85話 天壊、出張
目を覚ますと知らない天上だった。
自室の4畳半よりもかなり広くて、真っ白な部屋。天井がかなり高く、ベッドの周りには白い布地で囲んだ空間が。
「病室?」
なんとなくそんな気がして口にした。
「ハチワレ!」
手を握ってくれていたのは、我らがアイドルヒナコ先生であった。
両手で強く俺の手を握ってくれる。……ほほっ。長い事看病してくれていたらしい。その顔に疲労の色があった。
「あれ? 俺なんでここに?」
「授業中に私と戦って、ついむきになったときに、なぜかあなたが……ごめんなさい。何を言っても言い訳ね。こんな目に遭わせてしまい、本当に申し訳ない」
目を潤ませて謝罪するヒナコ先生。
あれ? 本当に何があったんだっけ?
……そうだ。思い出した。
俺はアーティファクト変刃を強化し、ヒナコ先生の全力を引き出したんだった。
トゲトゲの付いたさすまたでヒナコ先生の服を破く度、生徒たちから湧き上がる歓声。白熱する戦いと観客の生徒たち。ヒナコ先生が本気で来るから、こっちも全力で対処していたら、とうとう胸元がバサッ。
湧き上がる大歓声。そして、目に飛び込んでくる絶景! 原初の座? なにそれ。ヒナコ先生のはだけた服の方が百倍濃い絶景ですが!
気づいたら変刃を手放し、ヒナコ先生の一撃を諸に受けたのだった。
そうだった、そうだった。
おっぱいに見惚れて、急に戦意を放棄したのだった。
戦っている場合じゃない。俺には全神経を集中して見なければならないものがあったから。
「ヒナコ先生、謝らないで。これは完全に俺が悪いです」
ぶっちゃけ、100%俺に非がある。
あんな白熱した戦いの中、急にガードを放棄して視力に全意識を振るんだもん。大けがをしても自分の責任というものだ。
「ありがとう、ハチワレ。久々に会ったあなたがこんなにも強くなっていて嬉しくて……つい本気出しちゃった」
「お互いあの頃から強くなりましたね」
忙しい身であるヒナコ先生とこうして二人きりで話せただけで、プラスマイナス大きくプラスである。怪我なんて安い代償だ。
「ハチワレの武器、凄かった。なに、あれ? 棒の先から、魔力で刃のようなものが出て来てたけれど。それにあの千鎖」
「俺も良く分からないんだ。せっかくアグナ先生のゼミにいるので、今度聞いてみます」
「本当に凄かった……。気を抜いたら、いつ負けてしまってもおかしくない程に」
そうだったのか。
自分では気づいていなかったが、ヒナコ先生視点ではかなりの脅威を感じ取っていたらしい。
アーティファクトを魔融の技術で強化すると、それだけで恐ろしい存在になるのかもしれない。俺にはただのさすまたって感じだったけど。
アーティファクトってすげー……。ア報会に今度相談してみよう。アグナ先生とミニ先輩が助言を下さる気がする。
「ヒナコ先生、俺にばっかり構っていないで仕事に戻ってください」
なんとかベッドから起き上がって座る。大丈夫ですよ、というアピールでもある。いててて。まだ体が痛むが、恐るべき自らの頑丈さ。寝れば治る!
「忙しいでしょうし、ヒナコ先生は我々のアイドルですから、俺だけが構って貰うと後で男どものやっかみを受けてしまいます」
ヒナコ先生の選択授業の圧倒的人数。そして驚異の男率100%。
俺は気づいている。やつらの目がずっとヒナコ先生の胸元に向かっていることを。
「本当に良かったわ。ハチワレ、あなたが無事で本当に嬉しい。それでは、お言葉に甘えて、仕事に戻ろうかしら。今日は唐揚げがメインダイニングに並ぶと聞いているし、楽しみなのよね。ふぅっ~!」
ふぅっ~! ってなに?
ヒナコ先生が飛び跳ねて出て行ったけど!
我らがアイドルの新しい一面を見られて、幸運だ。今度皆にヒナコ先生の大好物が唐揚げという情報を共有して、アイドル様を独占したお詫びとしよう。
この学園の先生に1人凄腕のヒーラーがいると聞いていたが、俺を治療してくれたのは官僚出身の職員の方。きちんと感謝を伝えて、尖塔内にある病室より退出する。天井が10メートルもあるような広い部屋だったので、これから帰る4畳半に窮屈さを感じないか少し心配だ。
尖塔から出ると、学園内は妙に騒ぎになっていた。何かセールでもやっているのか? と団体様に加わると、大勢の生徒たちの前を通る人物たちが。通路を割って、尖塔内に入って行こうとするローブ姿の大人を三人見た。
……前にどこかで見たような。
「すみません、これは何の騒ぎですか?」
セールじゃないならいいやという気持ちが半分、何か妙な胸騒ぎを覚えた気持ちが半分。折角なので、キャーキャー騒いでいる女子生徒の先輩に聞いてみた。興奮気味に説明をしてくれた。
「あら、あなたも天壊旅団のファンなのかしら? 情報が欲しかったり、ゼルヴァン様のサインが欲しければ、ファンクラブに入ることね」
ファンクラブがあるのか……って、天壊旅団!?
あの神殺しの連中が学園に?
俺が眠っている間に何があったのだ。
「なぜ彼らがここに!?」
「そりゃ神殺しって呼ばれる方たちよ。神を殺しに来たんでしょ?」
先輩も詳しくは知らないみたいだった。
至極まっとうなことを言っているようだけど、それって普通の事態ではないんだよな。
人が神を殺す程の出来事など、滅多にあってはならない。
原初の座にて、不思議な光景を見て来た後だからこそ、余計にそう思う。世界の秘密に触れてしまったかのようなあの光景を、今でも鮮明に思い出せる。
……いや、待て。
ドキリとした。
天壊旅団が来たのって、もしかして俺絡みか?
ちょっと待て。使命を果たしてしまったことと、何か関係あると?
別に悪いことはしていないと思うが、トラブルは避けるのが小物の性。……黙っておこう。パンツ泥棒を追っていただけなのに、まさかこんなことになろうとは。
それでも気になる天壊旅団の3人。俺が生命の神エルフィアと戦った時、彼らは8人で来ていた。今日は3人。他の5人はどこにいるのだろうか?
1人が立ち止まって、なぜかこちらを見て来た。
女性生徒たちが、ここぞとばかりにキャーと黄色い歓声を上げる。
まるで俺たち馬鹿な男子生徒がヒナコ先生の前でうおおおおおと声を上げているような感じ。どっちもどっちだな。
まあ、それは置いておき、立ち止まった存在が妙に懐かしく感じられる。
そして、思い出した。
団長ゼルヴァンから寄せられた手紙。ジンを天壊旅団で預かるという内容を。まさか――!
「……ジン!? ジンなのか!!」
フードを深く被った天壊旅団の1人。口元が少しニヤリと笑った気がした。けれど、返事はなく、彼がまた歩き出す。
尖塔内に入って行った。生徒たちの噂じゃ、学長に会いに行くらしい。
……ジンだ。今の絶対、ジンだった!! 俺はヒナコ先生のおっぱいと、友達の顔を忘れない脳みそを持っている。エルフィアとの戦いにおいて、命を救ってくれた男。最後は自分の信念を曲げず、神をも貫いた刀使い。
元気にしてたんだ! ずっとどうなるかと不安に思っていた。ジンは人斬りだとか、黒い過去があるとか、あまりいい話を聞かなかった。酷い目に遭っているんじゃないかと、ご飯を貰えていないんじゃないかと、その安否をずっと心配していた。
そのジンが今、目の前にいた! 絶対にそうだと思う! あれはジンだ!
「ジン? そんな方、天壊旅団にいませんわよ」
ファンクラブに入っているという女子の先輩が、振り向いてそう教えてくれた。
正式にメンバーじゃないのかもしれない。ただ情報が出回っていない可能性も。けれど、確かに感じたんだ。今さっき、あそこにジンがいたと。
「先輩、俺も天壊旅団の方たちに会いたいです。どうしたらいいですか?」
「あら、簡単に言いますわね。彼らは王国でも最強の存在。当然人気も凄まじい。我々王立魔法学園の一生徒が簡単に会える方たちではありませんわ」
「そこをなんとか!」
「ふふっ。あなた、相当なファンと見ましたわ。見込みありとして教えてあげます。来週、ファンクラブの3人限定で、団長に会えるイベントがありますの」
ファンクラブにそんな権限が!
人が集まれば力になると聞いたことがあるが、ファンクラブも集まるとあの神殺しの団長をも召喚出来てしまうのか。
「入ります!」
「よろしい。後で書類を持って来て差し上げますわ。会員規則はその時に説明してあげますけれど、まずは入会金10万バル。毎月の会員費2万バル。そして遠征代の貯蓄を毎月1万バル」
「すみません。やっぱなしで!」
ファンクラブ、めっちゃお金かかる。
他の道を探さねば。
天壊旅団はしばらく滞在するらしいと先輩が教えてくれた。どこに泊まるんだろうか。ファンクラブから情報を分けて貰うためにも、やはり金が必要そうだ。自由に使えるお金は商品券くらいしかないし、どうしたものか。
ジンに会いたい。あれが確かにジンだと確かめるためにも!
「……バイト、始めてみるかな」
――。
売店の貼り紙に、バイト募集の記載があるものを見つけた。さっそく応募し、採用して貰う。学園生徒だと審査の必要がないから楽だと、とても歓迎された。
そりゃパンツ泥棒パルフェの件があったばかりだし、外部の人間はとても選考が厳しくなっている。向こうからしても、俺が応募してくれたのはかなり助かるらしい。
仕事内容は、深夜の売店内掃除。閉店後に広い売店内の床を隅々まで磨けばいいのだ。
ファンクラブからいくら請求されるかわからないので、壁や天井の清掃もするから時給を上げて欲しいと交渉してみた。
成果を見てからという条件付きでそちらも了承してくれている。
そして、迎えたバイト初日。
箒と塵取り、濡れ拭きようにモップを手にして、床を磨いていく。身体強化を使用しているので、丁寧でありつつ、素早く仕事をこなせた。
床は本来任されている仕事だ。ここを確実に終わらせ、次はボーナス部分。
壁は高いところとかを拭く作業が大変になってくるが、これは魔力の理を利用して何とかなった。
修理スキルを使用し、変律の技術で魔力に粘着性を持たせる。
その魔力を使用して壁に張り付いて、雑巾で壁を拭いて回った。
消費魔力は大したことがないのに、仕事は凄く効率的に進んでいく。
売店も天井が高いので、少し怖くはあったが、同じ要領で天井にくっついて、まるで天井を這う虫の要領で天井を拭き拭きしていく。
ところどころ修繕が必要そうな箇所は、スキルで修復しておいた。これはサービスだ。大した労力でもないので、サービスサービス~!
そして、迎えた次の日、俺を雇った人から感動の言葉を貰うことができた。
「こんな綺麗になった店内を見るのは初めてだ」
肩を掴まれてブルンブルンと揺らされる。
ちょっと寝不足なので、勘弁して。
「気に入って頂けましたか?」
「もちろんだよ。すぐに上に話して時給アップの件を!」
ボーナスは当然弾むし、何より修理スキルを使用したところも気に入ってくれたらしい。こうして何とかファンクラブに支払うための資金源を確保することが無事で来たのだった。
うっひょー。思ってたより稼げちゃったよ。
これをファンクラブにつぎ込むのはなんだか勿体ない気もする。少しくらい自分のへそくりに貯めておこうかな? なんて。ぐふふふっ。貯金はマイナスイオンが出るから貯めて置いた方が良いですよ。
――。291番視点。
『平民会』はこの学園で有名な組織である。平民出身者は、皆自らの立場に引け目があるのか、加入率は100%を維持している。それも無理はないと思う。相手をするのは、才能を持った貴族様たち。
生まれ持ったものからして違うし、幼少期より高度な教育を受けている彼らに追いつくためには、我々は集団で知恵を出し合って成長していく他ないのだ。
最近、『平民会』にて僕の立場が上がっている。ほとんど1年生の代表者的な立ち位置だ。
ニックン、ニックンと名前を呼ばれて頼られることも多くなった。
立場が上がった理由は単純。一年で最も話題の中心にいるハチと仲が良いからだ。皆がハチの情報を知りたがり、僕に尋ねて来る。そのうち、なんだか僕が頼りになる男とか言われ始め、リーダー的なポジションに押し出されてしまった。
ハチの知らないところで恩恵に預かり、出世してしまった。平民会の幹部は卒業後も要職に付けることで有名だから、本当に大きな恩が出来ている。
なぜハチが話題に登っているのかというと、いろいろ理由はあるのだが、まずはこれだろう。
ハチは滅茶苦茶強い。やはり強さは正義だ。皆が自然と憧れてしまう。しかし、おかしいことがあるのだ。僕も未だに疑っているのだが、ハチの魔力量は4444。紋章の形は豊饒。
信じられない。その魔力量と紋章で、なぜあんなにも強いのか。上級生の不良グループを締めあげて、先日は学園のアイドルであるヒナコ先生と授業で互角にやりあったと聞いた。
はっきり言って、魔力量の少ない平民会の希望の人である。彼にはまだ秘密が沢山ありそうだが、会議のたびに話題が出るので、話題が尽きない。
「俺たち魔力が少ない組もハチみたいに強くなれるのかな?」
「なれるんじゃないか?」
「俺は厳し気がするが」
「ていうか、コツをハチに聞けば?」
「いや、忙しそうだしそれは悪いよ」
「じゃあ、ハチの真似をしてみるとか」
「「「……それだ!」」」
さっそく組織されるハチの情報を収集する組。いつしかハチファンクラブと呼ばれる組織。
まずハチと自分たちの違うところを洗い出す。
ハチは毎日、人の数倍ご飯を食べる。本当に毎日食べるのだ。それだけ運動量も多く、授業を真面目に受けるだけじゃなく、授業外での活動も多い。
僕はカイネル先生のゼミに所属しているのだけど、この前精霊の温室内から動物たちが逃げ出した。その時、カイネル先生と仲の良いハチが駆り出されて騒ぎの収拾に加わってくれた。
人の数倍働くハチの原動力はやはりあの食事量から来るのだろうか?
流石にあの量は厳しすぎるので、何名か真似できそうな者だけがやってみるという結論に至った。
そして、最近ハチがバイトを始めた。
これに関してもいろいろ説が飛び交ったが、最終的には金目的じゃないということになった。
この学園を卒業したらそれこそエリート出世コースだ。目先のバイトで稼げる小銭に目を奪われる者はいない。それに、ハチは貴族出身だ。金目的でバイトをする訳がなかった。
そして、ファンクラブが見かけたあり得ない光景。
ハチはバイト中に身体強化と変律を使用し、更に修理スキルまで使用して仕事をしていたのだ。
導かれる結論。
ハチは日常から全てを修行だと捉えている節がある!
そりゃハチが強いはずだ。
僕たちは所詮自主練習や授業でしか特訓をしていない。けれど、ハチは24時間全てが特訓なのだ。
バイトなど、ただの売店内部を利用させて貰う口実でしかない。おそらく、場所が借りれるならどこだって良かったのだ。
皆がハチを真似て、身体強化と変律をしようして壁に張り付く。上手にやれている者は張り付くところまでできた。しかし、移動が出来ない。かなり高度な技術なのだ。少なくとも僕たち1年にとっては。
大半が張り付くだけで数日を要した。
重力が諸に影響する天井をハチのようにスルスルと這いまわるまでには、一体どれくらい時間がかかることだろう。……遥か遠い。
「でも、ハチは毎日これをやっているんだよな。日常からトレーニングって発想がもう僕たちとかけ離れている。……僕も少しでも近づけるように、継続する!」
平民会の一人の言葉に、皆が鼓舞された。
ハチも最初は絶対に苦労したはずだ。けれど、その屈せぬ精神で、あれ程までに上達している。今日の夜もまた特訓のため売店にいると聞いている。
ファンクラブがそれからも情報を集めるが、やはりハチは日常から身体強化を使っていた。授業中も、風呂の時も、寝ているときでさえ修行に充てているという説さえある。
事あるごとに出来ることを活用し、それを修行の一環とする。ハチは凄い。
いつしか真似し始めたファンクラブの面々が、『ハチ式』と名付け始めたこの方法。毎日が訓練。それ即ち、ハチ式だと。
ハチ式は瞬く間に広まり、平民会で取り入れられることに。
凄まじい成果が出るのはまだ先のことだ。
4年後、卒業時に153期の平民会出身者のレベルが異常なほど高かったのは、後世の疑問となっている。