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小物貴族が性に合うようです  作者: スパ郎


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91話 神を殺す者を殺す小物を殺す大物

 アグナ先生がまた立ち上がる。


 顔が銀仮面をつけているみたいになっているし、関節も鉄の影響で十分に動けないだろうにそれでも気丈に立つ。


 王立魔法学園の教師という矜持と、俺を守る意思も同時にあるのだろう。


 先生にこれ以上無理はさせられない。アイデアが出てこないので、先日アグナ先生が言っていたことを聞いてみることにした。


「先生、以前に変律の極みと戦うには《《コツ》》がいるって言っていませんでしたか?」

 俺がバルド先生に完敗したのを知って、ゼミでそうアドバイスしてくれていたアグナ先生。あの時詳細を聞いていなかった。


「……よく覚えているな。五理の中で最も異質な理が『変律』。この魔力の理だけは、対策をしないと手も足も出ないということが起こりうる」


 異質さ。特殊さ。その際立った立ち位置。

 しかし、大きく尖った部分があるということは、大きく凹んだ場所もあるということだ。

 激流に対抗するために正面に立ってはならない。その力を利用し、なんとか方向を変えるのが正しい。


「変律には変律――」

「なんだ。答えを知っているのではないか」


 なんとなくそんな気がして口にしたが、正解だったらしい。

 おそらくユラン先生もこのコツを知っており、そして何かを見抜いた。


「再び参る」


 アグナ先生が動いた。溶かされた双剣は既にないが、空いた両手に贋作を作り上げる。

 鉄化が更に酷くなっており、左肩から胸にかけて鉄化しているというのに、双剣の軌道に迷いは一切なかった。


「先生……!」


 鉄化した部分から血が滲む。


 それでも一切動きに澱みがない。まるで呼吸するように、剣が舞う。

 空中の四本の贋作剣も同時に連動し、立体的な剣陣、アグナ先生だけが持つ戦闘の形がガロムを包囲した。


「おおっと、また来たか先生ェ! 今回は本気かぁ?」


 ガロムが笑っていた。いつものことだ。

 だがその笑顔が、ほんのわずかに揺らいだ瞬間を、俺は見逃さなかった。


 ――贋作が、変化していた。


 一本の剣が、形を変えた。

 細く、鋭く、鎖のようにうねる刃へと変化し、ガロムの足元を絡め取る。


「っ、なんだと!?」

 

 剣を警戒した動きをしていたのに、鎖に形が変わって、対処しきれない。

 動きが止まる。次の瞬間、残りの三本が交差するように突撃した。

 風を裂く鋭さ。空間すら切断するような連撃。


 先生はいつでも斬りかかれそうな距離にいて、それでも踏み込まない。

 ただ、贋作の剣は踊り続ける。贋作の真価、“自律制御”――先生自身が動かなくていい斬撃。あれが魔融の極みに立つ者の戦い。


「……そちらの得意な戦闘スタイルには持っていかせない」


 アグナ先生の声は静かだった。

 ガロムの腕が、肩が、守りのために作り上げた鎧のような鉄の外装ごと、斬られていく。


「ちっ、てめぇ……やるじゃん……ッ!」


 ガロムが初めて、歯を食いしばった。


 四本の剣が一斉に、ガロムの胴を狙って交差する。


 ……いける。

「──終わりだ」


 アグナ先生がそう告げた瞬間だった。


「なわけねーだろ、バカが!!」


 ガロムが、全身から魔力を爆ぜさせた。まだあれ程の余力が!?


「鉄ども俺様を守りやがれ!!」


 先程の大技によって覆われていた鋼の地面が割れ、贋作を下から突き上げるような“逆衝撃の鉄柱”が爆発的に伸びる。

 剣が弾かれる。魔力の振動で制御が崩れ、陣形が一瞬にして解体された。


 ガロムは、破れかぶれでもなく、計算でもなく――

 ただ生き延びるために最適なスキルを、本能で打った。


 剣の包囲を壊し、勢いそのまま肉薄して、アグナ先生に首を元の急所を狙って拳を叩き込む。


 ドガッ!!


 衝撃で、アグナ先生の体が数メートルも吹き飛ばされた。スキルによって覆われた鉄の拳。そして素の魔力量が多いその一撃は、シンプルであり、致命的な一撃となった。


「っ、が……っ……!」


 崩れながらも、血を吐き出しながらも、アグナは剣を手放していない。

 けれど立てない。益々鉄化した左半身が動かず、体を支えられない。


 ガロムは口の端を上げた。

 ボロボロの肩で、血を拭いながら。


「ッハ、っはは……おっそろしいわ。あんたの贋作、マジで命持ってんじゃねぇのか……? でもよ……やっぱ最後は、“本物”の殴り合いがものを言うんだよな」


 二人の決着がついた。


 アグナ先生が膝をついた。

 鉄に侵された脚が、もう支えきれなくなってた。剣はまだ手にあったけど、肩が落ちてる。


「先生、後は任せて……!」


 励ますために思わず声を出したその瞬間、何かが背後に現れた。


 一瞬だった。本当に、一瞬。


 空間が、剣の柄みたいに『引き抜かれた』気がした。


 そして、六人の影がそこに立つ。


 全員が剣を持ってた。

 一人は、白銀の戦乙女。

 一人は、木剣を持った老人。

 一人は、炎を背負った若者。

 一人は、目を閉じた和装の剣士。

 一人は、巨大な大剣を抱えた巨体の女剣士。

 そして、最後の一人――全身黒鉄の鎧に包まれた、黒騎士。


 声はなかった。でも、空気がビリビリしてた。

 音すら止まったみたいだった。


 剣たちは、アグナ先生の背後に並んで、無言でガロムを見ていた。

 まるで、「まだ終わってないぞ」って言ってるみたいに。


 でも先生が、「すまぬ」と最後に言い残し、すとんと倒れ込んだ瞬間――

 彼らも、スッと消えた。


 ……え? なに今の? ちょ、誰!? かっこよかったんだけど!?

 っていうか、今の……“剣の魂”……とか、そういうやつなのか? たしかにあの黒騎士だけはゼミの時に見せて貰った気がする。先生、彼ら戦えないんですか?


 訳はわからなかった。でも、あれだけはわかる。


 先生の剣には、確かに“何か”が宿ってた。魂か、意思か、記憶か、知らないけど。


 魔融の理は物質に生命を与える、か。

 凄いものを見た気がする。


 俺は今、とんでもない成長の舞台に立っているのではないか。

 緊張して、相手を恐れるのが少し勿体なく感じられた。


 ここは楽しみ、成長するための場だと今更になって前向きに考え始めた。命を惜しんでは、この最高の舞台を楽しみ切れない。


「……なに、笑ってやがる」

「ちょっと試してみたいことが出来て」


 おっと、笑っていたみたいだ。

 刃先が鉄になってしまった変刃を構える。ヒナコ先生に叩き込まれた基本の構えで、息を整える。


 足が震えてた。手も震えている。俺がこれまで戦ってきた中でも、間違いなく最強格の相手だ。けれど、不思議と先ほどから恐怖心は一切ない。


 何かゾーンに入ったような感覚。研ぎ澄まされる。


 これなら届く気がする、ガロムの“完璧な鉄”に、触ることができる。


「行くぞっ!!」

 俺は地を蹴った。

 迷いなく、まっすぐ、真正面からガロムに突っ込んだ。


「はぁ? この期に及んでまっすぐ突っ込んで来んの? アグナを見なかったのか。馬鹿かお前!」


 いつもと同じ。

 ガロムが腕を振りかぶる。鉄が生まれる。空中に槍のような鉄杭が現れる――


 その瞬間、鉄が、引かれた。


「……は?」


 ガロムの目が一瞬、泳いだ。

 生み出されたはずの鉄杭が、空中で軌道を逸らした。俺の変刃に、引っ張られる。


 ガロムの鉄は、あまりに精巧すぎた。

 磁力の影響を、最も正確に受け取ってしまう“完璧な磁性を持つ鉄”だった。


「て、てめぇ……それ……ッ!!」


 反応されるより早く、俺の変刃がガロムの防御の内側に入った。


 研ぎ澄まされる体の動き。体を強化する魔力量が、なぜかいつもより多く感じられる。循環するから無限なのではない。生み出される魔力量が無限なのではと錯覚させられる程の魔力量。身体強化に引っ張られるように、全身の筋肉が、骨が、血が、この一撃のために絞り込まれる。


「ヤーァァァアアアアッ!!!」


 叫びと同時に、魔力の刃が鉄と化した変刃を、ガロムの胸元に叩き込んだ。


 ガキィィィイイイイインッ!!


 鉄と鉄がぶつかり合う音。そして鉄が裂ける音が響く。


 刃が、めり込んだ。

 鉄の装甲を破り、そしてそれと同じくらい固いガロムの胸の中へ、今、刃が届く。


「がっ、……ぉ、おぉおおおおおッ……!!」


 ガロムが、のけ反った。


 俺の刃が入った。

 ガロムの鉄を、確かに断ち割った。

 でも、まだ倒れない。ぐらついた身体が、今にも反撃に転じようとしてる。


「てめぇ小物……オレの鉄を、割りやがったな……」


 その目は、まだ燃えてる。

 怒ってるってより、“興奮してる”。やはりガロムはずっと戦闘を楽しんでいた。そして、膨れ上がる膨大な魔力を彼の体内に感じる。


 ――ヤバいのが来る。次来るのは、たぶん本気の“殺すやつ”だ。


 でも、俺は一歩も引かなかった。

 むしろ、右足を一歩前に出した。


「次は、引き寄せるんじゃない……弾く番だ」

 そうでしょう? バルド・フェルマータ先生。


 変刃に、もう一度魔力を込める。

 魔力の性質を磁力、その磁力を、逆にする。引くんじゃなく、反発する力に変える。


 俺の魔力が、空気ごと反発し始めた。

 純度の高い鉄ほど強い磁性を持ち合わせる。

 変刃にくっつく鉄、周囲に浮かんでいた鉄片たち、ガロムが作り出したこの鉄のフィールド全体が――一斉に弾け飛んだ。


「なっ……!?」


 反撃の一手に打ったガロムの生み出した鉄の防壁が、俺に近づこうとした瞬間――

 バァンッ!! と音を立てて、それもまた全方向に弾け飛んだ。


「な……にが起きてやがる……!?」


 ガロムが目を見開いた。


「お前の鉄は、よく出来すぎてる。完璧すぎるんだよ。でもさ、完璧すぎるってのは、相手に利用されたときの力も強いってことだ」


 俺は走る。加速する。まだまだ動ける。体中が傷だらけ。目の前には神殺し。しかし、今日一番の調子の良さを感じ、変刃を振り上げる。


「お前の鉄は、本当にすごかったよ。正直、死ぬかと思った。でも……楽しかった」


 ガロムが腕を振り上げる。最後のあがきに、鉄を生み出す気配がする。


 ――でも、その刹那。

 ガロムの手の中で、生まれかけた鉄が、バチンッ!と弾けた。


「……反発してんのかよ。鉄が上手に作れねぇ……オレさま自身の鉄が……俺から……ッ! 言うことを聞かない! 小物、その年でそこまでの『変律』の理を操るか!!」

「良い経験をありがとう。そしてお疲れ様」


 バルド先生との死闘。そしてガロムとの死闘が見せてくれた景色だ。

 感謝を述べずにはいられなかった。


 俺は跳んだ。

 空気が重く、視界がはじけ飛んだ鉄くずで霞む。

 でも、変刃だけはまっすぐに、魔力で作り上げた槍の刃先を出現させ――ガロムの胸を、再び貫いた。


 ドガアッ!!


 固い。でも貫いた。衝撃で、ガロムの身体が浮き、吹き飛ぶ。

 地に叩きつけられ、鉄が砕けて舞う。砕けた鉄くずに埋まる体。


 しばらく、音がなかった。

 風も、鉄も、誰も動かなかった。


 俺は、肩で息をしながら……それでも、立っていた。


 勝った。

 俺が……小物の俺が神殺しに勝ったんだ。


 ガロムは仰向けに倒れた。

 砂煙が舞い、彼の周りには、砕けた鉄の残骸が山のように転がっていた。


 ……さすがに、もう動けないだろ。


 そう思った、のに。


「……ぉ……おぉおい……」


 鉄の山の下から、もぞ……もぞ……と何かが動いた。


 え? 生きてるの? 動いてるの? あれで動けるの? ゴキブリかよ!


「……ちょ、今、詰めてっから……」


 ガロムが、胸の穴を片手で押さえながら、

 もう片方の手で、なんかこう……ベチャベチャした柔らかい鉄みたいなのをねじ込んでた。


「え、なにそれ……補修用の鉄……?」

「そんな感じだ。ただ代償はある……このへんの筋肉は使ってなかったからセーフだわ……。きつー。ちょっと寝れば……動ける……んじゃねぇかな……」

「いやいやいやいや! 死ぬやつだよ!? それ普通は死ぬやつだよ!?」


 俺がツッコむと、ガロムはうっすら笑って、吐息混じりに言った。


「小物……マジでお前の刃、すっげぇ効いたわ……俺様の鉄、全部……弾かれたからな……」

 言いながら、また胸にグニッと鉄を詰めてる。どんな体の構造なの? 人造人間?

 スキルの影響で体質が変わっているんだろうけど、見ていて凄く驚かされる。


「……くっそぉ……マジで負けたなぁ……気持ちいいくらい……」


 その言葉を最後に、彼は静かに目を閉じた。

 倒れるっていうより、ぐでんと寝転がるように、力が抜けていった。


 しばらく、俺はその様子を見ていた。

 それから、自然に言葉が出た。


「……すげぇよ、あんた。マジで。あれだけ鉄を作って、斬って、止血まで鉄でやるとか……どれほどスキルと魔力の理を極めたらそんなことができるんだ」

 シンプルにリスペクトの念が出た。


 静かに目を閉じたガロムの隣に、砕けた鉄が風に吹かれて転がっていく。


「でも……ありがとな」

 今度こそ、ちゃんと終わったのを確認した。


 自分の体に刺さった鉄を引っこ抜き、布を巻き付けて止血していく。

 身体強化のおかげで傷の治りも早いが、こりゃまた数日痛みに苦しみそうだ。

「視界がモノクロになるー」


 倒れたアグナ先生にも近づいていき、同じように応急処置しておいた。


 ガロムが倒れたからだろう。この不思議な植生の通路を塞ぐ鉄の剣山が徐々に消えていく。スキルが解除され、鉄が魔力に戻り、宙へと溶けてしまっている。


 先を見る。そして、帰りの方も。


 どちらへ進むか。

 この地下の先に何が待つ?


 気にはなる。何か、大事なものがある予感もする。

 けれど、アグナ先生が意識を失い、倒れてしまっている。迷うことはなかった。


 帰る、一択だ。

 ……ジンと学長のことは申し訳ないが、二人を助けるためにアグナ先生を犠牲にはできない。


「……私を気に掛けることはない。進め、ハチ」


 目を閉じたまま、アグナ先生が言葉を発した。


「びっくりしたぁ。意識あったんですか!」

「うむ。寝ていれば治る。それに自分の身くらいは自分で守れる。ハチ、行きたい方へ行け。お主は、不思議と大きな事件を引き寄せる運命にあるみたいだ」


 小物にそんな運命とか、何かが間違っていないか?

 普通、そういう運命を背負わされる者は、生まれながらにして強大な力も与えられる大物だと思うんだけど!


「何があったのか、ゼミで聞かせて貰うぞ。さあ、行くんだ。お主の魔力も言っておる。前に進みたいと」

 感情は魔力に影響すると聞いたことがあるが、見抜かれていた。


 俺は今、前にどうしても進みたくて仕方がなかった。

 ガロムと戦ったことで、一時的に小物スイッチがオフになっている。


 連戦したい。神殺しでも、まだ見ぬ強大な敵でも、今この調子の良さでもう一度戦ってみたかった。まだ見ぬ、魔力の奥深さが今なら見える気がする。


「すみません、先生。お土産話は脚色したものが良いですか? それとも事実を?」

「当然事実で頼む」

「よし、任されました」

 おもいっきり脚色したものにしよう。


 アグナ先生を仰向けにしてやり、変刃を拾い上げる。

 進むべきは、前だ。


 さあ、鬼が出るか蛇が出るか、はたまた神でも出るのか。


 薄暗い通路を進んだ。


 通路は、想像していたよりもずっと長かった。

 そして、ずっと……静かだった。


 踏みしめる足音が、コツ……コツ……と響くたび、それに反応するように、壁の奥が微かにうめくような音を立てた。

 植物と魔力が混ざった、どこか“生きている”ような通路。


 空気が重い。ひんやりと冷たくて、息を吐くと魔力のような白い煙が出た。外の世界では感じたことのない、魔力の濃い世界。


 俺の肩には、血がにじんでいた。肩だけじゃない。傷が多く、血が流れ過ぎたせいで、どこに傷があるのか特定できない程。


 ガロムの攻撃で裂けた脇腹が、歩くたびにズキズキする。

 左腕も痺れてる。多分、打撲じゃ済まない。


 でも、止まらなかった。

 この先にあるものが何かなんて、わからない。

 でも、“何かがある”ことだけは、通路全体からひしひしと伝わってきた。


 何かが待っている。

 そんな気配が、ずっとしていた。


 ──そして、俺は見た。


 通路の奥。

 ぽっかりと空いた暗がりに、二つの影が立っていた。


 背筋が、ゾクリとした。


 最初は、人じゃないかと思った。

 あまりにも静かすぎて、まるで彫像のようだったから。


 でも、影は動いた。


 右側の影が、片手を軽く上げる。

 その動作ひとつで、空気が緊張に満ちた。


 左の影は、すっと片足を引いた。構えでも威嚇でもない。ただ、そこに在る。


 俺は――理解した。


「カトレア姉さん……ラン姉さん……」

 ようやく声が出た。喉が渇いてたのか、ガラガラだった。


 待ち受けていたのは、鬼より、蛇より、そして神よりも恐ろしいかもしれない存在。


 二人は、無言だった。

 でも、そこにいるだけで、空間が変わった。


 ここまでの通路の不気味さも、血の匂いも、傷の痛みも、すべてが一瞬で背景に追いやられるほど、二人の存在感は圧倒的だった。


 ようやく、カトレア姉さんが一歩、前に出た。


「……ボロボロね、ハチ」

「かわいそうなハチ」


 その声は、いつもの調子だった。

 優しくも怖く、冷たくも温かい、姉さんらしい声だった。


 ラン姉さんは静かに、優しい目を向けてくれているが、二人の雰囲気が物語る。


 ここは通さないと。


「その傷で先に進もうと?」

「無謀なハチ」

「……なぜ姉さんたちがここにいるのかは聞きません。要求はただ一つ、ここを通してください」


 姉さんたちが顔を見合わせた。会話はないが、二人だけに伝わる言葉を必要としないコミュニケーション。


「学長に、誰も通すなって言われているの」

「ハチでもダメ」


 次の瞬間、一瞬で湿度100%のサウナに連れていかれたような湿気を感じた直後、空気がひんやりと凍り付いてミストを作り上げた。


 ラン姉さんの足元に、音もなく氷が広がっていく。

 まるで水面をなぞるようななめらかさで、床一面が白銀に染まる。


 その氷が通路の奥を這い、ラン姉さんの背後でで音もなく立ち上がった。

 鋭い刃のような氷柱が、いくつも重なり、壁のように行く手を塞ぐ。


 同時に、カトレア姉さんの指先から――種子のような何かが、ひとつ落ちた。


 ポトン。


 音すら吸われたような静けさの中で、そこから“樹”が生えた。


 いや、あれは“生える”ってレベルじゃなかった。

 瞬時に伸びる。太く、黒く、ねじれた幹が通路を埋め尽くすように広がる。


 枝には棘のような葉が蠢き、通路全体に深い森の中にいるような圧が満ちていく。


「「ハチ、ここは通さない」」


 変刃をぎゅっと握りしめる。とても、この怪物たちを相手にできるわけがない。けれど、俺はもう引くつもりはなかった。

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― 新着の感想 ―
なんか、最終章みたいな盛り上がり。 良いですね。
相手の領域の法則に変数を書き加えたような感じですね 全面的に乗っ取るより効率が良い さすが倹者
もうラスダンみたいな
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