83話 独裁者
「お前、随分と無念な最後だったんだな」
きっともっと学びたかったことも、行きたかった場所も、好きな食べ物もたくさんあったに違いない。
444号室に住む姿の見えない《《同居人》》に話しかけても、あの赤い文字は出てこなかった。いつもは放っておいてもずっと書き続けるくせに、今は物音1つしない。
パンツ泥棒こと、パルフェから聞かされた2年前の凄惨な事件。
寮にパンツを盗みに来た彼は、5階の洗濯物欲しエリアからパンツを調達した後、窓から地面へと飛び降りる脱出ルートを取っている。
行きこそデリバリーサービスで違和感を覚えなくても、帰りに大量のパンツを持っていれば誰にだってバレる。ただでさえ、パンツを盗まれてピリピリしている状況では。
脱出ルートは5階の窓から飛び降りること。
侵入こそ厳しく警備がなされているが、脱出に関してはあまり注意を払われていなかった。
同じ手口で2年前、パンツを盗んだあとに彼が飛び降りた場所がちょうど444号室。俺の部屋の真上に選択干しエリアの窓があるのだ。
意気揚々と帰り路に付こうとした彼は窓越しに見てしまった。この444号室で行われた殺人事件を。
犯人はまさかまさか。俺は耳を疑ってしまった。衝撃がずっと残っている。
これからゼミで沢山お世話になるかもしれないと思っていた、ラース先輩だった。被害者はカイラ先輩の双子の兄ライカ。
ずっと犯人が見つからないままだったこの事件は、パンツ泥棒パルフェの告白によって明らかとなった。
事件をどう処理するかは俺に託され、パルフェさんはようやく黙っていたことを告白できて心が救われたと言っていた。
しかし、こんな大事を小物に託されても……。
言えばラース先輩の人生がめちゃくちゃに。言わなければ、カイラ先輩と同居人の無念はどこへ行ってしまうのか。
選択の余地がありそうで、なかった。
聞いた日に心を整理して、次の日には正式に学長に報告を出している。パンツ泥棒パルフェも証言してくれるとのことだ。
ラース先輩はこれにて、学園での生活が終わりとなる。
1人の人生をめちゃくちゃにしてしまった気がしたし、何より同居人の無念さがヒシヒシと伝わる気がして、俺は部屋でじっとしていられなかった。
初めてだったかもしれない。あの快適な部屋で居心地の悪さを感じたのは。
気分を晴らすためにのんびりと散歩をしていると、談話の広間やメインダイニングを超えて中央中庭までやって来ていた。
学生たちが休日を利用して、中庭でいろんな楽しみに興じている。授業で習ったことの延長を楽しんだり、花や植物の手入れを楽しんだりと。
中には恋人との逢瀬を楽しんでいるものまで。
シロウとか……。シロウとか。シロウとか。
ダンスパーティーの時に知っていたのだが、シロウは随分と嫉妬深い、裏を返せば愛情深い恋人が出来ていた。153期の生徒で、シロウと同じ特別入学枠である。
2人で噴水前でイチャコラしていると、このタイミングで最も会いたくない人物と出会う。
ラース先輩とその取り巻きたちである。
一度ラース先輩のことを意識し始めると、途端に聞こえてくる大量の悪評。まさかこの学園にもいるとは思わなかったのだが、ラース先輩は俗に言うヤンキー生徒である。
質が悪いのが、いつだって4年生数人でつるんで、ターゲットにするのは下級生の生徒。しかも無差別ではない。姉さんたちみたいな大物には決して近寄らず、相手にするのはいつだって小物貴族や平民ばかり。
ゼミの先輩として敬おうとしていた人だったのに。耳を塞ぎたくなる程の悪評が、探してもいないのにそこかしこから聞こえてくる。
そのラース先輩とももうじきお別れだ……。
ラース先輩率いる不良グループがシロウと恋人に声をかける様子を見かけた。辺りを囲んで逃げられないようにする始末。
何を話しているかは分からないが、シロウの実家は今や超お金持ちだからな。きっと難癖付けて金でもむしり取るつもりだろう。
シロウならなんとか自分で対処できるから放っておこうと思っていたが、手を出し始めたラース先輩を見て我慢していられなかった。シロウは上級生たちに敬意を払って、手を出す様子がないし……。
「ちょっとくらい分けてくれてもいいじゃねーかよ。可愛い恋人もいるんだろ? 恵まれない俺たちに施しくらいいいじゃねーか」
近付いてみると、やっぱりそんな類の会話だった。聞くに堪えないので、後ろから取り巻きの一人を蹴飛ばして割って入る。
「おい、ラース先輩……。いや、ラース。俺の友達をあまり虐めてくれるなよ」
もう先輩の敬称は必要ないだろう。
「あん? げっ、ハチ!?」
振り返ったラース先輩が顔色を悪くする。
先日、襲撃の際に実力差が分かって以来、この人は俺にあまり関わろうとしなくなった。
決闘、決闘とうるさく言っていたのも、あの日を境になくなった。考えれば、考えるほど小さい人だ。俺よりも小物かもしれない。
「シロウは忙しそうだし、俺が相手になりますよ」
取り巻きたちも顔色を悪くしている辺り、あの夜一緒にいたのもこいつらだろうと察しがつく。
「ハチ、てめーには関係のないことだ。あっちいけよ。俺は4年生で、ゼミの先輩でもある。言うことを聞かねーのか?」
「……たぶん、もうすぐ、そうではなくなりますよ」
蹴飛ばすところから入ってしまったので、中央中庭が少し騒がしくなってきてしまった。一年生たちも集まってくる。
「は? 何を言っている。いいからあっちいけ。俺は忙しいんだ。それともなんだ? 騒ぎになって人が集まって来始めたこんな場所で、俺を殴って無理やりどかせるか? おーこわ。ハチ君は暴力的で怖いですなぁ」
腕をわざとらしく振って見せるラース。先日バールのようなもので叩き折った両腕だ。学園には治療スキル持ちの職員がいるため、治して貰ったらしい。
俺も経験があるから知っているが、骨は治るが、痛みには数日苦しんだようだ。少し隈が目元に残っている。
「ラース先輩、あの日にも言いましたが、俺は学園の生徒を仲間だと思っている。けれど、優劣をつけるなら優先すべきは1年だとも考えている。先輩にも容赦はしない。それ以上やったら――」
「やったらなんだと言うんだ」
別に俺がやるわけじゃないけれど、結末を先に伝えて置こう。
「あなたには退学して貰います」
「けっ。ハチ、お前は頭が悪いな。決闘を挑まれたら受けなければいい。お前から学んだ手だぜ!」
決闘に負けたら退学の条件か。
そんな話、既に覚えてすらいなかった。決闘なんて鼻からやるつもりなんてなかったから。
妙に勝ち誇ったラース先輩に、死の宣告を告げる。
「強制的に退場して頂きます。仲間を大事にしてないやつは、小物ですらない。あんたの背負った罪を、時間をかけて見つめ直すんだな。さようなら、ラース先輩」
踵を返す。もう俺が手を出す必要もなかった。既に死神はこの場に来ていたから。
中庭にやって来たロガン先生と、4人の職員たち。
拘束具を手にして、集団の中に入って来た。
「なっ!? なんで俺を見ている!? 俺が何をした!! 放せよ! 俺がなにしたって言うんだ!」
叫び声が聞こえて来る。抵抗むなしく、ロガン先生によってラースは捕らえられた。同居人の無念が、これで少しは晴れると良いのだが……。
――。291番視点。
僕はニックン。
本名は別にあるんだけど、ハチがいつも291番、291番と呼ぶから、それが定着してしまい、今じゃニックンなんて呼ばれ方もする。
始めこそ少し不満があったのだけれど、みんなの覚えが良くて今じゃ結構どころか、書類などにも書くくらいかなり気に入っている。カイネル先生のゼミには二人新入生が入ったのだけれど、先生は僕の名前しか覚えていなかったりもする。
それほど291番=ニックンというのが覚えやすらしい。
遡れば、この291番というのは入学試験、3次試験の時に与えられた番号だ。1次、2次試験を両方ギリギリで通過し、迎えた3次試験。絶対に受からないと思っていた。今までの試験でずっと滑り込んできた自分が、最後に残ったスペシャリストの300人の中生き残れるなんて。
けれど、試験は予想外な結末を迎える。僕の左隣に座っていたハチ君。後にあのワレンジャール姉妹の弟だと判明した彼が、イライラしながら試験の秘密を全て暴いてみせたのだ。
なんということでしょう。僕は何もせず、彼が試験の秘密を暴いたことで合格を貰えたのです。僕だけではない。最終試験に多くの不安を抱えていた生徒たちは多く、特に平民出身の生徒たちはハチに頭が上がらないのである。
そんな只者じゃない大物のハチだが、学園に入学して更に恐ろしい存在になっている。
今、上級生たちが作り上げた『平民会』というサークルに、僕を始めとした平民出身の生徒たちが所属しているのだが、その中でいくつか決めごとがある。
1年生の中で絶対に逆らってはいけないリスト、というのが特に有名だろう。
1人目はギヨム王子。もはや説明の必要すらない。誰が、王族でしかも王位継承権を持つ人物に逆らうか。平民の僕たちが最も敬うべきお方なのだ。ハチの仲介でだんだんと普通に接することが出来始めているが、それでも心の底で敬意を失したことは一度とてない。未だに少し恐ろしくもある。
2人目がレ家のテオドール様。スキル、魔力、知識、佇まい、どれをとっても貴公子の呼ばれ方に恥じないエリート様。その影響力は下手したら王族以上かもしれないし、学内の派閥も侯爵家のものが最大だ。逆らうと一瞬で消されることになるだろう。しかし、本人は性格が良いため、なんだかんだ打ち解けている。昨日夜食をご馳走してくれた。ほんと、ありがと。
3人目が伯爵家のクラウス様。格で言うとギヨム王子やテオドール様には劣るものの、本人が少し棘のある性格ゆえに、最も警戒対象となっている存在。格が劣ると言っても、僕たち平民からしたら天におられることに違いは無い。要注意である。この人はいつ爆発してもおかしくない。しかも、クラウス様の元にはあのハチもいる。
そして今、皆が最もやばいんじゃないかと注意している4人目の男がハチ・ワレンジャールである。
試験の時から一際強い光を放っていたが、入学して日が経つにつれてその異常さが際立ってくる。
誰も選びたがらなかった444号室を選び、怪奇現象が起きても一切気にする素振りがない。本人は「3万バルが貰えるからお得なことしかないんだよね」と言ってたが、あんなの我々の胆力じゃ一日と持たない自信がある。
噂じゃ、口の軽い先生がドラフト会議でハチの指名が競合したと情報を漏らしていたらしい。やっぱりハチは凄い大物だ。先生方にも気づかれている。
しかもかの有名なワレンジャール姉妹の弟なのに、その大きな傘の下に入ろうとしない豪胆さ。全てを自分の力で切り開くつもりなんだ。
その豪胆さを証明する出来事があって、これに関しては1年生の目撃者もいる確かな情報だ。
なんとハチが、4年生の有名な不良グループのリーダーを締めたらしい。真夜中に4人相手に、ハチが不良グループを襲撃。瞬く間に決着がついて、この学園の不良グループの格付けが完了してしまった。
ハチは基本的にとても気の良い人だ。フランクで、少し何を考えているかわからないこともあるが、仲間思いで、いつも楽しそうにしてるやつって感じ。でも、きっと僕たちと見ている世界が違う。何を考えているかわからない部分で、とんでもないことを考えていたりする。
4年生の不良グループを絞めた話は瞬く間に広まり、今や2,3年生の不良グループも大人しくなって学園の治安が良くなったらしい。今騒ぎを起こせばハチに目を付けられるからと。たった一日で裏番長になってしまったハチ。
ハチはそのことを自慢したり、裏番長になった立場を利用して悪さをしていないので、もしかしたら治安のために一肌抜いでくれた可能性もある。彼は裏番長じゃなく、陰のヒーローだって主張する平民会の生徒までいるほどだ。
しかし、実はそのどれでもなかった。
僕たちは見てしまったのだ。その強すぎる力を。ハチ、君は一体どれほど高みにいるんだい……?
事件は多くの目撃者がいる中、突如起きた。中央中庭にてデート中のシロウとその恋人。運の悪いことに、ラース先輩率いる不良グループに絡まれてしまった。ハチに痛い目にあわされたというのに、まだ懲りていないらしい。
僕もその場にいたし、他の1年もいた。けれど、ラース先輩たちが怖かった。そしてシロウは僕たちより優秀だ。変に助けに入って邪魔になったり……とか考えたのは言い訳だ。本当はただ先輩たちが怖かった。
だけど、僕たちにはやっぱりハチがいた!
いきなり後ろから蹴りかかるその豪胆さ。まさに裏番長!
誰も声を上げていなかったが、僕たち1年生で視線を配りあって、うおおおおおおおと心の雄たけびを上げていた。
先輩に一切ひるまないハチ。それどころか、怖がっているのは先輩で、ハチに気圧されている。
純粋な応援が出来るのはそこまでだった。何とハチの口から発せられたセリフは「退学して貰います」の一言。
え? まさかすぎる発言に、僕だけじゃなく他の一年生たちも動揺し、理解が追い付いていなかった。
ハチは凄いやつだ。けれど、それは本人が凄いのであって、権力があるとかじゃない。ハチはきっとこれから出世すると思う。姉たちの影響で実家も凄い事になるんだろうな。けれど、今のハチに権力はないはずだ。
そんな予想はものの見事に外れた。
「退学して貰います」と言ってすぐ、学園の警備責任者でもあるロガン先生が職員を引き連れてやってきた。ハチに呼ばれたのだろうか?
そして、ハチの言う通り拘束されて連れていかれるラース先輩。学園に3年以上在籍し、不良グループのトップにいた人が、そのまま連行された。
次の日、学内の報せを貼る掲示板に張り出された退学通知。そこに記された名はラース先輩のものだった。
……僕たちはハチを英雄視するよりも、怖くなってしまった。ハチは凄い男ってだけじゃない。とんでもない権力を有している。
たった一言。「お前を退学にしてやる」と言っただけで、ロガン先生が動き、職員たちが動き、グラン学長が退学を承認してしまった。その日のうちに。しかも、退学理由が生徒には通告されなかった。関係者だけへの説明があるらしい。
言葉が出なかった。
ハチ、君は機嫌1つでこの王立魔法学園の生徒を退学させられる程の男なのか? 情報統制まで完璧だ。疑問の余地はない。それを見せられたのだから。
王立魔法学園の生徒といえば将来、 宮廷魔導官コース、軍属・騎士団エリートコース、特命諜報・交渉官コース、魔力研究者コース、 教師・学園関係者コース、その他自由人英雄コースなど、どれも一角に立つような存在になる生徒たちだ。
そんな大物たちをたったの一言。しかも上級生で、表面上はハチよりも格上の貴族を、赤子の手をひねるよりも簡単に退学させてみせた。
これにて、特別単位がハチにまた授与されることとなる。
ハチの凄いところは、パンツ泥棒パルフェの逮捕功労者表彰で貰った4単位を『パンツ絆の会』全員に知らせたことだ。
僕があんな特別待遇を受けたら、絶対に黙っている自信がある。自分の単位が足りないときに、補填するように取っておくだろう。
多分、不良グループを一掃して治安良くした報酬だろう。ハチはその4単位に加えて8単位を学長から追加で貰った。合計で12単位。ハチは進級に必要な単位の半分以上を、入学1か月以内で取得してしまった。
その8単位も「自分の手柄じゃないし、受け取る気にならない」、「誰か困ったときに使ってくれ」と『パンツ絆の会』に知らせてある。
あまりに男過ぎる。そして、大物過ぎる。
ハチ、君は単位を落とす恐怖なんて一切考えていないんだろうね。僕たちは既に単位の心配で夜も眠れない者もいるというのに。
この出来事がきっかけで始まるハチの噂。きっとハチは田舎の小さな貴族家出身なんかじゃない。それは双子の姉を見てもわかること。
名も無き田舎からあんな化け物の姉妹と、超大物のハチが生まれるわけがない。
自然と至る結論。ワレンジャール家は、かつて存在したと言われる『精霊王を守護する一家』なんじゃないかと。時代と共に廃れた一家だと言われていたが、そんなことはなかった。たぶん精霊王の守護者であるワレンジャール家は隠れて、そしてしっかりと王国の繁栄の裏側で生き残っていたのである!
隠しきれいない子孫たちの才能でその存在がバレてしまうくらいには、元気に存続していた。
精霊王は人に紋章を与えて下さる存在と言われている。各紋章に一体ずついる精霊王。もしかしたら、我々に与えられる紋章ですらも、ワレンジャール家が一つ一つ決めているのかもしれない。
そりゃ、そんなことが出来る一家に王家を超える程の権力が集まるのも無理はない。とんでもない説だったが、実は平民会でもっとも支持されている説でもある。僕も支持している一人だ。
今更ながらに、ハチと同期で良かったと思う。そして、敵に回らず、味方でいてくれることに感謝するのだった。
彼は一権力者という枠に収まらない。その存在はもはや、独裁者と言わんばかりに、日々存在が大きくなってきていた。