62話 先制パンチ!
俺は花粉の時期がとても苦手だ。
目とか花とか取って洗濯機の中に入れて、ついでに乾燥機にもかけてやりたいような気分になる。
一日中鼻水が出てティッシュ先輩の消費が激しすぎる。換気したくて窓を開けていると、付近の床やテーブルの上に黄色い粉までびっしりと。
なんと人に辛い時期なのか。
あくびは人に伝染するというが、この時期だけはくしゃみが伝染しそうだ。
けれど、辛いのは俺たち人間だけなんだよな。広い視点で見ると、世界にとっては恵みの方が大きい。
花粉は植物が子孫を残すための受粉に使われる。これがないと果物や野菜も育たない。
ミツバチなどの昆虫たちは花粉を食べて栄養を得るし、その昆虫たちを食べる動物もいて食物連鎖を支えている。
一件辛いことでも、大きな視点を持つと凄く意味と価値のあること。
きっと世界ってそうやって回っているんだろうな。今回の事件もそうであるといいのだが。
それに、耐えれば花粉の時期もそのうち終わる。
まあ個人的に花粉の野郎は絶対に許さないけれど。
――。
王子と山頂目掛けて走っていく中、次第に心が落ち着いてきた。
砂の一族の使命を聞いたとき、そして彼らの襲撃が多分起きているとの予想も聞いたとき、小さな家の隣で雷が落ちたリスくらい心臓がドキドキしていた。
けれど、考えてみれば俺が緊張する必要もない。
砂の一族の狙いは予言の人を確保すること。
俺とギヨムがそうじゃないらしいとわかったので、言ってみれば部外者だ。
小物、砂の一族と喧嘩しない!
イェラが宿村で絡まれていたときを思い出す。あの時、彼女は口にするのもおぞましい程の暴言を投げかけられて魂を汚された。
それなのに、彼女は怒りを鎮め、その場を穏便に済ませようとしていた。全てを許し、使命だけに忠実であろうと。
そうなのだ。砂の一族は誇り高い。強く逞しいが、弱者に手を出すような人たちじゃない。俺はそのことを書物で読んで知っていたので、事前から好印象を持っていた。だからこそ、初めてイェラと遭遇した時も嬉しかったんだ。
それに、この目でイェラの姿に真実の砂の一族を見たじゃないか。
ちーす! あの自分たち受験生なんで、使命の邪魔せず端で大人しくしとくんで、神なり聖女なり見つけ次第連れてってください。神もしくは聖女が驚くでしょうから、出来れば丁寧に扱ってやってください。くらいの言葉添えはしようと思う。たぶんそんな感じで穏便に済むはずだ。
なーんだよ。全然大したことねーじゃん。
ビビッて損しちゃったぜ。
「ハチ、すまない。どうやら僕がスキルを使い過ぎたらしい」
山頂に意識を向けていると、隣で走りながら、ギヨムが謝罪してくる。
何事かと思えば、俺たち後方より追跡してくる『白の追跡者』が目に見えた。
振り向いて、立ち止まる。一度ちゃんと観察する。あまりのスピードとその持続力。開けた場所を走っているので、隠れる場所もない。これでは追いつかれる。身体強化を今から発動しても追いつかれるだろう。
「王子、気にしないで。あれは俺の追跡者です。王子のは一度見ていますが、型が同じなだけで一応見分けはつくみたいです」
後ろから迫ってきているのは俺へ向けて放たれた追跡者だ。俺たちの追跡者は同じ大獣型。けれど、違いはちゃんとわかる。
このまま追いつかれたら試験脱落者は王子ではなく、こっちの小物。
バルドとの戦いで身体強化も修理スキルも存分に使った。そりゃ嗅ぎつけられるのも無理はない。
なので、対策は既に決めてある。
「ちょっとこの場にてやることがあります。先に行っててもいいですよ」
王子が300番で俺が301番とかだったらとてもショックだが、それならば仕方ない。そんなギリギリで上がった自分が悪いと諦めもつく。
けれど、俺の感覚ではまだ優秀な連中が辿り着いているだけで、十分に枠はあると思っている。
身体強化こそ使っていないが、王子も俺も素の体力に優れており、随分と軽快に歩を進めて来たからだ。
「何をしようとしている?」
しゃがみ込んで、雪玉を作り出した俺に尋ねてくるギヨム。
先に行ってて良いと言ったのだが、待ってくれるらしい。なら、何をするか見せると同時に、説明もしてやろう。
「ギュウギュウに固めた雪玉に、魔力を流し込みます」
誰かに料理を教えるくらい丁寧に話す。話している方がこちらも作業にぬけが無くなるので助かる。
まずは修理スキルを使用して、雪玉の中へそして外側をグルグルに巻くように補強する。そして四本足をちょこんとだして、ついでに耳っぽいわっかを二つ作る。
「次にこの魔力を弾力性のあるものに性質変化させて」
足も耳も、グルグルに巻いた部分も弾力性のある魔力に変化させていく。これはイメージの力が大事なので、シリコン素材をイメージした。しっかり跳ねてくれよ。
「んでこの魔力を俺から切り離して、維持する」
魔力の糸が俺の体と繋がっていた部分を切り離す。ここもあんまりなれていないから、集中力を切らすと簡単に魔力が離散する。けれど、今回は上手くいった。そして切り離した魔力も感じ取ることができた。
「最後に、この完成した囮ウサギちゃんを魔力操作で動かす」
ここまで完璧。最後に魔力を操作して動けば試みが成功となるのだが……。
ピョンピョン。と軽快に山の斜面を跳ねまわった。
くくっ、いいじゃないか。初めて作ったにしては、大成功だ。
「随分と不細工だし、動きもおかしいですが、騙す相手は白の追跡者なのでこれで十分です」
どうやったって人は騙せない。賢い野生動物でもちょっと怪しいだろう。
けれど、白の追跡者なら大丈夫だという自信があった。
囮ウサギちゃんを横に走らせて逃がす。速く走らないと追いつかれるので、スピードを上げている。野生のウサギにも負けないスピードだ。
猛スピードで迫る大獣型の追跡者は、俺とギヨムから視線とルートを逸らして囮ウサギちゃんを追い始めた。まるでウサギを追うクマの図だな。
これも狙い通り。あれは魔力を狙って追っている。
俺とギヨムは今身体強化を使用しておらず、囮ウサギちゃんには魔力をたっぷりと含ませている。
白の追跡者の特性から考えても、当然そっちを追うよな。
けれど、少しミスしたのは、200メートル程走らせた後に、俺の操作が切れてしまった。
「あっ、やっちゃった」
操作は苦手じゃないけど、魔力をこれだけの距離切り離して使うことはそうそうない。しかも囮ウサギちゃんほど素早く動かすのも初めてだ。
運が良かったのは、操作が切れただけで、魔力は離散していないこと。あのまましばらく勝手に走り回ってくれることだろう。気になったのは、山頂方面に走って行ったことだけど……。
まあいいや。上でまた追跡者に遭遇したら囮ウサギちゃん2号に頑張って貰おう。
「ちょっと、待て……」
「はい? 追跡者を騙せました。さっさと行きましょう」
先着順のこともあるが、王子は砂の一族と会いたがっている。上にいるかもしれない砂の手練れと会えば、彼の人生の目標について何か教えてくれる可能性もあるのだ。
「君は今何をした!?」
「え……」
まさか、この人シロウタイプか?
潔癖男子。
追跡者は自分の脚で逃げてこそだろ!
そんな卑怯な手を使うな!
これだから小物考えることは!
とか言われるのだろうか。そんなことを言われると、とても困る。特に今の状況では。
シロウが相手なら適当に飛び蹴りして意識を奪って担いでいく。クラウスなら太鼓を叩きまくって上機嫌にさせる。アーケンはそもそもそんなこと言わない。あの三人ならどんだけいいかと今更友人の大事さに気づかされる。
ギヨムの対応ってどうすればいいんだろうか?
「物に魔力を流す、魔融! 魔力の性質を変化、変律! 魔力を切り離す、散華! 魔力を操作する、操糸! それに加えて身体強化で五理!! 君は全部使えるというのか!?」
……すみません、何のことですか?
全然知りませんけど。
俺そんな難しそうなことやっていません?
囮ウサギちゃん1号を野に放っただけです。
「全部使えるどころじゃない! 君同時に使って合わせ技としだろう! それがどれほど高度な技術だと思っている!」
「……こ、小物は手先が器用でして。……ほ、豊饒の紋章は器用じゃないと生きて行けなくて」
ギヨムのあまりの剣幕に、言い訳を並べるみたいに返事をしてしまった。
今日一の勢いだ。なんでそんなに目を見開いている!?
絶対に普段は大人しい性格なはずのギヨムが、今日だけでもの凄い感情的になってしまっている。試験が終わったら大熱とか出しかねない程だ。てか、多分出るだろうな。体もあんまり強いタイプに見えない。
「ははっ……君は一体。兄様からも彼女からも君のことを聞いていたが、実際に会うと何度……何度、僕のことを驚かすんだ」
ついでに俺の魔力量も教えてやりたい。4444。このぞろ目とあまりの低さに王子はもっと驚愕することだろう。
驚かせすぎて心臓が止まりかねないので、それはやめておいた。
「えーと、俺もよくわからないので説明のしようが無いです。……さあ、もう行きますよ。俺のことより、試験と砂の一族のことが優先です」
「……それはそうだが、試験が終わったら君を問い詰める! 一体どんな人生を歩んだら、独学で『五理』をマスター出来るんだ。そんな人間見たことも聞いたことも無い」
器用貧乏なだけです! あんまり期待しないで、王子!
それと強烈な場面に巻き込まれてばかりで否が応でも習得しなくちゃならなくて。
思えば、この体質から始まり、ジンとの戦い、生命の神エルフィアとの戦い。そして魔獣戦。今にして思えば、あれら全てが俺への天然の教材になっていたのか。
……これってさあ、お得ってやつだよね!
王子程高度な教育を受けている人が驚いている。となると伯爵の私塾に通っている連中もできないのだろう。王子レベルで知らないのならどこかのボンボンだってそうとう運に恵まれていないとできない。
それを俺は無料で得ただと!? 1バルも払っていませんよ!
ぐふふっ、使えるどうこうはどうでもいい。そんな能力をただで貰えたことが何よりも嬉しいでござる!
「走ります。囮ウサギちゃん2号を作りたくないので、出来れば一号が活躍しているうちに上に辿り着きたい」
さっきは上手くいったが、なんか凄い事とか言われちゃうと気負いしちゃう。今囮ウサギちゃん2号を作ったらなんか失敗する気がした。
「わかった。ペースを上げよう」
王子の追跡者がやってきた場合の対処も考えてはいるが、まあ彼の場合は姿を消せるので問題も無い気はする。俺が巻き添えを食らいそうになったらやるしかないが。
いろいろ手は考えてあったが、それよりも俺たちが山頂に着くが早かった。これで2次試験も突破か。残すは後一つ。砂の一族と上手に和解出れば良いのだが。
近づくにつれて濃くなっていく砂嵐。
もともとラン姉さんが作り上げた異常気象ではあるものの、山頂付近は特に異質だ。
既に砂がぽつぽつと体に当たっている中、俺はとんでもない物を見た。
囮ウサギちゃん1号が隣より猛スピードで駆けあがってくる。全力で。当然その後ろを白の追跡者が追いかけている。山頂に走っているのは感じたが、まさかこんな感じで遭遇しようとは。
俺とギヨムのことが目に入っていないことは良かったのだが、2体が目掛けて走るのは山頂。
あっ、まずいです。
あそこには先にゴールしている者。試験補助の職員。そして砂の一族がいる。今上でどういうやり取りが起きているかは知らないが、2対があんな勢いで突っ込んで行くのは非常にまずいです!
王子の追跡者が来たとき用に取っておいた手を使うことにした。
急いで修理スキルを発動する。
王子がこう言ってたな。『律動』を使い、魔力の質を固くする。そして『散華』で魔力を白の追跡者に飛ばして体内へと忍び込ませる。無事に入ったことを確認して、『操糸』で体内を這わせる。
ふむふむ、こうして言語化するとなんだかやりやすかった。
いまやってことの目的は、事前に得た知識を頼ってのもの。試験開始前に軽く説明で聞いていた。
白の追跡者がゴーレムだと。
俺は一度神の最高傑作と戦っている。ゴーレムの体内の構造はなんとなくわかるし、多分核があることも。
予想通り体内は似た構造で、最高傑作とは比べ物にならない程シンプルで、そして核もあった。
ちょうど大獣型の追跡者が山頂の平たい土地上空に飛び上がったところだった。あのまま暴れられると危ないので、流し込んだ魔力で核を破壊した。
破っ!
……間に合ったか?
次の瞬間、宙に飛び上がった追跡者の四肢の動きが止まったものの、なんと爆発した。
白い素材で作られた体が山頂の上空で突如爆破。破片があたりに飛び散った。
えええええええええええ。すっすみません!
まさか爆発するなんて思っていなくて!
――。
全く、残業なんてするもんじゃないな。
悪い予感に、珍しく責任感が芽生えて、山を登って来たらこれだ。
山頂付近に突如として吹き荒れる砂嵐。自然発生な訳が無い。誰かがスキルを使って、あそこ一帯を支配下に置いた。
鳥を飛ばして索敵を入れていいるものの、砂が濃くて敵の人数が把握できない。おそらく受験生の中に複数名、その数10を超える砂の一族が紛れ込んでいた。
先にゴールした受験生たちと職員が拘束されている。人質か、それまた他に目的があるのか。
シアンと言ったな。あの小僧が砂の一族だったとは。おそらくはあいつの召喚スキルによって、砂の一族の手練れ現れた。鳥の視界からその人物を確認したが、おそらくかなりの使い手。……全て計画のうちだったのか?
受験生たちに紛れ込んだ砂の一族だけなら制圧できた。しかし、召喚されたこいつがやばすぎる。
くっそー。今朝感じてた悪い予感はこれかよ。
なんで予感がしたのに、俺は来ちまったんだ。
頭を掻いて悔しがってももう時すでに遅し。王立魔法学園の教師である自分が、こんな場面に救助に向かわない訳には行かない。
けれど、まずいことに戦闘用の『手駒』はあまり連れて来ていない。グラン学長に試験官を任されて、索敵用の『鳥』ばかりを連れて来た。
……戦えるか?
まあやれなくはないが、犠牲は払う必要がありそうだ。この俺の命一つで事足りればいいのだが……。
こんなことならミンジェも連れて来れば良かった。ミンジェがいたらなんとかなっていた気がする。『悪い予感』があるならばと、学園に報告に行ってくれたのだ。
俺の悪い予感でどれだけの先生方が集結してくれるか怪しいものだな。そんなに信頼性あるか? 俺の予感に。そして信じてくれたところで、間に合ってくれるかもわからない。
くっそー。やっぱりミンジェのやつに今生の別れを伝えて置くべきだったか。日ごろから愛を伝えておかないと、こうして後悔することになるのか。やれやれだ。
「ミンジェ、生きて帰れたら俺の特性バーベキューを食わせてやるからな」
決死の覚悟をして、いざ山頂へと向かおうとした。その時、轟音を立てて大獣型の追跡者が山頂上空へと飛び上がった。
追跡者!? 何が起きている!?
更に驚くことに、その追跡者が内部より爆発した。
山頂を襲うパニック。突如の襲撃に、砂の一族ですら混乱を来していた。
白の追跡者にはバルドの魔力が込められている。あれに捕まった生徒は強烈に引き寄せる磁力により、張り付かれて強制的に試験脱落。
そして、今爆発した大獣型も、バルドの魔力が残っているらしい。破片が山頂付近にいる者全員に飛び散り、体に張り付いている。
くくっ、まさかこんなチャンスが訪れようとは。これならば、警戒の中でも飛び込める。
一体誰がこんな先制攻撃を仕掛けた?
鳥に視点を移して、追跡者が走って来た方向を見た。
そこにいた驚きの組み合わせ。
1次試験にて、真の合格ルートを辿った二人。
ハチと、火傷の小僧か。
急いで山頂に行かなきゃ行けない状況だというのに、笑いが止まらない。
どういう理由かは知らんが、ハチ。お前何やってる。
なんであんなやばそうな場所に向けて爆発攻撃なんかを。発想がぶっ飛んでて面白すぎる。
相手は砂の一族。狙いは不明。人質が多く、それに手練れも一人召喚されている。恐れ知らずにも程があるだろ。
おもしろいやつだと見込んでいたけれど、ここまで面白いとはな。流石にこれは予想の上を行くレベルだ。
お互いどういう目的かは知らんが、ハチと協力するに越したことは無い。
鳥ども、集まれ。
いざ、戦争の始まりだ。





