何々堂と厄病女神
何々堂は大学の側にありました。
趣ある木造の建物でした。瓦屋根で歴史を感じさせる濃い色の木材。掲げた看板には達筆な毛筆で何々堂とあります。古い商店街のお店のようです。そこだけが昭和どころか明治・大正にタイムスリップしたかのような印象です。
建物は何だか少し微妙に傾きかけているような気がします。首をほんのちょっと傾けてみました。あ、普通の建物になりました。
店先には色々と雑多なものが積み上げられています。大量の大小諸々の達磨、狸のでかい置物、黴臭い書物の山、そして、いくつかの鉢植があります。
その鉢植には一輪の花が、猛暑の中でも元気に咲き誇っていました。その花はとても奇妙でした。
形はコスモスのようですけれど、花弁が緑色なんです。奇妙なことです。突然変異か品種改良でしょうか?
「変わってるでしょ?」
緑のコスモスをじっと観察していると、突然、背後から声を掛けられました。
振り返ると背の高い女性が立っていました。濃灰色の長袖シャツに黒いロングスカートという暑苦しそうな格好です。
白い肌でショートの黒髪、すっと通った鼻筋に涼しげな目元の大人びた女性です。年の頃は二十代の後半くらいか。もしかすると三十代かもしれません。
「その花」
私が黙っていると、女性は白魚のような細長い指で花を指差しました。
「造花なのよ」
花弁に触れてみると、成る程、確かに造花です。
私の唖然とした顔を見て、女性は可笑しそうに、ふふっと笑いました。
私はむっとして頬を膨らませました。
「あら、可愛い」
女性は楽しそうに言って私の頬を触ります。
私は失礼にならない程度の力で彼女の指を払いました。私のほっぺを触っていいのは先輩だけなのです。
「ところでうちに何か用かしら?」
女性は側にある狸の置物の頭を撫でながら言いました。
そこで、私は初めて彼女が何々堂の人だと知りました。
「人を探しているんです」
「人?」
女性は首を傾げ、形の良い細い眉を寄せて言いました。
「いくらうちでも人は扱ってないわね。人身売買になってしまうもの」
「そーいう意味じゃないです」
「あら、そう」
女性はあっさり言ってから店の中に向かいながら言いました。
「中で話しましょう? 外は熱いもの。何か涼しいものをあげる」
店の中は何故かとても暗く、昼だというのに電球を灯してもぼんやりとしか明るくないのです。だから、店の中から見る外はとても白く眩しく見えました。
あと、中は涼しいのでした。目を瞑ってよくよく温度を感じてみると、どうやら、店の奥から涼しい空気が来ているようでした。
「目なんか瞑ってどーしたの? 眠い?」
奥からやって来た女性が楽しそうに言いました。手にしたお盆の上には麦茶らしき茶色く透き通った液体の入ったコップが二つあります。
「麦茶よ。飲んで。涼しいわよ」
彼女は私に麦茶入りのコップを渡して、側にある椅子に座りました。
私は麦茶に口をつけながら店の中を見回します。
店の中には何か商品らしき品物が所狭しと並んでいます。そのどれもが幾許かの時を経た古物でした。中でも多いのは古本です。国語の教科書で見たような名前が作者の本だったり、図書室に並んでいたような書名だったりする本や、これは、もう明治の本かと思いたくなる程に黄ばんだ本、更には江戸時代の本みたいなものや巻物まで大量に並んでいます。
「どーかしら。うちの品物は。何か興味のあるものがあったら言ってね。今日は気分がいいからモノによってはあげる」
昔々、街角でポケットティッシュを貰った時、先輩は言いました。
「タダより恐いもんは無いとか何とか言うが、それでも、タダはいいもんだ」
よって、私はタダで貰えるものは貰うようにしています。
しかし、今は、そんなことをしている暇はないのです。
「今はいいですー。それよりも、私は人を探しているのです」
「あー。そーだったわね。でも、うちは探偵屋でもないわよ?」
「知ってます。それでも、私がここに来たのは、探している人がよくここに来ると聞いたからです」
うすむらさきさんが言うには、先輩はよくこの店を訪れていたらしく、店主とも顔馴染みだということでした。
「あら、そーなの? 誰かしら?」
女性は指を顎に当てて首を傾げました。
私が先輩の名を告げると「ああ」と頷きます。
「彼ね。ええ、よく知ってる」
そのよく知っているが、どーいう意味でよく知っていて、そもそも、先輩とはどーいう仲なのか詳しく問い質したいところでしたが、それは今は良いのです。置いときます。
「今日は先輩来ませんでしたか?」
「来た」
私の問いに彼女は即答しました。
「何だか機嫌が悪そうだったわねー。まあ、彼の場合、いっつも機嫌悪いけど」
言えてます。
「いつもは吸わない煙草なんか吸ってたわねー。煙草禁止って言ったら、さっさと捨てたけど」
あの先輩が言うとおりに従うなんて……。この人、只者ではない?
ていうか、この人、先輩の好みっぽい気がします。私が今まで先輩を観察・分析した経験から言いますと、先輩は涼しげでさっぱりしてて大人びた格好いい人が好みらしいのです。私とは正反対な気がします。しかし、今更な話です。今更、キャラ変えても……。
「何時頃に来ましたか?」
私は少し機嫌を悪くしながら尋ねます。
「そーね。……30分くらい前に来て10分くらい前に出てったわ」
お、惜しいです。あと10分くらい前にここに踏み込んでいれば先輩を確保できたのに……。てか、ここで20分も何してたんですか? こんな美人の女性と他に客も来なさそうな薄暗い店の中で、一体、何を……。
しかし、それも、今は置いておきます。緊急事態ですから。後で、先輩に聞くことします。
「それから何処かに行くって言ってましたか?」
私の質問に彼女は目を瞑って「うーん」と唸ります。
「友人に会いに行くと言ってたわねー」
「その友人って誰か分かります? 何処に住んでるとか?」
「さあ? そこまでは。でも、彼の友人の半分以上は九本壮に住んでいるから、そこかも」
これは有力な情報です。
しかし、先輩の友人の多くが住む九本壮とは如何なる場所なのでしょうか?
「ありがとうございました」
「ところで」
麦茶を飲み干して立ち去ろうとしたところで、女性が声を掛けてきました。
「あなたは彼の何かしら? 妹? 家族? 親戚? 友達? 後輩? それとも、彼女?」
私は何と答えるべきか迷いました。後輩が一番適当なのかもしれません。
しかし、先輩と何だか仲が良さそうな彼女にそう言うのは何だか気に入らないです。ここは、牽制も込めた意味で、少し言ってやることにしました。
「恋人になる予定の者です」
女性は少し唖然とした顔をした後で、ふふっと楽しそうに笑いました。
「がんばりんさい」
私は涼しい店内から太陽が容赦なく熱い光線を浴びさせる屋外に出ました。先輩、待ってなさい。私があなたの首根っこを捕まえてあげます。