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危機感を覚えた厄病女神


 夏休みの終わりは確実に迫って来ているのでした。

 何だか蝉の鳴き声は違うのに変わりましたし、刺すような日差しや蒸し暑さも……まあ、まだ結構、暑いですけど、何だか弱くなってきた気がします。本当に気のせいかもしれませんけどね。先輩曰く私はトロくて感覚が鈍いらしいですから。私に言わせれば先輩の方が鈍感な気がするんですけど……。

 それに、いつの間にか甲子園は決勝を爽やかに呆気なく決着し、球児たちの青春は終わりを遂げていました。

 ちなみに、私の通う高校の野球部はそんなに弱くはないのですが、梅雨明けの県大会準決勝で惜しくも負けてしまったので甲子園には出ていないのです。やったら頑張ってましたけどねー。青春って良いですよね?

 私は甲子園の高校野球結果を伝えるテレビ番組を見ながら思いました。

「ちっ。あのガキが次のドラフトで云千万も云百万も貰いやがるのか。ただ野球やって遊んでるくせに……。あんなもん何の生産性も持たん意味無し産業だ。有事や緊急時には塵程にも役に立たん」

 そんな妬み満載な不機嫌台詞を吐くのは先輩以外にはおりません。もうちょっと前途有望な若者を温かい目で見てあげても良いのではないでしょうか?

「野球だって皆を楽しませてるじゃないですかー? 人を楽しませる大事なお仕事ですよー?」

「んなもん知るか。俺には球っころを追いかけて遊んでいるようにしか見えん。下らんことだ。あんなことを何千円もかけて観戦したり、あんなことに何百億円もかける世間は馬鹿だ。他のスポーツもどっこいどっこいだ。どれもこれもあれだけの金をかける価値は無い。あの娯楽に使っている金を途上国援助に使え。国一つ救えるぞ」

 先輩は不機嫌そうな顔でぶちぶちと世のスポーツ選手、スポーツ愛好家、スポーツ業界その他諸々を一挙に敵に回しそうなことを呟きます。本当に偏屈で困った人ですねー。


 ところで、私はこの前、気付いたことがあります。それは何となく消しゴムを見てるときに気付いたんですけど、これがまた大事だったんです。

 その時は、それに思い至った後、先輩と勉強するしない私がきもいひどいの言い争いで、すっかりうっかり忘れてしまっていたのです。

 そして、今、甲子園の結果をテレビで見ているときに再び気付いたのです。

「夏休みあと5日じゃんっ!?」

「いきなり、隣で叫ぶな! 鼓膜が痛む!」

「へぶん!?」

 唐突に重大な事実を思い出して私が叫ぶと、先輩は耳を押さえて怒鳴りながら私の頭をはたきました。ちょっと大声出してくらいで叩くなんて酷いです。非人道的です。

 私が涙目で先輩を見やると先輩は変な顔で私を見ていました。

「へぶん……天国か?」

「ただの悲鳴ですー。そんくらいちょっと考えれば分かるじゃないですかー」

 私がそう答えると先輩は引き攣った笑みを浮かべました。

「俺としては貴様をヘブンでも極楽浄土でも連れて行ってやりたいところなのだがね」

「それって遠まわしに死ねって言ってるんですか?」

 先輩は黙って頷きました。

 一瞬、部屋を沈黙が支配しました。

「そうそう。先輩、それでですね?」

 私が話をすりかえると先輩は微妙な顔をしましたが、結局黙っていました。

「私の夏休みってあと5日なんですよー」

「そうか。それは良いことだな。あと5日で貴様が出て行ってくれるのだから、これを喜ばずして何を喜ぼうか?」

 先輩は本当に嬉しそうな顔で言うのです。何だか気に入りません。

 あ、分かりました。これは、たぶん。

「もう! 先輩っては照れ屋さんですねー! そんな照れ隠しをしなくても」

「んなもん全然隠してない」

 あんれー? 照れ隠しじゃなかったみたいです。おかしいなー。

 まあ、いいや。こんなどーでもいい会話をしている暇ではないのです。既に時間は残り少ないのです。サッカーで言えばロスタイムであり、野球で言えば……何でしょう?

 とにかく、私に残された時間はごく僅かなのです。こりゃあヤバイです。

 結局、私はこっちに来て何にも事をなさず、何の成果も上げず、またあの憂鬱な日常なんかに戻らなければいけないのでしょうか?


 そもそも、私は何しにここまで来たのですか?

 先輩に会いたかった? もう会いました。

 先輩と話をしたかった? もうしました。

 先輩の姿を見たかった? もう見ました。

 先輩の声を聞きたかった? もう聞きました。

 先輩と一緒に過ごしたかった? もう過ごしました。

 先輩に料理を食べてほしかった? もう食べてもらいました。

 先輩に私が好きだと伝えたかった? もう好きだと伝えました。

 でも、まだ足りないんです。

 まだ先輩に会っていたいし、先輩と話をしたいし、先輩を見ていたいし、先輩の声を聞いていたいし、先輩と一緒に過ごしたいし、先輩に料理を食べてもらいたいし、先輩にもっと私が好きだって伝えたいんです。

 その為にはあと5日というのは短すぎる時間です。いえ、時間のせいにするのは間違いです。時間はあったんです。一ヶ月以上。それでも、まだまだ足りないのは、全て私の自己責任なんです。一ヶ月の間に満足いく結果を得られなかったのは全て私のせいであり、私の言動の失敗なのです。

 しかし、私は諦めの悪い性質たちです。何事もそう簡単には諦めません。一年以上会っていなくても先輩を忘れずわざわざここまで追い縋るほどに私は執念深いのです。

 そうです。これからでも間に合います。十分に間に合います。

 まだ先輩をこの手に掴むことは可能です。


「先輩」

「何だ?」

 先輩は私を見て、

「何だ?」

 また同じ言葉を繰り返しました。

 しかし、1回目と2回目はだいぶ口調が違います。最初のは、ただ単純に声を掛けられて反応した感じ。次のは驚いて思わず言った感じ。何に驚いたかっていうと。

「絹坂。お前、何だって、そんな真剣な顔で俺を見る?」

 多分、私が非常に真剣で本気な顔をして先輩を見ていたからでしょう。

「先輩。ピクニックに行きましょう」

「……なんだって、そんないきなりピクニックだかに行かんとならんのだ? しかも、そんな真剣な顔で言うことでもあるまい。ピクニックってのはそんな恐い顔して行くもんなのか?」

 まあ、恐い顔してピクニックに行くような人は先輩一人で十分ですね。

 しかし、顔だって恐くもなります。だって、私は本気のマジで真剣なんです。突発的に思いついたこのピクニックという名のデートを行い、2人の仲を大いに発展させるのです。これは最後のチャンスです。これを逃した日にゃあ、もうお終いもお終いです。私が次にやってこれるのは冬休み。その間に先輩がどこぞの誰かさんと良い仲になってしまっては遅いのです。

「行きましょう。とにかく、行きましょう。四の五の言わずに行きましょう。文句は言ってから聞きます。だから、行きましょう」

「しかしなぁ……」

 先輩は強気な私から身を引きながらテレビを見て言いました。

 テレビの中でアナウンサーが言いました。

「台風11号は進路を東にとり、現在は四国に横断しています。今日深夜には近畿に上陸し、明日には東海地方に向かうものと思われます。その影響で東日本全域で強い風と所により雨が予想されています。また、台風は速度を増すことも考えられ、外出には十分ご注意下さい」

 テレビの中で私たちのいる地域が明後日頃に台風の影響下に入ることが報じられています。

 しかし、台風なんかに負けてられません。そんなもん知りません。恋する乙女の前に敵はなし!

「雨天決行っ!!!」

「それは勘弁してくれ」

 結局、鬼気迫る私と何だかいきなりなことに戸惑う先輩との交渉の結果、明日、雨が降っていなかったらピクニックに行くということで決しました。

 私はその夜。照る照る坊主を50個作りました。


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