79話 パンツ泥棒
先生方によるドラフト会議が終えられて、生徒たちにも通知が行き届く。
……夢破れる。ヒナコ先生は俺を指名しなかった。
ううっ。
マダムも俺を指名しなかった。
ううっ。
俺を指名したのは、授業で知り合ったばかりのアグナ・リェーリス先生。アイドル顔のイケメンさん。なぜか男にばかり好かれる……。ううっ。
とはいえ、指名されたことには感謝しなければならない。王立魔法学園にいる先生方は全員が何かしらのスペシャリスト。弟子入りしたいと願う若者は、王国中に山のようにいる。
ありがたい。ありがたいと思わなければ、罰が当たってしまう。なんとか感謝しようとするが、それでも心の中ではヒナコ先生を思い出してしまう。ホロリ……今だけ泣いても良いよね?
アグナ先生がやっているゼミは『アーティファクト強化失敗報告会』。略して『ア報会』だと聞いた。
……うん。
絶対やめた方がいいよ。この略称。
指名は拒否することもできるらしく、その場合は自分で一から官僚出身の職員がやっている研究チームに営業をかける必要が出てくる。
そんな面倒なことは絶対に嫌なので、俺もア報会の一員になることを承諾するつもりだ。
一員になったからにはね。絶対に名前を変えてやる。いや、歴史ある名前かもしれないので、せめて略称だけでも!
加入が決まったとなれば、まずはあれが必要である。
そう、粗品。
小物はこういう配慮を決して忘れない。ア報会には上級生の先輩方が二人いらっしゃる。俺が入れば、当然立場は一番下。
下の立場には慣れているため、どう振舞えば良いかも完璧に脳内にインストール済み。
まずは第一印象が重要だ。言うことを素直に聞き、良く動くこと。次にあいさつ。そして笑顔を忘れるべからず。
この3点セットを忘れなければ、先輩方に嫌われることは早々ないだろう。これでも気いられなければ、もうそれは相手の問題だ。
いわくつきの部屋への入居特典として、既に3万バル分の商品券は頂いている。先払いとはなんと羽振りの良い学園か。運営がしっかりしておられる。
特に使う予定もないので、売店で粗品を調達に。
売店は元の世界よろしく、メインダイニングの施設内にあった。なぜか食道と売店はセットだ。仕入れとかしやすいのだろうか?
職員を含めると1000名弱いる王立魔法学園の関係者。売店はコンビニのセブソをイメージしていたが、実態はイオソだった。
なんでも売ってる。
なんでも揃ってる。
あひゃ、あひゃひゃ! 金があれば、何でも買える! 夢も、愛も、未来だってな! みたいな闇落ちした悪役が言いそうなことを口にしてしまいそうな程規模が大きい。
そこでタオルセットとお菓子の詰め合わせを探していく。5000バルのちょっといいタオルセットにするか……。それとも10000万バルの高級タオルセットにするか……。お菓子の詰め合わせも買いたいしなぁ。
悩んだ挙句、ちょっとケチった。
5000バルのタオルセットだ。アグナ先生の分も買った方が良さそうなので、タオル5000、お菓子2000を3セット。
「ありあり、あーりがとうございまーす!」
「どうもどうも。良い買い物できました」
21000バルのお買い上げで、やけにテンションの高い店員さんと別れて、売店を後にする。
高い出費だったが、もともと貰ったものなので良しとしよう。これから多くのことを無料で学べることを考えたら、安い投資だ。
タオルセットを大事に抱えて寮に戻って行くと、また寮内が騒がしかった。今度は俺の部屋の前じゃなくて少し安心する。
シロウが中心となって、一団が激おこ状態。
当然気になるので、聞き耳を立てる。
「ぶっ殺す!」
「絶対にゆるせねー!」
「捕まえたら火あぶり!」
「学園中引き回しの刑だろ!」
「俺はタオルで拷問する!」
めちゃくちゃ血の気の多いことを言っていた。
皆新生活でワクワク、そしてドキドキしてて、借りてきた猫くらい礼儀正しくしていたのに、急にどうした!?
シロウに聞いてみると、何が起きたのかがすぐ分かった。
「え、パンツを盗まれた?」
「そうだよ。ハチ、これは絶対に許してはならない悪行だ。僕たちは本気でこの犯人を捕まえる気でいる。良かったら君も同士にならないかい?」
いやいやいや。
パンツくらいで……。そんな怒りなさんな。
それに、男のパンツを盗る輩なんて聞いたことないぞ。
詳しく聞いていけば、犯行は5階で行われたらしい。内部犯の可能性も追っていると。
寮は5階建て。地下室もあり。
1階から4階は生徒たちの寮で、5階は共用部分だ。
5階にある洗濯場『衣魔工房』で事件は起きた。事件って言い方に、俺だけ少しまだ馴染めてはいないが……。だって被害がパンツだもん。しかも男の……。
5階は3つのエリアに分けられている。
『魔導洗浄槽』が50基あるエリア。魔石のつけられた装置で洗濯可能。魔石の質で洗い上がりが変化する。まあ行ってみれば洗濯機があるエリア。
『洗い場』(石造の流し台)エリア。こちらは手洗い用。洗濯板&桶あり。水と洗剤は使い過ぎないようにとの注意書きも。しつこい汚れは自分で落としなエリア。
『魔風干し台』エリア。洗濯物を沢山干せる紐が沢山張られており、一番広い空間で自由に干せる。風の魔石で24時間乾かす、言ってみればエリアごと室内乾燥機。お日様での乾燥が良いなら、寮の外や屋上で干してもええんやでエリア。
ちなみに、地下には『湯紋室』と呼ばれる大浴場がある。部屋でのシャワーが嫌なら、同級生たちと裸の付き合いをしなエリア。俺が昨夜、土左衛門ごっこをしていたら職員に通報され、裸で説教をされた場所でもある。
事件発生現場と思われる『魔風干し台』に1年が詰め寄せる。被害は上級生になく、1年生だけ。毎年新入生たちに被害があるらしく、有名な話となっていた。
新しいパンツだけがいいのだろうか? 上級生たちのパンツの味は知っているから、既にいらないのかもしれない。パンツ泥棒の気持ちなんて想像もつかないから、考えるだけ無駄だ。
「みんな、手がかりを追うんだ! 何一つ見逃してはならないよ!」
「「「おう」」」
シロウがカリスマリーダーみたいになって、皆を鼓舞して言う。
もともとそういう資質があったのかもしれない。人の上に立つ資質が。今は凄く上手に皆を指揮している。
けれど、その片鱗を……パンツ窃盗犯を追うことで見たくはなかったよ。
この日は結局手がかりらしいものは何一つ見つからなかった。
俺の説得もあり、身が頭に登らせた血を一旦下げてくれる。
湯紋室に皆で行き、備え付けのサウナでまた作戦会議するらしいのだが、それ大丈夫かな? 余計に頭に血が上らない? 決起集会の場所なら談話の広間を使用したらいいのにとか思ってしまうが、パンツの話だけに女性がいるところではしづらいのかもしれない。
風呂には、水風呂もあるので、それを上手に使って頭を冷やしてくれると良いのだが。
入学早々変な事件に巻き込まれたが、それ以外は至って順調と言って良いだろう。俺も溜まっていた洗濯物を処理して、5階を去った。
あんなパンツ泥棒のことなど気にしていられない。俺にはもっと大事なことがあるのだ。
次の日、授業が終わると急いでゼミへと走った。一番下の者が先輩方より遅く到着してはならない。
紋章学基礎の講義があった中央尖塔、通称白塔の3層より、ゼミの部屋がある5層へと急いで移動した。
『ア報会』と記された扉を開けると、そこにはまだ誰もいない。
俺が一番だ。
室内に入ろうとしたところで、正面に掲げられている『教訓』が目に入る。
1 靴禁止大地との繋がりを忘れた者に、魔を知る資格なし
2 礼儀 入室時、教室のア報会の紋様に向かって一礼。魔と人に礼を失するな
3 怠け者は帰れ 魔力操作を怠る者に座る席無し
4 物は大事に 物を自身の一部として扱うように
これから一員になるので、ちゃんと教えを守る。
靴を抜いで、入口の靴箱に入れておいた。そういえば、数週間洗ってないや。今日の夜にでも靴を洗っておこう。いつも足を守ってくれている存在に今一度感謝した。
ア報会の紋様は縫結の環。裂けた輪を、その隙間を糸が縫い繋いでいる絵。糸はただの線ではなく、魔力の流れを象った螺旋模様。おそらく魔融の技術を現した絵なのだろうと想像がつく。
誰もいないため、紋様だけに一礼しておいた。
そして目に入る室内の椅子。
なぜか浮かんでいる……。
もしやと思い、魔融の技術を使用して椅子を魔力で覆うと、床に降りて来た。なるほど、教訓通りだ。魔力操作を怠る者に座る席無し、ってのはこのことか。
「良くできているじゃないか」
入り口から聞こえて来た声。
アグナ先生のそれだった。
振り向くと、傍には女性の生徒と、男性の生徒がいる。
ア報会は既に生徒が二人と聞いているので、いきなり全員揃ったらしい。それか、新入生が来るからと全員が駆け付けてくれたのか。
ゼミは毎日の出席は求められていない。もちろんゼミの方針にもよるのだが。カイネル先生の鳥獣ゼミに指名された生徒は、早朝からヒナや生まれたばかりの赤ちゃん動物たちへの餌やりがあるからと、これから4時起床になるのだとか。
ア報会にそのような決まりはないので、アグナ先生の出す課題をこなしさえすれば毎日の出席は必要ない。
やはり俺への歓迎で皆が揃ってくれたのだ。
全員が靴を脱ぎ、一礼を済ませたのを見て、さっそく攻勢に出る。
「アグナ先生、先輩方、こちら、タオルセットとお菓子セットになります! つまらぬものですが、どうぞ受け取り下さい」
「おっ、すまぬな」
「わっ、ありがとう!」
少し申し訳なさそうに受け取ってくれたアグナ先生。
そして、わかりやすく喜んでくれた女性の先輩。
しかし、最後の一番年上だと思われる先輩は、タオルセットを強く払いのけた。5000バルもしたタオルセットが!!
「いらん。邪魔なんだよ、新入生。俺はまだお前を認めていない。……お前、444号室らしいな」
まさかの強い拒否。
嘘だろ? どこで間違えた?
いいや、俺にミスはない。完璧な小物ムーブだった。頭を下げる角度も、粗品のちょうどいい具合も完璧だったはず。
……何か俺と因縁のある先輩か? 部屋番号となんの関係が。
「あまり揉めてくれるな。それに文句があるなら決闘制度を利用すればいい。ラースにミニだ。そして彼が新しく入ったハチだ。ここは魔融を極め、アーティファクトを使いこなすことを目的としたア報会。4年間よろしく頼むぞ」
あくまでアグナ先生は生徒同士の関係性には介入しないらしい。厳格だが、ドライな人でもある。
ミニ先輩は喜んでプレゼントを受け取ってくれた先輩だ。小柄で大人しそうな方。笑顔も素敵で仲良くできそうだ。
ラースと呼ばれた先輩。知り合いでは無さそうなんだけどな? どこかで会ったか? 全く記憶がない。
「アグナ先生、先に俺に話させて貰ってもいいか?」
「構わない」
「ありがとうございます。さっきも言ったように、俺はこの新入生の加入を認めていない。アグナ先生が認めようと、俺は全力でお前を排除しにかかる」
うーん。どうしたものか。
出来れば揉め事は回避したいのだが。最低でも1年は一緒のゼミにいる訳だし。
「……よし、わかりました。あなただけ10000バルのタオルに差し替えます。それで、手を打ちませんか?」
「タオルの問題じゃねーよ!」
うーん? ならば、余計にわからない。縁のない人から因縁を吹っ掛けられたのはじめてで、対処の仕方がわからない。
「俺はお前に決闘を挑む。学園の決闘システムを知っているか?」
「知らないです」
「決闘で取り決めをし、破れた方は勝者の取り決めに従う。俺がお前に突きつける条件は、退学だ。俺との決闘に負けたら退学して貰う。いいな?」
重い。あまりに重い。
ミニ先輩があわあわして怖がっている。マスコットキャラクターみたいな人だ。アグナ先生は相変わらず我関せず。実力無き者は仕方ない、とでも言いたそうな感じだ。
「俺はアグナ先生からもミニ先輩からも、そしてラース先輩からも学びたいと思っています。そちらは俺に退学をして欲しいかもしれませんが、俺はあなたに退学は要求しません」
「好きにすればいいさ。では、バトルコートにて待つ。決闘の申請は全て俺がやるから、お前は戦闘の準備だけしてこい」
返事はしなかった。
ラース先輩が去って、残ったアグナ先生とミニ先輩に、ア報会の概要を聞いていく。
ここでは魔融の技術を学ぶだけでなく、アーティファクトを使いこなすことも目的に一つになっている。
そういえば、俺って武器を持っていなかった。これまで素手でばかり戦って来たので、ここいらで俺も何か欲しい。
それがアーティファクトだと尚いいのだが、気になることがある。
「なんで、アーティファクト強化失敗報告会なのですか? それと略称は変えませんか?」
「変えぬ。結構好きな名だ」
アグナ先生が略称の変更を即否決。……変人だなこの人。
「アーティファクトって魔融の技術で強化するのがとても難しい存在なの。神々が作った技術だから、人が扱うのは難しくて」
説明してくれたのはミニ先輩だった。
「アグナ先生でも?」
「そうだよ。アグナ先生でもアーティファクトを完璧には扱えない」
「……そんなことはない! あとちょっと。あとちょっとで行ける……気がする」
やっぱり変人だ。これから4年間この人の弟子をするのか。なんだか少し気が重い。
「……ハチ、ラースの決闘をどうするつもりだ?」
変わった人だが、一応気にかけてはくれているらしい。介入はしないが、考えてはくれていたのか。
「ラース先輩、4年生の中でもかなり優秀な魔融使いですよ……。アグナ先生、なんとかして下さいよ!」
「学生間のいざこざに首は突っ込まん。それに、私が1位指名したのだ。自分でなんとかしてみなさい、ハチ」
なんとかね。まっ、そうするか。
「ハチ君、何か作戦とかはあるの?」
「はい、とりあえず完璧な作戦が一つだけ」
ミニ先輩がごくりと唾をのんだ。まあ、安心して下さいよ。小物の力、知るが良い。
次の日、俺は変わらずゼミへと足を運んだ。
昨日は概要しか聞いておらず、ゼミの活動らしいことをしていないからな。
今日も一番に到着し、先輩方と先生を待つ。
そして、やってくる激怒したラース先輩。後ろにアグナ先生とミニ先輩もいる。
「てめー、ハチ! なぜ決闘に来なかった! とんだ恥かかせやがって!」
「行くとは言っていませんので」
決闘に対する完璧な回答はこれだ。
行かない。
田舎の小物貴族に、誇りを守るという矜持など無い。
決闘なんて受けるだけ損だ。俺は退学したくもないし、ラース先輩を退学させる気もない。
すまない、決闘に行くってあなたの感想ですよね?
俺は何も言っていませんが!
ラース先輩の後ろにいたアグナ先生とミニ先輩が顔を俯かせてピクピク震えていた。ツボらせてしまったらしい。ラース先輩が激怒している手前、笑うに笑えないと見た。
凄い剣幕で捲し立てられて、今日こそ決闘に来るように言われたが、遠回しに返事だけしておいた。
もちろん今日も、行かない!
アグナ先生とミニ先輩は部屋の隅でピクピクと笑っていた。
ゼミ活動が終わり、夜が来る。朝方に洗って干していた靴と残りの下着を取り込みに5階へと赴いた。
これで溜まっていた洗濯ものは全部洗い終わった。2週間分はもつ量なので、しばらくは楽が出来そうだ。
魔風干し台エリアに行って、自分の下着を取り込もうとしたとき、少し違和感を覚えた。
肌着の数はあっている。しかし、あれ?
ちょっ……。
えっ!?
ぱ、パンツの枚数が足りない!
3枚も足りない!
慌てて周りをキョロキョロしていると、洗濯を干す紐に洗濯バサミで挟んだカードがあった。
赤い紙で作られたしっかりしたメッセージカード。
『怪盗おパンティ ハチ・ワレンジャールのパンツと共に幸せな夜を過ごす』
……カードを床に落とす。
手が震えて、それ以上持てなかったからだ。
視界が、狭くなる。
一瞬、立ち眩みで、転げそうになった。信じられない勢いで頭に血が登っているのを感じた。血の流れって自分で感じられるんだね。
俺は甘かった。
世間知らずの子供だった。
シロウたちの怒りを、全く理解していなかった。彼らの痛み、悲しみ、そして深い怒りを。
人は、自分も同じ境遇に立たなければ、人の本当に痛みを理解することは決して不可能なのだ。この時、俺はそんな当たり前で最も大事なことを今一度思い出した。
1階へ戻り、殺気立っているシロウの結成するパンツ泥棒討伐隊の傍に近寄った。
「ハチ?」
俺の様子がおかしいので、シロウが少し戸惑っていた。
「血……」
「ち?」
思いっきり息を吸い込む。
「血祭りじゃあああ!! パンツ泥棒、血祭りじゃあああ!! 甘い、お前たちは甘い! パンツ泥棒を見つけ次第、極刑! 絶対に許すな!」
「ハチ! 君も同士になってくれるんだね!?」
当り前よ。
この痛み。
パンツ泥棒に与えられた痛みを晴らすまでは!
「皆の者! 立ち上がれ! パンツ泥棒討伐隊、目的を果たすまで倒れることは許さんぞ!」
「「「おおう!!」」」
男たちの声が一階に響いた。
パンツの絆、ここに深まる。





