厄病女神発生す
おはよう。諸君。
もしかすると、諸君にとっては「おはよう」でないかもしれない。「こんにちは」かもしれないし「こんばんは」かもしれない。
しかし、俺にとってはおはようなのだ。何故なら、今は朝だし、俺は起きたばかりだからだ。朝起きて一言目が「おはよう」でなければ何だというのだ?
さて、景気よく朝一番の「おはよう」を済ませた俺ではあるが、生憎と機嫌も体調も良くない。
その原因は明確だ。
第一に、昨日、馬鹿みたいに飲む先輩に釣られて俺も馬鹿みたいに飲みすぎたこと。
第二に、寝てから三時間で友人からのどーでもいい電話で起こされたこと。
第三に、今、俺の前に厄病神が転がっていること。
これが俺の不機嫌の三大原因だ。
ところで、諸君は厄病神というものを知っているだろうか?
名前くらいは知っているだろう。しかし、詳しくどーいうものか説明できるだろうか?
部屋の片隅に転がっていた電子辞書をもって調べたところ、厄病神というのは疫病を蔓延させる悪い神。転じて人に忌み嫌われる人、とのことであった。
それじゃあ、こいつは思いっきり厄病神じゃあないか。あ、女だから厄病女神か?
そして、今になって思うのだが、こいつは俺の目の前に現れる前から、その力を発揮していたのではないだろうか?
その日は大学の夏休みが始まって少しした頃で、俺は何故か教授に呼ばれて倉庫の整理を手伝わされた挙句、さっさと帰ればいいものを馴染みの古本屋に立ち寄ったところ、運悪く酒豪として有名な知り合いの先輩の酒に付き合わされ、結局、自宅に帰り着いたのは東の空が白くなり始めた頃だった。
これだけで十分に運の悪い一日だと言える。振り返れば、これらの不幸も厄病女神の力ゆえだったのではないかと俺は疑っている。
しかも、不幸はこれで打ち止めではなかった。未だ厄病女神本体が出現していない。
俺は築十数年という新しくはないがそんなに古びてもいない部屋数十ほどの小さなアパートの二階奥の部屋を住処にしている。家賃はそこら辺のアパートに比べれば安めで、小さいながら個別のトイレも風呂もある。中々に好条件な物件だ。
私立大学に通いながら近所の本屋でバイトをする平凡な大学二年生たる俺が如何にしてこの優良物件に住まうに至れたかといえば、色々とそれなりな理由があるのだが、ここでは割愛させて頂く。今は重要ではないからだ。
重要なのは厄病女神だ。
たらふく酒と飯を半強制的に胃に押し込められた俺は大した高さのない鉄製の錆びた階段さえもだるいだるい思いながら上りきったところで酷い吐き気に襲われ、何とか喉に押し寄せた何かを強制的に胃に押し戻したりしていた。
そして、少し臭く荒い息をしながら顔を上げた俺は自分の部屋の前に何かがいることに気が付いた。
最初は誰かが不法投棄したゴミかと思った。酷く不機嫌だった俺はそのゴミを地面に蹴り落としてやろうかなどと俗悪なことを思いながら近付いた。
しかし、近付いていって、よくよく見ると、それは大きな鞄を抱えた人間だった。
そして、更によく見る為に顔を覗き込んで、ようやく分かった。
「お前、絹坂か?」
俺が驚き半分疑問半分で言ってみると、そいつはもそもそと動いてから薄ぼんやりと目を開いて俺を見て言った。
「あぁ、先輩ー。おはようございますー」
絹坂衣は俺の高校時代の後輩だ。
そして、こいつこそが厄病女神だ。
絹坂と俺が初めて会ったのは俺が高校三年。こいつが高校一年生だった二年前の春のことである。
高校時代、俺はさる組織に所属していて、というか組織のトップにあって、彼女はその組織に新しく入ってきた新人であった。
小柄で軽く、顔がやたら小さく、瞳は微かに茶色く少し垂れ目、口や鼻は小さめ、ほっぺがぷにぷにしていて、髪はいつも短めだった。
そして、今も、外見にさしたる違いはないようであった。
「相変わらずお前はちっこいな。飯食ってるのか?」
ほっぺをぷにぷに触りながら尋ねる。
「えー、食ってますよー。牛乳も飲んでるし」
絹坂はぼんやりした奴だった。その上、どん臭くて不器用でマイペースだった。しかし、努力家で地味に熱血だった。
聞いて分かるとおり、ダメダメな奴だ。嫌いな奴はとことん遠ざけるだろう。好きな奴はとことん可愛がるだろう。そんなふうに好みが分かれる性格をしていた。
俺はどうなのかといえば、これが微妙なのだ。好みがはっきり分かれるはずなのに、どーにも俺は嫌ってるのか好いているのか俺自身分からず対応に困る微妙な奴だった。
しかし、絹坂の方は俺に懐いているようで、いつも「先輩先輩」と後ろを付いて回っていた記憶がある。そして、俺はすっかり彼女のほっぺをぷにぷに触るのが癖になっていたせいか彼女を可愛がっていると周囲には思われていたようだ。
ただ、昔から、こいつは厄病女神で、余計な不幸や迷惑をどこどこ持って来ては俺を体力的にも精神的にも疲れさせるという特技を持っていた。
嫌いではないし、可愛くないわけでもないが、迷惑だし、時々うざいが、まあ、慕ってきている後輩ではあるし、無下にはできんというのが絹坂に対する俺の印象だった。
しかし、そんな印象を木っ端微塵に打ち砕く事件が最後の最後になって起きた。
未だ持って同期の間ではよく話題に上る「絹坂突撃事件」である。
こんにちは。「魔女」の方が停滞しているのを軽やかに無視して新連載です。飽きっぽい性格なんです。