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厄病女神、先輩と手打ちす

 真っ白。

 光り輝くほど白い。何者も汚していない処女雪のように白い。俺の顔を映すほどだ。

 俺はこの純潔なる白をこれから汚すことになる。俺にとって望まぬことであるが、しかし、汚さねばならない状況に俺はあるのだ。そうしなければ俺が大変なことになってしまう。

 この訳分からない言葉の羅列は何かといえば、つまりは、単純なことだ。

「うぷっ」

 込み上げてきた。酸っぱくて苦い例の味と臭いが喉にまでやってきている。あー、嫌だ嫌だ。

「××××××」

 前も記述したが、もう一度、言っておく。この×の連続はゲロを吐き出す音だ。伏字にしたのは俺の優しさだ。諸君もそんな音を聞きたくあるまい?

 暫し、俺はゲロゲロと吐き出しては、ぜーぜー荒く臭い息をし、またゲーゲー吐き出していた。

 俺がこのようにゲーゲーやっている理由は、毎度のことながら、酒を飲みまくった為である。

 夏休みになってから吐くことが増えた気がする。もう3回? 4回か?


 俺が今日も懲りずに阿呆みたいに嘔吐しているのを見て、諸君は、

「またかよ。この馬鹿。酒飲んで吐くんなら酒飲むんじゃねえ」

 と、言いたいかもしれない。それは尤もなことだ。

 しかし、ここで、俺は諸君に誤解されないように、言っておかなければなるまい。俺は酒に弱いわけではない。どちらかといえば強い方だと言っておく。

 それでも、吐いてしまうのは、つまり、吐くほど飲んでしまうからに他ならない。

 諸君、待ちたまえ。俺を馬鹿と称するには、まだ早い。

 いいかね? 男には飲まなきゃやってやれんという時もあるのだ。昨日はその、飲まなきゃやってやれん日だったのだ。

 昨日の夕方、絹坂に突然の告白をされてしまった俺は、

「好きだとは言われたが、付き合えとは言われていないので、答える必要は無い」

 という詭弁で一旦は逃げることに成功した。

 しかし、そんな阿呆な演説で簡単に逃がしてくれるほど絹坂は生温い奴ではない。というかマヌケじゃない。すぐ俺に「付き合え」と迫ってきた。俺はそれから逃げるべく居酒屋に駆け込み、絶えず酒を飲み、飯を食い、絹坂の言葉に一切耳を貸さないようにした。

 この作戦は上手くいき、結局、俺は絹坂に、

「付き合うのか付き合わないのかハッキリしろ」

 と、言われないで済んだわけだ。

 その代償として今、ゲーゲーする羽目になっている。

「おぉっ!」

 吐き出した後の真っ白だったもの―つまり、便器を見て、思わず感嘆の声が出た。

 吃驚するくらいの反吐の量だ……。

「……そんなことに心動かされるとは、俺はガキか?」

 俺はぶつぶつ文句を呟きながら便所を出た。

「先輩」

「むお」

 便所のすぐ外に絹坂が立っていて、俺は少し驚いた。驚いて変な声を出してしまったではないか。

 まさか、こいつ、こんな便所の前で俺に交際を迫る気か? 反吐したばっかの奴相手にか? ムードも情緒もないぞ。俺、今、息臭いし。

「ちょっと……」

 俺はじりじりと便所にバックした。口内を洗浄したいが、今は絹坂から退避する方が先だ。

「待って下さい」

 絹坂が俺を捕まえる前に俺は便所内に引っ込んだ。天岩戸みたいなもんだな。


 暫しの間、俺は天岩戸から出たり引っ込んだりを繰り返し、その度に、便所前に控えている絹坂は俺を捕まえて何か言おうとしたりを繰り返していた。便所の外からも何か言っていたが、聞かないようにしていた。

「先輩! いい加減、話を聞いてください!」

「……何の用だ?」

 絹坂が怒鳴ってきたので、少し話を聞いてやることにする。ていうか、そろそろ、便所から外に出たい。

「限界です」

「何がだ?」

「……トイレ行きたいんです」

 珍しく恥ずかしそうな消え入るような声だ。成る程。排泄活動か。そりゃ我慢できんな。

 そこでピーンと悪い考えが思いついた。人の生理活動の限界を利用する悪魔の如き所業である。

「つまるところ、さっさと便器を譲れと言いたいのだな?」

「……はい」

 便座に座った俺はニヤリとあくどい笑みを浮かべる。何だか、変態みたいなのですぐに黒い笑みを引っ込める。

「譲ってやらんでもない。もう出る予定のものはないからな」

「じゃあ、早くトイレから出てきてくださいよー。二十日さんのところに行って借りてこようかなー」

 絹坂がぶちぶち言い出した。そいつは困る。せっかく手に入れた有利な状況をむざむざ手放してなるものか。

「二十日先輩はこの時間寝てる。あの人は太陽が一定の高さに至らぬ限り起きんぞ。あと、お前が外出たらお前の荷物放り出して二度とうちの部屋に入れないようにしてやる」

「うー、酷いですー」

 このように牽制しておく。これで絹坂の逃げ道は無くなった。

「この便座を譲ってやる代わりに条件がある」

「……何ですか?」

「交際を迫ってくるな」

 絹坂が不満そうに唸る声が聞こえてきた。

「何でですかー?」

「男女交際をする気がないからだ。これは、お前に限らず誰ともという意味でだ」

 また唸り声。不満なようだ。まあ、そりゃそうか。

「お前がそういった話題を出さないと確約するならば、便座を明け渡そうではないか」

「むー。先輩、卑怯ですー」

 そう言って絹坂は便所のドアをばんばん叩く。

「昔からそうだろ」

「それはそうですけどー」

 しれっと言ってやると、絹坂は躊躇なく肯定する。まあ、高校時代の一年間、俺の隣で卑怯な悪行の数々を見ていれば、分かりたくなくても分かることだ。

「で? 答えは如何に?」

「むーん……」

 絹坂は悩んでいるようだ。無理にゴリ押しして俺に交際するか否かという回答を得る代わりに廊下で漏らすか? 今のままの生温ーい同居人関係を維持しつつ便所に入るか?

「分かりましたー。まだ様子見でいますー」

 うむ、賢明な判断だ。それでこそ、我が後輩だ。というか話が分かる奴で良かった。

 かくして俺は便所を明け渡して、口内洗浄に勤しみ、絹坂は思う存分に排泄活動ができたのであった。めでたしめでたしじゃあないか。

 面倒臭い決断を未来の俺に押し付けて逃げたとも言える。まあ、未来の俺よ頑張ってくれ。今の俺にはこれが限界なのだよ。

「先輩ー! 紙がありませんよー!」

 便所から絹坂の悲鳴が聞こえてきた。うちでは買い置きのトイレットペーパーは便所に置くようにしている。便所にいる絹坂が無いと言うならば、この部屋には無いということだろう。絹坂は便所に入れないで難儀していたら、今度は便所から出れずに難儀するとはなあ。

「買ってくるから待ってろ」

 そう言って俺は財布を持った。

 やれやれ、体力気力ともにバッドコンディションだというのに面倒臭いことだ。


再び生温ーい関係に逆戻りです。

まだまだ、だらだらと生温く続いてまいります。

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