8話 後の伝説
一晩考えに考えて出した結論は、ヒナコ先生を倒すことだった。
彼女は自分の適当な仕事を後悔しており、これ以上迷惑をかけたくないから去るのだと言った。でも、適当に教えていた子が実はすんごい成長していたら? 話が変わって、やっぱり私教える才能あるのかな? もう少し残っていようかな、となるかもしれない! 頼むそうなってくれ。ヒナコ先生のおっぱいを見られなくなるなんて嫌だ! 絶対に嫌だ。
しかし、実際のところ俺の剣術は酷いものだ。気持ちだけでは埋められない下手さがある。下手な上に真面目に特訓もしていないので、それはそれは酷い。修理スキルで磨かれた立派な武器はあるものの、豚に真珠ならぬ、小物貴族に聖剣レベルで似合っていない。
俺にできることは何か。今あるもので、ヒナコ先生に勝つには。必死に考えて、一つアイデアが浮かんだ。というか、これしかない。
魔臓と魔力線を結びつけるのは、何もスキルを発動するだけが目的ではない。魔力の恩恵は多岐に渡り、もっとも汎用性高く、好んで使用されるのが身体強化だろう。体は強靭になり、病気やケガにも強くなる。感覚が研ぎ澄まされて、五感を超えた感覚を得て、超人じみた動きができるようになる。その代わり、魔力の消費は激しく、魔臓才能値が諸に影響するジャンルでもある。
お前、魔臓才能値低くね?
そうなんです。低いんです。ヒナコ先生の数値は知らないが、たぶん俺より上。まともにやっても勝てる見込みはないだろう。ただ、まともにやって勝てないなら、まともにやる必要はない。
もともとまともな成長の仕方はしちゃいないんだ。小物貴族らしい戦いを見せてやる。
剣術でも勝てない。身体強化も加えたら更なる差が出てくる。ただし、それは普通の身体強化ならばの話。
俺の魔力線は体中に張り巡らされており、毛細血管のごとく細く長い。これはスキルを使うのに不利だと言われている。その最大の理由は魔力線が細く一度に大量に魔力を送り出せないからだ。
実はこれ、身体強化においても同じことが言える。
消防車のホースとおもちゃの水鉄砲では、出てくる水流の勢いが全く違うものになる。それと似たような原理で、魔力線の太さは量と瞬発力において圧倒的なアドバンテージを有する。
これは特に、遭遇戦の時に如実に差が出てくる。魔力線の細い者は身体強化を施すのに十数秒必要とするのに比べて、一流の太い魔力線を持つものは1秒とかからずに臨戦態勢へと入る。
奇襲? なにそれワロタ!と相手は逆襲を受けることになってしまう。
ただし、今回はそんな心配はいらない。ヒナコ先生が来る時間もわかっているため、事前に構えていられるからだ。
目を閉じて、集中。
魔力線を流れる魔力を体の隅々、微細な部分まで感じ取る。
事細かに伸びた魔力線を辿り、魔力が体中に巡ったのを感じた。指先の先端まで一切漏れなく。体から熱が溢れてくるように、力が、活気が湧いてくる。この状態に至るまでに1分かかった。実戦だと全く使えないな、と弱点を認識しつつも身体強化の高揚感で気分は良い。
ヒーローの変身タイムよりも長いし、相手が魔物だと言葉も通じない。実践なら100パーセント今の強化中の時間で死んでいることだろう。
ただし、体中を魔力で満たせればむしろこちらの方がエネルギー効率はいい気さえしてきた。俺の魔力線は体中隅々まで張り巡らされているので、全身に綺麗に伝わる。一方で魔力線の太い連中は瞬発力こそあるが、魔力が体の細部にまで届かないのでエネルギー効率が悪い。魔力を100消費したときに実際に活用されている魔力は50くらいだろう。折角の才能が勿体ないことで。
一方で全身に魔力を巡らせることができる俺は、100消費すれば限りなくロスなくこれを活用できる。
つまりは、コスパが良いってことだ。
ふふっ、こんなところでも出てしまったな、勿体ない精神。ケンタッキーでも骨の肉は全部しゃぶりつくす派だ。悪いが俺の節約魂には一分の隙も無い。
ヒナコ先生を待っている間にわかったことがあるのだが、身体強化を使うと魔力の枯渇が激しい。これは知識として知っていたのだが、知識として知っているのと実際に体験するのとでは結構印象が違った。
魔臓がだんだんと熱くなり、体は相反して力が抜けてくる。エンジンは最高に温まっているが、ガソリンはなくなってきている感じに近いかな。
そして彼女がやって来た。
「あら、時間よりも早くに来たみたいね。女性を待たせる男じゃなくて安心したわ」
「ヒナコ先生のためならいくらでも時間を作れますよ」
約束の時間通りに姿を現したヒナコ先生。真剣さがわかるのは、その顔つきからだけではなかった。
いつもは乱れている髪の毛も、そして胸元も開いていないばかりか、ショートパンツもなくなって肌にぴっちりと張り付いた細身のズボンをはいている。いや……これはこれでエロい。ラインがはっきりとわかって、逆にエロい! 露出のないエロだと!?ヒナコ先生、あなたって人はどこまで凄まじいんだ。
見慣れないこの姿こそが、ヒナコ先生の戦闘スタイルなのだろうか。
今日は本気の姿が見られそうで嬉しい。
「随分とやる気みたいね。妙な気配を感じるわ。……身体強化、使ってる?」
「うん、全力を見せてくれるんでしょ。ならこっちも全力で受けなきゃ」
「その歳でよくやるね。私なんかその頃、魔力も碌に感じられなかったのに」
「でも、剣は肌身離さず、でしょ」
「ふふっ、正解」
やっぱりね。今日の纏う雰囲気が物語っている。
まるで物語に登場する危険性の高い魔物のオーラでも纏うかのようにどこか近づきがたい。その迫力で、ヒナコ先生の背後に獣の幻影が見えそうだ。
気安く間合いに入ろうものなら、その瞬間、上半身と下半身がロミオとジュリエットよりも深く引き裂かれるだろう。
「剣、ありがとうね。でもこの子を抜くことはない。理由はわかるでしょ?」
「実力差がありすぎるから。でも、抜かせて見せるよ。本気、見せてくれるんでしょ?」
何がなんでもその気にさせてやる。
準備運動なんて生ぬるいことも言っていられないだろう。やるしかない。
木の剣を構えて、刃先をヒナコ先生に向ける。地面と水平に構えて、一呼吸おいた。相手に隙はない。だけど、こちらの出方を見てくれている。
うーむ、それでもなかなか踏み込めない。
「どうしたの? 言葉とは裏腹に、怖いのかしら。それとも甘ちゃんなりに何かを感じ取った?」
そりゃね。
こっちだって馬鹿じゃない。研ぎ澄まされた空気を漂わせている強者相手に、無策に突っ込むわけないだろ。
通常の身体強化だけじゃだめだ。それじゃ足りない。
ヒナコ先生の身体強化は魔力効率が良くない。それでもそもそもの成長度、才能の違いによって、桁違いに強化された相手に今の俺じゃ太刀打ちできない。
俺の持っているものを活かせ。俺だけの才能を!
魔力が少ないなら使う個所を限定してやればいい。収入が少ないなら支出をしぼるのと一緒だ。
魔力を下半身に移動していく。上半身は剣を支えられるだけ残っていればいい。
更に細かくイメージし、操作しろ。
それこそ筋線維に一本一本魔力を満たしていく感じで。ロスが少ないので満足しちゃだめだ。魔力ロスをゼロにし、究極の勿体ない精神を究める!
かつて人類にこれだけ精度高く魔力を体に供給した人物がいただろうか。おそらくいないだろうな。
その証明に、脚部にかつてない力を感じ、それを解き放った結果、爆発的な脚力が生まれた。
地面に巨大なバネでもついていたのかと勘違いしそうなスピードでヒナコ先生へ突進していく。剣はまっすぐ構えているので、当てれば軽傷ではすまない。
「なっ!?」
鋭い金属音が鳴り響いた。
予想外の奇襲だった。完璧。ヒナコ先生は絶対に俺のスピードを予期していなかったはず。
なのに剣の鞘でガードされた。
接近したとき、ヒナコ先生の大きく開け放たれた目をみた。その目には間違いなく驚きの色があったが、それ以上に……。
笑っていた。
化け物め。こんな田舎で腐っているような人じゃなかったんだな。ほんとうに。
……だが、おっぱいをそう易々と諦められるか!
突き抜ける!
流石に突進の威力は完全に相殺しきれなかったらしい。体を逸らせて突進をいなされた。
横をすり抜けて、このままいくと自分の勢いで体制を崩して、それでおしまいだ。もう二度と奇襲は効かず、この戦いは幕を閉じることになる。
踏ん張れ!
まだ足には魔力が残っている。地面をガツッと踏みしめて、前に進むエネルギーを全て殺して見せた。足への負担がすごい。履いている靴は底が抜けていた。
腰を落として、振り向く勢いで剣をヒナコ先生に向けて振り抜く。
攻撃をいなされたところからの反転。ど素人の自分がこれ以上ない成果を出したと思う。
……けれど、これも届かなかった。当たる寸前で、ヒナコ先生の縦に構えた剣が攻撃を防いだ。ダメか。
直後、剣を抜いたヒナコ先生からの一撃が俺の額を斬り裂いて、血がたらーと垂れたのがわかった。
「……わっ! ごめん! 夢中になっちゃって斬りつけちゃった!」
負けた。負けちゃったよ。
最後の一撃、俺は死を感じた。
剣を抜かれた瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙みたいだった。なんだあの視線は……。
ヒナコ先生の発する覇気に当てられて、体が動かなかった。
既に出し切って反撃の方法が無かったとはいえ、万全であっても動けなかった気がする。この人、やっぱり只者じゃないよ。
「名誉の傷です。気にしないでください」
裾で垂れてくる血を拭った。深い傷じゃない。皮膚が切れたくらいの怪我だ。
縦にスパンと綺麗に切ってくれたおかげで、不細工な傷にもならないだろう。
ヒナコ先生は涙を流しながら謝り続けた。
「ごめん……本当にごべん。剣の道をあきらめたはずだったのに……うわーん。楽しくなっちゃって……つい。ごめん……」
本当に申し訳なかったのだろう。その後も涙を流し続けて、俺のことを抱きしめてくれた。
……柔らかい。傷は付いたが、プラマイ大きくプラスといったところか。
疲れるまですっかり泣いたその胸の内は、おそらく剣のことで一杯だろう。自分のために全力で戦ったのだが、なんだかヒナコ先生に更なる火をつけてしまったみたい。
なんとなく感じていたその予感は、ヒナコ先生の言葉によって確信となった。
「……ハチワレ、私今日で思い出しちゃった」
「剣の楽しさをですか?」
「よくわかったわね」
まあ、なんとなくね。
「私、剣への気持ちを捨てれた気でいた。剣術を学んでも出世しないし、誰からも褒めても貰えない。……でも、そんなことはどうでも良いって知ったわ。だって、大好きなんだもん。……私、旅に出るわ」
こんなことを聞いてしまったら、男としてはもう送り出す他あるまい。
「やっぱりうちを辞めちゃうんですね。でも、賛成です」
後ろ向きな理由で辞めるのと、今の前向きな理由で辞めるのとでは気持ちが全然違う。寂しいけど、背中を押すことにした。
「もっともっと剣術を究めたい。で、私と同じように苦しんでいる人を導いてあげたい。剣術は素晴らしいものなんだってことをもっともっと……」
「うん。ヒナコ先生ならできますよ」
「……ありがと。ハチワレの額の傷、名誉ある傷にしてあげる。私が有名になったら、あのヒナコからの一撃だって自慢して良いよ」
「はい!」
あのヒナコ先生のおっぱいを見て、おっぱいの感触も知っていることは、一生僕の誇りです。
これが俺と後に伝説の剣聖と呼ばれ、剣術の地位を引き上げたヒナコ先生との短い邂逅となる。離れるのは寂しかった。一生の別れになる可能性だってある。行って欲しくなかったのが本心だったけど、実はそんなに長い別れとはならなかったのだ。