57話 新しい試み
迎えた2次試験。
宿で好待遇を受けたこともあり、ぐっすり眠れた状態で試験に臨めた。
寝癖がついても放っておく質なのだが、今朝はヘアーセットまでして貰っている。お坊ちゃまみたいにきっちりと七三分け状態だ。
今なら微笑みながらビジネスマン顔負けのエリート会話ができそう。この試験、一度コンセンサス取らないと、KGIとKPIのアラインメントが取れないんですよ。特にサステナブルなスキームでペインポイントのエビデンスが希薄だと、ステークホルダーのエンゲージメントにも影響が出ちゃうんで。PCカタカタカッターン!
エリートの僕ちゃんとは違い、遅れて試験会場に集まる受験生。まだまだ人の数は多いが、明らかに昨日とは違う。スペースにも余裕が出来ているし、一人一人の質が上がっている。
1次試験は荒削りな試験とも思えたが、流石というべきか。ちゃんと厳選されるんだなと感心した。
「あのおっさん、結構やり手だったのか。全然そんな感じに見えなかった。間違いなくポンコツだと勘違いしちゃってた」
カイネル試験官。酒を飲んで、体臭むんむんな男。一生女性運に恵まれそうにない成りで嫁さんいたり、ルーンファジルに関する論理的説明、更に試験を任される実力と信頼。
これが王立魔法学園の教師……。垣間見えた実力だけで、思わず唾を飲み込む緊張感を味わえた。
やるじゃん、おっさん。
「誰がポンコツだって?」
げっ!?
振り向かずとも、その体臭と酒臭さで誰かわかった。
後ろから歩み寄ってくるのは、まさに今考えていたカイネル1次試験官その人であった。
悪いことに、褒めてた部分は口にしてないんだよなぁ。逆でしょと10秒前の自分を叱っておきたい。
「ほほほっ、試験官殿じゃないですか! 今日も格好良いです! よっ、色男……いや、待て。あんた2次試験官じゃないはずだ。媚びを売る必要ないな。酒臭いんだよおっさん」
「……こんなもの凄い手のひら返しを食らったのは初めてだ。世界が反転したかと思ったぞ」
鼻を摘まんで、不潔なおっさんをしっしっと振り払う。
「2次試験前に新しい試みがあるんだが、協力しようと思ってな。まあ残業みたいなもんだ」
「えーと、その2次試験前に行われる新しい試みは試験結果と関係するのでしょうか?」
「あるかもな」
「……酒臭さが良いんだよなぁ。おっさんって憧れるわー。俺も早くおっさんになりたい。あーなりたい!」
「どう考えても手遅れだぞ」
もの凄く冷めた視線を向けられた。
ちくしょうっ! 油断した!
まだ試験に関係あったのかよこの人!
「まっ、あるかもってのは嘘だけどな。新しい試みだって言ってるのに試験に関係するわけないだろ」
「なっ、だましたっ!?」
「気持ちが良く分かりました。えーえー。王立魔法学園に合格したら4年間も在籍するわけですが、よ、ろ、し、く、な。ハチ」
自分の顔なんて見えないが、表情が青ざめて絶望しているのが見ずともわかる。脳みそから血の気が引く感覚を初めて味わった。
と、とんでもねー枷を背負っちまった。
「もー、仕方ない。後でアンパン一個分けますから、あんまり意地悪しないで下さい」
「そんなもんで買収されるか! ったく、それよりハチ。今日はすげーものを見られるぞ」
「学園一の美女ですか!?」
「違う。むしろその逆だな。この世で最も怖い女が凄いものを作り上げた。装置の試運転と来年以降の試験の発展、この二つが目的で今日は新しい試みが行われる」
てっきり試験は毎年似たような感じなのかと思っていた。けれど、技術の進歩とともに試験も進化するらしい。今年には影響ないのが吉と出るか凶と出るか。
「王立魔法学園一の頭脳マダムミンジェ。神に最も近づいた女のことを知ってるか?」
「いえ、全く」
昨日封印のブレスレット説明時にチラッと名前を聞いただけである。有名な人ってのも全く知らなかった。
「神に近づいたとか言われちゃいるが、その中身は神ってより魔獣だな……。理詰めしてくるときの圧が凄まじくもうありゃ魔獣と大差ないさ。ハチ、あまり早く結婚なんてするなよ。女はこえーぞ」
途中から個人的な話になってるな……。
なんだかこの人の私生活が少し垣間見えた気がした。
その時、突如カイネル1次試験官の顔が青ざめた。先ほど俺が味わった絶望よりも濃く深い。上半身から全ての血が失われたんじゃないかってくらい真っ青だ。
何があったんだ。
「あーら、何の話? もしかしてまた私のことを褒めてくれていたの? ねえ、ダーリン」
だ、だ、だ、ダーリン!?
艶やかな声を出したその女性がカイネルに身を預けるように寄り添った。うそっ、カイネル試験官は嫁がいると言っていたが、(自称)だと思っていた。
こんな美人の嫁が!?
「ミンジェ……どうしてお前がここに?」
「私の発明品の試運転よ? 私がいてもなんら不思議ないでしょ? それよりも、ここに仕事嫌いのあなたがいる方が不思議だわ」
ミンジェ。
この人が、マダムミンジェ。こちらを見て微笑み、目が合った。
綺麗な人だ。艶やかな黒髪をゆるく結い、頬にかかる一房だけを遊ばせている。瞳は深い紅玉のように艶めき、微笑むたびに声と同じく人を魅了する色気がある。カイネル試験官とは対照的な、香水ではないほのかな薬草の香り。手指には細かな傷と魔道具の痕が残るが、それすらも美しさの一部になっていた。
嘘だろ!
神よ、このおっさんのどこにこんな美女を与える余地があったのだ!
べったりとくっついた二人。カイネルがこっそりと手でしっしっと俺を追い払おうとする。
……断る!
敢えて気づかないふりをして、その場にいた。
マダムミンジェとお話がしたいでござる!
「面白い子を見つけたんでしょ? ねえ、図星でしょ、カイネル。あなたっていつも何にも考えていなさそうで、ちゃんと見えている。もしかして、この子?」
「ち、違う。ハチ、ほらもう行け。試験官同士の大事な会話だ」
「いつもそうやって有能な子を私に隠すんだから。もっと私のゼミに優秀な生徒を譲ってくれても良いのよ?」
本当にどこかへ行けと圧力をかけてくるが、やはり断る。
「マダムミンジェ、さっきカイネル試験官がマダムミンジェのことを魔――」
「ハチ君!? ねえ、ハチ君!! 信じてるよ、ハチ君っ!!」
目をギンギンに見開いて、カイネル試験官がこちらを睨みつける。口元が興奮した魚くらいパクパクと小刻みに動いていた。
「私のことを、ま?」
「マダムミンジェのことをマジで綺麗って言っていました! 何年一緒にいても変わらず綺麗だって。もう少しここにいても良いですよね、カイネル試験官」
「……は、ハチ君んんんん!! もちろんさ。好きなだけいなさい。後でお菓子を買ってきてあげようかね」
ニチャー。弱み、握ったり!
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるわ。私もあなたの非合理的なのに、いつも上手く行っちゃう論理的に説明できないところが大好きよ」
「風呂に入らないところとかそうですよね。入ればぐっすり眠れるし、対人関係も上手くいくのに」
「あなたは話が通じるのね、ハチ君。よろしくね。ミンジェって言います。周りからはマダムミンジェなんて厳かな呼ばれ方をしているのだけれど」
手を差し伸べてきたので、両手で握手しておいた。良い香りがします、マダムミンジェ!
「おっと、もう始まったみたいだぞ。流石にそろそろ行くか」
「そうね。私が説明しないと始まりません」
「じゃあなハチ」
「またね、ハチ君」
職員たちが集まって来たのを見て、二人が慌てて走って行った。
マダムミンジェだけに手を振って別れを惜しんだ。ハチはあなた様のゼミに行きとうございます。
昨日と同じ壇上に上がったカイネル試験官とマダムミンジェ。
会場にやって来た1次試験突破者たちに向けて今日の説明が開始される。
「バタバタしててすまん。えー、まずはこれからだな。1次試験突破おめでとう。2万人が3600人まで絞られた。上出来な数字だ。自信にすると良い。今日の試験はここから300人まで絞る。けれど、その前に協力して貰うことがある」
職員たちが壇上へと魔道具を運ぶ。
遠くから見ると、ただの四角いタイルにしか見えない。
「これはマダムミンジェが作った、身体の素の強度を測定する装置だ。魔力鑑定装置に似たものだな。30台用意しているから、これに乗ってデータを取らせて欲しい。あくまで突破者たちのデータが欲しいだけで、試験結果には影響しない。もしも合格者とこのデータに関係性を見いだせたら、来年から試験に取り入れようってだけの話だ」
みんなドキドキしながら聞いていたが、試験結果に関係ないと知って心底安心していた。
逆に悔しそうな連中は、みんな如何にも力自慢な体形をしている。
「使い方の説明をマダムミンジェから頼む」
「皆さん、ご機嫌よう。あまり怖がる必要はありませんよ。身体強化をせず、裸足で乗って、職員の手元の装置に判定結果が出るのを待って貰うだけ。まだ試作品故詳しくは判定できませんが、現段階でS~Fランクまで出ます。カイネル試験官がおっしゃったように、試験結果とは一切関係ありませんので、楽しんで臨んで下さいな」
それではお試しにと、カイネル試験官が靴を脱いだ。
うげっ、足も臭そう。遠くからでもイメージ臭が脳内を過った。
装置に乗って5秒ほど。マダムミンジェの手元の装置に測定結果が表示された。
「カイネル試験官はAランクみたいです。皆さん、これを超えたら思い出話にもって帰って下さいな」
Aか。やるなおっさん。ちょっと見直したよ。てっきりだらしないおっさんと思っていたが、ちゃんと鍛えられていた。腐っても王立魔法学園の教師か。
説明が終わると、受験生が30台の測定装置の前に列を作って並ぶ。別に急ぐことでもないので、俺も後ろの方に並んでおいた。
「あははは! あははは! 空綺麗!」
そんで、俺の後ろに並んだ女がめっちゃうるさい。
「ねえ、あなた名前は?」
しかも肩を叩いて来て話しかけてくる。関わりたくねー。
「……ハチだ。集中してるから、あんまり話かけて来て欲しくない」
「あははは! ハチ。私ポルカ! ねえ一緒に遊ばない?」
……話しかけて欲しくないって俺伝えたよね?
なんなんだこいつは。
周りは全体的にピリついているのに、一人だけ信じられなくらい楽観的というか……馬鹿っぽいというか。
「1次試験楽しかったなぁ。森を走り回ってたら運良く台座見つかったんだぁ。今回もそんな試験だといいなぁ。ねえ似た試験だったら一緒に走らない? 鬼ごっこしながらゴール目指そうよ。隠れん坊でもいいよ!」
「断る」
なんなんだこいつ!!
一人だけ、試験を受けに来たって感じがしない。どうやって1次試験を突破出来たんだよ。運良くだと? 本当に運だけでどうにかなるものか?
「あははは! じゃあいいや! 私一人で楽しんじゃおっと!」
ポルカは待っている間ずっとうるさかったので、このうるささから1秒でも早く解放されるために順番を前に譲ってあげた。
「いいの!? ありがとう、ハチ!」
順番が来て、ポルカが受験番号を名乗る。
「20000番、ポルカ・メルメル!」
測定が始まる。
パネルの上に乗ると、そのまま大人しくするよう言われて、職員がFと読み上げた。
……Fって。最低じゃないか。
けれど、全く気にする様子も無く、ポルカは楽しそうに走り去った。むしろ自分のFに爆笑していた。
なんなんだあの生物は。まあ2次で絶対にお別れだからいいや。忘れよ、忘れよ。
「4444番、ハチ・ワレンジャール」
「どうぞ、乗って下さい」
「……えっ!?」
靴と靴下を脱ぎ捨てて、パネルに乗ろうとしたとき、気づいた。
タイル状のパネルには、魔道具特有のあれがあった。通常、効果を発揮させるために魔力や紋章、ルーンファジルを使っていたりするのだが、今回は薄っすらとあれが見える。
そこには稲穂の形の紋章がパネル奥底より薄っすらと透けていた。たぶん豊饒のスキルが使われた装置なのだろう。
ふと、脳内に過る、踏み絵の概念。
これはまるで豊饒の紋章をあぶり出す儀式のようだと。
ねえ、あなた豊饒の紋章じゃないですよね?
違うのなら、豊饒の紋章を平気で踏めるはずですよ?
あれ、踏めないんですか?
それって、あなたが豊饒の紋章だからじゃないんですか?
ドクンドクン。手が震える。
俺は豊饒の紋章を裏切って踏むのか。それともいっそのこと潔く豊饒の紋章だと名乗るか。
「早くしてくださーい。後ろが詰まっているので」
「あ、すみません」
脳内踏み絵シミュレーターは十分楽しんだので、構わず踏みつけた。全然心が痛まない。
5秒ほど待つ。
「……あれ? ちょっと待ってね。測定結果が出ないですね。すみません、誰かマダムミンジェを呼んできて下さい」
トラブル発生らしい。職員がマダムミンジェを呼びに人をやった。
てっきりDくらいが表示されて「はいはい。小物小物」ってぼやきながら列を去るものと思っていたのに。
てか、あれお高いんじゃないの?
壊したのが俺ってことにされたら、修理費とかかかるのか? 俺の修理スキルでなんとかなりませんか? って交渉しようかしら。
やってくるマダムミンジェ。ついでにカイネル試験官も。
「おいおい、またお前かハチ」
「またって何ですか。勝手に壊れたんですよ」
「ハチお前、ランクいくらくらいだと予想してんだ? 俺はAだったぞ」
なんでこんな12歳と張り合って来てんだ、このおっさん。悔しいのが、全然勝てそうにないところだ。
「Dもあれば十分ですよ。試験に影響しなくて何よりです」
「かっかかか! まあ王立魔法学園に入れば俺が直々に鍛えてやる。野生で鍛えれば自然と筋力もつくってもんよ」
悪いが俺はマダムミンジェのゼミで毎日素敵な気分を味わうことにしたんだ。
「あら、おかしいわね? 別にどこも壊れてなんかいないわよ。もう一度測定させて頂戴」
同じ条件で、もう一度乗るように言われた。
けれど、2度目も測定結果にエラーで出る。
「体質の問題とかですかね?」
「いいえ、関係ないはずですけど……。うーん、やはり試作品ですからね。予期せぬエラーは出てしまいます。ハチ君はもう行っても構いませんよ。次の方に使ってみて下さい」
ちょっと気になったので、俺の後ろに並んだ受験生の結果を見た。Cランクと表示され、普通に終わった。その次も問題なし。
なんで俺だけ結果が出なかった?
おいおい、こうなるととても気になるんだが!
「お前の分が統計データに入らないだけだから、大した影響はない。気にすんな」
「でも気にはなります」
「んじゃ、腕相撲でもしてみるか? 俺に勝ったらAかSってことになる。データに入れといてやるよ。まああり得ないがな」
あり得ないなんて言われるとムカッとする。
じゃあやってやんよってことで、テーブルを一個引っ張って来た。
「負けて恥を書いても知りませんよ」
子爵が開いた夜会で俺は見たんだ。アトスさんが魔力量の多い相手に完勝していたところを。
実はコツを聞いている。腕相撲で大事なのはスタートの攻勢と手首だ。手首をきっちり固定すると、力のかかり方が安定する。勝機はある。
「言ってろ」
スタートの合図はこちらにくれると仰ったので、そうさせて貰う。お互いに身体強化は無し。
息を整え、こちらのタイミングで一気に押し込む。スタートダッシュで得たアドバンテージを失わないように、一気に沈める!
ズゴンッ!!
「あれっ?」
「お、おまえ……」
スタートでリードをつけてそのまま押し切ろうと思っていたら、あまりの勢いにテーブルを突き破ってカイネル試験官の腕を叩きつけていた。
「は?」
「は、はこっちのセリフだ。お前、ゴリラにでも育てられたのか? もしかして、ミンジェの装置に出なかったのって、Sランク以上だったからなのか?」
そんな訳ないと否定したかったのだが、いや待て。全然心当たりがある。俺は年がら年中身体強化を使用しているし、体に掛かる負担は普通の人たちよりも強い。
そして、最近の成長期では説明のつかない異常な食欲。もしかして、あれら全て体が本当に栄養を求めていただけなのか?
「カイネル試験官……」
「なんだ……」
「俺このまま行くと、ゴリラになっちゃうの?」
「知らん」
ゴリラはやだっ!
あんな毛深いのやだよ!
うんちを投げて求愛したくないよ!
「ミンジェに伝えとく。上限をあげた方がいいかもって。また試作品が出来たら、そんときに再測定だ」
「ゴリラになっちゃう前に早く!」
「俺はゴリラとも会話できるから大丈夫だ」
全然大丈夫じゃねーよ!