66話 職員会議!
王立魔法学園の大会議室は、厳かな空気が漂う石造りの広間である。半円状に配置された重厚な椅子が40脚、段差をつけて4列に並び、それぞれの席には教師たちの名札が固定されている。
部屋の最奥、ひときわ高い位置には、学長専用の背もたれの高い椅子が据えられ、まるで玉座のような存在感を放っている。その手前には、会議を進行する者のための小さな演壇と、控えめな造りの司会席が設けられており、全体を見渡せる位置にある。
壁には記録用の魔導板が設置されており、議事の内容は自動で記録される仕様だ。
席は1年ごとに更新され、着任歴が長い程前の席になる。
『カイネル・フォーン』と記された名札の席は、段差の2番低い列にあった。
まだ事情の半分も理解していないのに、運び屋のバッグに入って出されたのは大会議室内。事情には詳しくないが、間違いなく大ごとだということは理解できる。
既に全教師40名のうち、バルド・フェルマータを除く39名が着席していた。学長も既に席についているため、急ぎ気味に自らの席へと座る。
「皆の者、忙しい中集まって貰って申し訳ない。本日王立魔法学園の入学試験が行われているのは知っておろう」
学長の声だけが響く大会議室。
全員が静かに聞いているのと、天井の高さや、室内の広さがあって声が良く響く。
「本日バルド・フェルマータ先生の譜が途切れた」
学長の言葉に、大会議室が一気にざわめき始める。
王立魔法学園の教員は、それぞれ常日頃より『個人譜』と呼ばれる魔力の律動を記録する譜面石を持つ。
これは学園内の『大譜』と呼ばれる巨大な魔道具に接続されており、教員たちが生きている間は常に微細な魔力の揺らぎ、まるで音楽のような律動が記録され続けている。
大譜は学園長室の奥の鍵付きの間に厳重に保管されており、学園幹部のみが立ち入ることを許されている。そこには譜面のように並ぶ教員たちの生きた音があり、日々わずかに揺れ続けている。
ある時、その律が完全に沈黙する。まるで曲が終わるように。
その沈黙が「譜が途切れた」、つまりは死の報せを届ける。
「魔律のバルドでも砂の戦士長には勝てなかったと!? 学園の教師が試験中に暗殺されて、なぜやつらを帰したのです!」
グラン学長への抗議に近い声。バルドを思ってのことというより、学園が舐められては困るという内容の抗議だろう。
「バルドの件と砂の一族は関係ない」
「ここからは私が代わりに説明致します」
学長の代わりに、小さな演壇に上がった老人。厳格な賢老エルダ・ヴァリウス。常に中立の立場をとり、学園では学長に次ぐ長い着任歴を誇る。
「譜が途切れた異常事態に調査チームを派遣している。完全には調査できていないが、既に8割方情報は集まっている。本日2次試験中に、バルド・フェルマータが受験者ハチ・ワレンジャールを襲撃。これをワレンジャール姉妹が撃退し、その地にてバルド・フェルマータの譜が途切れた。姉妹からの報告と調査内容に相違点はなく、信頼できるものとして扱う」
淡々とした報告に、大会議室はますますヒートアップする。
各々で会話する者や、今度は賢老に講義する者まで。
「あり得ない! 『変律』を究めたあの男が、たかが生徒に負けるわけがない!」
「いいや、あり得なくはないさ。そういう事件は過去にもあったし、今回はワレンジャール姉妹が相手だ。バルドとて負けることはあり得る」
「お前はバルドを知らないからそう言える。あれは殺しても死なない男だ」
「現に譜は途切れている」
冷静に分析する者もいるが、とにかく皆が夢中になって目の色を変えてのめり込んでいることには違いない。
俺もその一人。
バルドが死んだと聞いて、動揺が隠せない。
ワレンジャール姉妹が強いってのは誰もが知っていることだ。学園で最も有名な生徒と言っても過言ではない。王族より存在感がある。
学長のゼミに入り、弟子として大事に育てられている。少し過保護ゆえに実力を把握しきれていない部分もあったのだが、まさかバルドを上回るレベルとは想像すらしていなかった。
「学園で唯一の『変律』を究めしバルドがね……。やっぱり信じられないよ」
「同じく。再調査を依頼するね」
全体の雰囲気としては、バルドの敗北を信じない声が圧倒的に多数。冷静に分析できている者はわずかであった。それほどの異常事態。
「もちろん追って詳しい調査はする。此度の黒幕も追う。なぜ一受験者が命を狙われたのかも知らねばならない。これは学園の信頼に関わる、責任問題でもある」
「でもさあ、死体も残らない殺し方ってひっどいよねー」
先ほど少しやりあったユランがそう感想を口にした。真後ろの4列目の席なので声が良く響く。
「中途半端にやらなかったのは正解だと思います」
対角線上に座る若い先生が姉妹の行動を評価する。あれはヒナコって名前だったかな?
「でも生かしてたら情報絞れたじゃん。黒幕も知れて、わざわざ調査する必要もなかった。拷問して吐かせればいいんだよ」
「いいえ、バルドを殺したのは正解です。捕らえても口を割るたまじゃありませんよ、あれは。むしろ生かしておくと今度は姉妹が危ない」
バルドに近い席からの声。
「同意見だな。ありゃ油断しているといつ寝首を搔かれるか分かったもんじゃない。この部分に関しては姉妹の肩を持つね」
それぞれが意見を出し合っていく。
姉妹の罪を問おうという声は圧倒的に少ない。むしろ14歳とは思えないその思い切った決断を称賛する声の方が多いまである。
「ハチ・ワレンジャールってさあ、もしかして姉妹の弟? それって、姉妹が弟の手助けしたことにもならない?」
勘の鋭いのが気づき始める。またユランだ。
バルドの敗北以上に、実はそこが気になっていた。
ハチなら実力で上がってこれると信じているが、あれと接したことのない教員からすると姉が弟を助けたと見られても無理はない。
誰も反論できないことなので、直に接した自分が抗議をする。
「そもそも姉妹が手を貸した状況を作ったのは、バルドに原因があり、手綱を握れなかった学園の落ち度だ。彼らを責めるのはお門違いだろう?」
「あっれー? なんか肩持とうとしてない? さっきも砂の一族を守っていたし、もしかしてあんたも繋がりがあるんじゃないの?」
「無い。邪推をするな」
「はいはい。砂の一族に殺されかけたカイネルさんはワレンジャール姉妹推しっと」
「今は試験について話している。喧嘩を売るなら後で買ってやる」
「おじさん、弱いくせに口だけ達者だよね」
杖の石突が一度、静かに床に打たれる。大会議室に水の波紋のように広がる穏やかな魔力。これは賢老の力だ。「根打ちが出たら黙れ」が会議の無言のルール。
俺が魔力を荒げたのに気づいたらしい。
「ユラン先生、後でカイネル先生への謝罪を命じる。拒否した場合、給与の減額をする故ご覚悟を」
「はいはーい、また若者いじめですね」
杖が打たれたことで、皆が発言を控えた。
賢老にまた主導権が戻る。
「試験開始前にバルド・フェルマータ先生よりハチ・ワレンジャールに特別ルートの記された地図が手渡されたことも判明している。記録装置にも残っており、これは明らかな不正行為である」
「いいや、不正の余地はない試験だと思っている。それにそんなことをすれば、不安な気持ちでいっぱいの受験生は受け取らざるを得ない」
反論に賢老は頷いただけだった。どちらともとれる反応。
「質問良いか? そのルートってどのルートだ?」
挙手して質問を投げかける先生が一人。あまり関わりの無い人だ。
「崖のあるルートです。よく使われる試験地ですので、知っている先生方も多いのではないでしょうか?」
「おいおい、そりゃ手助けってより、むしろ足を引っ張ってる。あの山の一番きついコースだぞ。それを登り切ってゴールしたなら、普通に認めてやればいいんじゃないか?」
肩を持つわけではないらしい。単純に実力を評価してのもの。
同じような気持ちを持つ者が多いのか、また別の個所からも声があがある。
「昔から学園の方針だろ? 不正できるものならやってみな、ってのは」
「同意だな。カイネルと同じで、そもそも不正が入る余地のない試験だと思っているし、不正出来るならそれも実力の一部みたいな試験ばかりだ。おまけにバルドの襲撃を受けて生き延びてるって時点で評価できる」
思わぬハチへの追い風。
この学園は実力者や才能を評価する風土が根付いている。潔癖さで才能を取りこぼすくらいなら、そんなもの捨ててしまえという意見が多数派だ。
「まだ知らせることはあります。ハチ・ワレンジャールを追っていた『白の追跡者』だけが爆発する仕様になっておりました。これはバルド・フェルマータ先生の仕掛けでしょう。やはり彼はハチ・ワレンジャールの暗殺を目論んでいた。何重にも罠を張って」
そりゃあんまりだ。
この試験中、ハチはずっと一人だけとんでもない不利を背負っていたことになる。
戦士長と戦う前に、そんなことが起きていただなんて全く知らなかった。追跡していた鳥がやられた時からきな臭いとは感じていたが、ここまでとは……。
「ならハチが責められる理由なんて全くないな。むしろ次の試験で優遇措置を受けてもいいくらいには不利を被っている。俺の言っていることは間違っているか? 賢老エルダよ」
「私は意見を表明する立場にありません。常に中立に立つ者」
それもそうだ。
この方はいつだって感情的にならず、問題の多い教師陣をまとめ上げて来た。
「彼はその後、砂の戦士長との一戦を交えて死にかけるも命を拾ったみたいですな。こちらはゴール後であり、今回の議題とは関係ありせんので、考慮せずとも大丈夫です」
今日も淡々と事実を述べるだけで、どちらの側にも傾いていない。
「やけに感情的になるな、カイネル。お前らしくない」
どこからか聞こえて来た俺への評価。
「ああ、気持ちの問題だよ、これは。俺はハチが合格に相応しい男だと思っている。心に従って発言している、それの何が悪い」
「……いいや、悪くないさ。ただ、いつものお前らしくないと思っただけのこと」
いつもの俺か。
いつもの俺ってどんな感じだった?
もっとガツガツとしていた気がする。
世界を勝ち負けで判断していて、弱肉強食こそが真理と言わんばかりに斜に構えていた。
確かに。俺が感情剥きだして他人のために抗議するなんざ、一体いつぶりだ? それも昨日今日知り合ったばかりのガキのために……。
ふん。
いつのまにか、ハチに影響されていたのか?
なぜだろう。関わっていると、気づかぬうちにあいつ色に染められてしまう。
「他に新しい情報はありません。バルド・フェルマータ先生に関する件は引き続き調査を進め、真相を明らかにさせます。今日皆様に決めて頂くのは、ハチ・ワレンジャールの2次試験突破の可否について」
これから行われる多数決。
けれど、過半数を取ればいいという訳ではない。
必要な票数はグラン学長が都度決めることなる。
今回、寛大な措置があると良いのだが……。
「学長、何票あればこと足りますか?」
「……カトレアとランが手助けしたことを、ワシは重たく見ている。試験は何があっても自分の力で乗り越えるのが基本原則。例えこちらに落ち度があったとしてもな」
「しかし! バルドに襲われて、自分の手でなんとかしろって方が無理でしょう!」
俺の強い抗議に、賢老がまた杖を打ち付けようとしたが、学長が手で制す。
「良い。あくまでワシの考えじゃ。しかし、学長の考えはすなわち学園の考えでもある。納得せい、カイネル。……5票じゃ」
「5票!?」
嘘だろ。きつすぎる。
「この中で、ハチ・ワレンジャールの失格に投票する者が5を超えれば、失格とする」
39人いて、わずか5票で失格。
あまりにも厳しい。過去にあった試験の裁定を見ても、これはあまりにも重たい決定だった。
「カイネル、ワシの決定が厳しいのは事実じゃ。しかし、お前が肩入れしているのもまた事実」
言い返す言葉が無かった。
「大人しく、結果を見ておれ」
賢老が杖を打ち付ける。無言のルールと同時に、これは投票前の慣例でもある。
「今回の2次試験一連の出来事を考慮し、ハチ・ワレンジャールが失格に相応しいと思う者、挙手せよ」
緊張の時間だった。
1秒1秒が長く感じられる。けれど、結果はあまりに予想外。
「……満場一致。失格に投票する者は無し。ハチ・ワレンジャールに関する不祥事は、不問とする」
「ははっ……」
思わず笑いが漏れた。
学長を見つめる。
「学長。あんたもしかしてこの光景を予見していたのか?」
「ふん。さての。ただこの学園に、あれ程の才能を無駄にするという判断を下す愚か者がいないだけのことじゃ」
賢老より会議の終了が告げられて、解散する。
よしっ。と思わず心の中で叫んだ。
背後の席に視線を回す。ずっと喧嘩腰のユランがまだそこにいた。
「お前は絶対に反対票に入れると思っていた」
「なんでー? どう聞いたって失格じゃないでしょ、あれ」
なるほど、こいつもちゃんと教師をしているわけだ。
「ユラン、賢老より命じられた謝罪は不要だ。俺が上機嫌なことに感謝しろよ」
「ふーん、そんなに肩を持っちゃう程ハチが大事なんだ。あたしも興味出ちゃった。今年からゼミ生募集しようと思うんだよねー。ハチ君、貰っちゃおうかなぁ」
「良い根性だ。表に出ろ、先輩の恐ろしさを教えてやる、小娘が」
「いいねぇ。そろそろ決着をつけたかったんだよね」
本気でボコボコにしてやろうかと思っていると、間に割って入ってくる人物が一人。
「ミンジェ……!」
「まっマダムーー!!」
俺に微笑んで、ユランの隣に行って頭を撫でる。
「2人ともいい加減になさい? あんまりおいたすると、お仕置きするわよ?」
「子供扱いするな」
「はっ、はい! マダム!」
ユランの目が完全にハートだ。
なんでこいつは俺にいつも反抗的なのに、ミンジェのことは慕っているんだ。不思議この上ない。
「カイネル、今日のあなた、なんだかいつもに増して素敵だったわ」
「……おっおう」
そ、そうなのか?
「マダム! ずるいです! 私も褒めてくださいな!」
「ミンジェに懐いているなら、旦那の俺にも少しくらい敬意を払え」
「は? あんたがマダムの旦那? 夢見てんじゃないわよ、ストーカーが!」
「そっちこそ現実を見やがれ、小娘。俺はもう行く。ハチの件はいい方に進んでくれたしな」
むしろ旦那だから嫌われているのかとも思えなくはない。こんなに扱いの差があるなんて。
「でもさあ、次の試験ってあのイレイザー・ディヴァインでしょ? あいつ意地悪だよねー。絶対に今年も癖の強い試験を準備しているよ。せかっく庇ったのに、3次試験で落ちちゃったりして。ぷぷっ」
「……大丈夫さ」
多分。大丈夫だよな? ハチ。
イレイザーめ、今年はどんな仕掛けをしてやがった?
多分、もう既に試験に細工しているんだろうな。
――。
宿屋に戻ったとき、従業員一同で出迎えてくれた主人たち。
俺の様子に何かを察したらしい。
「……お疲れさまでした。ハチ・ワレンジャール様」
「そんな丁寧に接して貰わなくても大丈夫だよ。俺、多分不合格になったから。もう客じゃない」
詳しいことは説明しなかったが、今審議中で、多分失格になることを告げた。
「いえいえ。それでも最後のもてなしをお受けください。恩があることには変わりありませんし、どうせ1週間先まで予約が入っておりませんので。是非、最後の夜も我が宿で」
「……すまないね。そして、ありがとう」
折角なので泊まらせて貰うことにした。今日の宿も取っていないし、既に日は暮れている。ありがたいことこの上ない。
気遣ってくれたのか、宴会こそないが丁寧な食事と清潔な着替え、暖かい露天風呂まで準備してくれた。
なんと感謝して良いものか。
あれから運び屋に乗って学園のヒーラースキル持ちが腕と体を診てくれた。骨折した個所の骨はくっついたし、酷く内出血した部分も治療してくれている。
けれど、そんな万能なものではなく、むしろ治る途中が最も痛いらしく、今がまさにそれだ。
変に慌てて動いたりすると体全体に激痛が入る。指も気を付けないと、両腕に激しい痛みが。数日で痛みは引くと聞いているが、3次試験は明日だ。もし失格じゃなくても、こりゃ影響が残りそうだと思った。
風呂から上がり、自室の窓辺にて、宿村最終日の祭りを眺めた。これを盗み見するのも最後か。結果がどうなろうと、悪くない試験だったなとしみじみ思う。
こんな短期間であり得ない程学ばせて貰った。バルドの『変律』。カイネルと戦士長の『操糸』。今思い返しても夢みたいな戦いだった。魔力の理か……。熟達者たちのそれは、見ているだけで面白い。
……もっと知りたい。もっと学びたい。でれきば、あの高みに立つ人たちと共に。
コンコン。
窓の外を眺めている隣の窓より、梟がくちばしでノックする。
カイネルの使い魔!? 慌ててそちらの窓を開けようとすると、体に激痛が走った。
「いてててっ。そうだった、気を付けないと」
窓を開けると、梟が背負っている小さなポシェットを取るように促す。ポシェットを受け取ると、梟はそのまま飛び去った。
中身を確認する。丁寧に畳まれた紙を取り出して、広げる。2次試験突破証明書と書かれており、そして105番のナンバープレートも同封されていた。
……まさか、こんなに嬉しいとは!
不合格になっても良いと思っていたはずなのに、めちゃくちゃ嬉しかった。
突破を知らせたい人たちがいる。宿のみんなに知らせるために踵を返すと――。
「いででででっ」
また激痛に襲われた。
これは本当に痛い。これから始まるであろう宿の宴会で、無事に踊れるのか心配になって来た。




