61話 小物のジレンマ
自分たちはあくまで試験中だからという王子の提案の元、走りながら諸事情を聞いた。
なぜ隠れていたのか、そもそもどうして試験に参加しているかなど、聞きたいことは山のようにあった。
先を走るギヨム・クリマージュを観察する。
額から左目、頬へと斜めに流れる大きな火傷の痕が残る少年。皮膚はただれ、赤黒く変色している。けれど、その目は穏やかで、大人びた静けさを湛えている。風に揺れる真紅の髪が印象的だった。どこか、リュウ様を思わせる。けれど、あの華やかさとは異なる、深い炎のような赤だった。
「あのぉー、クッキーとかあれば出していました。普段ならクッキーを差し出せる男です。ほんとに」
「はい?」
いやね。俺はそれだけ気の利く男ですよって言うのをアピールしておきたかった。お茶もあれば全然出していましたよ。本当に。でも大事なのは無いってことだ。
すみませんね。クッキーとか持ってなくて。お腹空いたでしょ。
「僕もクッキーは無いのだが、実は飴がある。ハチに一つ分けよう」
「ありがとうございます!」
気の利く王子だ!
嘘だろ? 俺は存在の格だけでなく、小物が絶対に負けてはならない接待の気遣いでまで敗北しただと!?
王族ってやつはここまで凄い生き物なのか。
「差し出した飴も平気で食べるし、君は僕を警戒しないのかい? 本当はバルドを嗾けた黒幕かもしれないじゃないか。随分とすんなり信じたね」
「あんたがバルドの仲間なら、こんな回りくどいことをしなくても、やろうと思った時にいつだってやれた」
「なるほど。それもそうだ」
ギヨムの能力に気づいたのは今日だ。ずっと違和感こそあったが、奇襲なんてされた日にゃ防ぎようもない。
チャンスは山のようにあったんだ。今更バルドの仲間でしたって言われた方が違和感を覚える。
「君の踊り、上手だったよ」
「……それも見てたのか」
宿屋で陽気に踊っていたあのおバカ姿を。
って、きゃっ。あんたお風呂とか覗いてないわよね!
「ワレンジャール姉妹、君のお姉さんたちのことは心配じゃないのか?」
「え」
王子から予想外の姉さんたちを気に掛ける言葉。
「相手はあの『魔律のバルド』。魔を律して己がままに操ることで知られる強者。故に付いた二つ名が魔律。あのワレンジャール姉妹がいくら強かろうが、僕はそちらの方が心配だよ」
「質問が随分と多いんですね」
聞きたいことはこちらの方が多いってのに。
そういえば、尾行していた理由が、個人的な目的と、好奇心に、嫉妬だって?
この質問はどの理由に当てはまるのだろうか。
「姉さんたちの心配は無用です。バルドの強さは俺も知っています。殺されかけましたから……痛いほどにね。だからこそ言えます。姉さんたちの強さはそんなものじゃないと」
「ワレンジャール姉妹はそれほどまでに……。弟の君が言うんだから間違いないんだろうね」
だからこそ頼った。
バルドと追跡者が同時に敵になろうとも怖くはない。俺には姉さんたちがいる! ドン!
姉さんたちの力を信じた上での計画だった。
「一体いつから見ていたのですか」
走る足を止めず、今度はこちらから質問を投げかける。
なんでこんな小物をと、どうしても思ってしまう。俺なら絶対に美人の受付さんとかマダムミンジェみたいな人を追跡するのに活用する。
「リュミエール兄様に君のことを聞いた時、ずっと抱えていた問題との存在が僕の中で繋がった。だから試験に応募して、最初に君が大ジャンプしていたときから見ていたよ。おかげで見つけやすかった。すまないね。気味の悪いスキルだろ?」
あの時からか。その時は、王子が隣にいるなんて思いもしなかった。美人の受付さんに夢中だったので、多分見えていても目に入らなかったと思います。
「……感想は人それぞれです。俺はそうは思いませんでした」
別に機嫌を取るつもりはない。気味悪いとかは思わなかった。単純にこんなスキルもあるんだ、すげーっていう感想と、俺ならもっと有益な使い方をするってだけだ。
「ふーん……。やっぱり君もそう言うのか」
「君も?」
誰と比べている?
リュミエール様にロワ様。そして合格すれば同級生になるギヨム様か。まさかこの小物が王子ビンゴ大会でビンゴを達成してしまうとは。正当な王位継承権を持つのはこの三人だけ。なんの因果があって、こんな小物が関わらにゃならんのか。
悪いが寄生先は間に合っているんだ。クラウスという十分に大きな傘がある。あれで雨風は凌げるし、クラウスは危ない道は避けてくれるのでこちらも助かっている。
「では、こちらは? ハチ、スキルのことはなんとも思わなかっただろうが、僕の顔はどうだい? 随分と汚らわしい見た目をしているだろ」
ああ、火傷のことか。
確かに特徴的だ。随分と酷い焼け方だった。過去に何があったのか知らないし、同情は多少するが、だからなんだってんだよ。
「かわいそう、って言って欲しいなら言ってあげますよ。それだけですね。別に他に感想は出てきません」
これを言ったとき、ギヨムの脚が止まった。
初めて正面から俺のことを見据える。
ずっと視線をまっすぐ合わせようとしてこなかったギヨムが初めて。その表情にはなぜか怒りが込められていた。
「欺瞞だ! 恥ずべき行為だぞ、ハチ! 正直に言え! 僕の顔が、この火傷が汚らわしいと言え!」
あの大人しそうなギヨムからとは思えない荒れた口調の言葉が出て来た。感情的になっていて、頭に血が上っている。
火傷の傷はいつついたのだろう。幼い頃だったのかもな。きっと環境が彼を蝕んだのだろう。心の傷になっていそうだ。
けど、別に取り繕うこともない。俺は素直に思うままを伝えた。
「ギヨム王子を初めて見た時、そしてその火傷の跡を見た時『覚えやすくて助かる』程度にしか思いませんでした」
相手は王子だ。間違っても他人と間違えたり、顔を忘れてはならない。特に俺たちは成長期なこともあって、顔ががらりと変わる可能性もある。その点、ギヨムの顔って覚えやすいなー。助かるぅ程度にしか思っていなかった。
「それが全てだと?」
「欺瞞は恥ずべき行為です。だから正直に答えた」
「……ははっ。なるほど、《《彼女》》が信じるだけのことはある」
更に感情的になったギヨムは、なぜかその場で服を脱ぎ始めた。こんな極寒の中、何を!? 今度は本当に驚くと、振り向いて背中を見せて来た。
「では、これは? これでもまだ僕に偏見も蔑みも無いと? 言ってみろ、ハチ・ワレンジャール!」
背中に刻まれた血塗られた短剣。
おやおや、大罪の紋章ですか。ふーん。
ハナボジー。鼻くそは拾い上げたギヨムの服につけとこ。すまんね、上等な生地に。
「なっ……なぜ無反応だ! 大罪の紋章を見て、なぜ無反応でいられる! 言え! 思うがまま、侮蔑の言葉を述べよ!」
王子じゃなければ、その顔面を殴り飛ばしていた。
てめー、俺の紋章知ってんのか! 紋章の場所、知ってんのか!
この界隈じゃ豊饒の方が珍しいんすわ。昔な、大陸内陸地では黄金と塩が取引されていたんだ。希少ってのはそれだけで価値ともなるし、危うさにもなる。すまんが、俺の方が珍しいんすわ。
……それに俺はその紋章が嫌いじゃないんだよ。
「恩人が同じく大罪の紋章です。俺のことを助けてくれたばかりに、今どこにいるかも定かではないです。恩人と同じ紋章を、なぜ俺が貶すのでしょうか」
ジンの紋章も大罪の紋章だった。
暗い過去を背負い、荒んだ人生を歩んできた男。
けれど、最後には心に従って俺の命を守ってくれた男だ。どんな道を歩んで来ても、恩人であることには変わりない。
「紋章は結局紋章でしかない。俺たちの人間性まで捻じ曲げられるものなんかじゃない、と俺はそう思っています」
「ふっ。ははっ……」
ギヨムがその場に座り込んだ。
下も氷で寒いだろうに。
服を手渡して、着るように言った。試験会場は広く、俺たちはルートを逸れている。それでも誰が見ているとも限らない。大罪の紋章を隠したい気持ちはわかるので、着るのを手伝った。
何よりも寒いだろう。
「驚いた。本当に驚いたよ。君には驚かされてばかりだ。スキルと火傷に偏見を持たなかった彼女ですら、この紋章には驚いていた」
「俺には経験と、事前に良い印象があったというだけのことです」
「それでも凄いさ。普通はこの紋章に対する偏見を拭いきれない」
関わるだけで不吉とされる紋章。
確かに最初こそトラブルだらけなんだけど、結局最後には良い方向に転がるんだよな。
俺にとっては、大罪の紋章はツンデレちゃんみたいな存在だ。
「バルドに殺されかけたとき、君の魂の形を見た。人は、ピンチで誰かを責めることを考える人間と、どうやったら解決できるかを考える人間にわかれる。あの時の君の姿を見て、僕は全部を話そうと決めたんだ」
「小物の断末魔は随分と聞き苦しかったでしょう」
姉さん達だけじゃなく、ギヨムまでもがあの戦いを見ていた。
全員助けてくれないんだもんな。酷いもんだよ。相手は魔律の二つ名持ちでしょ? こっちは小物の二つ名持ちだから、まあ称号的にはイーブンファイトなのか……。じゃあ助けなくてもいいや。
「……火傷は実の母に、熱した油をかけられたものだ」
「おっおう」
流石に戸惑った。ドケチなだけで、ちゃんと父親らしいことはしてくれている父へ、急に感謝したくなった。
「不吉な紋章。なぜそんな紋章を授かったのかとなじられたものだ。まあこの事件があって以来、リュミエール兄様の実家に避難させて貰って良い生活をしている」
「キャビアの上にキャビアソースを乗せて食べてるって本当ですか?」
「僕は食べたことがない」
ちっ。誰だあんな噂を流したのは!
それにしても、二人きりになって話したかったことがこれだとはね。そんなことを話したいのなら、いつだってうちの実家に来てくれたらよかったのに。
王子が来たら父上も母上も喜んで歓迎するだろう。たぶん嬉しくて踊り出しちゃう。それで心が楽になるのならいつだって受け入れるさ。
「実は、話したいことはこれじゃないんだ。つい、感情的になって見せてしまったが」
違ったか。てっきり全部見せたから、試験後一緒に飯行こうぜ! もちろん王家の奢りな! っていう流れかと思っていた。
「まずはあの件からだ。イェラを守ってくれた行動に感謝したい。王族として、王国民を代表して砂の一族を守ってくれたことに感謝申し上げる」
膝を折り、冷たい氷の上に跪いて感謝を述べるギヨム。
わわわっ。
王子にこんなことをされて、俺はどうしていいのかと戸惑った。
「あれも見ていたのですか」
「ほとんど全部」
こりゃ絶対に風呂も見られていますわ。
「なぜ砂の一族を助けたことを、あなたに感謝されなきゃならないのですか?」
当然の疑問だ。王国と砂の一族に特別な繋がりなんてないはずだ。となると、個人的な繋がりか。
「僕の悲願を達成するため、砂の一族の協力が必要になるからだ。君は砂の一族の使命を知らないと言っていたね」
「もちろん」
イェラも教えてくれなかった一族の秘密を知れるはずもない。
けれど、この感じ。ギヨムは知っているのか。
「王家の者だけが触れることのできる知識がある。そこで僕も知った。今から話すことは誰にも話すな。決して」
ゴクリ。緊張感がやばい。王族に接しているだけでも緊張するってのに、そんな秘密の共有まで。
「……そのための舞台ですか。約束しましょう」
ようやくなぜこの場所を選んだのかわかった。
それ程に重要な話なのだろう。出来ればそんな話をこんな小物に聞かせて欲しくは無いのだが、もう逃げようにも時すでに遅し。むしろ俺が招いた事態とも言えなくもない。
「砂の一族の使命は、第5の紋章を作ること。その『器』となる存在を彼らは探している」
「紋章を!?」
あれって作れるの?
紋章ってのは精霊が作るもので、神と人が作るものではない。精霊に賄賂でも贈ればいいのか?
「イェラから予言のことを聞いただろう。彼女はこの試験地に予言の人を探しに来ている」
「てっきりあれはギヨム様のことだと思っていました」
首を横に振るギヨム。否定。
「僕のことではない。そして、ハチ。君のことでもない」
「なぜわかるのですか?」
イェラにすら分かっていない予言の相手。それをギヨムが断言する。そりゃ俺も小物の自分ではないと知っているが、そんなあやふやな感じの理由じゃなさそうだ。
「器になり得る存在は、紋章を持たぬもの。彼らが探し続けているのは、第5の紋章に適性を持つその存在だ」
紋章を持たぬもの……。
「神か聖女……」
「その通りだ。僕はこの試験地に、神か聖女が紛れ込んでいると思っている。イェラはその人物を探すためにやってきた」
小物たちの戦場でなんてことをしてくれる。今年は砂の一族に王子。更に、そこに聖女か神だって!?
小物たちに謝れよ! 俺たち一生懸命試験してたんだぞ!
「なぜあなたが彼らの使命をそこまで? 王族とはいえ、砂の一族に関わりすぎな気もします」
リュミエール様が言うならまだしも、ギヨムはまだ12歳だ。俺たちの年齢ではできることもそう多くはない。
「僕には僕の目的があるからさ。砂の一族は新しい紋章を作る一族だと言っただろう? 新しいものを作れるんだ。ならば、消し去ることも可能ではないか、と考えるのは自然なことだろう?」
おいおい、嘘だろ……。
衝撃的な結論を得た。ギヨムは12歳にして、とんでもない目標を掲げてしまっている。
「大罪の紋章を消すつもりか?」
「ああ、この背に背負いし忌まわしき紋章。僕の代で終わりにしたい」
それ程までに重いものなのか。
「母上。なぜですか……。ギヨムはあなたのことを……。なぜ。こんな思い、もう誰にも味わわせたくないんだ」
ツーと、目尻から涙を流したギヨム。
実の母から受けた残虐な行い。一生ものの外と内の傷。それでも彼の心にはまだ……。
ジンも俺が測り知れないものを背負っていた。大罪の紋章を背負った重み。渦巻く運命の濁流。その重さを理解できない俺には、かけてやれる言葉は無かった。
沈黙と涙が届けた静けさの中、山頂付近で起きた異変にいち早く耳が気づけた。
砂嵐が吹き荒れている。
ラン姉さんによって作られた氷のフィールド状に、異質な砂嵐。それも山頂付近に限って。
「ギヨム様、試験に異変が起きています。山頂付近のあれはなんでしょう」
「異変が起きても試験は試験だ。僕たちはどうしても300位以内に入らなくちゃならない。それに、あの砂のことは予想できていた。どの道、僕たちはあそこに行く必要がある」
「予想できていたって?」
走り出すギヨムについて行く。後ろを見ても、白の追跡者はまだ来ていない。あの崖が功を奏したのだろうか? 姉さんたちの戦いに巻き込まれていたらラッキーだなとも思う。
「神の使命に、人が強烈に惹きつけられることを知っているよね?」
「聞いたことがあります」
強く使命を果たそうとする神程、人の心を強く惹きつける。その力はもはや死をも恐れさせないものだと。
「違う。君は実際に味わっているはずだ」
「俺が?」
「聞いているよ。創造の神ノアが残した最高傑作。それを壊そうとした怠惰の神ウルス。君は彼に協力したそうじゃないか。死をも覚悟しなきゃならない状況で、君は彼の使命に強烈に惹きつけられていたんだよ」
全く自覚の無い話だった。
あれは俺の意志ってか、アーケンをなんとか助けなきゃ、この場をどうにかしなきゃって気持ちばかりだったからだ。その感情の源流に神の使命の力があったと?
あまりに驚いてしまい、返す言葉が見つからない。
「君でさえ、飲み込まれたんだ。数千年の悲願、『器』を目の前にしてあの砂の一族が、その大義をイェラ一人に任せると思うかい?」
「ってことは、山頂には一族が探している『器』が?」
「たぶんそうだろう。イェラが器を見つけたか、ある程度目星がついたか。とにかく、あそこには神か聖女がいると見た方が良い。そして、それを狙う砂の一族の手練れも」
小物のジレンマ発動。
試験に受かるためには山頂に行かなければならない。それなのに、あそこには聖女か神。それを奪いに来た砂の一族の手練れだと!?
登りたいけど、登りたくない!
小物師匠! 俺はどうすればいいんですか!
「神か聖女に心当たりは?」
問う。
「君の方こそ」
逆に問われる。
問われて一人脳内に思い浮かぶ。
少し間が開いて、ギヨムも同じことを思ったらしい。ずっと傍にいて同じ景色を見ていたんだもんな。俺たちの結論は《《あの人》》に行き着く。
「ハチ、手を貸してくれ。僕の身分を出せば、話し合いには応じてくれる可能性もある」
「だと良いですが……」
王子が行くなら俺も行くしかない。
しっかり働きますから、報酬はたっぷりとお願いしますよ。
うーん、そうだ。あれがいい。
大罪の紋章を消し去る方法が見つかったとき、ついでに豊饒の紋章も消してくれませんか?