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厄病女神、七夕を祝う

「先輩、七夕です」

 絹坂は笹の茂った竹を手にして言った。

 バイトから帰ってくると、玄関近くに絹坂が立っていて、俺を見るなり、こんなことを口走った。それが今の状況だ。

 俺は顔をしかめさせてカレンダーを見た。今日は八月七日か。

「七夕って七月ではなかったか?」

 地方によっては旧暦である八月に祝う地もあると聞いたことがあるが、今、俺のいる地域も地元も七夕は七月だったはずだ。

 何故に、いきなり、絹坂が八月七日の今日に七夕を祝いだすのか皆目不明である。

 そして、その笹竹は何処から持ってきた?

「そんな細かいことは気にしないでくださいよー」

 そうは言われても、俺は一々細かいことが気になる人間なのだ。

「いーや、細かいことを気にする。まず、その笹はどっから持ってきた?」

「ほら、先輩、この前、一緒に公園行ったじゃないですか?」

 俺の問に対し、絹坂はまったく頓珍漢なことを言い出した。まあ、まだ言っている意味が分かるのが幸いだ。この前、行った公園というのは、春日台公園のことだろう。

「ああ、行ったな。それと、この笹に何か関係あるのか? あ、まさか、それ、公園のか!?」

「はい、公園の一部に竹林があって、そこから程よいものを刈ってきました」

 絹坂は平然としたほざきやがる。公園の動植物を勝手に採取するのは犯罪でなかったか?

 俺は何かに縛られるのが嫌いな人間であるが、だからといって法律を蔑ろにするようなことはしない常識的で正しき思考と言動をする真人間だ。法令に違反するようなことは、なるたけ避けたいのだ。

 ………諸君。疑わしい目で俺を見ていまいな? 確かに、俺は多少偏屈で変わった思考言動をしているかもしれんが、これでも、まだ常識的で正しき思考と言動の真人間という枠からは外れていまい。……いないのだ! 文句は受け付けん!

 俺は、絹坂の行為は犯罪にあたる可能性があり、世間的に褒められる所業ではないことだと諭してやった。

「うーん、でも、もう、持って来ちゃいましたしー」

 俺の長い言葉を聴き終えた絹坂は何の反省もない顔で言った。

「そーじゃなくてな?」

 俺はもう一度、この分からず屋で躾のなっていない後輩に本格的説教をしてやろうと息を吸った。

「じゃあ、これを公園に返しに行きますか? 私は行きませんから」

 ただの息を音もなく吐き出した。

「先輩、行ってくれます?」

 首を振る俺。

「七夕を祝いましょー」

 絹坂は笹竹を掲げ持ちてけてけてんてんと楽しげに踊りだした。何だこの踊り。微妙に可愛いぞ。


「はい。先輩」

 夕飯のカレーライスを食い終えた俺に絹坂は一枚の紙切れを突きつけた。

 これが何だとは聞かなかった。聞かんでも分かる。馬鹿でも阿呆でも猿でも犬でも分かる。

「短冊か…」

「はい。これにお願い事を書いて織姫さんと彦星さんに叶えてもらうんです」

 絹坂はとっても嬉しそうに言った。小学生もかくやというほどの嬉さっぷりだ。

「やれやれ」

 俺はしかめ面で短冊を受け取った。短冊は色画用紙で作られているようで、色は紫だった。上らへんに小さな穴が開いていてわっか紐が通してある。

「短冊ねー」

 テーブルの上には絹坂お手製の短冊が30くらい乗っている。赤、青、緑、黄色、桃色などなど。短冊は色とりどりだ。

 絹坂は私の前で桃色の短冊に何やら書き込んでいる。

 私は鼻を鳴らしてから、紫の短冊をテーブルに置いて、ペンを手に取った。たまには、こんな余興に付き合ってやっても良かろう。


 笹竹は居間の窓際に設置された。まあ、設置したといっても、斜めに立て掛けているだけだがね。

 その竹に俺は紫の短冊をかけた。

「世界平和………」

 絹坂が怪訝そうな顔で呟いた。何だ。その変なものを見るような目は?

「俺が短冊に世界平和と書いてはいかんか?」

「……似合わないです」

 俺が尋ねると絹坂は珍しく困惑したような顔で言った。

「ギャグ?」

「違う」

 失礼なことを言う奴だな。

「だって、先輩なんて自分さえ良ければ世界なんてどーでもいいみたいな思考…いた」

 極めて失礼なことをほざく絹坂の頭を軽く叩いてやる。

「良いか? よく聞け」

 こほんと咳を一つ。

「確かに、俺は俺が良ければ他の奴はどーでもいいみたいに思考する人間だ」

 ふんふんと頷く絹坂。まあ、本当は俺自身もどーでもいいのだがな。

「しかしだな? この世の中っていうのは個人だけじゃあ生きていけんのだ。人間はポリス的な生き物だと古代の哲学者の誰かさんも言っただろう? まさに、その通りなのだ。人間は社会の中でしか生きれんのだ。つまりだ。世界が平和でなければ俺も平和に過ごせんのだ」

 絹坂はふむふむと頷いた。

「さすが。先輩です」

 分かってくれたか。さすが、俺を慕う後輩なだけはあるな。

「これだけ、どーでもいーことを、そこまで説得力ある風に言うなんてー。痛い! 何で打つんですかー!?」

「ふん、黙れ」

 俺は不機嫌に鼻を鳴らした。

 ふと桃色の短冊が目に入る。さっき絹坂が飾ったやつだ。読んでやろう。

「………何じゃこれは?」

「私の願いことです」

 絹坂はニッコリ笑った。

「……こんなことを書くとは、恥ずい奴め」

「えへへー」

 絹坂は自慢げに嬉しげに笑った。

 短冊の内容など諸君に教える必要あるまい? 知りたい奴もおるまい。

「さ、先輩、二つだけじゃ寂しいですから、もっと飾りましょうよ!」

 絹坂は楽しげに言って願い事短冊を量産し始めた。

「もっと料理を上手に作れるようになって、先輩に美味しいって言ってもらいたい」

「無事、大学に合格して先輩と一緒のキャンパスライフを送りたい」

「先輩の部屋、ちょっと風通し良すぎるから、冬が心配です」

 これらの短冊が飾られていく。

「てか! 最後の願い事じゃねえぞ! そして、お前は冬もいる気か!?」

 冬休みも俺の部屋に寄生するのか!? 頼むから止めてくれ!

「あははー」

「笑って誤魔化すな!」

「まあまあ、先輩も書いて下さいよー」

 絹坂はヘラヘラ笑いながら短冊を押し付けてきた。うぅむ。仕方あるまいな。

 しかし、短冊に願い事を書くなど、小学校低学年ぶりだな。その頃は、総理大臣になるとか、せめて県知事になるとか、しょーもないことを書いた覚えがある。

 今ならば、そんな馬鹿らしいことを書くことはない。きちんと現実的かつ利益的なことを書く。

「家内安全」

「心身健康」

「将来安泰」

 よし、完璧。

「つまんない願い事ですねー」

 絹坂は何故か呆れたような目で俺の短冊を眺めた。失礼な。

「これと先の世界平和が揃えば言うこと無しであろう」

 俺が言うと、絹坂はふむふむと頷いて、暫し考え込んだ。

 それから、真っ直ぐ俺を見て言った。

「あと、もう一つ大事なのがあります」

「ほう」

 そう言って絹坂は桃色の短冊にさらさらっと書いて見せた。

「恋愛成就」

 顔をしかめる俺。

「人生においては恋愛も重要だ」

 絹坂は俺の口真似をして言った。

「そう思いません?」

 小首傾げて上目遣いで聞かれてもな。俺は何と答えるべきか脳内細胞の全てを総動員させたが、生憎と役立たずしかいなかったので、曖昧に頷かざるをえなかった。


 絹坂が風呂に入った隙に、俺は一つ短冊を付け加えた。

「この願い事全部は叶えんでいい。俺のと、絹坂の大学合格だけ叶えろ」

 頼むぞ。織姫彦星。

 余計な願い事叶えやがったら、ただじゃおかねえぞ。一等星だか恒星だか知らんが、無事で済むと思うな。


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