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厄病女神は不機嫌に電車に揺られ

 厄病女神は上機嫌だった。

 絹坂的には俺と二人っきりという今の状況が満足であるらしいし、旅行の高揚感と興奮、まだ行ったことのない地へ行く好奇心。景色はどんどん自然豊かになってゆくし、ちょっと早めに食べ始めた駅弁は美味かった。

 これらのことが複合して作用し、絹坂は非常に機嫌が宜しかった。

 俺としても、隣の奴の機嫌が悪いよりは良い方が良いということは言うまでもないことであり、特に不満たることはなかった。

「お弁当美味しいですねー?」

 絹坂は筍の煮物を箸で突付きながら言った。輝くような笑顔を俺に向ける。

「うむ、不味くはない」

「……先輩って素直にモノを褒めるってことできないんですか?」

「できん」

 即答してやる。悪いか? 俺はそういう人間なのだ。

「……子供ですねー」

「何だとっ!? 貴様っ!」

 今、聞き捨てならん言葉が聞こえたぞ!?

 ガキ臭い絹坂如きに子ども扱いされることの何という屈辱! これは懲罰が必要だ。絹坂のほっぺを引っ張る。おお、伸びる伸びる。

「ふぇわぁっ! ほっへふねらないでくらはいっ! また車掌はんにほこられまふよっ!?」

「む」

 再び煩くして旧国鉄職員に叱られるのは俺としても避けたいところだ。

 仕方ないので絹坂のほっぺを解放してやる。

「もう。先輩ったらー」

 絹坂は自分のほっぺを撫でながら言った。言っていることは呆れている風だが、その顔は何やら自然と浮かぶ笑みを抑えているかのようだ。

「そんなに何が面白い?」

「面白いというより嬉しいです」

 絹坂はさっきからそればかりである。口を開けば、二人で嬉しいだ何だと甘えるような声でほざき、俺の肩に顔をこすり付けてばかりいる。

 恥ずい。


 駅弁を食い始めて少しした頃、電車は次の駅に到着した。この駅から更に三つ目が俺たちの降りる駅である。時間にして、あと40分と少し程度。

 その駅には数分停車しただけですぐに電車は走り出した。

 ぷるるるるるるるるるるるる。

 携帯電話の着信音が聞こえた。どこの阿呆だ。車内では電源を切れ。常識を知らん痴れ者め。

「あ」

 絹坂が自分の鞄を見て言った。この糞馬鹿め。

「ちょっと失礼しますー」

 絹坂は食べかけの弁当箱を座席に置き、携帯電話を引っつかんで走っていた。

 まったく、けしからん奴だ。車中では携帯電話をマナーモードに設定しウンタラカンタラと車内アナウンスで流れておったであろうに。絹坂は昔から人の話をよく聞かない悪癖があるからな。

 俺が一人不機嫌に駅弁をかっ食らっていると、突然、前の座席が回転した。

 意味が分からない奴はいないな? いる? いたら面倒臭いので解説しよう。

 電車というのは行く先によって方向を全く反対に走り出すことがある。そういう時、座席がそのままでは都合が悪い。その為、座席が前後逆になるように回転させることが可能なのだ。知っておるだろう?

 そんな感じで俺の前の座席がくるりと回転したのだ。

 その座席には黒い鞄が一つ転がっていた。

 座席の脇には一人の若い女性が立っていた。

「何故に京島?」

「あ、い、いやな。ちょっとな」

 京島は歯切れ悪いことを言いながら、向かいの席に座った。

 しかし、何でこいつはここにいるんだ? 一時間先の特急に乗っているんじゃないのか? いや、乗ったはずだ。乗っているとこを見たわけじゃあないが、出発駅にいなかったのだから、乗っていたに違いない。

 では、何故に、ここに?

 京島は相変わらずの薄い表情であるが、少し戸惑いの色があるようにも見える。彼女は落ち着かなさそうに視線をふらふらさせ、膝の上にある箱をいじくる。

 その箱を見て、一つ考えが浮かんだ。

「まさか、ここで降りたのか?」

「ん?」

 京島は俺の視線に気付いたらしく、膝の上に置いた駅弁を見た。

「あ、ああ、ちょっと、これを買おうと思って、降りたら、乗り過ごした」

 なんとも、うっかりというかマヌケなことだが、京島には似つかわしくないミスだ。

 しかし、何でこんな所で駅弁を買おうとしたのだ? 停車時間は数分であることは車内アナウンスで知らされているだろうに。絹坂とか二十日先輩や柚子ならば、こんなドジを犯すことも考えられるが、京島にはありえないことだと思っていたのだがな。

「ここの駅弁が美味しいらしくて、二十日先輩が買えって……」

 あの酒好き馬鹿先輩のせいで彼女はここに取り残されたのか。不憫なことだ。

「君は昼食中か?」

「ん。ああ、うむ。見ての通りだ」

 俺は膝の上に置いた食べかけの駅弁を指し示して言った。

「京島も食べたら良い」

 ちょうど時刻は昼飯時だ。

「しかし、私には食べる弁当がない」

 京島は難しい顔で答えた。

「それを食えばいいではないか」

「これは、二十日先輩に買うように頼まれたものだ。勝手に食べるわけにはいかない」

 京島はしかめ面で首を横に振り、自身が取り残される結果となった駅弁を黒い鞄にしまいこんだ。真面目な奴だな。

「では、俺のを食らうが良い」

 絹坂が買ってきた駅弁はまま美味いのだが、微妙に俺の嫌いなおかずが入っているのだ。揚げ物は好かん。なして、あんな油ギトギトの物体を食わなければならんのか?

 本来は絹坂に食わせようと思っていたのだが、あやつは今、電話をしに行っているので、この油の塊に包まれた物体を押し付けることが出来ないで難儀していたのだ。

 俺は嫌いなおかずを処分でき、京島は少し飯にありつける。うん、双方が幸福になる最良の手段ではないか。

「あ、食べて良いのか?」

「うむ、遠慮するな。もう十分に食ったからな。食べかけのが嫌なら無理に食わんでも良いが」

「嫌ではない」

 京島は即答した。

 嫌じゃないのならやろうではないか。俺は弁当箱を差し出した。鳥の唐揚げや山菜の天麩羅なんかが残っている。油の衣がまとわりついているのは全部嫌いだ。

 京島は暫しそれを眺めていた。まさか、京島も揚げ物が苦手なのか?

「…………箸がない」

 彼女は沈黙の後、ぼそりと呟いた。

 ん。確かにないな。手で食べるわけにはいかん。

「じゃあ、俺のを使うが良い」

「ん。良いのか?」

 京島は妙に緊張したような目で俺を見ながら言った。

「む、そうか。男が口つけた箸で飯を食うのには抵抗があるか。では、絹坂のを」

「いや! 良い。君ので構わない」

 京島は素早く俺の箸と弁当を奪い取り、その箸で鳥の唐揚げを取った。

「い…ただきます……」

 京島はおずおずと唐揚げを口に運んだ。

「美味いか?」

 何となく尋ねると京島は口の中で唐揚げをもぐもぐさせながら、こっくり頷いた。

 俺はすることがなくなってしまったので、やることもなく、京島の食事風景を眺めていた。

「先輩! 先輩ー!」

 突如として電車内に響く大声。この声が誰のものかは言うまでもないことであろう。

「京島さんがさっきの駅で取り残されたんですってぇっ! いる!」

 絹坂は京島を見た瞬間、素っ頓狂な奇声を上げた。

「や、やあ」

 京島は少しぎこちなく挨拶した。

「ん!? あ!」

 絹坂は素早く視線を動かしてから叫んだ。

「先輩の駅弁食べてる!?」

「うむ。やったのだ」

 俺が言うと絹坂はぷくーっと頬を膨らませた。ハムスターか?

「ズルイ! ズルイです!」

 絹坂はそんなことを叫びながら地団太を踏んだ。

「お前の弁当はこっちにあるだろう?」

 絹坂の座席には彼女が少し前まで食べていた駅弁が未だ結構な量残っている。こいつは食うのが遅いからな。

「いやです! 私も先輩の食べかけのお弁当食べたいです!」

 そんなことを大声で見ず知らずの他人がわんさかいる電車内で叫ばないでくれ。ほら、何だか注目されているではないか。恥ずかしい。

「てか、そんなもんを欲しがってどうするのだ!? お前は変態か!?」

「変態でも良いです!」

 俺が怒鳴りつけると即座に怒鳴り返された。何だっていうのだ?

「私のお弁当をあげるので先輩のお弁当を下さい」

 絹坂はそんなことを言い出した。そのことに何の意味があるのか俺には全く意味不明であるが、絹坂にとっては大事なことらしく真面目な顔をしている。

 そんな絹坂の視線を受けて、京島は答えた。

「断る」

 真っ直ぐ絹坂の視線を受け止め、更に睨み返しながらハッキリと言った。

「これは私が彼から貰ったものだ。誰にも渡さない」

 その言葉を受けて絹坂は顔をしかめた。眉間に皺を作り、渋い顔をする。こいつはこんな顔も出来たのだな。

 睨み合いは結構な時間続いた。何故だか車内は重苦しい空気に包まれ、誰一人として口を開こうとはしなかった。俺も何だか異様な2人の雰囲気に驚き、ただ固唾を飲んで成り行きを見守るだけだ。

 ただ、電車が鉄道の繋ぎ目を通るタタンタタンという規則的な音だけが響いていた。

「まあ、良いでしょう」

 ふっと息を吐き出してから、絹坂が言った。視線を京島から外し、弁当を持って自分の座席に座った。

 車中全体がほっと安堵の息を吐いた。

 絹坂は黙って俺を見た。何か言いたげな顔で俺をじーっと観察している。

「何だあむ!?」

 俺が口を開いた瞬間、口の中に何かが箸で押し込められた。

 咀嚼してみるに、これはニンジンの煮物だな。

 絹坂は箸でニンジンをつかんだ状態で俺を見続け、俺が顔を向けたところで箸を動かし、俺が口を開けた瞬間を狙ってそれを押し込んだようだ。何という計画的にして正確な荒業。

 そして、そこまでして俺にニンジンを食わせる意味が分からない。

 俺には意味が分からなかったが、京島には意味が分かったらしく、彼女は顔を不機嫌そうにしかめた。

「貴様! 何をがあむ!?」

 ニンジンを飲み込んでから怒鳴ろうとしたところ、今度は鮭の切り身が口の中に押し込められた。いささか大きすぎるぞ。

「んんうん! んんんんううんん!?」

「先輩、何言ってるのか分かんないですー」

 絹坂はニコニコ笑いながら弁当を食らっている。京島はそんな俺と絹坂を睨みながら淡々と弁当を食っている。いや、睨んでいるように見えただけかもしれない。たぶん、そうだ。そうであれば良いと思う。


 俺たちはそんなふうにして昼食を食った。何故だか息苦しい雰囲気だった。

 今もそうだ。

 絹坂は何でか俺の腕にしがみ付いている。離れろと言っても離れず、振り払おうとしてもしがみ続け、頑固に俺の腕を抱きしめている。かといって、絹坂はご機嫌なわけでもなく、むっとした顔をしている。

 その様子を京島は不機嫌そうな顔でじっと見ている。

 そして、俺の機嫌が良いわけがない。

 つまり、ここにいる3人全員が不機嫌そうにむっつり黙り込んでいるのだ。

 何の会話も無くただ電車は進む。

 結局、電車が目的地に着くまで、この調子だった。

 何だってこんなことになったのか俺には理解不能であったが、ただ一つだけ学んだことがある。

 これから、というか、少なくとも今回の旅行中は絹坂と京島を出来る限り接触させないようにした方が良い。

 何故かと言われれば明確に答えることは出来ないが、そう思うのだ。

 何も問題が鳴ければ良いのだがなー。

「先輩! さ、早く降りましょう!」

「早く降りないと電車が出発してしまうぞ?」

 俺の両手が絹坂と京島に掴まれた。両手が塞がっては荷物が持てんのだが。

「京島さん。あなたが手をつないでたら先輩がそこの荷物持てないじゃないですか」

「君が手を離したらどうだ? 彼は左利きだ。左で荷物を持った方が良いだろうからな」

「どっちでもいいから、手を離せ」

 俺はかなり精神的な疲れを感じ、ぐったりと答えた。別に何もしてないが、何だか凄く疲れた気分だ。

 不意にぐらっと揺れた気がした。

「「あ」」

 絹坂と京島が声を合わせた。

「あ? ああぁっ!?」

 俺が顔を上げると車窓の風景がどんどんと流れ始めていた。

「降り過ごしたぞ!? 貴様らがぎゃーぎゃーと下らんことを騒いでいる間に降り損ねたぞ!? この阿呆がっ!」

「何ですか!? 私のせいじゃないですー! 京島さんが!」

「な! 私個人のせいでもないだろ! そもそも、君が!」

「だーっ! 煩せえっ!」


結構、長くなりました。

長くなって長くなって終わらなくて泣きそうになりました。

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