非日常な日常
はじめましてこんにちは。
前章はどうでしたか?まだ、序章でしかありませんがこれから地道に更新していくので、ちらほら立ち寄ってくれるとありがたいです。
目を開けて。
「挨拶はおはようございます。次の挨拶はこんにちは、夜はこんばんは。最後に就寝時はおやすみなさい。自分はアレン、今年で十八の純粋なチェリーボーイ。趣味は読書に特技は人間観察。体調は好調。よし、完璧に俺は生きている」
夢から現実へと覚醒して、目を覚ました瞬間、呪文のように言葉を唱え始めた。三者から見れば驚き、不気味がられ、大いに引かれたことだろう。しかし、この場には人はおろか、物音一つしない。アレンの残響がこの空間に響いているだけだ。
重たい眼を擦りながら腰を上げる。周りは暗く、明かり一つ見当たらない。どこに地面かどこまでが壁なのか全く見えなかった。だが、アレンは長年ここに居座り続けただけに、この場所はすでに熟知している。飛び降りるようにして簡易ベットから地面に足をつけた。
「イタッ」
足に力を入れた瞬間、腰に痛みが走る。思わず声が出た。
原因はわかっている。今まで横になっていた簡易ベットが悪いのだ。固い、綿の一つも入ってないないマットのようなベットに一晩睡眠を取ると必ず毎朝、腰を痛めてしまうのだ。
忌々しく思い一蹴り入れたいところだが飛び降りただけで軋み、今にも壊れそうなため安易に攻撃できない。チッ。イライラと舌を鳴らした。
見えないはずなのにまるで全く見えているかのように、堂々と部屋内に進む。触って、目の前のドアがあることを確認すると、突起物を探して捻った。ガッチャ。そして押し開く。
外に出たとしても依然として明かりはなかった。そればかりかまるで洞窟のように暗闇が広がっている。しかしアレンは迷わず足を運ぶ。ペタペタと裸足の音が遠くまで響いた。
「みんな、もう起きたのか」
通り過ぎた横を確認すると、ドアが外側に聞いているのを何枚か見えた。中は無人である。いつもなら、この通路を歩いていれば、顔見知りの何人かに必ず会うはずなのだが今日はまったくの無人。自分の独り言が反響するほど、静かだ。
寝過ごしたか。時計の無い毎日では、自分の体内時計を信じて生活するしかない。そもそもあまり、時計を気にしない場所ではあるが朝、昼、夜の食事の時間だけは決まっている。これを逃すと問答無用で食べ損なうことになるのだ。アレンはそれだけは避けたかった。自然と早足になる。
ようやく到着した眼前の扉に、思わず安堵のため息をこぼす。扉からは明るい光がこぼれ、中からは賑わいの声が聞こえてくる。どうやら、間に合ったようだ。
明らかに朝からの見てきた扉より二周りも大きなこの扉は、ここから続く部屋もそれなりに大きな広さであると想像がついた。
両開きの構造であるためドアノブは無い。アレンは重たい扉をゆっくり押し開けた。
部屋からの眩しさに思わず目を完全に瞑ってしまった。何回も体験しているが、これだけは一向になれる気配がない。
笑い声と楽しそうな話し声の中に、ホークとナイフの金属音、皿を重ねる音に咀嚼している音、耳に聞こえる魅惑の音が目を明るさに懸命に慣れようとしている中でも、アレンのお腹を正直にぐるるるるっと獣の唸り声を鳴らせた。
目は半分閉じたままだが、大分明るさに慣れたアレンはまず、中央の食事がズラっと並び、集まっている場所へと歩を進めた。いい匂いが鼻腔をくすぐり、舌を打つ。
ここは、食堂広場である。ここにいる人間たちの唯一の戯れる空間。孤独が長い時間続く自分たちにとって、食事の時にしか触れ合えない他人との交流はとっても大事なことである。そのため、この時間帯は必ずと言っていいほど賑わいを見せる。
アレンは配膳に並ぶ多種な食事から、好きなものを選びつつ、周りの賑やかな声に思わず頬を緩めた。
この時間は自分にとって一番好きである。外へ出ることが叶わない自分たち、普通の暮らしが強制的に行えない自分たちにとってこれは、この時間帯だけは、自分がしっかり生きているのだな実感できる場所であった。
本当に心地がいい。アレンは心からそう思った。
「なーに、にやにやしてんだ?アレン」
「おわっ!」
一通り、自分の皿に、選んだ食事を盛り付けると、不意に肩を強く叩かれる。違うことを考えていただけに驚き、危うく手に持っていた皿を落とすところだった。
慌てるアレンに声をかけてきた男は愉快そうに笑う。
「・・・サイ、人を呼ぶときにそんなに強く肩を叩く必要無いだろう。力強いんだから、痛いぞ」
半眼になってアレンは目の前の男を睨む。男、サイは「ワルイワルイ」全然申し訳なさそうなに軽く謝ると、今度はアレンを引き付けて首に腕を回してきた。ツンツン頭が顔にチクチク刺さる。痒い・・・。
「それよか、聞いたぜぇ?先日、クリスを警備兵のクソ野郎から庇ったそうじゃないか。ややさすが、見直した!」
耳元で、馬鹿でかい声で唾を飛ばしながら機嫌が良さそうに叫んでくる。
アレンは、鬱陶しそうに距離を取ろうとサイの体を押すが自分より一回り巨大な彼はビクとも動かない。そればかりか、尚も顔を近づけて迫ってくる。
「俺はさぁ、お前のことを根暗で地味な、男女のいけくそ悪い人間だと思っていたんだょ。ああ、こいつとは話は会わねぇ。初対面からそう確信していたね」
悪かったな、根暗で。アレンは無意識に自分の前髪を触った。
ここに来てから一度たりとも髪にハサミを入れたことがない。特に理由は無いが、なんとなく面倒で今まで切らなかったのだ。おかけで年代の割りに幼く見えるアレンの顔は、時折女性と間違われることがあった。切らなかった長い黒髪がさらに童顔のアレンの顔に拍車をかけているのだ。
さらに前髪は目元を覆っている。根暗や、地味だと思われても仕方がなかった。
「でもさ、今回の武勇伝を聞いて、俺はお前に対しての見方がが百八十度変わったよ!」
「そ、そうか、ありがとう。うわぁっ!」
ズルズルッ、首に腕を回されたまま引きずられるようにして連れられる。食堂広場には、四つイスに一つのテーブルがセットで満遍なく配置されている。食事にやってきた人達は、自分たちのお気に入りの席を我先にと座っていくが大抵、自分が好む席は共通して他人にも人気ある席というものだ。
ここでいえば中央の、食事の配膳が並んでいる近くの、入り口から最も遠いテーブルだ。
この食堂はバイキング形式であるため、おかわりは自由である。近ければ近いほどすばやく、好きなだけ自分の皿に盛り付けることができるのだ。
いつも、アレンが訪れるときは『特等席』は必ず埋まっており、座れたことは一度も無かった。
だが、どうだろうか、サジに連れてこられた席はまさに『特等席』である場所だった。四つの席のうち、二つはすでに先客がいる。こちらに手を降っている。
一つの空席はサジの分として、残り一つの空席はまさか、自分のためなのか。アレンは目を見開いて驚いた。
「まぁ、今回は我が英雄様に感謝と勇気ある行動を称えたちょっとしたサプライズさ。確か、アレンは『特等席』は始めてだったけか?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。サジの問いにも「ああ」と曖昧に答えるだけだった。
勿論、これは嬉しさからの感情であった。別に、『特等席』に座れる喜びからではない。自分の仲間が、自分のために取っていてくれたことに歓喜あまっているのだ。
「アレン、ぼーっと突っ立ってないで座ったら?早くしないと朝食の時間が終わってしまうよ?せっかくアレンのために確保した席なのに、堪能せずに終わったらくたびれ損だよ」
『特等席』に座っている短い髪の女性がアレンに呼び掛ける。アレンにとって一番長い付き合いをしている腐れ縁のニーナだった。少し珍しい、赤色の髪か特徴的である。
「この席の特権おかわりの優遇はもうすでに時間が経っちゃているからあまり意味はないけどな」
肩を押してアレンを座らせるサジは苦笑を浮かべる。
さっきまで鬱陶しいと思っていたサジがこんなにもいい奴に見える。
「皆、ありがとう」
照れくさく、俯いている状態でしか感謝の言葉を言えなかったが、十分に伝わったようで、アレンの様子を見て二人は満足そうに笑った。
「あ、あのっ!」
すると、勇気を振り絞ってやっと出したような小さな、か細い女の子の声が聞こえた。
ニーナの隣、今までタイミングを窺っては、口をつぐんでの繰り返しだった女性だ。アレンが目を向けると顔をボンッとトマトのように真っ赤に染めてしまった。
「あ、あああああ、ありがとう、ごさまいましたー!」
ゴン。『あ』が妙に多いお礼を噛みながら述べたのはいいが、頭を下げた勢いにテーブルに額をぶつけてしまう。
ドジっ子の鑑のような行動である。あまりのベタさに一同唖然と固まってしまった。
「痛い・・・はっ!すいませんっ。わたし、い、いえわたくし、先日一命を助けていただきましたクリスですっ!」
別に初対面な訳でもないのに、焦りすぎだろ。アレンは、小さく笑う。
クリスは極度の人見知りだ。会話が成立するところを見たことがあるのは親友のニーナと話している時ぐらいであろう。女性より男性の方が圧倒的に数を上回っているこの場所で、彼女はいつも話しかけられると、石像のように固まり、声を発するどころか、息をするのも忘れてしまうほど緊張に支配されてしまうのだ。
アレンは彼女のキョドり具合を解すつもりで、勤めて穏やかな口調で声を出す。
「別にあの時はたまたま自分が通りかかっただけで、運がよかっただけだよ。それにしても、本当に何もされなくてよかった」
先日のこと、就寝時間前にちょうど、トイレへ赴こうと相変わらずの暗闇の通路を歩いていると、とっくに鍵が閉まっているはずの食堂広場内からクリスの叫び声が聞こえてきたのに、アレンは足を止めた。
訝しげにドアを開けてみれば、自分たちを監視、閉じこめている警備兵の男がクリスの身ぐるみを剥がそうと馬乗りになっているではないか。涙を流しながら助けを乞う彼女に、アレンは反射的に体を動かした。彼女を助けようか、警備兵を傷つけてどのようなことになるのか、そんなことは頭の片鱗にさえ過らなかった。
ヘラヘラ笑っている警備兵の顔面を蹴っ飛ばして失神させた後に気づいたことは警備兵の体から酒の臭いが強烈に臭ったということだ。沸騰した頭が冷め始めた頃、目を覚ましたときには彼の記憶が飛んでいることを切に願った。
昨日はその後、二人共早くこの場から去るために急いでいて、しっかりとしたお礼をクリスは言えなかったのだ。
「そ、それでもっ、うれしかった・・・」
語尾が絞れていく。顔の赤みは濃く変わらず、顔は下を向いているが目線だけはしっかりとアレンを見ている。不器用ながらもその瞳からは感謝の念が伝わってきた。
「そ、そうか。それはよかった」
そんな彼女を見ていると、こちらまで照れくさくなってしまう。なんか今日は照れてばかりだな。頬を掻きながらアレンはそんなことを思った。
何やら嫌な視線を感じて横を見ると、ニーナとサジが顎に手を置いて、気持ち悪いほどニヤニヤと口角を上げてこちらを見ている。「なんだよ」睨みながら聞けば、「別にー、なんかいい感じだなっと思ってさー」妙に意味ありげな言い方でそっぽを向いた。二人は少し、からかい癖が強い。
クリスは案の定極度の照れ屋であるし、アレンは素直な方ではない。何かしらと理由をつけては二人をからかい楽しんでいるのだ。
嫌な流れだな・・。またアレンとクリスの二人を恋仲にしようとニーナが行動しを移し、楽しもうと企んでいるのではないかと過剰に察したアレンは話題を変えよう口を開いた。前にも彼女の働きで何度も嫌な思いをしている。
別に自分は、クリスのことが嫌いではないが恋人になりたい願望を持つまでには至っていない。普通の友達、仲間であると思っているのだ。彼女だってきっとそう思っているだろう。クリスを庇うためにも先手を打った。
「そういえば、三人は今日の朝刊をもう読んだか?『エリザ隊』の近況が知りたいんだが・・・」
「うん?ああ、読んだぜ。今は確か・・・おいっ。そこの朝刊読んだんならこっちに貸してくれ」
サジが他のテーブルの人達に首を回して声をかける。ニーナは話を逸らされたことにより膨れっ面になっているが、思いのほかサジが乗ってきてくれたようだ。
「はいよ」渡された新聞を手に取る。何も無いここでは唯一の娯楽といえば朝の新聞一部ぐらいである。特に最近では興味深い記事『エリザ隊』の事が一面に載っている。皆が読みたがり、中々目を通せない人も多い。だが、それでも、アレンにとって毎朝新聞を読むことは習慣であり、今まで一度も新聞を手に取らなかったことは無い。どんな時でも必ず、朝食時には目を通すのだ。
「時に目立ったことは書いてないぜ?――魔物と数体遭遇するものの、勇敢な兵士たちが果敢に戦い、またエリザ皇女の武勇の功で我が『エリザ隊』は何の支障も無いんなんてどこぞの将軍様でもありえない話だがな」
鼻を鳴らして座っているイスに腰を深く沈めるサジ、口ぶりからすると明らかに新聞記事を信じていなくまた、『エリザ隊』を良く思っていない。
目の前の朝食に手を伸ばしながらアレンも半分は彼と同意見だった。魔物は恐ろしく狂暴だ。いくら精鋭の魔道師でも視界が不自由な暗闇の中で魔物と戦い、損害がなかったなんていくらなんでもありえない。少なからずこの記事は、真実を全て明らかにしているとは思えなかった。
だが突然、ニーナは強くテーブルを叩くと、皆の注目を集めた。
「なに言っているのよ。エリザ皇女の美貌だけが売りのメス豚はまだしも、『エリザ隊』にはこの国一番の剣術使いの副官のクリホォス将軍がいるわ!」
目をキラキラと輝かせ、頬を微かに染めている彼女はまさに、恋する乙女の顔だった。
「えっ」普段の表情から一転、ニーナの上気している顔に、クリス以外の二人は一斉に顔をひきつらせる。
「ああっ!まるで舞台で踊っているかのように優雅で華麗なあの剣さばきっ。剣を振るう時の流れるような輝かしい黄金の髪!まさにっ、そうまさにあれこそが国の英雄の名に相応しいお方なのよぉ!将軍!クリホォス将軍っ!」
まるで人が変わったかのように、空中を見上げ自分の世界へ入って叫んでいる。きっと彼女の目には今も名を口にしている将軍の姿が見えているのだろう。
しかし、この国、イクスヴェリア帝国の皇女であるところのエリザ姫には絶対に他人には聞かせられないほどの言い方だ。
ニーナってここまで感情移入する人だったか?長年知っているアレンでも見たことがない顔であった。
一方、アレンとサジとは対照的に、クリスは平然としている。また始まったとばかりに苦笑いをしながら彼女を見ていた。この姿のニーナを何度か見ているのかもしれない。
「ニーナってクリホォス将軍のことが好きだったんだ」
今もオペラのように立ち上がって胸焼けしそうなぐらいあまあまに彼を褒め称えているニーナを見ながら呟く。
「らしいな。あんな人間のどこがいいんだか・・・」
アレンの声に首を降りながら応えるサジ。
すると、台詞がしっかりと耳に届いていたらしいニーナは目にも止まらない速さでサジに詰め寄った。彼女のものすごい剣幕の横顔にアレンはイスを引きながら後ずさってしまう。
「あのねぇ、クリホォス将軍様は私達が監禁されているここ、アイセン留置所の廃止運動を積極的に活動してきた人なのよ?中々手間取って、成功する前に『エリザ隊』への入隊が命じられてしまったけれど、彼は私個人に限らず、あなたにとっても英雄的存在だと認識してもいいはずだけれど?」
確かに、彼クリホォス将軍はこの食堂広場にいる全員が今いる場所、アイセン留置所と呼ばれる、犯罪の疑いがかけられている人間が監禁されてしまう場所の廃止運動に強く賛成をし、推進してきた人だ。
勿論のことながら、アレンも尊敬する人物であるし、また、廃止は実現可能にはならなかったが彼の勇気ある行動には大いなる感謝を持っている。
しかし、いくらなんでもニーナの反応は過剰すぎる。サジはどうしたら良いのかわからず困った顔をしていた。
「お、俺だって将軍は敬意に値する人間だって思っているぜ。あの人のおかげで少なくとも助かったところもあるしな。でも――」
そこでサジは表情を曇らせる。アレンには彼が言いたいとしている言葉の続きがわかった。わかってしまった。
「なによ」
二人の顔を見てニーナが怪訝な顔をする。サジは言おうか言わまいか言葉を渋っている様子だ。
数年前から始まったクリホォス将軍の度重なる留置所の廃止運動。その内容は主に国民への演説や、署名を集めるための運動だった。
その昔、演説の内容が新聞の記事へ捉えられたときアレンが拝見した感想は、あまり良くは無い思いだった。そして同時に、アレンだけではないこの場にいるほとんどの人間がある疑問点に気がついた。
まだ迷っているサジにとうとう痺れを切らした彼女は今度はアレンを睨む。矛先がこちらに飛んできた。
うっ、なんで。
できれば口にしたくは無い。
そう思ったところで前から思わぬ助け船が出された。
「ニーナ、私達には市民権が無いわ。たとえクリホォス将軍が運動を成功させたとしてめ、解放された私達は住むべきところがなく、路頭に迷ってしまうはめになる。彼の運動が上手くいかなかった理由としてもっとも大きい訳は市民権の問題だったのよ」
先程、あれほど言葉を噛んでいた人と同一とは思えないほど流暢にしゃべるクリス。相変わらずニーナへの会話と他の人の会話とのギャップが激しい。
ニーナは彼女の正論に、うっと逆に今度は自分が言葉に詰まった
そう、アイセン留置所に収監されているアレンを含む全員は、イクスヴェリア帝国に住むための市民権をすでに剥奪してしまっている。一回失った権限を再び、回復させることは非常に困難を極めるのだ。
アイセン留置所は犯罪者を収監する監獄とはまったく別の施設である。監獄へと連れて行かれる犯罪者の彼らに対して、アイセン留置所へ連れて行かれる人間は犯罪の疑惑がかけられている彼らの処分が下るまでの一時的処置としてこの場所に収監されているのだ。
しかし、アイセン留置所にいる人間たちのほとんどは、未だ、処分が下ることは無い。今も、いやひょっとしたらこのまま死ぬまで永遠に、何の処分もなしに、命が尽きるまで収監し続けなくてはいけないかもしれなかった。
何故彼らに処分は下らないのか。理由は簡単、彼らには何の事件にも関わりは無く、まったくの無関係な人だからである。見に覚えの無い罪で疑いをかけらたものの、犯罪者にしたてあげられた者、イクスヴェリア帝国にとって隠さなければいけない人間。理由は個人様々であるが、誰もが人に騙され、強制的に収監された人間たちである。
彼らに何の罪も無い。そもそも、罪の無い人間であるからこそ無論、事件の決定的な証拠は出てこない。証拠も無ければ、不用意に処分を下すことはできないのだ。
そんな理不尽かつ、人権を無視した行いで、彼らは外へ出ることも叶わず、普通に生活するかともできない、地獄のような留置所で、あるはずのない証拠を待ち続けなくてはいけなかった。
「あーっ、一回でもいいから太陽石な光に包まれた部屋で生活したいな。アレン、お前まだ目を覚ましたときの自己紹介やっているんだろう?」
アレンの食器からひょいっとウインナーを取ると、サジは口に入れた。しゃべることに専念していたアレンはさっきから食が進んでいない。「あっ!」短く悲鳴を上げた。
「そうだよ。あれを毎回しないと自分が起きているのか、意識があるのか、あの暗闇じゃあまったくわからないからな。もうすでに習慣化している」
アレンは眠りから覚めると同時に、毎回のように自分の名前からあいさつ、趣味特技までの思い付く限りの自己紹介を言葉にする。
アイセン留置所から与えられた個人の部屋は狭く、そこにはトイレと小さなベットしか整備されていない。部屋内は暗闇に包まれている。長く真っ暗な部屋にいると、自分が寝ているのか、目を開けているのか、はたまた自分は生きていれのかさえわからなくなってしまう。
自己紹介を声にすることでアレンは今日も生きていると実感するのだ。唯一光を見ることのできる場所は食堂広場のここだけだ。
アレンほどではないがサジも長く留置所にいる。しばらく外には出たことが無かった。
「さらに、魔物の侵略が近いと来ている。いやはや、本当に俺たちはどうなるのかねぇ」
「魔物の侵略を阻止するために、『エリザ隊』が新たな新天地への開拓へと旅立ったのでしょう」
今度はニーナが食器から唐揚げを取っていった。そのままもぐもぐと食べてしまう。
『エリザ隊』。この国の王の娘、エリザ皇女と副官クリホォス将軍率いる選び抜かれた精鋭の兵士たち二百人のイクスヴェリア最強の遠征隊である。
魔物の侵略がイクスヴェリア帝国に迫っている今、真っ向から勝負をしたところで今の人間には勝ち目は無い。それは魔物により侵略されてしまった周辺国がその身を持って伝えてくれた。
勝てないのなら逃げる。王である彼は、ある決断をした。
昔より、幻として伝えられたこの世界とは異なる、もう一つの世界。遥か西、険しい山脈を抜けるとそこには太陽の光が存在する。いわば今の人類にとって楽園の世界が広がっているという。童話にされている有名な話であるが、その真偽は定かでない。寧ろ、笑い飛ばされてしまうはど夢物語のような話だ。
誰も、信じるかは別として、わざわざ身を挺してまで探す者などいなかった。
しかし、イクスヴェリア帝国国王は土壇場のこの時、『エリザ隊』という急遽国一番を誇る兵士を編成し、我が愛する娘を頭に立てる事で国民の支持を得、魔物から逃げるため新天地への発見という確率の低い、正に苦肉の策に出たのだ。
だが、誰も国王が血迷ったなど思う者はいなかった。最強な軍事力を持つユニオスもが魔物へと堕ちたのだ。すでに武力では魔物にかなわない、ならば魔物のいない新たな世界へと逃げるしかないのだ。
「し、しかし・・・もし新天地が発見されたとしても・・・市民権の無い私達は一体どうなるのでしょうか」
クリスの言葉で一同静まる。
丁寧にお礼を言ってから彼女は一番近くにあった野菜の炒め物を一口食べた。
「おい、お前ら、さっきからどさくさに紛れて俺の食べ物つまんでんじゃねぇよ」
「そうね、市民権の無い私達にはもしかしたら新天地が発見されたとしても招待されたかもしれないわ。いえ、きっと招待されないだろうね・・・あれ?」
しゃべりながらもアレンの食事に手を伸ばそうとしたところでその手は空を切った。見れば皿を持ってニーナの手から避けている。そのまま掻き込むようにして、食べられる前に胃袋の中に入れた。
『エリザ隊』がたとえ新天地への道を開拓したところで、市民権の無いアイセン留置所には未来は無い。魔物の胃袋で生涯を終えるか、人の手によって殺されるか、どちらかだ。
この場にいる全員が何も言わずとも察していた。自分はたちはどの道死ぬ運命にある。だが、彼らの顔には少しも暗い影は無かった。。今、この時も食堂広場は自分たちのささやかな人との交流を大事に精一杯堪能している。
しかし、彼らの笑顔は、短い甲高い音で強制に終了を迎えてしまう。
カンカンカン。
フライパンを叩いているような簡素なこの音は、食事終了の報せである。食べ足りない人でも、どんなに話し足りない人でも、必ずあの暗い、孤独な自分の部屋へと戻らなくてはいけないのだ。
ノロノロと周りが腰を上げ、両開きの扉へと向かう。アレンもまだ十分に満腹感は満たされていないがしょうがない。皿を片づけて、歩いている皆の肩に並んだ。
「おい、アレン見ろ。王宮の正規軍だ」
耳元でサジが囁く。
正規軍?目線を辿ると、今しがた扉を開けてやってきた青い鎧を着けている男が数人立っていた。
普通、王宮の近い首都で暮らす正規軍と呼ばれる兵士たちは、薄汚いところを好まない。金のある貴族の依頼は忠実に遂行するが、下町と呼ばれる首都から離れた平民の前には姿も見せたこともない。
アイセン留置所は下町の中で最も南端に位置し、首都から遠い。普段来客など来ることのないこのような場所に、何ゆえ彼らが訪れてくるのか。周りの人も、正規軍の存在に気づいたようで、ざつき始めている。
「あいつら、一体何の用だ」
サジの語彙には明らかに怒気が含まれていた。それもそのはず、ここにいる六割の人間は正規軍の工作によって犯人に仕立て上げられた者達だ。アレンはサジの過去を聞いたことはないが、ひょっとしたら彼も正規軍に濡れ衣を着せられた一人なのかもしれない。
場の空気が険悪に包まれた時、誰かを探すように首を回していた正規軍の一人がアレンと目が合った。そして、あろうことか鎧の擦れる音を響かせながらこちらへ歩いてきた。
「貴様、アレンで間違いないな?」
「・・・そうですか・・・なにか」
持っていた写真とアレンとを照らし合わせるように見比べた後、虫でも見るような睨みで冷たく訪ねてきた。自然とこちらも会話が丁寧ではなくなってしまう。
「用がある。来い」
「ちょっとあんたら!アレンに一体なにするつもりよ」
後ろから、人波をかぎ分けてニーナが叫んでくる。今にも飛びかかりそうな勢いだ。やばい。反射的にアレンはそう感じた。
正規軍は自分より下であると認識している人間にたてをつかれることを非常に嫌う。そして彼らには格下の人間をこらしめるだけの権力を持ち合わせている。機嫌を害って留置所ではなく、下手したら監獄行きを命じる。なんてことになったら大変だ。
ピクッと眼前の男の血管が痙攣したのが見えた。気のせいではないだろう。完全に切れている。
アレンはニーナを庇うように声を出した。
「俺に用があるのでしょう?時間がありません。早くしてください」
時間なんて何もすることのない自分達にとって有り余るほどあるのだが、如何せん、咄嗟に機転が利かなく思い付いた言葉を並べてしまった。
しかし、予想外。上手くいったようで、男は血走った目をアレンに向けると、鼻を鳴らして背を向けた。そのまま帰ってくれるのかと思いたいところだが、着いて来いという意味なのだろう。アレンは重い鉛のような足を引きずるように彼の足跡を辿った。
「アレンっ!」
ニーナの呼び止める声、振り向けば今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。心配させないようにアレンは微笑む。
「今日は『特等席』ありがとう。また、昼食時に会おう」
それだけを言って背を向けた。
正規軍に呼び出されるぐらいだ。悪い予感しかしない。もうアレンの姿を見ることは無いだろうな。なんて思う仲間もこの中に大半はいるはずだ。だが、こんなところでアレンは命を落とすわけにはいかなかった。
――大丈夫だ。
しかし、食堂広場から出た暗い廊下と前を歩く彼らの背を見ると、どう自分に言い聞かせても不安が拭えることは無かった。