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すり抜ける花弁

「ここにサインしてちょうだい」

 派手な髪型をした、化粧の濃い女がそう言った。アレは昔女優だったらしいが、オレを産むために芸能界を引退した。

 だが、女の向かい側に座る仏頂面の男との結婚生活は想像していたものと違ったらしい。毎日何やら叫びながら家を出て行ったり、帰ってきたりを繰り返している。

 男は無表情のまま、紙を引き裂いた。女は顔を真っ赤にして、叫びながら出て行った。いつもの光景である。

 オレは二人に構わずリビングに入り、食事としては粗末なパンを一つかじる。

 部屋には鏡が沢山置いてある。あの女の趣味だ。鏡に映るオレの黒髪はストレスからか、まだらに白くなっている。

 これも、あの女は気に入らないようだ。男は罪悪感からかオレを避けるようになった。

 オレが十五になった夜、初めて女は叫びながら出て行った。取り残されたのは男と紙とオレ。男は鬼のような形相でオレを部屋に連れ込んだ。

 扉が閉まるのとオレが乱暴にベッドに倒されるのとは、ほぼ同時。次いで服を破かれる。肌に男が触れる。指が、唇がオレの身体を這いずり回った。

 その日から、女が出て行く度、男に抱かれた。

 そんな生活を繰り返しているうちに、オレの髪は白くなっていった。その上、当時は食事もろくに食べれてはいなかった。当然と言えば当然だ。

 オレはリビングからパンを手に、二階に上がる。

 幼い痩せこけた少女が、部屋から顔を出していた。

「飯」

「うん、ありがとう。おにいちゃん」

 パンを差し出すと喜んでそれを手に取り、食べている。それから少し寂しそうに笑ってオレに抱きついてきた。オレにすがりつく少女は震えている。

 あの朝から、数日後。女は荷物を纏めて出て行った。男もその後に続く。男の手には、大きな鞄と、引きずられていく少女。

「おにいちゃん! おにいちゃんも一緒がいい、おにいちゃん!」

 必死に、少女は俺に手を伸ばす。オレは、安心させるように笑った。気の利いた言葉の一つも言えないのはあの男譲りなのだろう。どちらからも必要とされなかったオレは、どうやら捨てられたらしい。

 ◇◇◇◇

 銀色の髪は、良くも悪くも目立つ。元から目つきも悪かったのもあり、ただ、街を歩くだけで喧嘩に巻き込まれたりもした。

 あの女と男は月に一度、充分な金を振り込んでくる。その金で、あの家に一人残されたオレは生活をしていた。

 まだらに白かった髪を、銀色にしたのはその頃だ。

 その日も、喧嘩に巻き込まれ、オレは顔を殴られた。唇の端が切れて血が滲んでるのが分かる。

 そのままふらふらと、気付いたら公園に来ていた。

 夕暮れ時、子供達が母親の手に引かれ、温かい飯が待つ家に帰って行く。別に羨ましい訳ではない。

 冷たいベンチに腰掛け空を見る。空は茜色。自由に飛び回る鳥が酷く羨ましい。

ゆっくり視線をおろすと、ガキが居た。

 その黒髪のガキの穢れのない瞳が俺を見ている。

「……怪我、している」

 オレが怪我をしているから、なんだと言うんだろうか。だがそのガキを何故か、鬱陶しいとは思わなかった。

 妹に、似ている。

 最初の印象はそれだ。それから、犬みたいだとも思った。だが、コイツはオレとは住む世界が違う。そう感じた。

 離れなくては、と頭では分かっている。だがオレはそのガキの体を気付けば抱き上げていた。小さな体は簡単に持ち上がる。ガキは驚いたような表情を浮かべながらも抵抗はしない。危機感のないガキだ。

「なら、舐めて治せ」

 オレがそう言うとガキは目を丸くし困惑の表情を浮かべながらも、強く言えば諦めたようにオレの唇の端に舌を這わせた。舌から伝わる熱が妙に心地良い。

 このまま連れ帰ろうか。犬みたいに。そうも思った。だが、不意に脳裏を過ぎる黒い塊を手にした自分の姿に淡い期待は消えてなくなる。



「もう、行かないと」

 すっかり辺りが暗くなった頃そのガキは小さく呟いて、オレから離れる。一度振り返り手を振ってきた。

「また怪我したら俺が治してやる」

 その言葉に思わず笑った。ガキが背を向け走り出した。もうあのガキに会うことは二度とない。直感で分かっていたから引き止めようと、オレは手を伸ばした。だが花弁がすり抜けるように、オレは何も掴めなかった。

 あの時、もしもオレが引き止められていたら。


もっとあのガキに触れ、少しでもオレの闇が晴れていたのなら、こんな再会はしなかったのかもしれない。

 オレの記憶からは既に、あの黒髪は理性と共に消えていた。

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