厄病女神は本屋に行く
「いらっしゃいませー」
俺はサービス業にあるまじき無愛想な顔で入店してくる客に向けて言った。
前々から思うのだが、俺はいつもこんな接客業失格な態度でよくクビにならんものだ。
それは全て、ここの店主の器の大きさゆえだ。
その器の大きい雇い主こと大木善次郎氏は善太郎書店の二代目店主。御年52歳であられる。福福とした丸顔で、目は糸ミミズほども細く、大きな丸い鼻、中背でふくよかな体格の、良い人っぽい外見のおっさんである。
そして、見た目どおり、良い人である。
何せ、明らかに接客業失格な俺をバイト店員として雇いっぱなしなのだからな。
俺のバイト先である善太郎書店は50年余の歴史を誇る由緒正しき本屋である。先代店主であり善次郎氏の父上である故善太郎氏が創業なさった、この辺では最も古い本屋だ。
個人商店であるから、さして大きな店舗ではないが、品揃えは良く、注文されれば取り寄せもするので、結構、利用者が多い。俺もよくここで本を手に入れている。
この善太郎書店で働いている店員は全部で5人いる。
「スイマセーン。コレ、何処デスカー?」
後ろから片言の日本語で話しかけられた。
俺の後ろにいたのは身長2m近い黒人の大男だ。
「ああ、それは、そこに並べろ」
「ワカリマシタ。アリガトウ、ゴザイマス」
男は俺の指示に素直に従う。えーと、どっかアフリカの国から来たフィリップだ。どこだっけ?
「フィリップ。お前、ガーナ人だっけ?」
「……セネガル人デス。前モ、言イマシタ…」
フィリップは悲しそうな顔をした。すまんね。
客が会計にきたので、淡々と無愛想に会計をこなす。客は常連なので、
「こいつはこーいうもんだ」
と、既に知っているだろう。普通に、会計を済ませて店を出て行った。
「ありがとーございましたー」
相変わらずの態度で言う俺。やはり、俺は接客業に向いていないと思う。
店に客はいなくなった。平日の昼前という中途半端な時間だしな。
「ちょっと!」
高い声が店内に響く。耳がキーンとする高音だ。
「そんな無愛想な顔と声はダメって言ってるじゃないですか!?」
そう叫ぶのは、絹坂よりも、ちっさい娘っ子だ。長いツインテールで釣り目の少女。
「むー。そうは言っても、これが俺の基本表情だからな…」
「それでも! ちゃんと愛想良くしてください!」
少女はキーキーと小猿のように怒った。煩いなあ。
「ちょっと! お父さんも何とか言ってよ!」
「あー、うん、そーだねー」
彼女に叫ばれた善次郎氏は曖昧な感じに苦笑した。
「でも、まあ、いいじゃあないか。文絵」
善次郎氏は人のよさそうな温厚な顔で言った。さすがだ。器がでかい。甘いとも言う。
彼に文絵と呼ばれた少女は、彼の一人娘である。大学一年生。何と俺の一つ下の後輩である。見た目は中学生なんだがね。
「お父さんは、いっつもそーなんだから! お父さんは優しすぎるの! もっと厳しくしないと!」
「あ、あー、うーん、そーだねー」
娘の叱責に親父たじたじ。弱い父親だ。まあ、この家庭は早くに母親が亡くなったから、大木娘が奥さん代わりなのだろうな。
大木娘は暫く父親である善次郎氏にぶちぶちと文句を言っていたが、暫くして諦めたように溜息を吐いた。
「こらー! 静! 寝てんじゃない!」
しかし、すぐに怒声を飛ばす。
次のターゲットにされたのは二つあるレジの片方でバイト中にも関わらず、こっくりこっくり眠りかけていたショートヘアの少女だ。
「おい、三宅。怒られてるぞ」
俺が頭を突付いてやると三宅静は薄っすらと目を開いた。殆ど開いていないようにも見えるが、本人曰く、これで普通なんだとさ。
三宅は突付いた俺を見上げて、怒ってる大木娘を見て、少し考える風に首を傾げてから口を開いた。
「……寝てないよ?」
「思いっきり寝てたでしょーが!」
大木娘が怒鳴り、三宅は両耳に指を突っ込んでレジ台の下に潜り込む。
これが善太郎書店の日常だ。騒がしい店だなあ。
レジ業務はまったくもって俺の性に合っていないので、基本、俺は備品整理とか事務仕事が多い。ついでにフィリップも備品整理が多い。力持ちだし、こんなでかい黒人大男が会計やってたら客が引くからな。
「いらっしゃいませー」
俺が店の奥で備品整理をしていると、大木親子の声が聞こえてきた。客が来たらしい。
「うあっ!?」
何の気なしに、ひょいと見てみて、思わず変な声を出してしまった。
「何故に絹坂がここに……?」
善太郎書店に入ってきた客は誰あろう彼あろう。我が部屋に寄生中の厄病女神ではないか。
いつも通りの安っぽいTシャツにジーンズという格好だ。若い娘なんだから、も少し、まともなもんを買ってきて着りゃあいいのにとも思う。
ついにバイト先がバレたのか? 尾行されていたのに気付かなかったのか? 勘が鈍ったか? 俺は本棚の陰に隠れながら首を傾げる。
この前、夏風邪をひいた絹坂は二日寝込んだだけで全快し、今では以前と同じように生活している。夏風邪って長引くんじゃなかったんか? まあ、看病が短く済んで良かったんだがね。
そして、あの夜の出来事も全部バッチリ覚えてやがった。高熱で忘れなかった。恥ずかしいこと、この上ない!
いや、そんなこと、どーでもいい。いや、よくないが、今はいい。
俺は偵察活動を続行した。
絹坂は店内を本を眺めながらうろちょろ移動している。まあ、本屋なのだから、当たり前の行動だ。
む? まさか、ここが俺のバイト先と気付いていないのか? ただ、単に、純粋に本屋に寄ってみただけということか?
暫く観察して、俺は確信した。そーらしい。
絹坂は小説コーナーでハードカバーを立ち読みしたり、宗教・哲学書コーナーで難しい顔してみたり、科学書コーナーで首を傾げたり、参考書コーナーで苦い顔したり、漫画コーナーで漫画を手に取ったりしているだけだ。
「……先輩」
「んっ!?」
突然、後ろから話しかけられて、俺は不覚にも飛び上がりそうになるくらい驚いた。
後ろにいたのは三宅だった。お前、いつの間に、背後に回りこみおった?
「上がり時間…」
「む、むう。分かった」
俺はできるだけ小さな目立たない声で呟くように言って頷いた。
「……何してるの?」
三宅は不思議そうな顔で首を傾げた。
「ん、いや、何でもない」
慌てて否定するが、こいつはぼんやりしているように見えて、妙に勘のいいという面倒臭い奴であった。
「あの人がどーかした?」
三宅の視線の先にいるのは当然ながら絹坂。
「いや、別に、何でも」
「ふーん」
じーっと俺を見る三宅。何だ? 俺の顔に何か付いてるか?
暫く三宅は細っこい目で俺を見ていたが、やがて、飽きたのか、ぷらぷらと本棚の間を歩いて行った。あいつ、仕事してんのか?
とりあえず、俺は店の奥にある控え室で帰る仕度をしてから、店の様子を伺った。
ちょうど、絹坂は会計を済ませているところだった。遠くゆえ、あまりよくは見えんが、分厚い本と文庫、漫画を一冊ずつ買っているようだ。
「ありがとうございましたー」
大木親子の声に見送られて絹坂は善太郎書店を後にした。
この書店から我が住居に帰るには、店を出て左に曲がるのが普通である。そうしないと無駄に遠回りして帰るのに倍の時間がかかる。
しかし、絹坂は右に曲がった。
それを見て、俺は首を傾げる。
「絹坂よ。君は何処に向かおうというのか?」
俺は一人ぼそりと呟いた。
「あなたは、何をしているんですか?」
大木娘が呆れた顔で俺を見て言った。
「お客様が引いてます。帰るなら、さっさと帰ってください!」
むぅ。本棚の陰に隠れていただけなのに、心の狭い娘っ子だ。親父を見習いたまえ。
そんなことを思ったが、口にして良いことは一っつもないので、とっとと帰る。口は災いの元である。
しかし、よくよく変な奴ばっかいる本屋だ。