、ポラリスに入り込んだスパイと呼んで相違ないような情報漏洩。


二重スパイ、か。


結局、あの女は最初の印象通り、将軍の情婦だったのか。

途中から将軍の目が粘り着くような視線へと変わり、やがてメアリを呼び寄せると寝室へと消えた。


そこまで覗き見するつもりはない。

余計な事をして蜂の存在に気付かれるのも面倒だ。


明日からどう振る舞うべきか。

恐らく装備はこのまま届かないだろう。


コードを手繰るように女郎蜂をホテルへと帰らせる。

本当に面倒な。


まだ日はあるか、と思い直してその日は眠った。



3日目の朝、メアリは変わらない様子でホテルへと現れた。


「夏目様のお望みの物は夜までにはホテルに運ばせますので」


メアリ以外にも兵や雑務を担うメイドがいる手前だったので、特に何が、とは言わずにそれだけを告げてきた。

昨日要求した剣の話か、それともポラリスからの装備一式の事を行っているのかは定かではない。

いずれにしろ、届いたそれに何が仕込まれているのか不明なので、不穏な事この上なかった。


「そうか。よろしく頼む」


簡単に答えて、その日の視察が始まった。

即席で用意された観覧席から軍の訓練風景を眺める。


剣や弓の扱い。

馬を使った行軍。

魔術兵による演習めいた魔術行使。


特に目新しいものは無い。

どこの国でも普通に公開出来るような範囲の訓練風景だった。

視察してる以上は、もっとこの国独自のものを見せろとか要求しておくべきか、と不意に考えた。


ただただ言われるままに眺めるのにも、もう限界が来ている。


「閣下。色々と拝見させて頂いている身でこのような事を申し上げるのは誠に恐縮なのですが」

「構わんよ。何だ?」

「この程度の訓練ならばスバルにおいても行われております。かつて戦争を勝利へと導いたペテルギウス軍のその精強さの秘密を一端なりともお見せ頂く事はかないませんでしょうか?」


その言葉を聞いて、将軍が鼻で小さく笑った。

まるで豚そのものだな、とそれを見て思う。

何が可笑しいのか、と言ってやりたかったが黙って言葉を待つ。


「なるほど。我が軍の精強さの秘密か。実は夏目殿にもそれをきちんと見せるつもりだった。それは明日にでもと思っていたのだが、夏目殿が望まれるのなら早めよう。メアリ、私はこれから準備をしようと思う。例の部屋へと後で案内を」


将軍はいくらかの兵を連れて立ち去った。


ややあってから、ひとりの兵が駆けてきてメアリへと耳打ちをした。

メアリはそれに頷き、俺を促して歩き始めた。


演習場から軍の庁舎へ。

そして庁舎を抜ける直前で付き従っていた兵がすべて入れ替わった。

入れ替わった兵の雰囲気が変わる。


それまではどこか緊張が見える、どこにでもいるような普通の兵だった。

それが無表情な、何の人間味も見せない兵へと変わった。


「メアリ」


不穏な気配に声を掛けた。

ほとんど丸腰のままで歩かされ続ける。


「何でしょう?夏目様?」


メアリは笑顔だった。

メアリまでもが雰囲気が変わっている。

それは毅然とした女性士官の顔でもなく、武骨なエージェントの顔でもなく、むしろ将軍の私邸で見せていたあの顔だ。


藪蛇だったか。

にこりと笑うその顔に何とも言えない苦笑を返す。


さて、この国の将軍は一体俺をどうするつもりなんだか。


庁舎を抜け、訪れたのはまるで倉庫のような印象の窓ひとつない建物だった。



建物の中へと入ると、簡素なエントランス。

その先には分岐した通路。

メアリはその正面を進む。

周りには無表情で俺を取り囲む兵。

いくつかの分岐と扉を抜け、やがて広間へと出た。


何も無い空間。

床も、壁も、金属で覆われた冷たい部屋。

所々に不穏な焦げ跡。

天井は高く、3階分くらいはあるだろう。

その2階程の高さにせり出したテラス。


そのテラスの向かって正面にある扉から将軍が姿を現した。


俺を取り囲んでいた兵が入ってきた扉へと消える。

メアリも一礼して去っていった。

その様子に息を吐く。


「閣下、これは?」

「我が軍の精強さ、それをお見せするための準備だよ」


テラスへと兵が入ってきた。

ひとり、またひとりと増えていく。

全員で20名にもなる兵がテラスに並ぶ。

魔術兵。

そして弓兵。

反撃は無いと確信しているのか、誰も鎧の類いは着ていない。


「その前に夏目殿。いや、デッドアイか。君は人形劇が得意らしいじゃないか。私に見せてくれないかな?君の特技を」


テラスから黄色い何かが俺のいる階下へと投げ込まれた。


どこに行ったのかと思ったら。

投げ込まれたのはザジだった。

ご丁寧に黄錬鋼の鎧と剣を身にまとっている。

まるで糸の切れた人形のように、投げ出された姿勢で広間の中央に倒れたままになった。


「面倒を省きましょう。結局、閣下は俺をどうしたいので?」


ずっとそれが気がかりだった。

俺を殺してしまっては、ポラリスが正面切って殺しにくる動機になるだけだ。

まさかそんな事を望んではいないだろう。


ザジへと向かって歩きながらコードをより上げる。

見せろと言うのだから、隠す必要は無い。

いくつものコードがザジへと伸びる。

そしていくつかをベルトに通したポシェットへと伸ばした。


「なに、君が私のお友達になってくれればどうにもしないさ。私によく似た誰かの死体を用意して、私は死んだと発表させれば、私も君も、今の状況をうまく解決できるだろう?」


影武者を殺し、俺はそれを黙認する。

それで将軍はポラリスから自由になれるし、俺は無事に作戦をやり遂げて評価される。

確かにそれならば表面上は問題ないだろう。


ザジが身を起こした。

将軍がそれを見て、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「本当にゴブリンを操れるのだな。素晴らしい。その力は是非とも我々の元で生かして欲しいものだ」


結局は、勧誘か。


確かにこの魔術は特殊で、他で実験が行われていなければ、今の所はほとんど俺専用の魔術と言って良い。

コードの目視が必須である事を知らなければ、どこの国の軍部、魔術研究機関、政府高官でも欲しがる魔術だろう。


「それはどうしましょうかね。俺がノーと言ったら、この場はどうなります?一応、言っておくと俺を殺してしまうと後が大変ですよ?」

「なに、そうでもないさ。心配せずとも君は殺さない。うちの国にもそれなりの魔術師はいる。催眠魔法で私を殺したと刷り込んでしまうのが一番手っ取り早いか?」


将軍は隣に立つメアリへと問いかける。


それはつまり、どっちみち俺の意志など実際にはどうでも良いという事だ。

視察期間は残り3日ある。

その3日で俺から魔術の概要を探り、そして将軍は死んだと催眠をかけて返せば良い。

俺は結局同意しようとしまいと、どちらでも最初から良かったのだろう。


メアリを見た。

メアリの役割は俺がくみし易いかどうか、欲望に弱いかどうかの確認か。

あそこで簡単にメアリを抱いて、欲望に弱い人間だと判断出来るなら、その欲につけ込んで味方にするつもりでメアリをつけた。


しかし、俺は乗らなかった。

さらに武装の要求を続けた。

それで将軍の中では催眠で処理する方向で確定していた訳だ。


メアリはうっとりとしたような笑みを浮かべて将軍に同意した。


「はい。閣下。閣下が望まれるままに世界は進みます。誰も邪魔出来ませんわ」

「そうだ。この国は私の物だ。ポラリスの物では無い。この国だけじゃない。私はもっと大きな物を手にするのだ」


将軍は俺へと視線を戻した。

将軍の目には妄執が宿っている。

どうしたらそんな誇大妄想に頭の芯まで浸かれるのか。


その横でメアリはその表情のまま俺を見ていた。

その唇がかすかに動く。

音は無い。


でも、あなたなら邪魔出来るかしら?


俺の口が思わず歪んだ。

この女は。

クソ研究者の顔が浮かんだ。

こいつはあれと同種の臭いを感じる。

ろくでもない事に価値を見出し、それに興じる質の女。


この局面でそんな真似をするのは、俺が唇を読める事を知っている。


「でも、そのためには俺を拘束する必要がありますよね。こんな武器まで与えてどうするつもりなんです?」

「まずは確認しないと仕方ないだろう?拘束した後でデッドアイじゃなかったと知れたらそれこそ面倒だ。もう確認は取れた。後は君の返答次第だ」


ポラリスを裏切る。

しかし、表向きはそうではない。

それによって何らかの別の支援が受けられるのなら、俺の目的が大きく進むかもしれなかった。


確かに利はある。


メアリを見た。

滔々と語る将軍を笑ってみていた。

まるで見下すように。

その愚かさが可笑しくて仕方無いとでも言うように。


最初から答えは決まっている。

どうせ将軍は俺の事など信用するまい。

私腹を肥やすのに熱心な豚の使いっ走りなど、死んでもごめんだ。


そしてそれ以上に、この女の笑い方が気に触った。


「じゃあ、答えましょう。ノーだ。ちょうど良いからここでアンタには死んでもらう。世界に別れを告げろ。引導を渡してやる」


答えを聞いても将軍は笑っていた。


「そうか。残念だよ」


将軍の手が挙がる。

テラスの魔術兵が、そして弓兵が攻撃の準備を始めた。


「残念だよ、本当に」


将軍の挙げられていた手が下ろされた。


その瞬間、弓兵は矢を、魔術兵は魔術を解き放った。



広場の隅へとザジとともに走った。


テラスがせり出しているので、その真下には死角が出来る。

飛んでくる矢は袖に仕込んでいたナイフで自ら弾き、降り注ぐ炎はザジに叩き落とさせた。


ザジが火の粉を浴び、時に炎に包まれる。

黄錬鋼の鎧には魔力が込められている。

そしてそれには魔術に対する抵抗力がある。


炎は長くは続かずに、やがて消えた。

それでもザジにダメージはある。

長くは保たないだろう。


扉は入ってきたものがひとつだけ。

確認するまでもなく、あれは開かないに決まっている。


あっさりと事を済ませるつもりは無いようだ。

俺をいたぶる気なのだろう。


階下の酸素が薄くなった気がした。

煙が生じ、視界がぼやける。

直撃せずとも、こうも立て続けに閉所で放たれれば脅威になる。

そうそう酸欠にはならないだろうが、煙を吸い続けるのはまずい。


一際大きな爆炎が生じた瞬間を待って、ポシェットを開けた。

拳程の大きさの中のものが解き放たれる。


その間にも兵はより狙いやすい位置へと移動している。

矢は降り注ぎ、魔術は炸裂した。


ザジが踊るように動き回るのを将軍は気に入ったようだ。

兵に命じて俺よりも、ザジの方を優先して襲わせる。


ザジは一撃、二撃と堪えた。


「その人形はいつまで保つのかな?これは面白いショーだな。魔物が踊り狂って死ぬのを見るのは久しぶりだよ」


笑っていた。

哄笑が爆音の合間に、広間に響き渡る。


「……が」


俺の呟きは爆音と哄笑の二重奏にかき消された。

しかし、将軍は俺の呟きに気が付いたようだ。

将軍の手が再び上がり、攻撃は止んだ。


「なんだって?」

「……って言ったんですよ」


不機嫌そうに将軍が眉をひそめた。


「時間稼ぎのつもりか?援軍など来ないぞ?はっきり言え」


口元が歪んだ。


「何を笑っている」


おかしい。

可笑しい。


「あんたが可笑しいからだよ」


まっすぐに睨みつけて、そして笑う。


「良く肥えた豚がよくしゃべる」


将軍の顔が怒りに歪む。


「閣下、英雄っていうのはそれこそ銅像か何かで仰ぎ見るものですよ。死んでこその勇者だ。誰かの言葉じゃないが、かつての英雄なんてのは老害にしかなりえない。ここがアンタの国だって?周りにとっては良い迷惑だよ。この国の民は一体いつまであんたを崇め奉ってなきゃいけないんだ?」


将軍の方が怒りに震えた。


「世界はポラリスの物だ、とは言わないが、少なくともお前の物じゃないのは確かだ」


将軍がまっすぐに俺を指差す。


「もういい。奴を吹き飛ばせ。後で治療すれば良い。遠慮はするな」


ザジが剣を下げた。

まるで諦めたように。


俺も両手を挙げた。

まるで諦めたように。


「命乞いなどもう遅い。一度ノーと言った人間を私は信用しないんだ。やれ」


しかし、攻撃は誰からも降っては来ない。

将軍が見れば兵はびくりびくり、と身を振るわせていた。


「どうした?」

「どうもしませんよ」


何も言えない兵の代わりに俺が答えた。


「タネも仕掛けもありません」


首を傾げ、手の平をひらひらと揺らした。

その手には確かに何も乗ってはいない。

そうしている内に兵が倒れ出す。

次々と倒れ、全員が倒れた。


俺の目には映っている。

いくつものコードが手の平から上へ向かって伸びているのを。


そして、その先にまるで虫のような何かがいる事を。


「いったい……何をした!?」

「さあ、何でしょうね?」


やがて、将軍自身の体も震え出す。

びくり、びくりと。


「さようなら、閣下。後の事は心配なさらずに」


時を置かずして、将軍も倒れた。


何の事は無い。

ポシェットに隠していた女郎蜂を目立たないように飛ばして、それの毒針で次々と刺していっただけだ。

こっそりと。


蚊が血を吸うのと同時に麻酔を注入するように、この蜂は小さな口に備わった牙で噛み付いて麻酔を注入し、それから腹部の針で毒を注入する。


この蜂は魔物を襲う魔物であり、その姿はピクシーなどを捕食するための擬態だ。

ただし、迷宮の外では人でも牛でも何でも襲う。

迷宮から出た女郎蜂は単独で行動して何でも殺し、卵を産みつけ、外の世界でも増えていく。


この蜂の特性は暗殺にとことん向いていた。

無音で、かつ高速で飛ぶ死の毒蜂。


いくらその姿が小さいとはいえ爆炎とザジに気を取られて誰も気付かなかったと言うのだから笑える。


これまで辟易しながらも半人を散々使い続けたのがここに来て役立った。

将軍は知らなかったのだろう。

俺が操れるのが半人だけではないと。


「さて、結局、あんたは何なんだ?」


上を飛んでいた女郎蜂を下ろした。

女郎蜂は俺の肩へと止まった。


メアリだけがずっと女郎蜂を視線に捉えていた。

隣に立つ将軍を刺す時すら、じっと見つめていた。


将軍にそれを告げる事も無く。

さすがにそんな相手を刺しには行けなかった。


メアリは無言で微笑む。


「あんた、気付いていたんだろう?俺が後をつけていた事も」


いつ、何がつけていたのかはあえて言わなかった。

そうでなければあの唇を読ませる動作の理由がつかない。

メアリが俺の最初の質問に答えた。


「ポラリスのエージェント?それとも将軍の側近?どっちだと思う?」


分かり切った事を尋ねる。

そのどちらも擬態だろう。

この蜂と同じだ。

見かけは人の姿をしていても、中身は獲物をだまし討ちする事しか考えていない。


「さあな。出来ればこの場で始末しておきたい人種なのは間違い無いと思うよ」


そう言った刹那、メアリの体からおびただしい数の魔力の糸が伸びた。

特にコードは込められていない。

魔術のためではなく、自らの力を見せつけるかのように。

思わず口を開きかけて、それを押さえた。

そんな俺の動揺を見透かすようにメアリは言う。


「やっぱり、見えているのね?」

「何の事だ?」


とぼける。

例え、手の内を知られていても、自らそれを口にしたくはない。


「この世でコードが見えるのはあなただけじゃないのよ。例えばこの私とか、ね」


女の手の平からコードが伸びる。

色を変え、複雑な模様を描き、そしてはらはらと散った。

散った糸のひとつひとつを女の目が追う。

見えている。

確かにこの女にはコードが見えていた。


「もう一度聞いていいか?」

「ええ。どうぞ」

「あんたは一体何なんだ?いや、あんたはこの場をどうしたいんだ?」


女は目を細めて上機嫌そうに笑う。


「そうね。取り合えず、今日は帰るわ。色々と目的はあったんだけど、こうなっちゃったらもうどうでも良いし」

「俺も帰れるのかね?」


女から伸びる魔力の糸の量は半端ではない。

それにコードを操るスピードも並ではなかった。

まともな戦力を持たない今の状況では不利も甚だしい。

消耗している今、魔術勝負をしたいとも思えない。


「ええ。勿論よ。お互い、準備があるでしょう?色々と」

「ああ。そうだな」


いつかしたようなやりとりをそのまますると、女は後ろを向いた。

背中ががら空きだ。

しかし、それを見てもどうこうする気にはなれない。

本当に帰るようだった。


「ええっと、あんたの名前はメアリで良いのか?」

「ええ。それで良いわ。じゃあね、デッドアイ。あなたとお近づきになれて良かったわ」


忘れないでね。

私はあなたに期待している。


そう言うと、そのまま上の扉へと向かい、開き、去っていった。



その後は、インカムを使って報告し、後始末を頼んだ。

将軍さえ極秘裏に殺してしまえば、後は何とでもなる。

掃除屋が現れるのを待って、後を任せてホテルへと戻った。


おそらくは病死か事故死で片付けられるのだろう。

俺はそれには関わっていないという操作がなされ、やがてそれは事実となる。


結局は、あの女の言う通りになった。


心配するな。デッドアイ。私がうまくやるから。


その科白通りに。

何も心配せずともあの女がすべて手配していたようなものだ。

俺はそれに乗ってただ流されていただけに過ぎない。

あの女が何かひとつでも見逃さなければ、俺はあの豚の操り人形になっていたのかもしれなかった。


後から分かったのは、既にこの国に潜ませていたエージェントはすべて死んでいたという事だった。

メアリというエージェントはこの世に存在していなかったらしい。


さらに兵を集めていたのも、どうやらあのメアリの指示のようだった。

目的は不明のまま。

将軍へと近づき、そして何らかの目的を持って行動していた。


ポラリスの名の下に、世界中であの女は手配されている。

目的は不明でも、今回露見したその実行力はあまりにも危険過ぎた。


きっと、あの女は見つからないだろう。

ペテルギウスを去り、日常へと戻り、ボロアパートでトレーングをしながらぼんやり思った。


結局、あの女もコードが見えているという事は報告していない。

報告する気になれなかった。

あれは彼女が俺だけに見せた秘密だろう。

見逃された義理を果たした、そんなつもりだった。


今日もポラリスの知らない所で動き回っているに違いない。


期待している。


その言葉を残して去っていったが、一体何を期待しているというのか。


俺へとつながる操り糸が、またひとつ増えた気がしていた。


女郎蜂 = ピクシーに擬態している魔物の蜂。人型だけど魔獣。メスしかいない。

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