もし、会えたなら
俺とヒヨはその夜、珍しく大通りから外れた場所を歩いていた。目的は一晩休める場所を探すためである。
ふと、所々欠けているがどこか目を引く看板を見付ける。どうやら"BAR"のようだ。ダガーに手をかけながら中を覗いてみる。誰もいない。
カウンターに、丸い椅子が幾つかある。中は荒らされていて、カウンターの奥は、割れたガラス瓶等が散乱しているのが見えた。
「ヒヨ、今日はここで過ごそう」
ヒヨと共に店の中にはいる。洋風な店内にヒヨの紅い着物は酷く不釣り合いだ。俺とヒヨは隣同士腰掛けた。
割れた瓶の破片が、月明かりに照らされ銀色の光りを放っている。幻想的にすら見える光りを見ながら俺は浅い眠りに落ちる。
記憶の断片。俺の記憶は酷く曖昧だ。虫が食ったように穴だらけな記憶の中、ふと思い出す。俺がまだ母の手に引かれながら歩く程幼い頃、よく公園に通っていた。理由は、ある男に会うため。
もう、男がどんな顔をして、どんな目をして俺を見ていたかなんて思い出せない。ただ、ぼんやりと思う、男も先程見た、幻想的な銀色をしていた、と。
初めてその男に会ったのは、空が茜色に染まり始めた夕暮れ。買い物袋を持つ母の手に引かれ俺は歩いていた。たまたま通った公園のベンチに、その男は座っていた。寂しそうに空を見上げていた事は、今でも覚えている。俺は母の手から離れ、何故か男に近寄った。何故だろうか、今でも理由は分からない。男はぼんやりと視線を空から俺に移した。そこで男が唇の端に怪我をしている事に俺は気付く。
「なんだ」
「……怪我、してる」
「だったらなんだァ、舐めて治すってか?」
俺は正直、何も考えては居なかった。言葉に詰まり、居心地が悪くなった俺は後退り、逃げようとした。しかし、軽く抱き上げられ、男の膝の上に座らされる。
「おいおい、怪我人を見捨てるつもりかァ? お前が声をかけてきたんだ、責任もって舐めて治せ」
「舐めたくらいで、治る筈がないだろう」
「やってみなきゃ、わからないだろ? ほら」
どうやら俺がするまで、離してくれないようだ。俺は仕方無く、男に顔を寄せ、その唇の端に舌を這わす。
「治ったか?」
「……ああ、治った」
「そうか、またアンタが怪我をしたら俺が治してやっても良い」
「ククッ、なら頼んだぜ」
男は優しく微笑んで、俺の頭を撫でた、それが嬉しくて、俺はついそんな事を口にしていた。
それから俺は、公園に通うようになった。しかしその男にはもう会う事はなかった。
「俺が治してやる……か」
不意に目を覚ます。ぼんやりとした意識の中をさ迷う。あの男は今も生きているのだろうか。また怪我をしているのかもしれない。
もし、会えたなら。
「俺が……」
瞼が重たい。俺はそこまで呟きまた眠りに落ちる。
もし、会えたなら。