ペテルギウス
かつてポラリスが介入した戦争があった。
ある国の若い将校に力を貸し、別の小国を敗戦へと追い込む。
その国はポラリスに加わり、負けた小国は事実上のポラリスによって搾取されるだけの属国と化した。
小国を手みやげにポラリスへ。
その国はおおいに富んだ。
そして若い将校は将軍となり、おおいに肥えた。
「その将軍が近頃、妙な私兵を集めています。目的は不明。ポラリスに対して秘密裏に行っている所からも、あまり芳しい状況とは思えません」
自室で女郎蜂を飛ばしながら話す。
手の平に乗る程の小さな女性の姿をした魔物だ。
分類的には魔獣になる。
薄い黄色の顔のその目は複眼。
額には触覚。
髪はないが、擬態するようにその頭部の色は黒く、ショートカットの髪型に膨れている。
胸が実った果実のように突き出していて、その体色は濃い黄色。
そこに黒い紋様が禍々しく踊っている。
その背には無音で羽ばたく透き通った細い羽根。
まるで尻尾のように丸いお尻から伸びた蜂の腹部が揺れる。
縞模様のその中には強力な毒針が仕込まれていた。
女郎蜂は俺の目の前を8の字を描くように飛び回る。
時折、目を瞑りながら、コードを操り飛び回らせた。
インカムから響く声はいつものオペレーターだった。
情報はエージェントが集めてきたものらしい。
裏も取れているようだ。
将軍の名はベリアド・イオルコス。
国の名はペテルギウス。
「ポラリスとして、正式に訪問を。装備一式は後から送ります」
正門から入り、客として振る舞え。
そして、隙を見て将軍を殺せ。
要約すると、そういう内容だった。
将軍の目的は不明。
それが本当の事なのかは分からない。
知らなくても良い事なのだろう。
女郎蜂を手元へと止まらせ、ベルトに付けたポシェットへと仕舞う。
シャワーを浴び、部屋を出た。
◇
ペテルギウスには5日後に入国した。
首元がきつい。
指をつっこみ、襟を緩めようと努力する。
着ているのは軍服だった。
階級章は少佐。
武装は特に手にしていない。
ベルトに通したポシェットの中身、そして袖に仕込んだナイフくらいだろう。
いつの間にか随分と出世したものだ。
スバル国内に問い合わせれば、確かに夏目ケイ少佐の名前は存在しているらしい。
ポラリスのレギュラーは、ポラリスに属する国の中では実際に相当の身分として扱われる事になっていた。
そうはいっても、スバルの軍部に用など無いのでそれを確かめた事は無い。
つまりはこれも偽装の一環にしか過ぎなかった。
銀星門を抜けた俺を出迎えたのは当のベリアド将軍だった。
髪も、髭も既に真っ白で、その顔に刻まれた深いシワと相まって、いやが応にも年齢を感じさせる。
仰々しい軍服に身を包んだその姿は、有り体に言ってしまえば太り過ぎだ。
思わず吹き出しそうになってしまった。
オペレーターから私腹を肥やしたとは聞いていたが、それは金銭の事だと思っていた。
まさか実際に腹の方も肥えていたとは。
お互いに報告程度の事しか話さないが、顔すら知らないオペレーターに少しばかり興味が湧いた。
「ようこそ。ポラリスの兄弟よ。心より歓迎する」
「ありがとうございます。閣下」
「そんなに堅苦しくならずとも良い。ポラリスの下では君も、私も似たような立場の者なのだから」
銀星門は文字通り巨大な門だ。
白く、巨大な2本の柱。
その間を凄まじい数のコードが行き来している。
最も、それが見えるのはこの場では俺だけだろう。
門の周りは広場となっていた。
柱と同じく、白い漆喰で固められたそれが、いくつかの円として区切られ広がっていた。
広場の周りにはレンガ造りの建物が並ぶ。
将軍の周囲には、将軍の護衛だろうか、それとも俺を出迎えるための要員なのか、30人ほどの人間が並んでいた。
軍服が半分。
そして通常の礼服に身を包んだ政府系の人間と思しき者が半分。
「メアリ。ここに。夏目殿。いや、ケイ殿と呼んでも?……では、ケイ殿、滞在中はこの者を好きにつかってくれ」
質問に了解の意を示すと、軍服組の中からひとりの女性を紹介された。
「よろしくお願い致します。夏目様。メアリ・クリスティです。何なりとお申し付けください」
金色の長い髪をまとめ上げ、制帽で押さえていた。
切れ長の目が印象的な細身の女性だった。
階級は少尉か。
年齢は自分とあまり変わりない20代半ばといった所だろう。
「他にも護衛の者を」
「いや、それには及びません。閣下。これでも兵としての心得がございますので」
本音はお目付役など邪魔だ、と言いたい所だがそうは言えない。
これをどう取るのか、内心楽しみに聞いた。
ポラリスから派遣されたという事。
それはポラリス内部の事情としてはこちらの方が上になる。
こちらがいらないと言えば、それには応じる必要があるだろう。
階級はただの少佐だ。
もっともそれはただの偽装でしかないのだが。
偽装とはいえ階級的には比べるべくも無い。
相手に取ってはただの若造も良い所だ。
従うのは癪に触るのでは?
そう思ったが、俺の言葉に将軍は笑って返した。
「さすがはポラリスのレギュラーと言った所か」
そう言って、将軍は自らの目を指差した。
レギュラーという言葉。
そして隻眼を指し示す。
こちらが何者なのかを知っているようだ。
オペレーターからの話では、ポラリスの夏目ケイとして訪れることになっていて、デッドアイの事は伏せられているはずなのに。
どうやら一筋縄では行かなそうだった。
◇
この国は名目上は共和制の政治形態が取られている。
名目上は、というのは実際にはあの将軍がかなり強い権力を握っていて、政治をも動かしていた。
その将軍もポラリスの意向で動いているはずなのだが、その行動に齟齬が生じているようだ。
普段のボロアパートとは雲泥の差のホテルの一室へと案内された。
ひとまずはここで休み、その間にあちらも色々な段取りを動かすのだろう。
表向きの任務はただの視察。
色々と見て回るだけの楽な仕事だ。
さて、どうしたものか、とソファに腰を下ろすと、メアリがぞろぞろと付いてきていた人間をすべて部屋の外へと出した。
「ここは、私ひとりで十分です。夏目様はお疲れのご様子。人疲れさせる訳には参りません」
思わず苦笑した。
門を潜ってきて、ここまで歩いたとはいえ何て事の無い距離だった。
まるで戒厳令でも敷かれたかのように静かな通りを歩いていて、何を疲れるのだか。
部屋の中にふたりきりになると、メアリは制帽を脱いだ。
まとめていた髪が広がる。
美しい髪だな、とぼんやり思った。
「本物は意外に普通なのね。デッドアイ」
「……エージェントか?」
「ええ。そう。今回、情報を色々流したのも私」
「それは恐れ入ったな」
単なる将軍の情婦か何かかと思っていた。
将軍と体の関係を結んで上の階級へ。
その類いの女かと。
ポラリスから視察に来た人間に張り付かせる以上は、かなりの将軍の信のある人間なのだろう。
恐るべきはそういう所にエージェントを潜り込ませられるポラリスか。
「あなたには期待している」
「いきなりだな。そんなに憎まれるなんて、あのじいさんは何したんだか」
「国のため、そう言いつつ私腹を肥やし続けて、今もなお欲望を膨らませ続けるブタよ、アレは。死んでこその勇者。死んでこその英雄でしょ?」
メアリは皮肉げに笑った。
「生きてる英雄なんて老害でしかないわ。戦争の頃には随分と活躍したようだけど、今のあれはただのゴミ。私たちが引導を渡さないと」
「あんたの恨みは分からんけど、あれが憎まれているのは良く分かったよ。何にせよ、やる事はやるさ」
メアリが座る俺の肩をつかみ、ぐっと体を寄せる。
「そう。頼んだよ。デッドアイ」
メアリは俺の塞がった方の目に、そっと口づけた。
◇
ホテルから出ると、社会科見学の時間が始まった。
議会の様子を見て、魔術施設を歩き回った。
明日は軍部の様子を見るようだ。
強化された肉体にとって、その程度でたまる疲労は無い。
しかし、聞きたくもない話を延々と聞かされるのは精神的に苦痛でしかなかった。
夜には将軍主催のパーティーに呼ばれた。
面倒な。
心の中で口にしたのをまるで直接聞いたかのように、パーティーに向かう俺の傍らでメアリが微笑む。
メアリは薄い青のドレスに身を包んでいる。
俺の方はいつの間に用意されていたのか、タキシードなんてものを着させられていた。
こういう服でだらりとした姿勢をすると、かっこわるい事この上ない。
内面とは正反対の姿勢の維持を強いられる。
何人もの要人を紹介され、その度にそれらしい態度でやり過ごした。
一通りの訓練を受けたとは言え、その態度が真に身に付いたものではないのが自覚できて尚更苦痛に感じられる。
それらすべてをやり終えて、ようやくホテルへと返された。
将軍とはほとんどの席を同じくしていた。
しかし、それ故に彼を害するような隙は無かった。
ポラリスの視察員として来ている以上、正面切って殺してしまう訳にはいかない。
「そこの所、どうするんだ?」
視察予定は6日間。
エージェントがいるとは聞いていなかったので、自分ひとりなら4日は調査に時間を充てて、残った2日の内に何とかするつもりだった。
わざわざエージェントを付けたのなら、何か作戦があるのだろう。
しかし返って来た言葉は意外にもあやふやだった。
「私がなんとか機会を作る。今は待ってくれ。必ず用意するから」
眉をひそめた。
具体性にかける作戦だ。
ポラリスで今までに関わってきたどの作戦にもそんな物はなかった。
「装備一式はどうなっている?」
「遅れているようだ。問い合わせているんで、明日には問題なく用意できるはずだ」
「……そうか」
素直に引き下がった。
それとは裏腹に明らかな不審を抱いていた。
おかしい。
問題なく、と言っても既に遅れている。
状況次第ではいきなり動く事だってある。
それなのに現場に装備が無いというのは有り得ない。
それこそポラリスにおいては絶対に、だ。
俺が不審に思った事を察したのか、メアリが続けた。
「将軍が色々と手を回しているようだ。この国の中での彼の影響力は絶大だという事を忘れるな。いかにポラリスと言えども、支障無く動き回るのは難しい」
そうか、とだけ簡単に答えた。
そのまま言葉を続けて話題を変えた。
「将軍は俺をどうするつもりだろうな?」
ポラリスの視察員。
それが額面通りだとは思っていないだろう。
何しろデッドアイだと気付いているのだから。
デッドアイのこなしてきた作戦は、そのほとんどが暗殺だったり魔物の駆除だったり、血なまぐさい事この上ない。
そんな男が現れれば誰だって警戒するはずだ。
何らかの破壊工作か、そうでなければ自身の暗殺すら有り得る。
歴戦の将軍がその事に鈍感でいられる訳が無い。
「さあな。私にはそんな所までは話してくれていないよ。私が言われているのは今の所、お前に取り入れ、って事だけだよ。なんなら、この身をお前に捧げろ、とな」
メアリが身を寄せてくる。
「私は構わないぞ?どうするデッドアイ?」
からかうような目つきで笑いながら言う。
メアリがタキシードに手を掛けた。
「それは嬉しいお誘いだが今日は遠慮しておこう。色々と準備もあるしな。お前もそうじゃないのか?」
メアリ?と、問いかけるとメアリがすぐに離れた。
「まあね。それじゃあ取りあえずは、おいとまするよ。一応言っておくと、ここの出口にもホテルの周りにも名目上の護衛が、まあ監視だな。それがうじゃうじゃいるから、今日の所はホテルからは出ない方が良いぞ」
気軽にそれだけ言って扉へと向かった。
振り返らずにそのまま口にする。
「心配するな。デッドアイ。私がうまくやるから」
「そうか」
大きく開いたドレスからのぞく背中を見送り、ソファへと仰向けに倒れ込んだ。
「まったく。面倒な」
倒れ込み、思ったのはオペレータの事だった。
いつもなら定時連絡を入れる頃合いだ。
それにオペレーターに聞きたい事があった。
この国ではインカムは使えない。
この国にもインカムくらいはある。
それを改造すれば盗聴するのは難しい事ではない。
そのために、今回はインカムの使用は禁じられている。
将軍の肥えた体が思い浮かんだ。
「あれはどっちの意味で言っていたんだろうな?」