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黎明の縒り糸

松林に立ち込める冷たい朝霧の中、慎二は苔むした祠跡の石碑に刻まれた文字を指で辿った。割れ目から顔を覗かせる赤い縒り糸の切れ端を握りしめると、鍛冶屋・源蔵が息を荒げて駆け寄り、古老の日記の裏から見つかった羊皮紙を手渡す。朽ちかけた墨で記された一節――盟の血は三つで終わらず、四つめを求める闇あり。裂かれし盟約、再び結び直されれば、村は血の檻と化す――その言葉が胸を刺した。


夜の帳が下りる頃、慎二と紗良、源蔵、薬師の恵美は共同墓地の地下へと足を踏み入れた。湿った空気にむせ返る漆喰の壁、朽ちた棺が並ぶ暗闇の奥で、慎二が開いた一つの棺に眠っていたのは――村長の家紋入りの護符だった。背後で軋む鎖の音が響き、振り返れば仮面を纏った影がゆっくりと外装を脱ぎ捨てる。愛情深き長老の素顔は冷たく歪み、その掌には人狼の闇が宿っていた。鋭い咆哮が地下道に木霊し、源蔵の振り下ろす鉄鎚が虚空を裂く。だがその先には、より深い闇の気配だけが残る。


満月が濡れた石橋を銀灰色に染め、川面に揺れる月光が仲間たちを照らす。村人たちが剣と鈴を手に集結し、百合子の代わりに恵美が呪文を詠唱する──深き闇よ、今こそ裂かれよ――。川霧が渦を巻き、獣と人の狭間にある“真狼”が咆哮を響かせた。深紅の瞳が理性を断ち切り野性を呼び覚ます中、慎二は剣を振るい、紗良は鈴を打ち鳴らし、恵美の一閃が新月の闇を切り裂く。影が土へ崩れ落ち、咆哮は断ち切られたかに見えた。しかし、その口許から掠れた囁きが漏れた。「血脈の檻はまだ開かれていない……黎明は遠い──」──その言葉だけが、湿った橋に残響した。


夜明け前の村の広場には薄紅の桜が静かに揺れ、散る花びらが足元を覆う。清志郎も拓也も百合子も、もう帰らぬ魂となった。その鎮魂と赦しを捧げるため、村人たちは輪になって座り、紗良の静かな声に耳を澄ませる。「ここに古の血脈を断ち、真の盟約を結び直しましょう。人と自然が共鳴し、恐怖ではなく希望を育む――それが新しき誓い。」ひとりひとりが赤い糸を手に取り、舞い落ちる桜の花びらに結びつけるたび、静かな震動が広場を包んだ。


東の空が薄紅から茜へと移りゆく頃、かすかな影が石橋を横切った。しかし村人たちは動じず、紗良の穏やかな声が彼らを照らす。「影は光を前にして消え去る――恐れずに、この刻印を胸に刻みましょう。」皆が手を取り合い、深く一礼すると、石橋に桜の花弁と縒り糸が絡み合う紋様が浮かび上がった。やがて風が頬を撫で、影は朝日に溶けて消えた。霧が晴れ渡る谷間には小鳥のさえずりが戻り、慎二は紗良の隣で小声でつぶやいた。「蓮ケ谷はすがたに、再び微笑む村となったな。」鈴の余韻が朝陽に溶け、恐怖を乗り越えた絆の証が谷間を満たす中、新たな黎明が静かに幕を開けた。

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