厄病女神と先輩は何処ぞへと出掛ける
「出掛けてくる。夕飯はいらん」
何だか夫婦の会話みたいで嫌だと思いながら、俺は言った。
「先輩、出掛けるんですかー?」
絹坂は食っていた煎餅を飲んでいたコーヒーカップに乗せて聞き返す。こいつはパンやら何やら、食べかけのものをコップやカップの上に置いておくことが多いのだ。そして、よくコーヒーと醤油味の煎餅を一緒に食えるな。
「うむ、ちょっと、友人どもに会ってくる」
「ふーん…。具合は良いんですかー?」
この前、俺は凄まじいくらいに具合を崩して二度も吐いたり、寝込んだりで大変だった。ついでに絹坂の過剰な看病で余計に大変だった。
一日で体の調子は動き回れる程度に回復したのだが、未だに機嫌と精神の調子は酷く悪い。
しかし、少しでも調子が悪いことを嗅ぎ取られては面倒臭いことになる。また、あの苦闘の看病され生活に逆戻りだ。あんなんは一日で限界だ。
よって、こう答える。
「すこぶる良い。気分も晴れやかだ」
「そですか。なら、良いです」
言葉とは裏腹に絹坂は少し残念そうだ。まだ、世話したいらしい。危ないことだ。
「……お前、何やってんだ?」
外出前にちょっとトイレに寄ってから出た俺は不機嫌に呟いた。
「外出の仕度できましたー」
何処にあったのか、何やら可愛らしいワンピースを着て、白い幅広帽子と小さい鞄を持っている。お洒落じゃないか。まるで、これから何処かに出掛けて誰かに会おうかという格好ではないか。
「……どっか行くのか?」
「先輩も出掛けるんでしょう?」
不機嫌に言ったら、そう聞き返された。俺の質問を無視するな。
しかし、俺は大人なので、先に絹坂の質問に答えてやる。
「む、出掛けると、さっき言っただろ」
「私も出掛けるんです」
「何処にだ?」
何だか酷く嫌な予感がするので問い詰めてみる。
「何処に出掛けるか、一々先輩に報告しないとダメなんですかー?」
絹坂は小首傾げて尋ねた。
「あー…、そーいうわけではないが……」
そんな言い方をしたら、まるで俺が絹坂を束縛しているようではないか。そんなふうに思われるのは甚だ遺憾である。
「……まあ、勝手に出掛けるがいい」
こうとしか言いようがあるまい。
「はいー」
絹坂はへろんとした顔でのん気に答えた。何とも無防備で何も考えてなさそうな顔だが、考えてみれば、これに何度も騙されているような気がしなくもない。こいつ、思っているよりも狡猾な奴かもしれんな。
今回、俺が出掛ける目的は友人どもに会う為だ。その友人というのは大学の学友のことではない。高校時代の友人のことだ。そして、クラスの級友どもでもない。我が友人というのは俺が高校時代に属していた組織の同志たちのことだ。
会合場所はうちの大学の近所にある全国チェーンのファミレスだ。我が住居から歩いて20分とかからぬ場所にある。
金が無い苦学生である俺は、当然、そこまでとことこ徒歩で行くのだが、
「暑い。暑すぎる。暑くて死にそうだ。その前に太陽を殺してやりたい……」
俺は暑さと太陽に毒づきながらコンクリートジャングルを闊歩する。
暫く歩いてから、さっと振り返る。
何者かが慌てた様子でコンビニに飛び込んだのを俺は確かに見た。ひらひらしたスカートと白い帽子を覚えている。
何者か何となく分かる。絶対、絹坂だ。付いて来られると非常に厄介なので、叱りつけようとコンビニに入ると絹坂らしき奴はトイレに逃げ込んでしまった。
「うーむ」
まさか、白昼のコンビニでトイレのドアを叩いて、
「こらー! ちょっくら出て来いやー!」
などと、怒鳴るわけにもいかん。そんなことしては警察を呼ばれてしまう。
俺は悩んだ末、渋々とコンビニを後にする。
そんなことを繰り返しながら目的地まで移動したので、無意味に時間がかかってしまった。
絹坂らしき人影は振り返る度に姿を隠し、追いかける度に、逃げ隠れするので、捕捉して叱りつけることができなかった。
きっと、奴の思惑は、俺と一緒に我が友人たちに会うつもりなのだろう。
しかし、俺は何としても絹坂を追い返したいのだ。何せ、奴は厄病女神。奴は自覚あろうがなかろうが絶対に厄介事を呼び込むに違いないのだ。
しかも、我が友人たちときたら、そーいうチャラけた騒ぎが大好物なのだ。俺が絹坂を連れて行ってみろ。何を言われるか分かったもんじゃない。
故に俺は何とか目的地であるところのファミレスに到着するまでの間に絹坂を捕まえて、くれぐれも俺の側に近付かないことを厳重に申し付けたかったのだ。
「しかし、もうファミレスに着いてしまった」
しかも、約束の集合時間を少しばかり過ぎている。俺は約束事はしっかりと守る人間である。約束の時間に遅れることは俺としては望むべきことではない。
だが、この近辺に潜伏しているであろう厄病女神を野放しにするというのも、避けたいことである。
「どーしたものか?」
俺はファミレスの玄関先で思案に暮れていた。
傍から見ると怪しい人間に見えたかもしれんな。
「委員長ー。久しぶりー」
後ろから声を掛けられた。振り返ると、そこにいたのは、柔和な顔つきで小太りの若い男だ。
彼こそが俺が今回会う予定の友人どもの一人だ。
「七福神か。久しぶりだな」
小太りの男は、苦笑した。
「まだ、その名前で呼ぶのかー?」
彼の名前は七飯福男という。その福福しい容姿と名前から、俺たちは彼のことを七福神と呼ぶことがあった。
「それで、委員長さー」
七飯は人懐っこく笑いながら、俺に話し掛ける。委員長というのは、俺の組織での役職名で、我が友人たちの間では、そう呼ばれることが多い。
「中入らないの? もう、待ち合わせの時間だろー?」
彼に言われ、俺は渋々とファミレスに入った。厄病女神が押し掛けて来ないよう祈りながら。
ファミレス内を捜索した結果、我が友人どもは、まだ二人しか来ていなかった。
「やー、委員長ー。七福神。お久ー」
「お二人とも変わりませんね」
席に着いてドリンクバーを飲み干していた二人は、俺たちを見つけて親しげに話し掛けてきた。
一人は、セミロングの茶色い髪で大きな瞳の若い女。
もう一人は、小柄で痩せていて、顔色が悪い若い男。
「一年半で、そんなに変わるわけがあるまい」
俺は不機嫌な顔で言い、席に着いて、ドリンクバーを注文した。七福神も同じく。
「委員長。大学どーさ?」
この中で唯一の女である蓮延鈴子は何が楽しいのかニッコニッコと笑いながら尋ねてきた。別に特に何か楽しいことがあるわけではないのだろう。ただ、いつもヘラヘラ笑っているのが、こいつの標準表情なのだ。いつもしかめ面の俺とは正反対だ。
「変人な教授に扱き使われとる」
「あはは、君が変人って言うなんて、余程変わってるんだねー?」
人の気も知らんで、蓮延はけらけらと笑う。
その隣で静かに烏龍茶を飲んでいる小柄で不健康そうな男は、名前を町井公彦という。こいつは、いつも静かで、必要なこと以外は何も喋らんから、これで普通だ。
「まだ来ていないのは、いつもの二人か……」
俺は不機嫌に呟く。いつも不機嫌そうな面をしている俺だが、今は本当に不機嫌だ。約束の時間に参上しないとは、どーいうわけだ?
暫く俺たちはドリンクバーだけをお供にどーでもいい近況を話し合ったり雑談をしたりした。
蓮延は一昨年、見事大学受験に失敗して爆散したのだが、すぐに気を取り直して、去年国家公務員試験を受けて、今度は無事合格・採用され、今は公僕をやっているそうだ。
「貰った金を全部自分の為に使えるのは気分が良いよ! あはははは!」
と、彼女は快活に笑う。
七飯は実家である和菓子屋を継ぐべく修行中であるそうだ。彼が手土産に持って参った彼お手製なる和菓子は、まま美味いものであった。
「でも、ファミレスに食べ物持ち込んで食べていいのかなー?」
と、彼は気にする。しかし、他三名は気にしないで、もりもりと食う。
町井は我が国の首都にある超難関大学に入学し、何が楽しいのか法律を勉強しているらしく、今に司法試験を受けて法曹になる予定らしい。
「まあ、頑張りますよ」
と、彼は物静かに述べる。こいつならば、あっさり受かりそうだと我々は嫉妬する。
「委員長はどーなのさ?」
「俺は何もない。そこの大学に通いつつ、本屋でバイトして暮らしてる」
「ふーん、何か変わったことはないの?」
そう言われて、脳裏に絹坂のことが凄い勢いで浮上してきたが、無理矢理、沈めてやって、平静な顔で答える。
「何もない」
「何もないことはないでしょう」
その声がした俺の背後に皆の視線が集中する。鋭い目つきをした黒いショートカットの若い女だ。こいつも我が友人で、薄村沙希という冗談みたいな名前の奴だ。
「お前、遅刻だぞ」
「知ってます。ドリンクバー一つ」
薄村もやっぱりドリンクバーを注文して席に着いた。
彼女は俺と同じ大学に通っているはずなのだが、理系の生物学を専攻していて、根っから文系人間の俺とはあまり顔を合わす機会がない。学んでいる場所が正反対の位置にあるのだ。
薄村は鋭い瞳で俺を見やった。
「委員長。何だか面白いことになっているようではないですか」
「何のことだ?」
俺の不機嫌顔は一層不機嫌そうにしかめられる。
「少し前、七月の終わりくらいに大学近くの河川敷で面白いことをしていたじゃないですか」
俺は記憶の糸を辿り寄せることもなくすぐに思い出した。あれだ。京島弟と絹坂を巡る対決をしたことじゃあないか。それ以外には河川敷なんぞという何もない所には近付いていない。
あの時、堤防にはかなりの数の大学関係者が鈴なりになって俺たちの馬鹿らしい一連の流れを見物していた。まさか、あの中に薄村がいたといういうのか?
「あの時の委員長の演説は良かったですね。よくもあれだけの詭弁がすらすらと出るものです。思わず拍手してしまいました」
いたらしい。
「ついでに勝負の方法で困っていらっしゃったようなので、その方策を教えて差し上げたのも私です」
あれは薄村の仕業だったのか? あの、絹坂の良いところを多く挙げられた方が勝ちという珍妙な勝負方法を提案したのは。
「貴様のせいで俺はあんな恥ずかしいことに……」
じわじわと怒りが込み上げてくる。クールにメロンソーダを飲んでいる貴様の顔に、このアイスコーヒーをぶっかけてやろうか?
「おーい! 皆ー! 遅れてごめーん!」
そこへ爽やか風にやってきた草田。こいつは我が学友であり、高校時代の友人でもあるのだ。
そいつは一人の少女を連れていた。
「この子、覚えてるか!? 委員長にくっついて回ってた子で、驚いたことに、今、同棲中なんだぜ!」
草田は絹坂を連れてきていた。にこっと笑ってピースする絹坂。
俺は草田の阿呆面にアイスコーヒーを氷ごとぶちまけた。
続きます。
続く話多くて申し訳ない。