52話 かまとと作戦
「よっと……ほいっ」
梯子を伝ってワレンジャール家を支える古い屋敷の屋根に登り、そこで人差し指一本を立てて逆立ちをする。
肘を曲げて、伸ばす。伸ばしきらないのが、筋肉に良い刺激となる。
もう片方の手は腰の後ろに回して、邪魔にならないように。
こうして態勢が整うと、後はひたすらに回数を繰り返す。
「98……99……100っと」
右手分の訓練が終わったので、次は左だ。
身体強化と素の筋力が高まって来たので、今ではこんな器用な芸当も出来てしまう。
「はーちーさーまー。そろそろ休憩になさいませんかー」
中庭から手を振って呼びかけてくるクロン。ちょうど切りも良かったので、指を強く弾いてクルリと一回転。足から着地し、屋根の上に立った。
「クロン!登って来てよ。屋根の上でお茶を飲みたい」
「無茶言わないで下さいー!ハチ様が降りて来てくださいなー!」
うーむ。しかし、晴れた日の屋根上は思っていたよりも数倍心地良い。風も適度に吹くし、統治している小さな街も見渡せる。領民たちが健康そうで何よりだ。
ここは間を取って、俺が下に降り、クロンを背負った。お茶とお茶菓子の乗った盆をひっくり返さないように注意して貰い、二人で屋根上へ。
なんで屋根上でトレーニングしようかと思ったというと、あの魔獣戦から既に1年も経っており、傷の癒えた俺は自身の弱さを反省して猛特訓に励んでいた。
ここ一年で身長がぐんと伸びて150cmを超す程になり、強度の高いトレーニングも可能になっていた。
それをたまたま見ていた我が父上が、そんなに落ち着いていられないのなら屋根上を修理してくれと頼んで来た。
我が家は雨漏りが起きていた。
信じられるか?田舎貴族とはいえ、腐っても貴族様だ。雨漏りするほど年数が経った古い屋敷の修理を、息子に任せようと言うのだ。
姉さんたちへの投資は数千万バルでさえ惜しまない父上だが、他においてはドケチである。
修理スキルを知って以来、修理関係は全て俺に任せっきりで、領内の大工さんが最近は不景気だと嘆いていた。俺にも一因があるので、彼には領外からの珍しい物資調達などを依頼したりしている。支払いはもちろん俺のポケットマネーからである。
「あらぁ、本当に素敵な景色ですね。ワレンジャール家に勤めてもう7年だというのに、こんな素敵な場所を知らなかっただなんて」
広く領地が見渡せるよね。まあほとんどが自然豊かな緑なんだけど。
メイド服を風になびかせて、嬉しそうにクロンが呟いた。クロンももうすっかり大人のお姉さんで、今年で22歳。超素敵なお姉さんになっていた。
「ハチ様の肩もすっかり穴がふさがって何よりです。今日も調子が良さそうですね。一時はどうなるかと思いましたよ」
「ほんとほんと」
魔獣から受けた光線でできた肩口の穴。王子と子爵の支援もあって、王都から凄腕の治療師が1か月も付きっきりで治療をしてくれた。その甲斐もあって今では後遺症も無くグルグルと肩が動く。成長にも一切支障がないと保証されたので、王子と子爵には感謝しかない。
我が領地一の医者は王都からやって来た治療師に夢中で、スキルを使用する際に是非見学させて欲しいと必死になっていた。
王都の治療師はエリート中のエリートで、あの王立魔法学園も卒業しておられる方だった。凄く勉強になったらしく喜んでいた医者。しかも、怪我口から見える俺の魔力線に大層感動していた。
それは治療師の方も同じで、二人してこんな魔力線は見たことが無いと資料にまとめ始める。
こんな魔力線だから、修理スキルであんな細い魔力を出せるのかとブツブツブツと二人で小難しい理論も挟みながら議論して、気づけばすっかり仲良しになっていた。
その治療師の方は今も我が領地にいて、医者と二人して新しい魔力線育成理論を編纂しているのだとか。
世の中は彼らみたいな偉大な人たちによって発展するんだなとしみじみと感じさせられる。
「怪我が完治してからのハチ様は本当に凄いですよね。今までも貴族に課された勉学や訓練はこなしおられましたけど、今は自分から率先してトレーニングしているんですもの」
「うん……ちょっと目標が出来たからね」
俺はもっと強くなりたいと思い始めていた。
小物だからって強くなっちゃいけないルールは無い。
王立魔法学園に合格して、もっとスキルや魔力、出来れば精霊たちのことも学びたいと強く思うようになってきた。
それに加えて、強烈なモチベーションとなった手紙が我が家に届いた。
天壊旅団から届いた手紙。
団長のゼルヴァン、通称ゼル様直筆の手紙だった。そこにはジンへの処遇が書かれており、大事な要点が3つ書かれていた。
処刑は回避。
しかし、自由にはできない。
天壊旅団でこき使う。
とのことだった。
ジンがあの最強軍団の一員に入るのか。後々から調べてみても、天壊旅団という組織はなかなか情報が集まらない。
折角なのでリュウ様から、魔獣討伐に対する感謝の手紙が届いたタイミングで彼らについて聞いたところ、詳しくは話せないが最強たちが集う組織だということは間違いない、という返事を頂いた。
そんな組織の団長からこう挑戦状を叩きつけられた。『処遇に不満があるなら、貴様が天壊旅団に入ればいい。メンバーの意見なら聞いてやらんこともない』だそうだ。
全く。12歳の小物貴族にたいそうなことを言ってくれる。あんな怪物たちと自分が肩を並べられるとは思えない。だって、あの生命の神エルフィアみたいな存在と戦う組織だよ。実際にエルフィアの力を感じたからこそ、余計に自分には遥か遠い存在だと思えた。
けれど、強烈なモチベーションになったのは違いない。
そして、この強烈なモチベーションから来る特訓成果を利用して、俺は一つの巧妙なアイデアを思い浮かべている。
実は、王立魔法学園への入学試験はもう2週間後に迫っている。移動の期日を考えると、実家にいられるのは1週間もないだろう。
思いついた作戦は、必殺かまとと作戦である。
誰に恥じることもないくらいトレーニングに励んでいるのだが、試験会場ではその様子をおくびにも出さないつもりだ。
「えぇ?あのぉ、試験会場にいる皆さん、とても才能がありそうで怖いですぅ。俺ですかぁ?えー、受かる訳ないんですけどぉ、親に行けって言われたからぁ。訓練も全然してなくてぇ」
みたいな感じで周りを油断させて、出し抜く作戦。まさに小物にしかできない芸当!
今年だけやたらと合格ラインが低かったりしたら、きっとそれは俺のかまとと作戦のせいだろう。
卑怯だと罵られること間違いないが、勝負の世界は無慈悲なのだよ。騙された自分が悪いと人生の教訓にすることだね。ニヤリ。
「入学試験を突破したらさあ、入学を祝うダンスパーティーがあるんだよね。その先導役を是非クロンに任せたいな」
「まあ!王立魔法学園入学パーティーのルミエルを私に!?」
「うん、クロンが良いんだ」
ばっと覆いかぶさってきて、ぎゅーっと抱きしめられた。頬ずりまでして本当に嬉しそう。
王立魔法学園は国一番の教育機関というだけあって、入れただけで一族の名誉と言われる程に誉れ高い。
入学の際に開かれるダンスパーティーも当然格式が高く、そこに参加することを夢見て学園を受験する生徒もいるほどだ。まさに一生に一度の晴れ舞台。
ダンスパーティーには、ダンスを共に踊る相手と、会場へと入る際に先導役となるエミエルという役の合計2人を招待して良いと言う決まりがある。
ダンスの相手は当然ノエルと決まっている。合格してノエルを誘えたら、子爵様にも「おっ、ハチ君にうちの娘を嫁に出して良かったよ。ワレンジャール姉妹のおこぼれに預かるため、娘には犠牲になって貰う予定だったのに、なんという小物から牡丹餅。ふぉっふぉふぉふぉふぉ」と思わず本音を漏らしながら喜ばれること間違いないだろう。
そして、先導役のルミエルはクロンに任せる。
このルミエルと呼ばれる役、実はダンスパーティーにおいて最も誉高き役となっている。
そもそも、その起源はこの世界の国の成り立ちから来ている。
この世界には神がいて、神が建国を手伝うというのは枚挙にいとまがない。このクリマージュ王国でも、激情の神カナタが建国を手伝っていたりする。
それと同じように、大昔に建国を手伝ったルミエルという神がいた。大層美しく、芸術を愛した神だったそうな。
その神が式典の際にかならず一番に登場する。目立ちたがり屋さんの変わった神でもあったが、民から最も愛された神でもある。その後に、王家の国王と王妃が登場。
きっと真似したくなる程素敵な光景だったのだろう。人々は次第にこの作法を真似し始め、民の間で風習として根付いた。300百年の繁栄を遂げ、文化の成熟したルミエルの国から始まったこの風習がクリマージュ王国にも受け継がれて、大事な式典においては必ず先導役が置かれることとなっている。
つまり先導役の起源を辿れば、それはルミエルのいた神の立ち位置である。なんなら主役たちよりも重要なポジションだ。
だからこそ、ルミエル役に選ばれるのは何よりもの誉れ。いつも俺の世話をしてくれて、親より親をしてくれているクロンにその役を任せたことに、覆いかぶさってハグするくらい喜んでくれたのだ。
俺もクロンがやってくれたら、これ以上に嬉しいことは無い。
ちなみに、姉さんたちが入学した際には、ルミエルの役に両親を招待した。カトレア姉さんが父上を。ラン姉さんが母上を。実に親孝行な二人である。
そして気なるダンスパーティーの相手は、なんと双子であるお互いを指名したのだ。
前代未聞。入学生同士で指名しあい、姉妹でダンスを踊ったのは。しかし、二人の圧倒的すぎる才能、そしてダンスパーティーで見せた美しすぎるダンス姿に魅了され、誰も文句を言えなかったらしい。
まっ、全部父上が酒の席で自慢げに語った話を聞いたものだけどね。残念ながら、ダンスパーティーに俺の席は無かった。出たければ自分で合格して行くことだな!と父上に言われている。
合格したらルミエルの役をクロンに任せて、父上に同じことを言い返してやるつもりである。
「全ては受かったらの話だけどね」
「ハチ様なら受かりますよ」
「素敵な人がたくさん来るらしいから、クロンの旦那様も見つかると良いね」
「あらあら、ハチ様の晴れ舞台にそんなこと。おほほほほほっ」
……目、ギラッギラさせてますね、クロンさん。
実際見つかるといいなと思っている。こんな田舎じゃ出会いも少ないだろうし、クロンみたいな素敵な人には、あの学園の関係者くらいの大物がお似合いだ。
俺もいつまでもお世話になっている訳にもいかないし、そろそろ洗濯とか自分で出来るようになっておこう。もう12歳。パンツをいつまでも他人に洗わせるわけにもいかないだろう。
小物にだってプライドはあります。
「それにしても、試験会場にハチ様一人で向かわせるのは心配ですね」
「大丈夫だって」
「悪い大人について行っちゃだめですよ。落ちてるクッキーとか拾い食いもダメ。飴玉貰ったからって、良い人とは限りませんからね」
俺ってそんなダメな子供に見える?
まあ心配してくれてのことだろうけど、あんまり心配し過ぎてもクロンの心労になるので大丈夫だと言っておいた。
試験を受ける生徒は実に万を超す。多い年では3万人を超えるらしく、今年は2万人程度と見積もられていた。
その膨大な人数故に、送迎は推奨されておらず、試験会場近くの街に一人で入り、一人で試験会場へと赴くこととなる。
友達と一緒に受けるなら、それは一緒に行動しても良いのだが、はい残念!!そんな人はいません!!
王立魔法学園は毎年300人の生徒を受け入れるのだが、実際の枠は200枠となっている。おかしいだろ!残りの100枠はどこへ行ったんだ!と俺みたいな小物が抗議したところで、システムは変わらない。
大物貴族や、特別な才能を持っている者が事前に100名スカウトされるのだ。俺も身近な例でこれを知っている。
そう。我が双子の姉たちがこの枠で入学しているのだ。魔臓才能値9000台の天才二人。そんな二人が王立魔法学園に行かないと言い出してみろ。これはもはや国にとっての損失である。
大物たちはもう試験とか良いのでどうぞどうぞ、というために100枠あるのだ。もちろん近年では大臣が賄賂を貰って不正入学の枠に使ったりと問題視されたりもするのだが、9割にあたる90枠は正当に利用されていると言ってよいだろう。
90の正当な枠を使用した人たちの例を紹介しよう。
クラウス・ヘンダー。言わずと知れた伯爵家御嫡男。魔臓才能値7000台のスキルタイプ戦闘。生まれも才能も文句無し。普通に試験を受けても合格するだろうし、何より伯爵家の影響力や彼の将来を考えても入学させるのに相応しい人物である。
よっ、さすクラ!
シロウ・クルスカ。領地から王国最大の魔石鉱山が出た成金。自信も伯爵の私塾に編入できる程優秀。学園への寄付金は過去ベスト10に入る程の額を寄付したのだとか。彼一人を拾い上げるだけでどれだけの研究分野が恩恵を受けることか。入学させるのに相応しい人物である。
よっ、さすシロ!
アーケン。学園関係者は知っているかは不明だが、盾持ちを作りし将軍の隠し子。精霊に愛された紋章の覚醒者。まさに王立魔法学園が拾い上げて育てなければ、一体誰がこんな才能を開花させられようか。第一王子の推薦状もあって、文句無し!入学させるのに相応しい人物である。
よっ、さすケン!
ハチ・ワレンジャール。魔臓才能値4444。スキルタイプ豊饒。しかもおへそに出た。好きなことは節約と小銭集め。実家は田舎の小物貴族。大臣への賄賂も送っていません。文句あり!入学させるのに相応しく無い人物である。
……はい、当然話は来ていません。
俺はもちろん一般受験枠です。
残った200の枠を、2万人と競い合う地獄コース。
どおおおおおおしてだよおおおおおお。
アーケンは魔獣との戦いで紋章の覚醒者だと露見してしまった。あまり知られると良くないと思っていたのだが、そこはリュウ様が上手にやってくれた。
古い制度で紋章の覚醒者を保護するものがあり、資料を掘り出してその制度を復活させてくれたのだ。流石王子。
そのおかげもあって、アーケンには護衛が常時つくこととなってしまったが、専門的に訓練をしてくれる方もついたんだとさ。友人がマッドサイエンティストたちに弄られる未来が来なくて、感謝している。
将軍とアーケンの親子の間柄だが、少しだけ話している姿を見た。たぶん、血筋の件は明かしていない。
「盾持ちへの加入だが、前向きに考えてるべ。けど今じゃない。外を見て、強くなって戻って来る。守りたい人が出来たべ」
「がっはははは!それで良いわ!大きくなってこい」
将軍とアーケンのちょっと素敵な会話シーン。ちらりと覗く俺。泣いちゃいそうだった。盾持ちからもスカウトされて、アーケンの未来は明るいと言っていいだろう。
そしてもう一人、この国では瞬く間にスターとなった方がいる。怠惰の神ウルスである。リュウ様の計らいで、魔獣討伐最大の功労者となった彼は、王家そして子爵家に特別な墓を作って貰えることとなり、正史にも魔獣を倒し国に貢献した神として名を残すこととなった。
目出度い事である。実際、ウルスが過去に最高傑作を改造してくれていなければ、何人が犠牲になっていたことだろう。彼に相応しい名誉だと思う。
「クロン、マグカップを二つ程用意してくれない?姉さんたちのぶんが割れてしまったみたいで、手紙で催促してきてるんだよね。前回と同じようね猫の顔をつけてくれるとありがたい」
「まあまあ、お二人がそんなに気に入ってくれていただなんて。すぐに実家に連絡して作って貰いますね」
「いつもありがとう!」
クロンの家の陶器は作りがよくて、本当に助かっている。
試験会場に持っていき、合格すればそのまま姉さんたちの元に届けよう。落ちてもあちらの方が学園に近いので送料も節約できそうである。
「さてさて、屋根の修理も終わっているし、残りの筋トレを終えたら午後の勉強に励みますか」
実は身体強化は体が強くなるだけでなく、疲労を感じづらいというメリットもあったりする。
これが地味に役に立ってくれて、勉強の時にもの凄い役に立つのだ。
勉強はそのほとんどが、一度理解さえしてしまえば残りは頭に定着させるための反復である。筋力やスキルの練習と近い。毎日の地道な積み重ねが役に立つ。
俺はこの半年間、受験に備えて猛勉強をしていた。
地学、植生学、歴史学、数学、統治学、魔力学、スキル学、ありとあらゆる知識をこの脳内に詰め込み、メガネクイクイ態勢に入っている。
これも全ては無限身体強化のおかげである。試験はもうそこまで迫っている。最後の追い込みをかけねば。
「そういえば、ハチ様はやたらとお勉強が好きですよね」
魔臓才能値が低いからな。
「筆記試験で点数を稼いで起きたくて」
「え?……王立魔法学園の試験に筆記はないですよ?」
……へっ――。
クロンさん、それ半年前に教えて欲しかったなぁ、なんて思ったり。