厄病女神と先輩と京島姉弟inプール
言い忘れたが俺はプールというものが好きではない。
泳げないからという了見の狭い原因ではない。確かに、俺は泳げないが、プールで遊ぶのに必ずしも泳げる必要はない。大抵のプールは足が着くし、人が沢山いて真っ直ぐ泳ぐ隙間などありやしない。
夏場においてプールは魅力的な場所であろう。酷暑であれば尚更だ。水の中は涼しいだろうし、水着姿の麗しい婦女子を眺めるは男子の本望であろう。家の中に引き篭もって、死後の世界について書かれた本を悶々と読んでいるよりも健全であろう。
だが、それでも、俺はプールが好きではない。
第一、こんな人が沢山いるところで、あの薄っぺらい布切れだけでいるなんてのは変態に近い所業ではないか。世の人間はプールの中でだけ羞恥心が薄まるのか?
それに、こんな歳にまでなって、ちゃぷちゃぷ水の中に入ったくらいで喜べるものか? 娯楽とはそれほどまでに単純か?
しかも、プールの中は涼しいが、帰りは結局暑くて汗まみれになって家でシャワーを浴びるのだ。なら、最初から家で水風呂やってりゃいいんでないのか?
「じゃあ? 先輩はプールに来たことないんですか?」
絹坂はそんなことを聞いてきた。
「プールに来たことが、ないわけではない。小学生の時は学校でプール授業があった」
あのプール授業というのは、今思えばあれだな。普通に外で運動させると熱射病とか熱中症になるからだろうな。
「じゃあ、小学校以来来てないんですか?」
「………高校の2年の時に何度か行った」
「楽しかったですかー?」
絹坂は無邪気に尋ねた。
「……まあな」
「じゃあ、今日も楽しいですよー」
俺たちの乗ったバスは目的地の停留所に到着した。
何故やら、俺は絹坂と京島姉弟の四人でプールに来ることになってしまっていた。
俺たちが向かったのはプールに温泉やら何やらをくっ付けたような娯楽施設だ。聞き及ぶに最初は温泉だったらしい。
数年前、昨今の温泉ブームの波に乗って温泉を掘削し、温泉施設をオープンさせたが、客足が思うように伸びなかった為、若年層の取入れを計ってプールやらボーリング場やら娯楽施設やらレストランやらこ洒落れたバーなんかを増設していき、気が付けばプール主体。温泉その他オマケといったところになったらしい。
一箇所で色々なものが楽しめるので付近住民には、やや好評で、休日などは混雑しているらしい。今まで俺は来たことがなかったから知らんがね。
この辺りで最も大きいと評判の屋内プールは、確かに広い。浅い小さな子供用プールから深い大きな本格競技用プール、波の立つプール、流れるプール、塩分濃度の高い浮くプール、キリンよりも高そうな滑り台なぞがあり、人々が芋洗いの如くひしめいている。他に行く所がないのか?
水着やボート、浮き輪の貸し出しやアイスやジュースの販売も行われている。
この場にいる誰もが楽しそうだった。カップルも友人グループも家族連れもおっさんもおばさんも少年少女もガキもプールの監視員も楽しそうに笑っている。
ガラス張りの天井窓からは燦々と日差しが差し込みプールの水をきらきらと輝かせる。
そんな中に俺は立っていた。
気分が悪い。憂鬱だ。非常に精神が落ち込んでいる。
プールには良い思い出がある。それ故に気分が悪い。
「先輩ー」
後ろから絹坂の声が聞こえた。
振り返ると、更衣室から絹坂と京島がやって来るところだった。
両名とも面積がそれほど小さくはないが、ビキニの水着だ。絹坂は黄色。京島は黒。
ちなみに、東は既に俺の隣にいる。水着の描写がいるか? 一応、しておこう。青。以上。
「む? 君は水着じゃないじゃないか?」
京島が不審げな表情で言った。彼女の言うとおり、俺は水着姿ではない。長袖Tシャツにジーンズという普段着だ。
「それでプールに入るんですかー?」
「入るわけあるまい」
絹坂の問いに俺は不機嫌に答える。
「俺は泳げんし、水に入る気はない」
俺はそこらのベンチにでも座ってジュース飲んだりアイス食ったりしてるつもりだ。
何だ? 諸君。たまにこーいう我侭で仲間内の空気乱す奴いるとか思ってないか? 雰囲気を悪くしてるのは百も承知の上だ。文句あるか?
「えー? 何言ってるんですかー? 入りましょうよー」
「そうだ。せっかく、来たのだ。付き合いで入ってくれ」
絹坂と京島は一緒になって俺に迫ってきた。止めれ。近い。いくら、俺が理性の強い超硬派な紳士だといっても、あまり至近距離に水着姿のうら若き乙女が寄ると困ってしまうではないか。
「ほら! 服脱いでください!」
いきなり絹坂が俺のジーンズを掴んで引き摺り落とそうとしたのを俺は間一髪のタイミングで押さえることに成功した。よくやった。脊髄。
「止めろ! ここで服脱いでどーする!? 下に水着は履いてないぞ! 普通にパンツだ! 俺を変態にする気か!?」
かなり本気で怒鳴りつけてやるが、絹坂はジーンズを放さない。かなり本気な顔でジーンズを引っ張っている。
「では、そこで水着を借りてこよう」
俺が何か言う前に京島は素早く水着をレンタルしてきた。
「これに着替えるんだ」
「嫌だ! 少なくとも、そのアロハシャツみたいな柄は嫌だ!」
「そ、そうか? 似合うと思うが……」
ハイビスカスの海パンが似合って堪るか!
「とにかく着替えてくださいー。泳げなくても大丈夫ですからー」
「一緒にプールに入ろう。何だったら私が泳ぎを教えてもいいぞ」
二人は一緒になって俺のジーンズやTシャツを脱がそうとする。これはセクハラではないのか!? いじめではないのか!? 学校や職場だったら大問題だぞ!
三人で大騒ぎする俺たちを周りの人々は奇異の目で見守っていた。
そして、仲間外れにされた東は悲しげな顔で立ち尽くしていた。すまん。お前のことを気遣う余裕はないのだ。今、俺は己が公衆の面前でパンツを露出するかしないかの瀬戸際なのだ!
「…はぁー……」
プールサイドの日陰に立った俺は更に憂鬱になっていた。その俺の服装は、紺色の海パンただ一枚。これを服装などというものか。これじゃあ、原始人とさして変わるまい。いや、寒冷地の原始人以下だな。
結果として、俺は敗れたのだ。
水着を着なければ、この場で強制的に着替えさせると迫られた挙句、逃げても、追いかけて絶対に水着を着させると脅迫されれば、結局、自主的に水着を履くしか他に手段はあるまい。
「はぁー……」
深い溜息が出てしまうのも無理はないだろう。ご理解頂きたい。
「先輩ー! 行きましょー!」
絹坂はぶんぶんと手を振りながら、大きな声で俺を呼ぶ。彼女の側には京島姉弟、二人とも、むっつりと考え込んでいる顔だ。そうしてると、そっくりだな。
「やれやれ」
俺はぎらぎらと輝く太陽の下に出た。
少し短かったかもしれません。すみません。
そして、彼らはまだプールにいます。