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厄病女神は電車に乗り込み

「うー。まだ痛いですー」

 絹坂は自分のほっぺを撫でながら僅かにまだ潤んだ目で俺を見上げた。

「林檎のように赤かったからな。今は桃か」

 俺は絹坂の少し前まで赤かったほっぺを見やりながら言った。絹坂は嫌そうな顔をした。

「先輩酷いー。鬼ー。悪魔ー。鬼畜ー」

「何とでも呼べ」

 結局、電車に遅れ、取り残されてしまった俺は駅員が止めに入るまで絹坂のほっぺを引っ張りまくってやった。その結果、絹坂のほっぺは面白いくらいに赤くなったのだ。もう大分時間が経ったから色は薄らいでいるがな。

 俺と絹坂は二人でぽつねんと駅のホームに立ち尽くしていた。もう何十分もこうしている。乗る予定の電車はもう数十分前に走り去り、次に乗る予定の電車はあと数分で到着することであろう。

「まったく、貴様のせいで大層迷惑なことになった」

 俺は不機嫌な顔で呟いた。あと少しでも不機嫌なことがあったら、絹坂をホームから蹴り落とす自信がある。

「そーですねー」

 俺の隣で事の元凶がのん気にほざいた。ムカついたので蹴り落とそうかと思ったが、彼女の手には俺たちの昼食となる予定の駅弁があり、そろそろ乗る予定の特急がやってくる予定だったので止めた。

「そーいえば、先輩?」

「ん?」

 絹坂が俺を見上げていた。従順な子犬のような顔をしている。

「あのですね? 遅れた人は置いてけぼりにする予定だったんですよねー?」

 何を馬鹿なことを聞いているんだ。こいつは。

「予定というか、現にそうなっておるだろう。どこぞの阿呆のせいで俺たちは何十分も待ちぼうけしているではないか。どこぞの阿呆のせいでな」

「あははー」

「笑うな。殴るぞ」

 絹坂は口を閉じた。

「それでですねー?」

 しかし、すぐに口を開いた。懲りない奴だ。

「何で、先輩もここにいるんですかー?」

「おい、貴様、いい加減にしろ。さっきから言っているだろーが。俺の隣にいる馬鹿がマヌケだったからだろ!」

 俺が怒鳴っても絹坂は臆する様子もなく、じっと俺を見つめている。

「でも、私を置いていけば電車に乗れたでしょう?」

 絹坂の言葉に俺は不機嫌に顔をしかめた。絹坂はじーっと俺の目だけを真っ直ぐ見ている。キラキラと輝くような綺麗な目だ。少し垂れ気味だが。

「何で、一人で行かなかったんですか? 何で、私を待ってくれたんですか? ねえ、先輩」

 絹坂はそのキラキラした目で俺の心を読み取ろうとしているのか、視線を外すことなく、瞬きも殆どなく、俺の目を見続けている。

「煩い。黙れ」

 何だか恥ずかしくなって、俺は視線を外した。俺たちが乗る特急がやってきたようだ。電車の走る音が徐々に大きくなっていく。

「答えてください」

「嫌だ」

「何でですか? 教えて下さい。何で、私を置いていかなかったんですか?」

 しつこい奴だ。しつこい男は嫌われるという。では、しつこい女はどーなんだ? いや、そんなこと今は関係ないな。答えないといつまでも聞いてきそうだ。面倒臭いことだ。

 特急が駅の構内に入ってきた。何tもある金属の塊が走り行く音がホームに響く。

 俺は絹坂の問いに小さな声で答えた。

「……貴様一人残しては心配だからだ」

 俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか? 絹坂は垂れ目と口を大きく開いた。馬鹿に見えるから止めた方が良いぞ。

「も、もう一回言ってください! よく聞き取れませんでした!」

 分かってる。それを狙って呟いたんだからな。

「聞こえなかった貴様が悪い。俺は答えた。以上」

「えーっ!? 先輩! 意地悪です! 卑怯です!」

 絹坂は抗議するように叫んだ。しかし、その顔は妙に嬉しそうだ。お前、聞こえただろう?

「つべこべ文句を言わずにとっとと乗り込め!」

 俺は怒鳴りながら、絹坂の首根っこを掴んで電車の中に放り込んだ。


 伊豆行きの特急は予定通りの時刻に予定通り、何の問題もなく出発した。さすが日本が誇る優秀で正確な交通機関だ。外国の交通機関は平気で何十分も遅れるらしいからな。

 俺と絹坂は首尾よく席を確保していた。

 ところで、日本の電車に乗ったことのある奴ならば分かると思うが、電車の座席は二つの座席が横並びになっている。

 座席を一人で複数占有するのは恥知らずの大馬鹿者であることは言うまでもないことだ。座席は一人につき一つ配分されているのは常識中の常識であり、その常識を知らぬ者には制裁を加えてしかるべきである。

 つまり、何が言いたいかというと。通常において人は一つの座席にいるべきであるということだ。

 勿論、俺はそうした。最低限の常識くらいは知っている絹坂もそうした。

 自然、俺たちは隣り合わせに座ることと相成った。

「えへへー」

 何でか絹坂は嬉しそうにニヤニヤと笑っている。何だ。気持ち悪いぞ。

「先輩と二人っきりー」

 絹坂はそんなことを言って、俺の肩に頭を乗せた。

「止めろ。暑苦しい」

「ちょっとくらい甘えたって良いじゃないですかー? 別に直接肌に触れるわけでもないですしー。変なところ触るわけでもないしー」

 絹坂はふにゃふにゃと嬉しそうに目を閉じて俺の肩に顔を擦りつけながら言った。貴様はマーキングする猫か?

「こんなふうに二人っきりで旅行するの、ちょっとした夢だったんですー」

「二人っきりの旅ではないだろう。二十日先輩や京島たちもいる」

 そこまで言って気付いた。まさか、こいつ、俺と二人きりになる為に、わざと遅れたわけではあるまいな? もし、そうだったとしたら制裁ものだぞ。タダではすまさんぞ。

 横の絹坂を睨むと、何を考えているのか絹坂はニコリと笑った。

「何だ?」

「何ですか?」

「何を笑っておる?」

「先輩と一緒に電車に揺られながら、のんびりしていられるのが嬉しいんですー」

 絹坂は、何とも言い難い微笑を浮かべ、真っ直ぐ俺を見上げてくる。

 俺は何にも言えず黙って流れ行く外の景色を見た。真夏のコンクリートジャングルは糞暑そうである。

 あそこから脱出できるだけでも良いではないか。俺はそう思うことにした。

「先輩の肩痛いですー」

「じゃあ、頭避けろ。重い」

「やですー」

「てか、いい加減止めれ! 恥ずかしい!」

「車内で怒鳴る先輩の方が恥ずかしいですー」

「何だと!? 貴様! 偉そうにほざきおって!」

「お客様。他のお客様のご迷惑となりますので、お静かに願います」

 いつの間にか側にいた車掌らしき制服姿のおっさんが穏やかな口調で「うるせー。黙れ」と言った。

「……すみません」


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