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厄病女神の夏休み計画表

「終わったな……」

 俺はそう呟いてカレンダーを見やった。

「今日で終わりだ」

 少々、残念ではあるが、終わりの区切りはつけねばならぬ。

 俺は勢いよく、それを剥がした。

「うわー! 先輩! 画鋲が飛んできましたよ!」

「ちょっと勢いよくやりすぎた」

 絹坂の抗議に俺は少し反省しつつ、飛んで行った画鋲を拾って元の通りに刺し直した。

「しかし、やはり、モネはいいなあ」

 剥がしたそれを眺めながら俺は呟いた。このボヤけた感じが秀逸ではないか。マネも好きだ。ルノワールやシスレーも悪くない。ただし、ゴッホやゴーギャンはあまり好きではない。

「しかし、セザンヌはオレンジやリンゴばかり書いていないか?」

 新たに現れたセザンヌの静物画を見ながら俺は呟く。

「よく飽きないものだ…」

 普通、嫌にならないか? いつまでも同じような絵ばっか書いてて。

「先輩先輩。いつまでもカレンダー見てないで、朝ご飯にしましょー」

 絹坂に呼ばれるまま俺はテーブルに着いた。

 七月は昨日で終わりを告げ、今日からは八月だ。まあ、カレンダーを剥がす以外、何も変わらんのだがね。

「先輩、それ、いりますー?」

 朝食の最中に絹坂がそう言って指差したのは、さっき剥がしたばかりの七月のカレンダーだ。絵柄は俺の気に入っているモネの絵だ。水面が綺麗じゃあないか。

 しかし、お気に入りの絵とはいえカレンダーだ。後生、大事に持っていたりはしない。

「いるわけないだろ」

「じゃあ、それ、ください」

 絹坂を見ると、普通の顔して、コーンフレークをバリバリ食っている。そろそろ、本当に牛乳を買わんと、コーンフレークが先に消えてしまう。

「カレンダーなんか取っといて、どーする気だ? 模写でもするのか?」

「むー。先輩、私は絵下手なの知ってるくせに、どーして、そーゆーこと言うんですかー?」

 絹坂は膨れた。

 彼女の言うとおり、絹坂は絵が下手だ。俺だって、そんな上手なわけじゃあないが、こいつよりはマシだ。絹坂の画力にかかれば、チューリップは生首に、ヒマワリは核爆発に伴うきのこ雲に、犬はワニに、猫は人面獣に、ペンギンは宇宙からやってきた対人攻撃兵器に見えてしまう不思議。

「じゃあ、どうする気なのだ?」

「別に、どーしよーと、いいじゃないですかー」

 絹坂はへそを曲げたようだ。

 まあ、カレンダー如き、どーでもいいんだがな。

 俺はカレンダーを絹坂に与えて、朝食のトーストを口の中に押し込んだ。リンゴジャム甘い。


 その日の午前中は何も用事がなかったので、読書をして過ごした。神の存在の証明についての難解な哲学書だ。宇宙論的証明、存在論的証明など。なかなか難しい。

 目と頭が痛くなってきたので、本から顔を上げ、ふと絹坂を見ると、奴はテーブルで何やら一生懸命に書いている。最初は勉強かと思ったが、どうやら違うようだ。

 少し気になったので後ろから覗き見ようとしてみたら、

「ダメですー。見ちゃダメですー」

 と、妙に可愛らしい顔と口調で、それを隠した。

「カレンダーか?」

 隠し切れなかった部位を見るに、それは今朝、払い下げてやった七月のカレンダーであるようだった。その裏面の白い方に何かを書いていたようだ。テーブルの上にはシャープペンや消しゴム、サインペン、定規なんかが転がっている。

「はい、カレンダーですけどー」

「何で隠す?」

「見ちゃダメだからですー。完成したら見てもらいます」

 そう言ってカレンダーをくるくる巻いて見えなくしてしまった。

 あまり興味もなかった俺は、見るのを諦めて、読書に戻った。


「先輩先輩! 見て下さい!」

 バイトから帰ってくるなり、絹坂は俺に駆け寄ってきて叫んだ。そんな大声出さんでも聞こえるっちゅーの。

「じゃんじゃがぼーん!」

 絹坂が意味不明な擬音と共に、俺に突きつけたのは一枚の紙だった。見覚えのある絵と、沢山の数字が書いてる。少し前まで毎日のように見ていた気がする

「て、これ、七月のカレンダーではないか」

 一体、こいつは何をやっているのだろうなどと思いながらバイトしに家出たのが昼のこと。そして、六時間バイトやってきて、いきなり、これだ。

「このカレンダーがどした?」

「あ、裏表逆だった」

 絹坂は慌ててカレンダーを裏返して、裏面を俺に見せた。普通は真っ白になっている部分だ。その本来、白いはずの面には、いくつかの数字と文字と少しの絵が書かれていた。

「何だ? これ」

「これは夏休みの計画表ですー」

 絹坂はニコニコ笑いながら言った。

 成る程。夏休みの計画表か。そんなん中学校以来、見たことないな。

「とりあえず部屋に上げろ。それと飯を食わせろ」


 その日の夕食は冷やし中華だった。

 冷やし中華はそんなに好きではないが、何故か、夏は冷やし中華を食わんとならんような気がする。まあ、嫌いでもないんだがね。

「それでですね? これは夏休みの計画表なんです」

「それは聞いた」

 ずるずる冷やし中華を食いながら答える。しかし、これ、何で冷やし中華って名前なんだ? 冷やしは分かる。じゃあ、これ、温かかったら中華なのか?

「先輩ー、ご飯食べてないで見てくださいよー!」

「今は飯の時間だ。飯を食って何が悪い?」

 俺が不機嫌に言うと、絹坂も不機嫌そうな顔をした。

「食べながらでも見てください」

 そう言って元カレンダー現夏休み計画表を突き出してきた。

 読まないと、いつまでも煩いだろう。仕方ないので、飯を食いながら読むことにした。


  絹坂衣の夏休み計画表〜夏休みにしなきゃいけないこと〜


「これは何だ? 血まみれのおっさんの生首か?」

「スイカです!」


  八月一週目……先輩の大学を見学する。先輩のバイト先を訪問する。


「俺の大学に来るつもりか?」

「はい、ダメですか?」

 絹坂はきょとんとした顔で首を傾げた。

「来年、入学したいんですから、見学くらい良いじゃないですかー」

「うむ、まあ、それもそうか。しかし、案内はせんぞ」

「えー、何でですかー?」

「面倒臭いからだ」

 それに一緒に大学構内をうろついていては学友悪友どもに絹坂との仲を勘違いされ、囃し立てられ、からかわれるのが目に見えている。俺は人にからかわれるのが大嫌いなのだ。

「あと、俺のバイト先に来ることはまかりならん」

「何でですかー? そもそも、どーして、先輩、バイト先教えてくれないんですかー?」

 絹坂は不満そうにテーブルをバンバン叩くが無視。

 こいつは最近、俺のバイト先を見つけようとしているようだ。この前など、俺がバイトに行く時、密かに後をつけてきおった。上手く撒くことができたから、バイト先はバレなかった。

 何故に、バイト先を秘匿せしめようかというと、四六時中、絹坂と一緒にいるのを避ける為だ。別に絹坂と一緒にいることが苦痛というわけではない。ただ、あまりにも一緒にいすぎると、いつの間にか一緒にいることが当たり前と化していきそうで危険だ。

 俺にとってバイト先は対絹坂避難地域という重要地なのだ。

「とにかく、俺のバイト先には来るな」

 不機嫌に言い放ってから計画表の先を読む。


  八月二週目……宿題を終わらせる。プールに行く。伊豆に行く。


「プールにはもう行かねえと言っただろ?」

「でも、この頃には気持ちが変わってるかもしれません」

「変わんねえよ!」

 怒鳴ってから、もう一度読む。

「ふむ、宿題を終わらせるのはいい…。伊豆? 何で伊豆?」

「最初は伊豆から」

 何言ってるんだ? 最初は伊豆から? とりあえず、次を読む。


  八月三週目……京都行く。九州行く。沖縄行く。東シナ海で泳ぐ。


「行かねえよ! 何処まで行く気だ!?」

「だって、先輩、どっか連れてってくれるって約束してくれたじゃないですかー?」

 こいつ、覚えてやがったのか!? 覚えていない読者諸君は「厄病女神は拗ねている」を参照のこと!

「だから、この前、プールに連れてっただろ?」

「あれは東君たちが連れてってくれたんですー」

 お前、プールじゃあ東のことを酷いくらい無視同然に扱ってたくせに、今更になって、そんなことを言い出すか?

「まだ先輩には何処も連れてってもらってません」

「……大学見学に連れてく」

「それはプライベートじゃないです。公的なやつです。私はプライベートに連れてってもらえなきゃ嫌です」

 我侭な奴だな。俺はお前をそんなふうに育てた覚えはないぞ。育ててないんだから当たり前だけどな。

「しかし、これは行き過ぎだ。東シナ海にはいかん」

 俺は不機嫌に腕を組みながら言った。

「何でですかー?」

「中国と領土を巡って外交問題になっているからな」

「あー。ん? それ、関係あるんですか?」

 ちっ、騙されないか。しかし、それでめげる俺ではない。

「大有りだ。天然ガスの開発を巡ってとかでな。日中間の重要な外交問題になっているのだよ。そんな所に行くのは危険だ。だから、もっと近場にしよう」

「?????」

 首を傾げる絹坂。意味不明って顔だな。当たり前だ。ほとんど意味ないこと言ったんだからな。

 ?な絹坂を放置して、次を読んでみる。


  八月四週目……ハワイに行く。カリブ海に行く。


 アメリカまで行くつもりだったらしい。俺、パスポート持ってないぞ。

「これアメリカ人ヤンキーの生首か?」

「パイナップルです!」

 しかし、これ全部、行ったら、いくらになると思うんだ? 百万円じゃ済まんだろ。金ないって言ったの聞いてなかったのか?

「こりゃ無理だ」

 夏休み計画表を放り投げながら呟く。

「せいぜい伊豆が限界だ」

 飛行機に乗る金などない。まあ、多少の蓄えがあるから、伊豆ならば何とかなるかもしれんな。

「伊豆は行けるんですか!?」

 いつの間にか接近していた絹坂が急に大声を上げて俺に顔を寄せてきた。咄嗟に上体を仰け反らせて頭突きを回避する。危うく顎をやられるところだった。

「じゃあ、伊豆旅行に行きましょう!」

「待て! 誰が行くと言った!?」

「先輩、伊豆が限界って言ったじゃないですかー?」

 絹坂はニコニコと、如何にも嬉しそうな顔で、キラキラした瞳で俺を見つめながら言った。

「それは俺の独り言のようなもんで! あくまで限界を言ってみただけで!」

 俺の必死の言い訳に絹坂は素早く的確に噛み付く。

「限界ってことは不可能ではないんですよねー?」

「ぐっ…」

 ここで言葉に詰まってしまったのが、この時の敗因かもしれないと気付いたのは、僅か数秒後のことだ。しかし、敗因に即座に気付こうとも、その原因を作ってしまった段階で既に手遅れなのだ。

「じゃあ、行きましょう! 伊豆に行きましょう! 二人で旅行しましょう! だって、先輩、どっか不可能じゃない所に連れてってくれるって言いましたもんね!?」

 確かに「どっか連れてってやる」とは言った覚えがあるが「何処でもいいならな」という注釈つきだったはずだ。それが、何故、絹坂に決定されている?

「そもそも、何故に伊豆なのだ!?」

 俺が当然の疑問をぶつけると絹坂は、はたと黙り込んだ。ぽてぽてと元の場所に戻って冷やし中華をすする。

「おい、無視か? 何で伊豆だ?」

 ほっぺをつんつんと突付いてやる。

「……伊豆くらいなら大丈夫かなーって思ってー……」

「……つまり、最初から、伊豆狙いだった、ということか?」

 絹坂は可愛らしく、にこっと笑った。


今更ですが、真冬に夏休みの話ってねぇ…。

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