厄病女神一行、電車に突撃す
「絹坂! 柚子! 急げ! もっと走れ!」
「あうー! 先輩、待ってらださいー!」
「うあー! 僕、もう限界だよー」
「ぐだぐだ喋ってる暇があったら足を動かせこのすっとこどっこいの亀野郎!」
俺は後ろを振り向きながらノロマな二人を罵倒した。
そのノロマ二人はもうふらふらだ。何とか何とか走っている状態のようだ。しかし、ここで走らなければ後々面倒なことになる。学校の徒競走では走らんでも良いが、こういう時は走れ。
かく言う俺もそろそろへばってきている。元来、俺も運動嫌いの体力少なめ人間なのだ。後10分走れるかどうかが俺の限界だ。荷物も地味に重く、俺の体力を奪い去る。
「後輩たちよ! 大丈夫か!?」
先頭と行く二十日先輩が叫ぶ。この人はまだまだ元気そうだ。彼女のすぐ後ろに付けた京島姉弟も平気そうだ。三人はノロマどもの荷物も持っているのに、元気なことだ。おそらく、これが運動神経持つ者と持たざる者の違いであろう。
今、俺たちが真夏の真昼間にどてばた走っているのには、それ相応の理由がある。俺たちは理由もなくそんなことをしてシャツと下着を汗まみれにするような酔狂な馬鹿じゃあない。
じゃあ、お前ら何やってんだと言われれば、馬鹿やってるとしか言いようがない。
このやたら疲れる事態になった原因は多々ある。
まず、予定外の柚子や京島姉弟の参加で5分。
駅まで行く途中で二十日先輩が部屋の鍵を閉め忘れたことに気付いて引き返したせいで10分。
道中、やたら暑く、やむなく途中のコンビニで休憩。その際、絹坂がジュースを選ぶのにまごまごと迷った結果10分。
絹坂が落とした帽子が飛んでって、それを捕まえてくるのに1分。
全員、ジュースを飲み干したせいで尿意に襲われた結果、駅の便所に立ち寄ることになり10分。
二十日先輩が腹減ったとごねるので軽食を買ってきて食らい20分。
さて、先程から、表示されている単位が分の数字は何か? 予定時刻から遅れた分数である。
合計しよう。小学校並みの算数だ。簡単であろう? 56分だ。一時間近いな。
しかし、こういった旅行の予定というのはもしもの為に余分な分数を加算して設定されているものである。
今回の旅行は二十日先輩が持ち込んだ計画であり、泊まる先は彼女の彼氏である鳴嶋先輩の実家である為、計画の全ては二十日先輩によって企画されていた。俺たちは彼女の指示通りに行動するだけで旅館に行けるという寸法である。
「ところで先輩」
「んー?」
二十日先輩は梅おにぎりを齧りながら唸った。
「電車の時間は何時ですか?」
「10時3分!」
二十日先輩は胸を張って言った。
「忘れてないよー。ちゃんと覚えてるよー。そこまで阿呆じゃないしー」
そう言って彼女は笑った。
「…………今、何時だか分かってます?」
「ん? 何時?」
二十日先輩はきょとんとした顔で言い、おにぎりの欠片を口の中に放り込んだ。もぐもぐ。
「……9時58分ですよ」
「……ありゃ?」
沈黙。
「この糞阿呆がぁっ!!」
それから俺たちは猛ダッシュだ。駅構内を走る走る。
もう金輪際、二十日先輩に旅行の企画はやらせん! 結局、大変なことになるのは俺たちなのだからな。
ホームには既に俺たちが乗る予定の列車が停車していた。あれを乗り過ごすと一時間余分に待つことになる。
俺たちは走りながら、それぞれ目的地までの切符を買ったら、順次改札を通って、列車に突撃。乗れなかった阿呆は一時間後の奴に乗るという確認を行った。遅れた者を切り捨てるという市場原理にも似た酷い話ではあるが、致し方ないことだ。
まず、二十日先輩、京島姉弟が首尾よく切符を手に入れ、改札を通り抜けていく。彼らは問題なし。
「くぉらぁっ! 柚子! 休むな! 早く切符を買え! 絹坂! 何をしている!?」
俺は買ったばかりの切符を手にしながら、喉が痛くなるほどの大声で怒鳴る。
しかし、こいつらは本当にどん臭いな! 柚子は階段上ったり下りたりしたとはいえ駅構内を数百メートル走っただけで、もう疲れ切っているの様子。絹坂は、
「お財布がない! お財布がない! お財布ー!」
と、悲鳴を上げながら一生懸命に鞄を漁っている。
「馬鹿! 財布はポケットに入れておけ!」
俺が怒鳴ると絹坂は泣きそうな顔で叫んだ。
「だって、このワンピ、ポケット無いんですもん!」
もんじゃねえ! 涙浮かべたって許すものか!
「そんなもんを着るな!」
「だって! これ可愛いんだもん! お気に入りなんですー!」
絹坂は泣きそうな顔で抗議した。くそう。何だか責め辛い。こらだから、女の扱いは面倒臭い。
「おーい、2人ともー。痴話喧嘩してる暇ないよー」
いつの間にか、ちゃっかり切符を購入して改札を通り抜けていた柚子が言った。
「先輩! 痴話喧嘩ですって!」
嬉しそうに叫ぶ絹坂。お前は黙って財布を探してろ!
「痴話喧嘩ではない! 貴様はさっさと行け!」
「言われなくても行くよー」
そう言い残して柚子はすたこらさっさと電車の方に走って行った。薄情な奴だな。一度も降り返らねえ。
「財布はまだか!?」
「発見しましたー!」
「早く切符を買え!」
「うー。買えたー!」
首尾よく切符を手に入れ、俺たちは改札に向かった。
同時に改札を通り抜けようとして、
「ぐあ!」
「ふあ!」
一つの改札口を同時に入ろうとしてぶつかった。
「お前! 右のに行くんじゃないのか!?」
「先輩こそ、左のに行くんじゃなかったんですか!?」
互いを非難し合いながら慌てて左右の改札口に入る。と、突然、絹坂が悲鳴を上げた。
「ああ! 改札機に逆さまに入れちゃいましたー!」
「ぬあぁんにをやっておるんだ貴様はぁっ!?」
俺が怒鳴った直後だった。ぱっと見た案内掲示板から俺たちが乗る予定の電車の名前が消えた。
「あー。行っちゃいましたねー。すいませーん! 駅員さーん! 切符を改札機に逆さまに入れてしまったんですけどー?」
呆然とする俺の後ろで絹坂がのん気に駅員を呼んでいた。まさか俺が乗れなかった阿呆に成り下がるとは……泣けてきそうだ。
「先輩。先輩。落ち込んでもしょーがないですよー? 誰にだって失敗はありますよー」
絹坂が爽やかにヘラヘラ笑いながら慰めるように言った。ほうほう。
「そんな生意気な台詞を吐き出すのはどの口だー?」
「あうー。へんふぁい、ほっへ引っふぁらないでくらふぁいー。いらいれふー」
「誰の失敗でこんなことになってんと思ってんだ!? この糞ボケめぇっ!」
「うひゃー! へんふぁい! ひらい! ひらいれふー!」
俺は絹坂のほっぺたを引っ張りまくってやる。罪人には懲罰を!
「こんの馬鹿たれー!」
「ほめんなひゃいー!」
駅構内に怒声と悲鳴が響き渡った
次話でようやく電車に乗ります。
一体、いつになったら伊豆に着くのか?