厄病女神、先輩を世話する
俺はその日、一日の間、安静にすることを絹坂に命じられた。何故に、絹坂如きの命令に俺様が従わねばならんのかと抗議した俺であるが、
「病人は黙って世話になってろ………て、私が夏風邪ひいた時、先輩が言いました」
と、言われては閉口せざるをえない。何せ、今、俺はれっきとした病人なのだ。病人は黙って世話になってなければならん。それは過去の俺が言ったことだ。過去の俺め。余計なことを言いおって。
そういったわけで俺はベッドに横になりながら、ひたすら寒気と冷や汗の気持ち悪さに耐え続けていた。本を読む気もなれず。ただただ寝たり起きたりを繰り返しているだけだ。物凄く時間の無駄遣いをしているような気がするが止むを得ないことだ。
全く不甲斐ないばかり。
暫くそんなことをしていると、何だか、腹が減ったような気分になった。まあ、二度も胃の中のもんを吐き出せば腹が空いているのは当然かもしれん。しかし、あまり、食欲はなかった。
「先輩ー。お腹は減っていませんかー?」
ちょうどその時、絹坂がやってきて、そんなことを言った。まるで俺の思考を読み取っていたかのような登場だ。
「う、うむ、少し減った気がする」
「では、軽く食事しましょう」
絹坂は妙に嬉しそうに微笑みながら言った。何故か嫌な予感がする。ただ、飯を食うだけのはずなのに。
「おじやを作りましたー」
絹坂はいそいそと土鍋を持って来た。
「できたてで熱いから冷ましましょう」
「それくらい分かる。俺はガキじゃねえぞ」
俺は絹坂の表情と言葉と行動から、ひしひしと嫌な予感を嗅ぎ取っていた。
「ふーふーふー。はい、あーんしてくださーい」
「やっぱり、それか!?」
絹坂の行動に俺は叫んだ。
絹坂の行動とは、つまり、一々、説明するまでもないことだと思うが、おじやをスプーンですくって息を吹きかけ、俺の口元に突きつけるという一連の行動である。よくあるべ。こーいうの。ラブコメとかで。
「止めれ。自分で食える。俺は介護老人ではない」
「えー。だって、先輩だって、私に食べさせてくれたじゃないですかー?」
絹坂は不満そうな顔で言った。
「それは、お前が無理矢理やらせたんだろーが!?」
諸君は覚えていることだろう。絹坂が夏風邪をひいた日に、俺が作ってやったおじやを、食わせてくれないと食えんとゴネた結果、渋々と俺が絹坂におじやを食わせてやったことを。
「それを、私もやってあげますよー」
絹坂はさも良いことしてるな私的にニッコリ笑いながら言うのだ。馬鹿言うんじゃねえ。
「ふざけんな! 俺は、例え老人ホームに入ろうとも、飯くらいは自分で食う! それができなきゃ餓死する!」
人に食わせてもらうなんてことは神が許そうとも、俺の自尊心が許さんのだ。
「先輩は相変わらす大袈裟ですねー」
絹坂は困ったような口調で言い、困ったような目で俺を見る。困ってんのは俺だ。困らせてんのは貴様だ。
「仕方ありません」
そう言って彼女は真っ直ぐ俺を見た。何か吹っ切れたような、何かを決意したような顔で、俺の鼻を摘んだ。
「あにすらむ!?」
思わず怒鳴った俺の口に絹坂がスプーンを押し込む。何て強制的な飯の食わせ方だ!
俺の口からスプーンを引きずり出しつつ、可愛らしく首を傾げながら、絹坂は言った。
「美味しいですか?」
「こんな食わせ方で食わされた飯が美味いわけあるかあんむっ!?」
「美味しいですかー?」
俺はこんな方法で土鍋一杯のおじやを食わされた。息ができんわ苦しいわ恥ずかしいわで大変であった。泣きそうだ。
苦闘の末に飯を食い終えた俺はベッドでぐったりしていた。このまま、寝てしまおう。具合が悪い時は、そうするに限るのだ。
しかし、それを妨げる者が一人。
「先輩ー」
絹坂以外にいようか? いない。
「何だ? 海底二万マイルなら読まんでいいぞ。読んでくれんでも勝手に寝る。というか、迷惑だから読むな」
「分かってますよー。先輩が、煩い環境では寝れないことくらい知ってます」
知ってるんならば、毎夜毎夜、深夜ラジオを聴きながら勉強せんで欲しい。そのせいで、俺はこのところいつも寝不足気味なのだ。
「先輩。脱いでください」
「…………は?」
こいつ、何言ってんの?
頭が勝手に破廉恥な妄想を始めようとしたので、俺は自制心でそれ押さえ込みつつ、落ち着いた気持ちで絹坂に尋ねた。
「何て言った?」
「脱いでください」
「絹坂! 血迷ったか!? 落ち着くのだ! いくら、昨今の女子高校生の殆どが純潔をなくしているとはいえ、周りに流されて無理にそーいうことをせんでもいいのだぞ!? そーいうことをした奴が大人という考え自体が子供の思考であってだな?」
「先輩。そーいうことって、どーいうことですか?」
絹坂は首を傾げた。何つー国語能力の欠如した奴だ。俺に説明させる気か!?
「そーいうことってのは、つまり、男と女のーというか、貴様が今、しようとしていることだ!」
「………? 体拭くことが、そんなにイケナイことですかー?」
「そうだ! イケナイ……ことでもない…」
気が付けば、絹坂の手には白いタオルと俺の着替えやベッドのシーツがあるではないか。
うーむ、うっかりさんだなー。
「先輩…。何、想像してたんですかー?」
絹坂が何やら含み笑いをしながら近くに寄ってきた。う。やばい。
「い、いや、別に、何も……」
「ふーん? 嘘下手ですねー」
俺は嘘下手ではない。ここで吐くべき嘘など思いつかないのだ。誰だってそうだ。ここで前の俺の台詞を明確に打ち消せる言い訳を言える者は前へ! 俺と代わってくれ!
「まあ、先輩が何を想像してたかは聞きません」
助かった。絹坂は俺と違って優しい奴だからな。ここは褒めるべき点だ。
「それよりも、今は、先輩の体を拭かなくてはいけません」
助かってなかった!
「さあ、服を全部脱いでくださーい」
絹坂は小学校低学年のガキに向かって使うような口調で言いやがった。俺を誰だと思ってやがる? 貴様よりも年上であるし、この自尊心の高さは県下随一と名高い……。
「誰だろーと病人に変わりありません」
そう言われては黙るしかない。
しかも、先ほどの勘違い発言で、俺の発言力は著しく低下していて、表立っての抵抗もしにくい状況だ。ピンチ!
「大体! 私の裸だって見たじゃないですかー!」
「あ! あれだって、貴様が半ば強制的に! しかも! 俺は背中しか見ていないぞ!」
絹坂の言葉に俺は布団の中から猛反論する。ここが唯一の反撃のチャンスだ
「むー!」
絹坂は不機嫌そうに頬を膨らませた。勝ったか?
「えい!」
絹坂はあっという間に俺が包まっていた布団やタオルケットを取り去ってしまった。ベッドの上に横たわるのは俺の身ただ一つのみ。逃げ場はない。てか、寒い。だるい。俺の気力体力は急速に低下していく。
「……絹坂や…寒い…」
「汗で濡れまくってるじゃないですかー。着替えないと! 体を拭かないと!」
ふるふると震える弱弱しい俺を見下ろす絹坂は嬉々とした表情で言った。この鬼め。
「さあ! 脱いでください!」
「む、無理……女の前で肌など晒せるものか……」
腰に手を当てて宣告する絹坂。弱弱しく首を左右に振る俺。
「そんな器の小さいこと言わんでください! もう! 私が脱がせますよ!」
「あー! 止めー…」
という俺の制止の声も虚しく、哀れな俺はパンツ一丁にされてしまった。何でパンツって一丁っていうのかねー?
「パンツも脱いでくれた方が……」
「それだけは勘弁してくれ! そんなことされたら死ぬ!」
「大袈裟ですねー」
絹坂は呆れた風に苦笑した。すげームカつく。
「あんまり裸でいては逆に冷えてしまいますから、手早くさっさと拭きましょう」
「自分でできる……」
「いいから! 大人しく寝ててください!」
絹坂に叱り付けられ、俺は大人しく寝ている羽目になった。ただでさえ、具合が悪いのに、さっき、散々言い合ったせいで、なけなしの体力気力も使い果たし、最早、俺には抵抗する力など残されてはいないのだ。
俺は絹坂のなすがまま無抵抗に体を拭かれた。可哀相な俺。
「おい! 体をくっつけすぎだぞ! こら、そこはいい! 痛い! 強く拭き過ぎだ! もっと離れろ!」
「煩い病人ですねー」
読者数が10000を超えましたー。
まことに嬉しい限りで御座います。
私如きの雑文に付き合って頂いている読者皆様に改めまして感謝致します。
これからも、厄病女神にお付き合い願いたい所存で御座います。