74話 成長の時
ミリアは、もう視線を逸らすことすらできなかった。
ふたりの姿が、まるで絵画のように美しくて、まるで真実のように遠かった。
ノエルは笑っていた。言葉もなく、ただそこに在るだけでハチの隣にぴたりと収まる。
それが自然で、奇跡のようで、ミリアの心に静かな嫉妬の火傷を残す。
ハチの眼差しに、答えがあった。
自分は、あの目を知らない。
突如訪れた完全勝利の後の、完全敗北。
2階には私の目を疑うものがあった。
少し体格の良いノエルがノエルではなかった。あれは、ダンスパーティー会場でノエルと共に踊っていたテオドール・レナトゥス様。
社交界で何度かお会いしたことがあるけれど、黒い噂の多いレナトゥス家の中でもはみ出し者の変人と噂があるお方。
暴れた代償に教師陣に連行され、エンヴィリオと呼ばれた生物も拘束されて連れていかれる。
まさか、一階でキスをしていたのが、ロワ王子と変装したテオドール様だったとは……。
おほっ!
それはそれで少し興奮するものの、今はその楽しみを味わう余裕もない。
突きつけられた完全敗北に、もはや抗う気力すら湧かなかった。
ノエルの気持ち、器の大きさを思い知らされたからだ。
テオドール様の変装が解除されたとき、衝撃の事実に立ちすくんでしまった。その後に、考えてしまうもう一つの世界線。
もしも、あれが変装ではなく本当のノエルだったらどうするのかと。自分がノエルの立場ならきっと、『不実を働いたことを恥じてハチ様から離れる』ことを選択したことだろう。それが潔しと、なんなら満足までして。
たとえ、権力や相手のスキルに陥れられていたとしても、良い訳などせず去ろうと。それが美しい女性の引き際だと勘違いしていた。
しかし、ノエルは私の回答を余裕で超えてきた。
『足を引っ張るようなことがあれば自らこの命を絶って見せる』
その言葉にハチ様も驚いていたけれど、心にもっとも深く刻まれたのは私だった。
大きい……。
思っていたよりも、数段ノエルという女の器が大きい。
命。
人の最も大事なものを、ハチ様に差し出すことなんて考えたこともなかった。そもそもが、私は自分のために動いている。だから、命なんて想定をしたことすらない。
しかし、ノエルは始めから覚悟が違っていた。
ハチ様の隣にいられる権利と義務を理解している。その愛情を最も受ける立場にいるならば、もっとも代償を支払う気でいる。
全てがハチ様のため。
自らの軸は失わず、それでいてハチ様の立場のためにあの方は動いている。あの言葉からは、彼女の全てを感じ取れた。
……遠い。近く見えるノエル・ローズマルが、思っていたよりも遥か遠くにいる。
私も自分の軸こそブレてはいないが、ハチ様のために動いてはいなかった。ハチ様を求めるのも自らの欲、『不実を働いたことを恥じてハチ様から離れる』ことを考えたのも全ては自分のため。
私はハチ様を想っているようで、実のところ自分のことしか思っていなかった。
……なるほど。
運だけでハチ様の隣にいると発した言葉をあなたに謝罪したいです。二人の縁はもはや偶然のものに非ず。天が導いたものなのでしょうね。
二人に一礼し、階段から降りる。
もう私にやれることは無い。この美しい場に相応しくない。愚かな敗北者は去るとしましょう。
「ミリア」
階段を下りた星門に立つギヨム王子。
真っ直ぐに私を見つめる目が申し訳ない。彼は純粋で優しい人。こんな愚かで醜い私が関わって良いはずのないお方。
彼の言葉を無視して、手摺を利用して階段を下りた。目を合わせず、その隣を過ぎ去る。
「ミリア、もはや僕にかける言葉もないのかい?」
「……お世話になりました。あなたと過ごした城での日々は宝物です。ですが、私にはこの眩しい舞台は似合わないようです。クルスカの地に戻って、昔のように植物たちのお世話をし、静かに散る人生を選びます」
またゆっくりと歩き出した。
今日は無理をし過ぎた。脚が既に限界を迎え、もはやいつ倒れてもおかしくない状態。
3,4歩と歩き始めたところで、等々限界が来てしまった。
そのまま崩れるかと思いきや、私を支える人物が。
傍にいたギヨム王子だ。
「あの日見た君は、こんなに弱くなかった。あの日感じた君は、誰よりも綺麗だった」
あの日……。
どれを指しているのかはすぐにわかった。
始めてギヨム王子と出会った日のことだ。
――。
その日、ギヨムは誰にも告げず、城の奥にある使われていない中庭へと足を運んだ。
兵士も貴族も寄りつかない場所。
剥がれた壁、枯れかけた噴水、うつむく木々。すべてが人の目から遠ざけられていた。
ここが彼にとって、ちょうどいい場所だった。
風のない庭に、ふと、音が落ちた。
――コロ、コロ……。
石畳をかすかに転がる車輪の音。
こんな場所に誰が? と、警戒から一歩引こうとしたとき、ギヨムの視線の先に少女が現れた。
髪を揺らし、車椅子に座る少女。
細い腕だけで車輪を回しながら、ゆっくりと前に進んでくる。ギヨムに気づいて、少しだけ会釈をした。
驚いた様子も、恐縮した様子もない。ただ自然に、そこにいた。
「迷ったなぁ……でも、空が綺麗そうだったから。ね、ちょっと見ていきませんか?」
そう言って、彼女は空を見上げた。
ギヨムは一歩、音を立てずに近づいた。
火傷の残る顔を見せることに慣れすぎた自分が、思わず相手の反応を探るような視線を向ける。
だが――彼女は目を細めて、ふわりと微笑んだだけだった。
火傷を、見ても。
王子と気づいても。
哀れみも驚きも、そこにはなかった。
「……ここは立ち入り禁止だ」
ギヨムは低く言った。少しだけ威圧を込めて。
「そうなんですね。そっか。じゃあ……見つかったら、あなたと一緒に怒られましょうか」
その冗談めいた返しに、ギヨムの表情がほんのわずか揺れた。
誰もそんなことを言わない。彼の顔を見る者は皆、距離を取るか、過剰に気を使うか、黙る。
けれど、この少女――ミリアだけは、何ひとつ気にしていないようだった。
「どうやって、ここまで来た?」
「坂と段差と格闘して、最後は持ち上げて。腕、パンパンです」
笑いながらそう答えたミリアは、袖をまくって力こぶを見せる真似をした。
「歩けないのに、そんな無理をするのか?」
「無理はしてません。私、けっこう強いんですよ。見かけによらず」
そう言って空を指差す。
「だって、ほら。あの雲のかたち、ちゃんと見たくて」
ギヨムの目に、静かに光が差した。
彼女は、歩けない。
けれど、不自由さの向こうで、生きることを、確かに楽しんでいる。
悲壮な覚悟ではない。闘志でも、諦めでもない。
ただ、ごく自然に――生を、そのまま受け入れていた。
道が悪ければ腕で進む。
空が綺麗なら、どうにかしてそこへ行く。
そのすべてが「できることだけで満足する」ためじゃなく、
「ちゃんと自分の世界を広げるため」にあるようだった。
ギヨムは、かすかに息を吐いた。
自分は、ずっと何と戦っていた? 誰に勝とうとしていた?
彼女のように、世界を見たことがあったか?
「……強いな。君は」
「え?」
ミリアは目を瞬かせ、やがて恥ずかしそうに笑った。
「そんなふうに言われたの、初めて。でも……ふふっ、嬉しいです」
ギヨムの胸の奥が、ゆっくりと、静かに軋んだ。
それは痛みではなかった。
名もない何かが、心に小さな芽を出した音だった。
この人の隣で、もう一度世界を見てみたい。
そう思った瞬間、彼はもう、その芽を踏みにじれなかった。
その晩、ギヨムは久々に眠れなかった。
寝台に横たわりながら、天蓋の影を見上げる。
目を閉じれば、浮かぶのはあの庭と、あの声。
「――見かけによらず、強いんですよ」
そう言って笑った少女の姿が、何度も心をかすめた。
火傷のない側の頬が、熱を帯びているのを自覚するたび、自分に呆れる。
“恋”など、縁のない感情だった。
誰かを守りたいと願ったことはある。
誰かに裏切られた怒りも、忘れたくない喪失も知っている。
けれど、ただ誰かを思い出すだけで心が揺れるというのは、
まるで初めて“生きている”という実感に触れたようで、怖くて、愛しかった。
ミリアは、何も特別なことをしなかった。
ただ、自分の足で世界を歩けない代わりに、腕で進み、心で見て、言葉で照らした。
その姿が、彼にとっては何よりも自由で、何よりも――美しかった。
もう一度、会いたい。
ギヨムは体を起こした。
静まり返った部屋。明かりはないが、窓の向こうに月が出ていた。
月光が床を照らし、まるであの中庭のようだった。
あれは偶然じゃない。……そう思いたい。
彼は立ち上がった。
何も言わず、誰にも告げず。
ただ、次に彼女があの庭を訪れるとき、また偶然の顔をしてそこにいるために。
恋はまだ、名前を持っていなかった。
けれど、その夜から彼は静かに、彼女の世界を探し始めたのだ。
――。
「あの日、君と出会った庭で、僕は世界の広さを知ったような気がした。生をありのままに受け入れるその姿、僕には無い尊いものを君は持っている」
「……それは勘違いです。私は自らのことしか考えていない愚かな女。その証拠に」
一瞬言うか躊躇った。しかし、ギヨム王子にまで不実ではいられない。
「私はずっとあなたを利用していた。多分、気づいているのでしょ? 私はそういう女なのですよ」
本性がこれだ。
ギヨム王子は一時的に熱くなっているだけのこと。気持ちが覚めれば、なんて愚かな女に恋をしていたか気づくことでしょう。
「そういうところが好きだ」
「――え」
まさかの答え。
自分が恥じていた部分を、王子が好いてくれていた。
しかし、それでもその厚意は受け取れない。私の心にはまだハチ様が残っているから。
「ミリア、城にいてくれ。君はそんなに簡単に諦める魂《《たま》》じゃないだろ?」
……なぜここまで私のことを?
「君の気持がハチにある限り、諦めることはない。完全敗北なんて顔しちゃって。君らしくもない。どんな手を使ってでもハチを手に入れるんだろ? 別に醜くても、正攻法じゃなくたっていいじゃないか」
「……私を口説きたいのか、それともハチ様と一緒にさせたいのか、良く分からないお言葉ですね」
彼は私のことが好きなはず。
しかし、言葉のそれはハチ様とくっつくことを応援しているようでもある。
「なーに、別に時間の問題さ。君がハチを諦めないように、僕も君のことを諦めないだけだ。一時的にハチに気持ちを貸しておく。…4年。僕は王立魔法学園で学び、強くなってくる。ハチを追い越し、あんな男になぜ恋していたのかってくらいいい男になって君の元に戻る」
やはりこの方は私と似ている。
想われていないのに、ただひたすらに追い求める。
少し笑った。
だって、その諦めの悪さや、もがく感じが、何よりも私に似ているから。
「……もう少し城にいさせて頂きます」
「そうしてくれ。君がいないと寂しがるのは僕だけじゃない」
これも告げなくてはならない。
「でも、私はハチ様を諦めません。諦めの悪さと強欲さはもちろんご存知でしょう?」
「ふふっ、それでこそ、僕の惚れた女性だ」
ギヨム王子の手を借りて、控室に戻る。
この方は暖かい。どこまでも。きっと王になれば、この国は更に良い国になるのでしょうね。
ありがとう。あなたに出会えてよかった。
……でも、私はまだ戦う。
――。
グランドホールの喧騒から雨模様の外。
雨音が、誰にも聞かれぬように静かに石畳を濡らしていた。
ロガンはフードも被らずに、壁にもたれていた。
濡れた髪が額に貼りついても、気にする素振りはない。
雨は、冷たくはなかった。ただ静かに、彼を洗っていた。
指先には一本の煙草。
火はもうついていたはずだが、なかなか吸おうとしなかった。
彼はしばらく、ただ煙草を見つめていた。雨粒が先端を濡らし、微かにジリと音を立てる。
ようやく口元に運んだのは、ホールから漏れてきた笑い声が、遠く消えたあとだった。
深く吸い込んで、肺に落とし込む。
煙を吐くと同時に、小さな吐息が漏れた。
それは溜息でもなく、感嘆でもなく、心のどこかが揺れた音だった。
「……ったく、何やってんだ俺は」
苦笑のようにこぼした声は、誰にも届かない。
ふいに、目尻をひとすじ、何かが流れた。
それが雨なのか、涙なのか、自分にもわからなかった。
「おいおい、なんで雨の中タバコを吸ってる。中で吸えばいいだろ」
雨の中走って来たのは、カイネルだった。
騒ぎを聞きつけてグランドホールまでやって来たらしい。ダンスパーティーも騒ぎも……俺の人生も既に終了したというのに。
「最近はどこも喫煙者に厳しくてな……ううっ」
「んで、なんで泣いてやがる」
なんで? なんでだと?
これが泣かずにいられるか。
「運命の女性に出会ったというのに、振られちまった。なんでカイネルみたいなむさ苦しい男にあんな美人の嫁さんがいて、俺が独り身なんだ。ううっ」
「まさかルミエル役の女性か? 護衛役が何を呑気なことを。それに振られたなら、またアタックすれば良いじゃないか」
……は?
おいおい。こいつは天才か?
カイネル・フォーンて男は、教師をやりすぎていつしか天才になっちまったのか?
「カイネル先生、あんた凄いな」
「どのタイミングで褒めてんだ。あらら、他の先生方も集まっちゃって来たな」
「レナトゥス家の坊ちゃんが暴れたらしい。んで、ヘンダー家の坊ちゃんが怪我したってよ。入学早々しこりが残らないと良いが」
「まあこの学園あるあるだな。大物貴族の衝突は。なんとかなるだろ」
その楽観的な感じも、教師歴の長さの違いを感じさせられる。こいつって、なんか話してて妙に落ち着くよな。もしかして、それがモテる男の秘訣なのか?
「ああっ、あのガキんちょが俺の借金をバラしていなければ、なんとかなってた気がするなぁ」
「いずれバレるんだから、むしろ明かして貰って良かっただろ」
「……それもそうか。そういえば、成り行きでそのガキと戦ったんだが」
あの疑問をカイネルに尋ねてみようと思った。
けれど、少し思いとどまる。なにせ明らかにあり得ないことだから。
少し遠回しに訊ねる。
「魔力の理の最も基礎である、身体強化の極みって、あり得るのか?」
「そりゃあり得るだろ。五理は全てが極みに到達することが出来る」
「ふーん」
戦いの中でなんとなく感じたあの感じ……。しかし、どうも信じられない。
「今年の入学生に面白いのがいる。……今年は本当に豊作だな」
「お前もそう思うか、ロガン。実は俺も目をつけているのがいる」
「誰だ?」
「秘密だ。なんたって、この後はゼミ生の『ドラフト会議』がある。こんなところで切り札なんて見せないさ」
ゼミ生ね。今年は俺も数名取ろうと思っている。あわよくば《《あいつ》》も取りたいが、本命はあっちだな。
「俺は隠さないよ。どうせ競合するだろうし。クラウス・ヘンダー。スキルタイプも近いし、あれは俺が育てる。んで、もう《《一方》》のは余ったら貰おうかな」
「伯爵家のクラウスか。たしか資料にあったな。竜化だったか? お前と同じ変異型のスキルタイプ。面白い選択だと思うぞ。俺のはやはり教えてやれないな。そんな有名な生徒じゃない」
無名の本命。それを隠して一本釣り狙いか。カイネルらしい。こいつってモテるだけじゃなく、弟子たちが結構出世しているんだよな。隠れた有能め。俺も少しは見習わないとな。
「んじゃ、俺はもう一度行ってくる」
タバコの火を消して、再びグランドホール内に行く。
「事後処理か?」
「いいんや。未来の嫁さんへの再アタックよ」
「……おっ、おう。頑張れ」
俺たちの戦いはこれからだ!
――。
――ああ、これは……天井か。
目を開けてすぐに、クラウスは視界の奥に広がる金の装飾を見つめた。
丸天井の緩やかなアーチ、魔石の光に照らされたシャンデリア。
そこがまだ宴の場、ダンスホールであることに気づいたのは、もう少しあとだった。
空気は静まり返っていた。
人々のざわめきも、魔力のうねりも、もう残っていない。
けれど、その静けさは冷たくなかった。どこか……柔らかかった。
「クラウスくーん、起きてる〜?」
耳に届いたのは、妙に呑気な声だった。楽しげですらある。
ゆっくりと視線を向けると、すぐそばにポルカ・メルメルがしゃがみ込んでいた。
怪我ひとつなく、にこにこ笑っている。
ちょうどテオドール・レナトゥスが連行される姿も見えた。その背後に、拘束されるエンヴィリオ。僕が先ほど完敗した生物だ。
「……おまえ……無事、だったか」
掠れた声に、ポルカは大きくうなずいた。
「うん! 全然大丈夫! ていうか、クラウス君の後ろ姿めちゃくちゃかっこよかったよ~! ドォン!って飛んでって、ドシャーンって倒れたときは、ちょっとだけビビったけど」
その口調に毒はない。ただ素直に心配してくれていたことが伝わった。
言葉の節々に、隠そうともしない優しさと抑えきれない好奇心がある。
体を起こそうとしたが、背中が悲鳴を上げた。爆破された箇所だ。
思わず息を呑むと、すぐにポルカが手を添えた。
「ダメだよ、いまはちょっとだけ休もう。みんな、もう落ち着いてるから。エンヴィリオも、もういないし」
その名を聞いたとたん、意識に重たい記憶が流れ込む。
あの力。あの速度。あの――敗北。
歯が鳴るほど悔しかった。
「僕は……負けたんだな」
僕は最強ではなかった。私塾で同級生に負けたことなんてなかった。この世界で、僕とまともにやりあえるのはワレンジャール姉妹だけかと。けれど、実家を出て初めての戦いで、いきなり負けた。それも、おそらくテオドールの使役する生物に完敗という結果。
苦笑のように吐いた言葉に、ポルカはにこりと笑った。
「うん、完ッ全に負けてた。でも、クラウス君、格好良かったなぁ。君のこと、初めて格好いいと思っちゃった」
格好いい?
それは昨日までの僕のことだ。
生まれも、見た目も、才能も良し。
全てを持っていた完璧超人、クラウス・ヘンダー。
しかし、それが今日失われた。僕は、最強じゃなかったらしい。
「私、また見たいな」
「……勝つところを見せたかった」
「そうじゃないよ。クラウス君が、誰かのために戦うところ」
僕が? 誰のために戦ったって?
……そうか。僕は落ち込んだハチを慰めるために戦ったのだ。それが戦いの衝動だった気がする。
そんなことを評価されても、敗北には違いない。
「あんな小物のために戦ったわけがないだろ。僕は僕の門出を邪魔されたことに腹を立てて戦ったんだ」
「じゃあ私の勘違いだね。でも、今日はいい日だなぁ。なんとなく、そう思うんだ」
寝そべっていると、涙が溢れて来た。
現実と理想に、ギャップが生じたような感覚。
いいや、おそらく、ずっと傍らにあったのだ。
まだ正確にそのギャップがどのくらいあるのかはわからない。
かつて、ノエル嬢に蔑まれた言葉を投げられた日を思い出す。あの時は全く理解できなかったものが、一瞬、わかりそうになった気がする。
『底が知れたわね。クラウス・ヘンダー』
今あの言葉を貰えていれば、何か見えていた気もする。
……結局答えは出ないが、なんだか少し見えた気がしたんだ。
「僕は、ここで、王立魔法学園という場所で、強くなれるのだろうか?」
「外の世界へようこそ。4年もあるんだよ。余裕だよ。でも、焦らないで。そして楽しんで。仲間と楽しみながら、クラウス君の中にある疑問を解消すればいいんだよ」
まるで未来を信じきっているような、屈託のない声だった。
そんなことを言ってくれる人間が、自分の傍にいることが……少しだけ、救いだった。
騒がしかった宴の余韻の中で、ふたりの間だけ、やさしい時間が流れていた。





