厄病女神を尾行してみる
絹坂はぽてぽて商店街を歩いている。今、彼女が歩いているのは善太郎書店も含む春日元商店街という何処の地域にも普通にありそうな何の変哲もない商店街だ。
俺は絹坂から十分に距離をとって後をつけている。
何故、俺はこんなことをしているか? 理由は単純。絹坂の行動に何となく興味を持っただけだ。他に何の理由もない。…何だ? 諸君、その目は? 本当だぞ。別に、ただ、不意にふっと沸いた好奇心でやっているだけなのだ!
ところで、好奇心猫を殺すという諺がある。
無闇な好奇心を出した猫は死んでしまうってことだな。今も俺の行動を指してそう言う奴がいるかもしれない。
しかし、言っておこう。それはない。俺は猫ではないし、絹坂に殺されるほどマヌケでもない。
よって、俺が好奇心を発揮して絹坂を尾行することには何の問題もないのである。
言っておくが、ストーカーではない。間違えないように!
高校時代に知ったことなのだが、絹坂は特徴的な歩き方をする。
普通、人間というものはまっすぐ歩くもんだ。健康な状態でちゃんと目を開けてる奴はまっすぐ歩くだろう。ちょっと窓から外を見るがいい。真っ直ぐ歩いてない奴は少ないだろう?
しかし、絹坂はまっすぐ歩くということが苦手な人間らしい。ふらーふらーっと右へ左へゆらゆら酔っ払いが運転する車の如く蛇行しながら移動する。
一度、そのことを言ってみたことがある。高校時代の話だ。
「絹坂、お前は、どーして、真っ直ぐ歩けんのか?」
そう問いただす俺に対し、絹坂は不思議そうな顔で俺を見上げて言った。
「何で真っ直ぐ歩かなきゃダメなんですか?」
予想もしていなかった驚くべき反論であった。何で真っ直ぐ歩かなければならないのか? 面と向かって言われると、ちょっと考えてしまうな。
「ふらふら歩いておったら人の邪魔になるではないか」
「向かいから歩いてくる人にぶつからないように歩いてますけど」
確かに、絹坂は前から来る人間を上手く避けながら、ふらふら右へ左へ蛇行移動をするのだ。何て言えばいいのか分からなくなり、俺はそれ以上、このことについて言及するのをやめた。
「しかし、気になる歩き方だ。何となくイライラする」
少し後ろから絹坂を見ながら俺は呟いた。
相変わらず絹坂は右へ左へふーらふらふらと自由気ままに蛇行しながら歩道を歩いている。
商店街を絹坂は右の肉屋を覗き、左の魚屋に立ち寄り、また右の文具屋を冷やかし、今度は左の床屋のおっちゃんと挨拶を交わし、と右へ左へ、ふらふらふらふら。
そんな意味不明で不愉快な移動を続ける絹坂を見ていて気付いたことがある。
こやつが、ここに来たのは初めてではないようであることだ。
行く店行く店のおっちゃんおばちゃんと親しげに挨拶を交わしているし、自他共に認めるミス春日元商店街である花屋の姉さんとは10分に渡って雑談をしていた。
初めて来たにしては商店街の人々と仲が良い。俺よりも良いだろうな。俺はあまりヒトとの交流を好む人間ではないので買い物はもっぱらショッピングモールや大型スーパー、コンビニで済ませているのだ。何か個人商店では買い物し辛い気がするからな。
絹坂は魚屋と八百屋でいくつか買い物をし、ふらふらふらふらしながら商店街を抜け出た。
しかし、これだけよく絹坂をよく見たのは初めてな気がする。
今まで、いつも絹坂は必ず俺の方を見ていて、勝手に視界に入ってきていた。見ようとしなくても見せられてきた。
それが、今回は俺が俺の意思で絹坂を見ているのだ。これはおそらく初めてだな。
何故、俺がこんなにも絹坂を見ようとしているのか? 何だかんだ理由を付けようと思えば付けれると思うし、俺の本心も何となく理解できている。だが、これは敢えて分からないままにする。しなければならないのだ。
俺は目的もなく近所をぶらぶらするということができない人間だ。
大学に行く時は最短ルートを使って真っ直ぐ大学に行くし、バイトに行く時も最短ルートを使って真っ直ぐ善太郎書店に行くし、買い物に行く時も最短ルートを使って真っ直ぐ目的地に行く。帰る時も最短ルートを使って真っ直ぐ住処に帰り着く。
これは移動だけに限らない。何かすべき時は、前もってその方法・手段を策定し、その策定した通りに淡々と粛々とこなしていく。
一部知人によれば、俺は「勿体無い生き方」「つまらない生き方」をしているらしい。そんなこと言われんでも分かってる。
そんな俺の行動指針と絹坂は全く正反対の行動方針を選択しているらしい。
最初、商店街から出た絹坂は、基本真っ直ぐ、我が住処に向けて、てけてけ歩いていたが、はたと立ち止まると、春日台公園という大きな公園に向かう遊歩道を見上げ、暫し、思案した後、てけてけと上り始めた。
この先に行ってどーしようというのか? 木製看板が指し示すとおり、公園しかないはずだ。まあ、俺も行ったことがないから分からんけどな。
わざと舗装されていない土剥き出しの遊歩道を歩いていく。蒸し暑い夏だが、遊歩道は木立に挟まれ上手く日陰になっていて、いくらか涼しい。なかなかに快適だ。
暫く上った先に、少し開けている所があった。古臭い二階建ての東屋がある。
絹坂は東屋を見上げてから、こっちを向いた。
「先輩ー! ストーカーごっこは楽しいですかー!?」
バレてたか。そりゃバレるな。
俺は不機嫌な顔で絹坂に歩み寄りながら答える。
「ストーカーごっこではない。将来、探偵になる時の為の予備訓練だ」
「先輩、将来、探偵になるんですか?」
絹坂は不思議そうな顔で首を傾げる。
「いや、ならん。買い物袋を寄越せ」
「えー、いいですよー」
「いいから、寄越せ」
絹坂の持っている買い物袋を奪うように持った。
「いつから気付いてた?」
何となく尋ねてみる。
「この公園に来る遊歩道を上る直前です。先輩がいるって気付いたから、こっち来てみたんです」
「何で俺が付いて来てると知ったら、ここに来るのだ?」
「2人っきりになれそうだったからです」
恥ずかしい台詞を吐く奴だ。そもそも、部屋ではいつも2人きりではないか。
気恥ずかしいので、何となく東屋を見上げてみる。
「大層でかい東屋だな」
絹坂も俺の横に並んで東屋を見上げた。
「そーですねー。何で二階建てにしたんでしょーね?」
「見晴らしが良いようにだろう」
何気なく答えると、絹坂は暫し考えてから、古い木の階段を上り始めた。
「上に行って見ましょう」
ガキじゃあるまいし。馬鹿は高い所が好きとも言うな。
「一人で行け。俺は帰るぞ」
「何ですかー。釣れない人ですねー」
絹坂は少し怒ったらしく俺を睨んだ。お前に睨まれるとは珍しいな。
「今更気付いたのか?」
睨まれても素っ気無い態度を崩さない俺。それが俺のスタンス。
「前から知ってますよー。いいから、来てくださいよー」
「嫌だ」
「むー」
絹坂はお馴染みの頬を膨らませる顔をした。おー、可愛いじゃないか。
「皆に先輩が私をストーカーしたって言い触らしますよー」
それは痛い。そんなことを言い触らされてしまった日にゃ、日の当たる所を歩けんではないか。
「仕方あるまい」
俺は渋々と絹坂の後に続いて階段を上った。
東屋の二階は展望台のようなものだった。背後は鬱蒼と茂った木々で、左右も高い木が邪魔してあまり見えないが、階段がある反対側は開けていて、町並みが一望できた。
「ちょっとでも上ると景色はいいもんですねー」
絹坂は手すりに身を預けながら言った。俺は彼女の斜め後ろ辺りに立って景色を眺める。
何の変哲もない。地方にしては大きな町並み。俺たちから見て近くは住宅街、遠くにいくつか高いビル。もっと遠くには幽かに工場の群れや海が見える。傾きかけた太陽の光は昼間よりも弱弱しい。西の空には白く月が見える。
「先輩」
「何だ?」
絹坂は振り向いた。
「風邪の看病ありがとうございました」
穏やかに微笑みながら言って、ぺこりと頭を下げた。
「病人の看護は人として当たり前のことだ」
俺は無愛想に答えた。
「私の我侭聞いてくれて嬉しかったです」
我侭だと自覚あったのか。ならば、自粛しろよな。
「あんな時くらいしか、出来ないと思ったから、思い切って我侭しちゃいました」
絹坂は悪戯っ子のように笑った。
その自覚もあったか。けしからん奴だ。
しかし、俺は怒鳴らなかった。顔をしかめて不機嫌さをアピールしただけだ。
絹坂の笑顔は小悪魔じみていたが、極めて魅力的に見えたからだ。あの愛らしい笑顔を前にして怒鳴ることができようか。
「買い物袋の中、見てください」
絹坂は穏やかに微笑みながら言った。
言われたとおりに買い物袋の中を見た。魚屋で買った刺身のパック、野菜、果物、本。
「刺身は、この時期、さっさと冷蔵庫に入れんと痛むぞ」
「知ってますよー。その中に大きな本ありますよね?」
本は三冊あった。少女漫画とライトノベルと大きなハードカバー。
「それ、あげます。看病してくれたお礼です」
「礼など…」
「いいから。あげますよ! 読んでください!」
そう言って絹坂はてけてけ走って東屋を降り、少し走ってから叫んだ。
「早く帰りましょー! 今日は先輩の大好きなお刺身なんですよー!」
俺たちの部屋に帰ることにするか。
先輩がやっていることは限りなく犯罪に近いですね。
でも、大丈夫。被害者が嫌がっていませんから、ストーカー防止法には引っ掛かりません……はずです。