僕の花
ココアは濃いめが好き。金曜日の仕事帰りは、自分にご褒美で駅前のケーキ屋でケーキを三つ買って帰るのが習慣。お決まりの、ショートケーキとチーズケーキ、それからチョコケーキ。もうお決まりのこのメニュー。
冒険心はない。新しいケーキが誇らしげに、並んでいても手は出せない。ケーキに負けないくらい可愛い店員さんにお勧めされてもやっぱり選べない。
ケーキが三つ入った、小さな白い箱を抱えて、僕は帰る。誰も待ってない、アパートに。
僕はまた、同じケーキを選んでしまった。当たり障りない普通の味。まるで僕の三十五年間のような普通でありきたりなもの。見た目も学歴も普通。この短い黒髪も目も普通の日本人。身長だってそうだ。
家に着けば、キッチンに急ぐ。ケーキを皿に乗せ、新しいココアの封を切る。
「ん、あれ?」
そのココアに花の種が付いている。どうやらオマケのようだ。最近は、こうして花の種が付いて来る事があるが、花には興味がない。取り外して机に乗せる。
ケーキとココアを堪能した後、部屋の明かりを消しベッドに潜り込む。
温かい。まるで誰かが温めてくれたみたいだ。それに何か温かいものに触れる。思わず布団を捲り上げ電気をつける。
そこには。黒髪に、黒い衣服を身に纏った、高校生くらいの少年が眠っていた。
思わず再び布団を被せてしまう。
先ずどうするべきか、もう一度状況を確認しようと、おっかなびっくり布団を捲る。
「……ん、……ヒヨ……」
やっぱり少年が寝ている。随分整った顔立ちだ。テレビで見るような、歌って踊る少年達に紛れても違和感がない、いや、もしかするとそれ以上かもしれない。
思わずごくりと喉を鳴らしている自分が居る。
普通に塗り固められた生活を一気に突き崩す、衝動に駆られてしまう。妙な興奮、禁忌を犯すような背徳的な悦楽を感じていた。
不意にその少年が目を覚ます。綺麗な黒目が僕を見る。
「ここは? アンタは誰だ」
目を覚ましたその少年は、人に慣れていない猫のように、警戒心を露わにしている。状況が理解できて居ないのはどうやら僕だけではなかったようだ。
「その、落ち着いて? ココアでも飲んでさ」
甘いものを体内に入れればお互い落ち着くと思い、二つ分のココアを用意する。勿論僕の分もある。落ち着くために。
僕が、ココアを飲めば、少年も最初は警戒していたがゆっくりと口をつける。
「甘い」
微かに目の前の少年の警戒が解ける。やはり甘い物は偉大である。
「アンタは、良い奴だな、普通なら追い出すだろう?」
「まあ、普通ならね。警察に連絡しようかとも思ったけど」
「じゃあ、何故ココアなんか出しているんだ」
「何でだろう」
自分でも理解できず、思わず笑ってしまう。でもきっと、明日にはまた普通の日常が戻ってくる、そんな気がしていた。だからこそ今だけはこの「異常」な状況を楽しみたい。
不意にその少年が目を擦る。眠いのだろうか。
「僕のベッドで休むかい?」
「いいのか?」
「良いよ、休んで」
いつの間にか、最初の警戒は無くなっているようだ。無防備にベッドに近寄るその少年を、僕は押し倒した。
「ココアを貰ったくらいで、油断していいの?」
「どういう事だ?」
「だから、僕がキミを油断させて襲っちゃうかもしれないって事」
僕の下に、組み敷かれるその少年は、動揺すらしていない。真っ直ぐ、ただ僕を見ている。
「アンタは、良い人間だ。そんな事はしないと信じている、それに俺の直感は当たるんだ」
「……っ、完敗だよ」
無理だった。やっぱり僕には、いつものケーキ以外食べられない。
僕は少年の隣に横になった。
「何もしないから、手繋いでも良い?」
「ああ、構わない」
次目覚めたらきっと、少年は居ないだろう。そして二度と会えない。
僕は手を強く握り締めた。
僕は夢を見る。その黒髪の少年が僕のものになる夢だ。
翌朝、僕はいつも通りの時間に目を覚ます。そして、いつも通り一人っきりで眠っていた。どこからが夢でどこからが現実か分からなくなりながらも体を起こす。
全て、夢だったのかもしれない。それでも構わないと思えた。
不意に机の上に見慣れない物が乗っている事に気付く、花の種だ。
その花の名前は。
シランが時空を超えちゃう可能性だってある……訳ないですよね。