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厄病女神、新妻が如く

 我が居住地たる木暮壮二階奥の部屋に厄病女神が寄生して、数日が経った。

 人間は慣れる生き物とは、よく言ったものだ。俺はすっかり絹坂が寄生している現状に慣れきってしまった。

 朝起きれば、絹坂が起きていて、朝食が用意され、二人で食べて、後片付けは俺がする。

 何もない日は一日部屋にいて、絹坂は受験勉強。俺は読書をしつつ、たまに絹坂に勉強を教えたり。または二人で読書。または近所に買い物。または二人で家事雑務。

 バイトがある日は、バイト時間になったら、俺は絹坂に見送られて部屋を出る。帰ってくると夕食が用意されていて、二人で食べる。後片付けは俺がする。

 夜は交互に風呂に入って、一緒にテレビ見ながら歯を磨いて、それぞれの部屋に入って、

「おやすみ」

 絹坂は相変わらず夜遅くまでラジオ聞きながら勉強。

 気が付くと、これが俺の普通生活サイクルと化していた。家事雑務も、かなり絹坂がこなしてくれるので以前よりも非常に楽。

 いつの間にやら俺の厄病女神に対する迷惑心も薄れ、本気で追い出そうなどという気は微塵も起きなくなっていた。諦めたとも言うが。

 人間は楽な環境はすぐ慣れてしまうなあ。と、思ったり思わなかったり。


 俺の絹坂に対する不満は急速に縮んで、最早、ビー玉程度の大きさであったが、絹坂の俺に対する不満はバスケットボール大ほどのものが、いくつかあるらしい。

 しかし、そのどれもが下らんことだ。

 その一つであるが、風呂でニアミスしないことが絹坂には不満であるらしい。

 我が部屋の風呂は一つである。当然、男湯も女湯もないので、交替で入浴することになる。

 どちらかが先に入って、そいつが「出たよ」ともう一人に告げ、もう一人が入る。

 きちんと出たのを確認してから入っているのだから、ニアミスするわけがない。しかも、風呂には狭いながらも、洗面所兼脱衣所もあるので余計にありえない。

 しかし、彼女にはそれが不満らしいのだ。

「何が不満だというのだ?」

「だから、お風呂でバッタリがないことですよー」

 絹坂曰く。一つ屋根の下で若い男女二人がいれば、必ずお風呂バッタリは起きるのだという。どんな説だ?

「しかし、うちじゃあ起きんだろう」

「何でですかー?」

「だからな? 先に入った奴が出てから入るからだ。そもそも、そーいうのは家が広くて、人が何人かはおらんと成立せんだろう」

「むー…」

 絹坂は不満げだ。何が不満なのか。

「破廉恥で恥ずかしいことにならんで良いではないか」

「むー…」

 やっぱり絹坂は不満げだ。

 何だ? お前はそんなにもお風呂バッタリがしたいのか? 俺には君の思考回路が理解できんよ。

 絹坂は何だか恨みがましい目で俺を見ている。

「……バイトの時間だ。出かけてくる」

 本当は時間まで、あと一時間ほどあったが、この妙な会話と雰囲気を断ち切りたくて、俺は部屋を出た。

「夕飯は何がいいですか?」

「ふむ、今日はさっぱりしたものが食いたいな」

 俺の返答に絹坂は少し呆れた顔で俺を見た。

「またですかー? 昨日も一昨日もそう言ってたじゃないですかー」

 確かに、そうだ。よって、昨日の夕飯は蕎麦であったし、一昨日の夕飯は刺身であった。

「しかし、俺はさっぱりした食い物が好きなのだ」

「せっかくの料理の腕が振るえないじゃないですかー」

 もう一つの彼女の不満は料理の腕を存分に活かせないことであるらしい。

「ビーフストロガノフとか、七面鳥の香草焼きとか、ホワイトシチューのパイ包みとか、ブッシュドノエルなんて食べたくないですかー?」

「暑そうだから嫌だ」

 というか、そのメニューは何だ? クリスマスか?

「じゃー、さっぱりな食べ物考えますー。いってらっしゃーい」

 絹坂に手を振られて部屋を出た。

 蒸し暑いコンクリートジャングルを歩きながら思った。絹坂はまるで新妻のようではないか。俺たちは新婚夫婦みたいではないか、と。

「下らないことだ。糞忌々しい」

 思いっきり不機嫌な顔で、ぶつぶつと呟いていると小学生らしき少年少女に変な目で見られた。醜き心は純真な瞳に弱きもの。視線を避けるように早足で歩いた。

 しかし、絹坂との共同生活は居心地が良いものの、良いことではない。尋常ではない。この現状は異常だ。

 以前、京島が言っていたことは確かなのだ。

「何か、間違いが起きてはどうする?」

 起こすわけにはいくまい。

 その前に、何とかせねばなるまい。

 あの新妻もどき絹坂をどうにかせねばなるまい。

 暑苦しい空気の中、俺はうんうん唸りながらバイト先に向かった。周囲からは奇異な視線を向けられていたことだろう。何、慣れたことだよ。


 やっぱり接客業にあるまじき不機嫌な面で本屋のバイトを終えた俺はふらふらと家に向かった。今日は暑くてダメだ。日焼けしたかも。

 乙女なことを心配しながら微妙に薄暗い夜道を歩いていると、目の前に嫌な人を見つけた。

「おーい! 後輩よ!」

 例の酒豪先輩だ。俺の天敵ファイルの筆頭近くに名前を記している人物だ。

「あー、うわば…二十日先輩…」

 俺は心底嫌な顔で二十日先輩の呼びかけに答えた。

「そんな嫌な顔をするなよ!」

 次に吐き出される台詞を俺は予測できるぞ。別に俺が超能力に目覚めたわけじゃない。頭も狂ってない。ただ、分かるのだ。経験のなせることだ。

「後輩! 酒を飲もう!」

 ほら、やっぱり、この人は三言目以内に必ず酒絡みの話を切り出すのだ。

「うちに酒はありませー……」

 言いながら彼女の手に提げられたビニール袋が目に入った。

「心配するな! 酒ならタンマリある!」

 ビニール袋の中には発泡酒・ビールの缶がパンパンになるほど詰まっていた。

「あー……」

 言うべき言葉が思いつかない。

「お前の部屋で飲むぞ!」

 二十日先輩は俺の首根っこを掴んでずるずると引っ張って行く。

「あ、部屋には絹坂がいる」

「じゃあ、絹とも一緒に飲もう!」

「絹坂は未成年ですよ」

「大したことじゃない!」

 二十日先輩にかかれば殆どのことは瑣末なことだ。本当に迷惑な先輩だ。そのくせ、嫌いになれんのは一種の特殊能力だな。

「お邪魔するよー! 絹、元気ぃぃっ!?」

 部屋に乱入した二十日先輩は奇妙に叫んだ。

「どーしぃぃっ!?」

 先輩の横から覗き込んで俺も奇妙に叫んだ。

 俺の部屋にある風呂は玄関上がって少し右にある。分かり難いだろうか? 言い換えれば、風呂を出ると、左に玄関が見える。

 風呂から出た時に、偶々、玄関に人がいれば、当然、風呂上りの人物は玄関の人物に見られる。

 風呂から出た絹坂は俺と二十日先輩に見られた。そして、何故か絹坂はバスタオル一枚という超軽装であった。てか、軽装過ぎだろ!

 絹坂はほかほかと湯気を上げ、肌はほのかに桃色に染まっていた。濡れた髪は、後ろで一つに束ねている。白いバスタオルは彼女の体を隠すには幾分か役目不足であった。もし、彼女の胸がもっと豊かであれば、彼女は下半身を完全に露出することになっていたであろう。

「!!!ーっとぉっ!!」

 俺は慌てて視界を百度回転させ、次いで、急バックした。鉄廊下の手すりに思いっきり背中をぶつけたが痛さはさして感じなかった。間髪いれず己の部屋のドアを蹴っ飛ばして視界を遮る。

「あいつは何を考えているんだぁっ!!」

 夜八時の住宅街で俺は一人叫んだ。


「先輩先輩ー。着替えましたよー」

 鉄廊下で不機嫌に突っ立っていると、目の前のドアが開いて、絹坂が顔を出した。

 成る程。確かに、絹坂は先程までの超軽装仕様ではなかった。安っぽいTシャツに短パン姿だ。

「…その短パン短すぎないか?」

 短パンは腿の半ばまでしかない。

「夏用だから、いいんですー」

 何が良いのやら、俺にはさっぱりだよ。

「大体、何だって、あんな格好で風呂から出てきた?」

「あー、着替えを忘れちゃってー」

 絹坂はドジッ子みたいなことを言ったが、当然、それを鵜呑みにするほど、俺は馬鹿じゃない。昼間の会話を忘れるほど鳥頭でもない。

 偶然のお風呂バッタリが叶わないことに気付いた絹坂は人工的お風呂バッタリを作り出すことにしたらしい。それじゃあ、もうバッタリじゃねえだろうに。

 まあ、今回は二十日先輩がいたお陰で有耶無耶にできた。二人きりだったら、どーなってたことか? いや、どーもする気ないが。

 その、ある意味恩人たる二十日先輩は既にテーブルでビールを二缶飲み干していた。阿呆じゃ。

「お前も飲めー!」

 彼女はそう言って発泡酒の缶を俺に押し付けた。あなたはビールで、こっちは発泡酒か? ちょっと、あれじゃないか?

 俺は渋々とテーブルに着いて発泡酒の缶に口を付け、ちびちびと飲み始める。先輩は延々と夜が更け、朝が参るまで飲み続けるので、一緒になってがばがば飲んでいると大変なことになる。飲んでないと絡まれるので、ちびちびちまちま飲むのが最良の手段だ。

 絹坂は台所から料理を持ってきた。おそらく夕食のおかずだろう。冷しゃぶとカイワレ大根のサラダ、イカと大根の煮物。昼、言ったとおり、さっぱりメニューだ。これらを酒の肴とするつもりか。まるで妻のように働く。

「絹ちゃん、気が利くー!」

 嬉々として、おかず類を食らう二十日先輩。

「しかし、絹ちゃんの艶姿を見れて目の保養になったー!」

 彼女はおもむろに絹坂をかき抱いて酔っ払ったおっさんみたいなことを言い出した。あ、もう、酔っ払ってるのか?

 絹坂は二十日先輩の隣に大人しく座りながら、俺に視線を向けた。何だ? そのもの問いたげな目は? いや、聞きたいことは何となく分かる。しかし、答えたくない。

「先輩は目の保養できましたー?」

 直接、聞いてきやがった。

「できん!」

 不機嫌に答えて酒を喉に流し込む。他に何と答えればよいのか!?


 案の定、二十日先輩は朝方までかけて、持ち込んだ酒を全て飲み干し、だらしなく我が部屋で大の字で寝入っていた。鼾までかいてる。うら若き乙女のすることではない。

 と、人のことを言いつつ俺は一緒になって転がっていた。ついつい、一緒になって飲んでしまったツケだ。だるい眠い。フローリングの床が冷たくて気持ちいー。

 うっ! ぐぁ! 込み上げて来た!!

「先輩先輩、部屋の中で吐いちゃダメですよー! さ、トイレに行きましょー」

 絹坂に支えられながらトイレへと、洋式便座を抱えて、胃の中のものを下水に垂れ流す。

 口をゆすいで部屋に戻ると、女子高生が一人で後片付けをしたり、二十日先輩に毛布をかけたりしている。あー、何て偉いんだー。

 手伝おうかとも思ったが、もう限界。ぐったりと床に座り込む。

「あー、先輩ー。そんな所で寝ちゃダメですよー」

 酔い潰れた糞大学生二人の横で絹坂はせっせと働くのであった。その姿はさながら夫とその上司の介抱をする若奥さんなのであった。

 俺はこの楽チン快適生活を抜け出せるのか? 甚だ不安である。


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