厄病女神はマズイ場面でやってくる
諸君。俺は、今、大変に、困った状況にある。かなり参っている。マイッチング何たら先生の数百倍は俺の方が参っていると断言できる。てか、あの女教師は絶対に塵ほども参ってないだろ。
いや、そんなことはどーでもいいのだ。いや、俺が参っていることはどーでもよくない。ん? 日本語変か? いや、いいんだ。聞き流せ。聞いて察しろ。貴様らの頭は何の為にある? 考える為であって、帽子をかぶる為でも、色つけて遊ぶ為でもない。これくらいの日本語文法誤差は自分で解読してくれ。
さて、何故に、俺がマイッチングな状況にあるかといえば、それはそれは数十分前に遡る。
今日の昼過ぎ頃、バイトを終えた俺はトルコ宮廷音楽のCDを探すべく隣のCDショップに立ち寄った。最近、俺は東欧から中東にかけての古典音楽に興味を抱いているのだ。中でもトルコ宮廷音楽は特に気に入っている。オスマン古典音楽とも云う。
しかし、その宮廷音楽の楽曲は早くから西洋音楽と密接な接触をしていたにも関わらず楽譜を遺さず、師匠から弟子へと記憶によって受け継がれてきた為、500年以上の歴史を持つにもかかわらず今聞くことができるのは、かなり新しい時代の楽曲ばかりだという。惜しいことだ。
ああ、こんな音楽豆知識について述べても意味はないな。さっさと話を進めよう。
トルコ宮廷音楽のCDを探す俺であるが、当然ながら、トルコ宮廷音楽は日本においてはそんなに知名度がない。知名度がない楽曲は店頭に並ぶことが少ない。小規模の個人店舗ならば尚更だ。
「こりゃ無いな……」
眉根をしっかと寄せ、目を細めながら不機嫌に呟く。役に立たん店だ。こんな糞だらしないガキどものCDを置く場所があったら古典音楽を増やせ。忌々しい。
「や、やあ……」
チャラけたCDどもをかち割りたい気分に襲われつつも、辛うじて俺の心底にある常識と良心の残滓みたいなもので我慢していると、背後から遠慮がちに声を掛けられた。
「京島か。ついでに弟もか」
「ついでって……」
京島弟は微妙な顔で呟いた。ついでと言われりゃ誰だって少し微妙な気分になるもんだ。
京島姉弟は2人それぞれ一枚ずつCDを手にしている。京島姉はクラシック、京島弟は洋楽らしい。
「2人で買い物か? 仲良いな」
俺にも兄弟がいるが一緒に買い物に行くことは極めて少ない。せいぜいが、たまに荷物持ちとして強制的に徴集されるくらいだ。
俺がそう言うと2人は2人とも嫌そうな顔をした。兄弟姉妹ってのはどーして仲が良いと言われると嫌がるのだろうな? これはかなりの高確率で言える。照れか?
「偶然、2人とも用があったんだ」
何だか言い訳がましく言いながら京島はきょろきょろと辺りを見回す。何だ? 敵に追われているのか? それともストーカーか?
「絹坂さんは、いないのか?」
「いない」
しかし、最近、何だって、どいつもこいつも俺が一人でいると「絹坂は?」とか聞くのだろうな? 俺と絹坂は2人で1セットとでも思われているのか? 甚だ遺憾だ。
「俺の側に常に絹坂がいるわけではない」
少しむっとして言うと、彼女は、
「ああ、そうだな。確かに」
京島はうんうんと頷いた。
誤解が解けて少し機嫌を直しかけた俺だが、
「でも、おまえら、いっつも一緒にいるだろ」
しかし、東が余計なことを言う。
「あいつがいっつも近くにいるのは、あいつが勝手に付き纏っているからだ」
再び不機嫌な顔で言う。
「しかし、あいつが俺の側に付き纏うこともこれからは格段に減るであろう」
俺の言葉に2人はよく似た顔で首を傾げる。やはり、姉弟だな。
「何せ、奴はあと少しで夏休み終結だ。半強制的に地元帰りだ。それに、昨日、はっきりと言ったしな。しっかりと、はっきりと、付き合えん、と、言った」
うむ。あれで良かった。あれは英断であった。うむうむ。俺のためにも、絹坂のためにもあれで良かったのだ。良かった、はず、だ。
「そう……か……」
京島は何だか暗い感じの……かといって、そんなに落ち込んでいるわけではなく、でも、少なくとも元気そうではないし、普段どおりでもないテンションの低い顔で呟いた。
何故に京島がこんな顔をするのか皆目分からない俺が戸惑っていると、
「ちょっと、話をしたい」
京島はいつものような生真面目な無表情で、有無を言わさぬ様子だ。有無を言わさん様子なのだから、有無を言えるわけがない。
話をしたいと言った京島はそこでは話せないらしく、また、近くの喫茶店でも無理だと言い、更には2人ともよく通っている何々堂でも大学でも無理だと申すので、結局、俺の部屋に行くことになった。
部屋に絹坂がいたら面倒だなと思っていたのだが、都合よく絹坂は外出中のようであった。てか、外に出るんなら鍵を閉めてくれ。まあ、盗まれるようなもんは無いのだが、それにしたってなぁ……。
「それで、話って何だ? そんなに大事なことなのか?」
京島は黙って頷いた。
それから俺が出した麦茶を飲んだり、窓から外を見たり、俺を睨んだりと忙しくしつつも中々喋ろうとはしない。
「あ! あのだな!」
「おぅむっ!? 何だ!?」
俺がぼんやりしているときに、いきなり京島は身を乗り出し叫んだ。吃驚して変な声を出してしまったではないか。
「わ、私、私が、君のことを……」
「ちょっと待った! 待て待て! ストップ!」
俺は慌てて京島の言葉を遮る。
こいつはいきなり何を言いだそうとしているんだ? 何を言おうとしているんだ? まるで、そんな、愛の告白をするみたいに顔は真っ赤で、息は荒くて、目は不安に揺れて、しかし、それでも、視線は強くって……。
「いいや! 待たん!」
京島はそう叫んで俺ににじり寄る。あぁ、嫌な予感がするぞ。いや、もう困ったことになってる。
「これだけは言わせてくれ! 私は君が好きなんだ!」
「いやいや! そんなことだけ言われても困る!」
こんないきなりな告白されても俺は困惑するしかない。しかし、一体、何なのだ? 最近、巷では告白がブームなのか? あ、まさか、これが一生に何度があるというモテ期か? そんなもんいらん!
「しかし、君は、私とは、付き合えないのだろう?」
気が付くと京島はさっきまでの勢いは何処へやら? 何故だか、意気消沈してそんなことを言うのだ。いや、まあ、確かに、付き合う気はないのだがね。京島に限らず。絹坂とも誰とも、もう一生。
「君は、絹坂さんが好きなのだろう?」
いきなり京島落ち込んだ様子でそんなことを言い出した。何だそりゃ!?
「はぁっ!?」
俺吃驚。京島も俺の声に吃驚。
「何で!? 何だって、俺が絹坂を好いているなんてことを言うのだ!? いや、まったく、意味が分からんぞ!? マジで!」
俺はばたばたと意味もなく手を振り回しながら叫ぶ。ちなみに、マジという言葉は本気と書いてマジと読むわけではなく、真面目の省略形なのだ。つまり、真面と書いてマジと読むが正しいのかもしれない。いや、こんなことを言っている場合ではない。
「君は、そう言うが、君は絹坂さんのことを大事に想っている。絹坂さんも君のことを好いている。それじゃあ、私が入る隙間なんて最初から無いじゃないか……」
京島は妙な自信を持って言い切り、そして、しょんぼりするのだ。一体、何だっていうのだ……。
「いや、別に、俺は、絹坂のことを好いてなんかいないぞ? あいつなんぞはちょっと借りてる猫か。ちょっと厄介に来てる親戚の娘みたいなもんだ。それ以外に比喩のしようはない。いや、まったく」
俺は何度もうんうん頷きながら言う。何だか、京島に言うんでなくて自分に言い聞かせているような気がしなくもないが、それは気のせいだ。
「……そう、なのか……?」
京島はそう呟いて俺を見つめる。いつの間にやら、2人の距離は結構近付いていて、俺はさりげなく後退する。というか、何故だか知らんが、京島がじりじりとにじり寄って着ているのだ。何だ何だ? 何のつもりだ?
「じゃあ、私にもチャンスはあるんだな? まだ望みは……」
「いやいや、ちょっと待て。待つんだ京島さんや。何だって、そんな近付いて来るんだ?」
「君は強情だからな。それに卑怯だ。口で言っても始まらない。実力行使しかない」
京島はいつも通りの無感情顔を崩していない。ただ顔が赤っぽく息が荒いだけだ。それでも、俺は十分に京島の様子が分かった。こりゃ本気だ。
「落ち着け。落ち着いてくれ。頼むから! 早まるな!」
「いや、もう止まれない」
わたわたとみっともなく後退する俺。じりじりと獲物を追い詰める肉食獣が如く迫り来る京島。
俺の部屋はそんなに広いもんじゃない。以前から言うように六畳しかない。いや、1人で生活する分にはそれで十分なんだが、逃げるのには生憎と不十分だ。
俺はすぐに部屋の隅に追いやられた。壁を背にして京島を見上げるしかない。
「おいおい、待て待て。普通、逆だろ。男が女を襲おうと追い詰めることがあっても、その逆は変だろ?」
一般常識的を持ち出して説得を試みるも、
「君は普通が嫌いなんだろう? 前にそう言っていた」
以前の俺の言葉を引用されては黙るしかない。
そもそも、俺は京島が苦手なのだ。嫌いとかそういう意味じゃない。それよりも厄介だ。俺の昔の彼女に何となく雰囲気というか目とかそーいうのが似ているのだ。たまに、その前の彼女とダブってしまう。
京島は俺の体をかなりの強さで押さえつつ熱っぽい顔を寄せてくる。俺の目を真っ直ぐに睨むように見つめる強い瞳はあいつそっくりだ。
京島の唇がゆっくりと、確実に近付いてきて、俺の唇に、触れた。
ここで今話の最初に戻ろう。
俺は参った状況になっていると述べたな? そりゃどーいうことか? んなもん、言わんでも分かるだろ。タイトルの通りだ。
そう。このマズーい場面で厄病女神の参上だ。
ドアを開け、俺たちを見た絹坂は叫んだ。
「な! な! なぁぁーっっ!?」
ま、そりゃ普通叫ぶわな。と、俺は久し振りの唇の感触を感じながらぼんやりと思った。そうするしかないのだ。京島さん、力強すぎ。痛い。
はい。次はしゅらっしゅらっ修羅場ばばーんですね。
完結まであと4話です。