58話 白の追跡者
無限身体により24時間筋肉に負荷がかかった結果、素の体がめちゃくちゃ強くなっていたという思わぬ副産物を得た。
身体強化のレベルは、素の体×魔力量で決まっており、その比率は1対2くらいで、やはり魔力量の方が重視される。
具体例を出すと、素の力100×魔力量50。素の力50×魔力量100。これだと後者の方が強い。
魔力量の少ない俺にはかなり悲しい比率なのだが、それでもラッキーだと捉えるべきだろう。もともと貰える予定の無かったものを副産物として頂けたのだから。無料ってのが大事。
「……食費大丈夫かな?」
やはり気になるのはそこである。
泊っている宿屋が誠実で、1次試験に臨んだ30人分の食事を昨夜も用意してくれていた。あり得ないことだが、全員が突破しても良いようにという宿側の計らいである。あそこの主人は今思い返しても人が出来ている。
結果として突破したのは俺1人で、なんと30人分も食べる事態に。余裕で平らげたんだけどね。
ノエルを養って慎ましく暮らせればいいと思っていたのに、食費の件も考えねば……。
「おやおや、楽しそうなことをしていますね」
腕相撲を終えたタイミングで現れた男。
身長が低く、体は横に大きい。スキンヘッドで、顔は丸みを帯びているが、目だけは鋭く光っていた。汗をかきやすいのか、ハンカチを手にして顔をぬぐっている。拭き終えると両手を背中側に回して背筋を伸ばした。その仕草は、まるで優雅な紳士のようだったが、どこか不気味さも同時に感じさせる。
カイネルやマダムミンジェより10歳程年上の40代くらいの年齢かな?
「バルド殿」
「カイネル導師、お気になさらず」
笑顔でニコニコと答えたその男。
2人の間に走った緊張感、そして背筋の伸びたバルドと呼ばれた男の佇まいからなんとなく只者じゃない気がした。
「いや、邪魔をしたな。2次試験前の補佐に来ただけなので、そろそろ立ち去るよ」
「そんなことお気になさらずとも良いですのに」
一瞬睨み合う。なんとなく2人が仲良くないとわかったので、こちらまで少し気まずい。学園でもいろいろ派閥とかあるのかな? とか想像しちゃった。カイネル1次試験官が立ち去るのを見届けた後、バルドさんがこちらへと歩み寄ってくる。
「ハチ君、2次試験官バルド・フェルマータと申します」
ニコニコと手を差し伸べられたので、当然握手に応じる。笑顔の素敵な人で、とても接しやすい。
「ハチ・ワレンジャールですが、もしや既に俺の名前を?」
「ええ、君は有名人ですから」
ゆ、有名!?
この小物ハチが有名ですと!?
そんな、それは一体どこの世界線の話ですか?
小物ハチ、主役になれる世界線があるのなら、時だって、並行世界の壁だって突き破りますよ。
「期待していますよ、ハチ君。それでは私は試験官としての務めがありますので」
「は、はいっ! 嬉しいです、バルド試験官!」
うっひょー。
俺、この人好きだ。
カイネル試験官とは違って、笑顔で接しやすいし、清潔で良い香りもする。汗っかきなのか、ハンカチを常備して見た目を気にしてるところも好印象だ。
試験官ってのはこうでなくちゃ。
バルド試験官が立ち去る直前、俺の足元に紙を一枚落とした。
「あっ」
落とし物ですよ、と急いで伝えようと思っていると、振り返ってウインクを投げかけられた。
……え。
何、今の。
足元の紙を拾って、中身を見てみる。
それは地図であった。
山の地図。そして一つのルートが強く赤色で記されている。
……え?
これってさあ、つまりそういうことだよね?
「バルド試験官……!?」
そうだ。そうに違いない。
きっとバルド試験官はどこかで俺の噂を聞きつけて、勘違いしたのだ。
あのワレンジャール姉妹の弟!? そんなやつ優秀じゃない訳がないと。ならば試験中に手助けして、恩を売っておこうと。
学園入学時にゼミへの勧誘もしやすくなるし、青田買いみたいなものだろう。
動揺して震える手をなんとか懐に突っ込み、地図を隠した。
視線を左右に配るが……誰も見ていない気がする。
え、どうしよう。これ。
使う? 使わない?
え、ほんと、どうしよう!!
バサバサバサ。
パニックになりまくっている俺の肩に、1次試験で追跡していたフクロウが止まった。
「おわっ!?」
ただでさえ冷静じゃないのに、いきなり猛禽類が現れて更に驚いた。
なんだなんだ、とビクビクしていると、フクロウが紙を一枚嘴に咥えている。
「グゥ」
「これを俺に?」
「グゥ」
早く取れとでも言いたいのだろうか。小さく鳴いて頭を上下に動かしている。嚙みつかれないか警戒しながら小さなメモを受け取ると、中には短くこう書かれていた。
『バルドと関わるな。黒い噂尽きない』
メッセージはこれだけだ。用が済んだみたいで、飛び去る。
あのフクロウはおそらく、ってか確実にカイネル試験官の使い魔。
バルド2次試験官様が黒い噂持ちだと?
いやいやいや、関係ありませんけど。
黒い噂だろうが、裏でブラジャーを身に着けている変態でも、俺を優遇してくれている時点で神だけど!
あの笑顔と紳士な見た目。
普通にバルド試験官の方が好きです。
ううっ、これまでの人生どれほど苦労したことか。
『今から幻のシュークリーム100個限定で売り出しまーす。え? 君何? 買うために早朝5時から並んでいたって? いやいやwワロタ。先着順じゃないよ。これは大物順だよ。小物の君は最後尾ね』
みたいな世界でずっと生きていたので、初めて贔屓されたことに感動を隠し切れない。
もちろん悪いことだとは思っている。出来れば実力で勝ち上がりたいとも。でも、ううっ。小物が、小物が大事にされている!
小物の小ささを愛する変わった女神さまが、最近よく働いてくれる! ううっ。この親切、いやもはや試験官様の愛とも呼べる行動を無下にして良い物か。いや、良い訳がない。
俺はこの地図を使わせて貰う! 愛に答えるよ! やっぱ世界は愛なんよ!
あばよ、カイネル試験官。君のゼミとはお別れだよ!
壇上に上がる神、いやバルド試験官様。
これより2次試験の内容が説明される。3600人から一気に300人まで絞られる舞台だ。
「皆様、バルド・フェルマータでございます。2次試験官を任されましたのでどうぞよろしく」
壇上でも笑顔で自己紹介するバルド様。ハンカチで汗を拭う。
よっ、恵比寿様!
「2次試験は後方に見えます山で行います。試験名は『白の追跡者』。ふふっ、かなりきつい試験ですが、ルールは簡単ですよ」
俺たちの視線に入っている山。距離にして数キロ離れていそうだが、標高3000メートル級の山だぞ。あれごと使うの?
1次試験も森ごと使ったが、個人的には山の方少し不気味だ。
「山の頂上にある『帰還地点』まで到着すれば2次試験突破です。1次とは違い、今回は先着300名限定ですが。それとただ登るのも皆さんにとては簡単すぎますでしょ?」
壇上に上がる白い無機物たち。
紙のような素材で作られたゴーレム。姿は真っ白な狼型・大きい獣型・鳥型・ヒト型など複数種。
「彼らがあなた方を全力で追跡します。触れられたら2次試験失格。見ての通り生物ではないです。魔力に反応し、魔力を強く狙い定めて追う追跡者」
魔力を。
全員がその部分を気にしたらしい。
誰かが挙手して質問をした。許可されたので、大きな声で投げかける。
「それでは身体強化をすると追われるということですか?」
「優秀な子ですね。その通りですよ。試験受付時にあなた方の匂いを覚えさせ、魔力も覚えさせています。自分がどの個体に追われているか知る方法はありません。実際に襲われるまではね」
身体強化をしようすればそれだけ早く追われる。しかし、身体強化を使用しなくても、それだけ登山が大変になるし、何より接近している追跡者への対策が遅れるだろう。
俺は身体強化を無限に使えるが、魔臓才能値が低く、魔力線も細い。なので、身体強化発動から1分くらい経たないと効果が出ない。
身体強化を常時使っていないと、奇襲の類には滅法弱いのだ。
ちょっと待て……。
試験会場のみんなにとってきつい試験だが、絶大に俺を縛る試験じゃないか。
ハッ……!
バルド試験官。それで俺に山の地図を!?
うわっ、そういうことだったのですね!
試験内容を見て、小物にはきつそうだからと特別に考えてくれたんだ。神、恵比寿、バルド様!
「それと先着順だとも伝えましたね。受験生がこれだけ多いと衝突もあるでしょう。衝突について関与は致しません。他人を蹴落としても良いですが、くれぐれも戦い過ぎにはご注意を。追跡者がどこまで迫っているかわかりませんからね」
試験の概要が判明し、どう取り組むか皆が思考する。ごめんな、俺だけゴール一直線の地図があって。おそらく簡単なルートが記されている。
けれど、まだ少し疑問があった。
追跡者たちは硬い紙をぎゅうぎゅうに詰めて作られたような素材だ。あんな真っ白な存在、近づいて来たら普通に気づくんじゃね? と。
けれど、その疑問を払拭する光景が、視界に入っている山から広がる。
俺だけでなく、会場中が湧きたった。
一瞬、ひんやりとした空気を感じた所から変化を感じ取った。冷たい風は次第に量が増え、勢いも増していく。
標高3000メートル級の山を指さして、誰かが叫んだ。「山が白くなる」と訳の分からないことを言い出す。
けれど、それは嘘ではないし、誤った情報でもなかった。
あれ程巨大な山が、頂上付近より次々に氷に覆われる。辺りの空気も急速に冷やされているのだろう。ひらひらと雪まで氷の上に舞い始めた。
「うそっ……」
誰かが山を凍らせ始めている。
2次試験会場はただの山にあらず。これでは極寒の雪山だ。白銀の世界。白の追跡者が紛れ込むには絶好の舞台となってしまった。それに、身体強化が制限されるとなると、あの寒さは諸に体温を奪い去るだろう。
厚着なんて持って来ていない!
一体誰があんなことをと思ったのも一瞬。すぐに答えが出た。その規格外の力にも驚かされるが、何よりこんな遠くにいても感じられる懐かしい魔力の感じ。笑うと同時に、嬉しさも込み上げてきた。
「……ラン姉さんの魔力。試験会場に来てるの!?」
――。
「ラン、ハチが来てる」
「うん、感じる。近くに私たちの可愛いハチがいる」
目を閉じながら、内に秘める膨大な魔力をかき集める。
グラン学長より試験への協力要請が入り、二人してこの地にやって来た。大地の力を司るカトレアにも植生を変更させる仕事はあるけれど、主な仕事は自分が担当する。
山頂より試験会場を見下ろすが、豆粒程度にしか見えない受験生たち。その中にわずかに感じ取れる可愛い弟の魔力。
出来れば会いたかったけれど、それは2次試験終わりまでの楽しみにとっておこう。この場より待つ。
「単位も貰えて、弟とも会える。グラン先生に感謝しなくちゃ」
「きっとあの人のことです。わかっていたんでしょね、私たちがハチに会いたがっていること」
先生の期待に応えるのもあるが、何よりもハチが王立魔法学園の試験に臨んでいることが嬉しい。合格すれば晴れて同じ学園で学ぶことが出来る。
もしかしたら私たちが張り切って真面目に仕事をするところまで見抜かれていたのかもしれない。
「どうする? 手加減してあげる?」
カトレアの言葉に少し笑ってしまった。悪い姉ね。そんなの決まっているでしょ。
「冗談きつい。ハチは私たちの弟」
「ふふっ、じゃあ決まりね。頼んだわよ、ラン」
元より全力でやるつもりだったが、折角だし限界まで出し切ろう。
これが姉からのプレゼントよ。謹んで受け取りなさい、ハチ。
「ああ、愛は罪だわぁ」
重たくてごめんなさいね。
「「最高に厳しいステージを君に!」」
――凍てつけ、大地
魔力を氷へと変換する。足元の土が凍え始め、氷に覆われて世界が白銀へと変貌する。隣にいたカトレアは木を生やして氷から逃れていた。
バリバリと音を立てて、大地を這いながら広がる氷の世界。息が白くなり、木の葉たちが凍り付いて落ちてくる。
氷に反応する品種。事前にカトレアが蒔いていた種たちが氷を突き破って芽吹き始める。まるで生物のように意志を持ち、人に襲い掛かる獰猛な植物たち。
カトレアの制御下にないため自由に暴れまわることだろう。
舞台は整った。極寒の氷世界で暴れまわる植物たち。そして身体強化が制限される中、迫る追跡者。
カトレアが事前に用意していた大鍋に火をつけて、スープを作り始めた。さっそく良い香りがしてくる。上がって来なさいハチ。美味しいスープがあるわ。でも……。
「手加減しないわ」
もう一層、念入りに氷を張っていく。
――。
ハチのやろう、メッセージをちゃんと読み込んだか?
バルドには絶対に近づくな。良いことにはならん。まあ、流石にあいつでもなんとなく感じ取れるだろうが。
「どうしたのカイネル? 怖い顔しちゃって」
「ミンジェ……」
背後から迫る彼女の存在に気づかない程思考にのめり込んでいたらしい。
体の素の強度、そのデータを取るためにやって来た彼女。その試みも終わったので、装置を全て回収して戻る準備を始めていた。
本来であれば、自分はもうこの場にいてはいけない存在。しかし、どうしても気なる。
ダメだ、ダメだと頭を振って、思考に入りすぎないようにする。
「仕事嫌いのあなたがわざわざ残業だなんて。どうせ嘘なんでしょ?」
バレバレだったか。
パートナーとして頼もしく思いつつも、この鋭さになんど痛い目を見させられたか。お姉ちゃんが沢山いた店の帰りとか、仕事と嘘をついて狩りに行ったこととか。その全部がバレてきた結婚生活だった。
その度に論理的になぜそんなことをするのかと詰められて、肝を冷やしたものだ。彼女が怒るときはいつだって穏やかだ。語気も荒げない。暴力も振るわない。けれど、いつもにも増して理路整然とした問答が俺のメンタルちゃんを握り潰す。
今も見透かされているようだった。
「ハチ君目当て?」
ちっ。そっちもバレていたか。ハチのタイプを思えば、多分ミンジェに任せるのが一番良いだろう。けれど、ミンジェは才能の無い生徒に全く興味を示さない。興味の対象から外れてしまった場合、4年間を棒に振りかねない。
ハチの才能を100%引き出せるかはわからない。けれど、俺が預かるのがやはり現状一番マシである。あの曲者タイプは俺みたいに雑なタイプと相性が良いと相場は決まっている。
「ハチねぇ。まあ、それもあるが、もう一つある」
「良く無い事?」
表情でバレたんだろうな。そこも見抜かれていた。
「そうだ。悪い予感がする。それもかなりの」
「ふーん。あなたの野生の勘ってやつね。全く論理的じゃないけど、いつも当たるのよね。これが」
自分でも不思議に思っている。特に、悪い予感程当たるのがまた癪だ。
今回は特に悪い予感がする。朝起きた時から感じていた謎の感覚。これは一体誰にとっての悪い予兆なのか。
これだけ強い感覚は始めてだった。
……もしかしてミンジェ、いや、俺自身に関するものだったりするのか? 可能性としてはある。
「ミンジェ」
「ん?」
「あのぉ……」
一瞬、愛してるって伝えようかと思い悩んだ。
お互いが20歳の時に結婚して18年。そりゃ喧嘩もたくさんしたが、大事な人に変わりはない。今も怖いが、ちゃんと惚れている。こんなに綺麗な女は後にも先にもいないだろう。
愛してるなんてもう何年も口にしたことが無いが、なんだか急に言いたくなった。けど、流石に言えないよなぁ。それが最後の言葉になんてなった日にゃ、泣いてしまうぞ。
「あ、あれだ。いっ、いつもありがとうな。1次試験のブレスレットも良くできていた。あれは凄い傑作だ。お前じゃなきゃ作れないし、試験もおかげで円滑に進んだ」
「……あなた死ぬの?」
「くくっ」
流石にそんなことは無いと思うが、急に礼なんて伝えたらそりゃそうだよな。ミンジェに礼を伝えるのも思えば久々のことだ。もっと日頃から感謝を伝えようかと少し反省した。
大事な人たちに尽くせていないなと、こんな時になってようやく気付くとは。手遅れじゃないよな? どうか悪い予感よ、外れてくれと願うばかりだ。
会話を終え、引き上げようとしたそのタイミングで視界に入るバルドの姿。
あまり話したい相手ではない。学園でも派閥を作り上げ、黒い繋がりが絶えない人だ。
グラン学長の推薦で教師になった訳でもない。大臣や官僚が権利を握るコースから入った人物。俺なんかとは違う優秀なエリート様だが、どうもこの人はな……。鼻の利く俺じゃなくてもわかる。きな臭くて仕方がない。
「バルド殿、どちらへ?」
「可笑しなことをお聞きになりますね。私は2次試験官。山頂にて生徒たちを待たせて頂きますよ」
「……そうですか」
「それよりカイネル導師。それにミンジェ導師こそ、そろそろ帰宅なさっては? 二人はもう試験関係者とは呼べないので。それとも、何か意見がございますかな? もちろんあっても、聞き入れるつもりはありませんが」
「……その通りだな。行こうミンジェ」
悪い予感は収まらないが、今はバルドの言うことが正しい。
大人しく従うことにしたが、鳥を1羽放っておいた。
追跡者はバルド。けれど、バルドの姿が見なくなると同時に放った鳥とのリンクも解除された。一瞬でバレたか。流石にあのレベル相手に追跡は難しそうだ。
「……何も起こってくれるなよ」
願うように呟いて、試験会場を後にした。