49話 最高傑作
「戻れハチ!完全にワシの計算ミスよ。ノアの最高傑作を侮っておった。行けば必ず死ぬ!ハチ、お主には死んでほしくない。話してて楽しい人間は何年振りか。ワシも今になって命が惜しくなった!」
ウルスの爺さんが必死に説得して止めようとしてくれる。
その気持ちは嬉しいし、意見も正しいと思っている。
「……悪いな、ここまで運んで貰ったのに。でも俺、行くよ」
急激な寒気を感じた後、どうやら気を失っていたらしい。
俺を担いで逃げてくれたウルスの爺さんは、随分と遺跡から遠ざかった場所まで来ていた。
まだ回復しきっていないどころか、意識が冴えて来れば来るほど左の肩の痛みがはっきりしてくる。先日もアーケンに強烈な一撃を肩にお見舞いされた。この左肩は今年が厄年らしい。左肩専用のお祓いはあるのだろうか。
魔獣め、たった一発でこの威力。
俺が小物過ぎるのか、それとも魔獣という存在が強すぎるのか。……多分両方だろうな。
急いでアーケンに追いつかなきゃならないのに、足取りが重い。回復しなきゃ戦力にもならないので、深呼吸をしてなんとか急ピッチで体調を整える。
焼き切られた傷口は応急処置しかできないが、損傷した魔力線は修理スキルでなんとかなった。うっし、身体強化は戻ったな。
……それにしても、なんでこんな必死なんだろう。
ちょっと自分でも少し不思議なくらい、俺は無我夢中でアーケンの元へ向かおうとしている。
本来なら、どう考えたってウルスの爺さんが正しい。
この物語の主人公はアーケンなのに。小物は引っ込んで隠れていればいいのに。
アーケンは盾持ちを一代で築き上げた伝説、あの将軍の隠し子。平民出身なのに、一人で身体強化や戦闘技術も習得して今や子爵領期待の星。遂には母親から受け継いだ資質である、精霊との縁も覚醒し、光輝くスキルタイプ戦闘の紋章を持つまでに至った。おまけに長身イケメン。
この物語は『精霊の契約者アーケンの成り上がり物語』というタイトルだろう。
俺はその中に登場するモブの一人。幼少の頃に知り合った嫌な貴族の太鼓持ち。名前すら描かれない存在。
なのに、なんで逃げなきゃいけないこんな状況で、俺は魔獣に向かっているのだろう。
あっ……思い出してきたな、前世に感じたあの強烈な感情。
俺は前世、かなりの節約家だったのを覚えている。人生の終わりをどこで迎えたのかははっきりしないが、それでもかなりの生きた年数を記憶している。
節約生活をし、会社でも真面目に働いたあの日々。節約と勿体ない精神の極みで生活はどんどん良くなり、便利な物資であふれた。いつしか貯金の額も驚くような金額になり、それが楽しくて余計に真面目に仕事と節約に取り組んでいった。
そんな日々が数年も続くと、俺の人生はがらりと変化していた。豊かになる生活、貯まる口座残高、それに反比例して孤独になっていく俺の人生。
子供の頃、学生の頃、あんなにいた友人が、気づくと一人もいなくなってしまっていたのだ。連絡を取ろうにも、一体誰に何を話せばいいのか。仕事ではいつも出世を競っていたから同僚達からは疎まれ、私生活も他人のために何かをしてやることも、お金を使ってやることも少なくなっており、その結果として当然と言っていいだろう。
俺は一人になっていた。
それを自覚した途端、周りにある家電たちも、センスの良い家具も、そして毎夜銀行内でダンスパーティーを開いている貯金たちも、途端に無感動の物体へと変じてしまった。
クズな知り合いも、病弱な友達も、いつも柔道に誘ってくる友達も、以前は面倒臭いと思っていた。けれど、それら全部、実は俺の人生の大事な一部だったのだ。……それがもう無くなった。
俺とは対照的な存在が一人、会社にいたポンコツ社員A。
そいつはいつも仕事で失敗をし、上司から叱責され、取引先の社長に2時間説教されているのまで見たことがある。
当然出世競争に入れるはずもなく、出世コースに乗っていた俺の眼中にもない小物だった。
けれど、一人だと自覚した日から、このポンコツ社員Aがやたらと目に付き始める。出世の邪魔にもならない。大手取引先を抑えている俺と競合もしない。けれど、どうしても目が行ってしまった。
なんでか。ポンコツ社員Aが社員だけでなく、家族や友人からも愛されていたからだ。
叱責の後に飲みにつれていく上司。余計な口出しをしたなと反省して、休日に釣りに連れていく取引先の社長。お前はほんとダメなやつだなぁとグチグチ言いながら、残業代も出ないのに夜遅くまでポンコツ社員Aの仕事を手伝う同僚たち。
休みになると途端に何をやっていいかわからなくなった俺とは反対に、金曜日の午後になると家族が会社前まで出迎えに来るポンコツ社員A。
俺はいつしか、あいつが羨ましくて、目が離せなくなっていたのだ。
なんであいつばかりがあんなに愛される。なんでこんなに頑張っている俺が一人なんだ。
その理由は単純明快だった。
ポンコツ社員Aは自分のためじゃなく、いつも仲間のために戦っていた。
パワハラ上司に堂々と抗議をし、セクハラ社員には容赦しない。自分が一番仕事できない癖に、謝罪は得意だからと、仕事で失敗した社員の代わりに謝罪周りに行ったりと。
こんな単純で分かりやすい理由だったのに、俺は彼が愛されている理由に気づくのに3年もかかった。
ようやく彼の魅力を理解した日だったかな。
そうだ。俺も彼のように生きてみようと思った。自分が損しても、誰かを助けてやろうと。そのためならお金も自身の身でさえ、犠牲を厭わない。少しずつで良いから、やってみようと。そう決めた。
そんな日の帰り道。夜遅くだったな。
随分と残業をしてしまった。その日、初めて同僚を上司から庇った。俺を可愛がってくれている上司で、その人に大人しく従えば俺も順調に出世が出来る。けれど、変わると決めた日だった。勇気を振り絞って、同僚に理不尽を突きつける上司を論破してみせた。
上司のミスで起きた責任を同僚になすりつけられそうになっていた場面だったので、正当な抗議だ。論破したおかげで同僚は助かったが、嫌がらせで俺にはとんでもない量の雑務が押し付けられた。明日からも大変そうだ。
……ふふっ、折角の出世コースが台無しだな。
けれど、不思議と気分は爽快。むしろ、ここ数年で味わったことがないくらいに気分が良かった。
お前の見ていた世界って、こういう感じだったのか?
なんだか、俺にもようやくわかって来始めた気がした。
その時、なんという偶然だろう。青信号になって、信号を渡ろうとしていたその時、俺の隣から歩き出した人物がいた。
ポンコツ社員Aだ。いや、ごめん。……人生の先輩社員Aだ。名前もまだ知らない。
こんな夜遅くまで残業か。また仕事で何か失敗をやったんだろうなと想像がつく。なんだか今日は妙に親近感が湧く。
落ち込んでいるかと思っていたけれど、その顔には笑顔が張り付いており、妻と娘の名前を混ぜ込んだオリジナルの歌を口ずさんでご機嫌だ。
この人は小さなことで躓いても、何も気にしてないんだなって。小物なんかじゃない。この人は真に大物なんだ。
名前を聞いてみよう。自分のことを知っているか聞いてみよう。良い機会だと歩み寄ろうとしたとき、大きな音が鳴り響いた。
車側は赤信号だというのに、トラックが減速せず、警告を知らせるエアホーンの音が鳴り響く。制御を失っている!?
自分の位置は大丈夫だ。まだ横断歩道にも足をかけていない。けれど、人生の先輩社員Aは……あいつ!!
どんだけ呑気なんだ!?
トラックがけたたましいスピードで迫っているのに、全く気付かずに呑気に鼻歌混じり。このままじゃ間違いなく直撃だ。
こんのポンコツ社員Aめ!
毎週末迎えに来る彼の家族の姿が脳内にフラッシュバックした。彼が出社すると明るくなるオフィス内も思い返される。
やけに時間が遅く感じた。
全てがスローモーションのような。
俺が駆けだして、彼の背中を強く押せば助けることが出来るだろう。
けれど、そうなったら俺はどうなる?……間違いなく代わりに死ぬことになるだろうな。怖すぎる。
俺、今日変わるんじゃなかったのか?けれど、トラックの前に飛び出すなんて、やっぱり怖すぎだろ。
ポンコツ社員A、流石にお前でも飛び出したりは――。
そういや、その後の記憶が一切思い出せないや。
俺はあの時、どっちの選択を取ったんだろうか。自分の身を守ったのか。ポンコツ社員Aの未来を守ったのか。
気づけばポンコツ貴族Aであるハチに転生していた。
願わくば……。まあいい。
とにかく、俺がこうしてアーケンの元に向かうのはポンコツ社員Aの精神を受け継いだからだった。ようやく思い出せた。あの時、あいつを助けられたかはわからない。けれど、もう迷わない。
今度こそ、明確に。絶対に忘れないように。俺は仲間を助ける男になる。俺は生まれ変わったポンコツ貴族Aなのだから。
それにしても、体の調子がどんどんと悪くなる。アーケンが黒い魔力を取り払ってくれたから回復に向かうかと思われたが、吐き出しそうなくらい気分が悪い。昔、フルマラソンを走り切った直後に、何を血迷ったのか水分補給に飲むヨーグルトを選んだことがある。あの時に感じた気分の悪さ、今思い出しても想像を絶する。
ていうか、ゴールの給水場にヨーグルト置いていたやつ出て来い!
そのレベルの体調不良を今も感じていた。
魔獣って獣だと思ってた?残念、ゴーレムでした。
変な意地悪をしやがって。運命の女神がいたらぶん殴ってやりたいところだ。
悪態をついていると、痛みも和らいだ。
なんとか遺跡まで戻ると、そこではアーケンが大きな狼と共に魔獣と戦っている最中。
目を擦るが、やはり幻覚じゃない。
精霊っぽいの見えてます、俺も。覚醒であれ、覚醒であれ、覚醒であれ。大事なお願いなので、三回も願っておきました。
真剣を手にしたアーケンの動きはいつもにも増して軽やか。命のやり取りの中で、着実に成長を感じられる。精霊王の補佐も凄く適切だ。
相対するは、先ほどまで泥を被っていたのと、怖くてあまり詳細に見れていなかったが、3メートルにも及ぶ躯体を持つ神工物ゴーレム。青黒い金属で覆われており、黒い魔力に覆われながらも鈍く冷たい光を放っていた。
無機質ながら、どこか禍々しさや意志を孕んだその姿は、魔獣化した影響だろう。
頭部から胸部上にかけて点在する、赤く輝く十の目。
それぞれが独立して動き、まるで獲物を品定めするかのようにじわりと揺れる。目が合った瞬間、胸の奥が冷えるのは錯覚ではない——それは、生あるものを見つけ出すために設計された、狩人の視線だった。
ぎしり、と音を立てて動くその脚は、まるで地を押しつぶすように重い。
アーケン、触れられただけでも危ないぞ。
「アーケン!この魔獣には腹辺りに核がある!それを壊せば動きが止まるはずだ!」
「ハチ!?もう動いても大丈夫なのか!?」
「お前んちのパンを食べてるからな!結構頑丈だ!」
アーケンの戦い方はいつも通り丁寧に相手の動きを見て躱しているが、一撃一撃の威力が高すぎるので油断ならない。
そして、見たところまだあれが来ていない。
「ハチ!核はなんとなくわかる!オラも腹の中に強いエネルギー源が見える」
……ウルスの爺さんもそんなことを言っていたな。
もしかして見えていないの俺だけか?
裸の王様になろうとも、俺も見えていると言っておいた方がいいのか?……実はもう見えてたりしないか?
見栄を張るかどうか一瞬だけ悩んだが、そんなことをしていられる程の猶予はない。
「けど、固すぎるっしょ!全然剣が通らない!」
流石は創造の神の二つ名を持つ方の最高傑作。
その頑丈さたるや、人知の及ばない領域にも思える。
やはり、ここは修理スキルの魔力を持ってあの鋼鉄の躯体をすり抜ける他なさそうだ。ウルスの爺さんには、倒す計画があったのならちゃんと躯体に穴をあけておけとこの後説教してやりたい。
それにしても少し違和感を覚える。
頭部と胸部を這うように移動する赤い目だが、ひたすらにアーケンと精霊たちを追っている。たまに思い出したかのように俺をチラッと見るのだが、「小物か」と吐き捨てるようにまた視線を外す。
神の最高傑作にまで蔑まれているとは考えづらい。
ウルスの爺さんと共にいた時、あの10の目は全て俺に向いていた。
純粋な戦闘力で言うなら、ウルスの爺さんが上にも関わらず。
仮説ではあるが、あの目は正確に自身への脅威を判定しているのかもしれない。ただし、その基準はどこに?
魔臓才能値をも見通す力があるのか?それじゃあ神の目にも引けを取らない。それも考えづらい。
……となると、一つ有力な説が思い浮かぶ。
紋章じゃなかろうか。
あの目は紋章に反応している。
精霊の紋章は魔獣と戦うために人類に与えられたもの。それを魔獣が狙うのは至極当然かもしれない。
まさか先ほどの光線も俺の臍を狙ったのか?肩でこのダメージだ。紋章がある臍だったら、即死もありえた。ていうか、紋章を削られたらどうなるんだろうか?
ゴーレムの目が強く発行し、魔力が凝縮する。とうとう来てしまった。
「アーケン!光線が来る!おそらくお前の紋章が目印となる!」
アーケンは先ほどから攻撃を躱しきっているが、あの攻撃は無理だ。人の目で見切れるスピードじゃない。放たれた瞬間に終わる。
……ちょっと待て。俺の時、なんで臍じゃなく肩を射抜かれた?
観察しろ。頭を捻ろ。動けないら、せめて思考で役に立て。
ジャリッ。
地面に手を突っ込んだ。ちょうど粘土質な土で、それをゴーレムの赤い目を目掛けてなげる。
べちゃり。
嫌がらせってわけじゃない。
ちょうど泥が頭部にかかった直後、アーケンにあの光線が放たれた。
アーケンの太ももを貫く光線。やっぱり、全く見えないよな。放たれた瞬間、あの光線は必殺の一撃になる。
……けれど、弱点はちゃんとあるじゃないか。
あの目、センサーの役割になっている。かなり精度が高い分、少しのイレギュラーでずれるのも判明した。
俺への一撃がずれたのは、地中から引っ張り出して、まだ体に泥が残っていたからだ。それらが乾いてきて、動き回ることで泥も落ち、センサーも完璧に近くなってきていた。あのまま放たれていたら、アーケンの胸元に穴をあけられていたことだろう。
「アーケン!下がれ!少しの間俺が注意を引き付ける!」
アーケンには紋章の覚醒による超回復がある。しかし、あの黒い魔力がどう影響するかはわからない。少しでも時間が稼げればと思って前に踏み出すが、主人公はやはり主人公だった。
「ハチ!休んでろ!こんなの問題ないっしょ!」
太ももに開けられた穴が塞がっていき、それと同時進行で黒い魔力も蒸発して体内から出ていく。
……主人公様、凄すぎんだろ。
紋章の覚醒者が、対魔獣のために用意された人類の切り札ってことが、如実に証明された瞬間である。俺、そのビーム一発で三途の川を反復横跳びしましたよ。人類史上最多の58回も飛んだと思う。
ここは本当にアーケンに任せた方が良さそうだが、ジリ貧なのも確か。
相手のビームはかなりのインターバルが必要みたいで、連発はできない。しかし、こちらも相手に致命傷を与えられない。
なんとか近づきたいのだが、俺が背後から少しでも動きを見せればあの赤い目が後頭部に回ってきてギロリと睨みつけてくる。
……近づけない。万全なら無理してでもトライしたいが、今はお相撲さんを100人くらい背負っているんじゃないかってくらい体が重い。
相手の先手がこんなに重く圧し掛かるとは。
精霊王にも言葉が通じているのだろう。あの躯体に噛みついてなんとか傷をつけようとするが、その鋭い牙も神の最高傑作にはかすり傷すらつかない。
ほんと、なんて化け物だよ。こんなものがずっと子爵領の地に埋まっていただなんて。
「あれは壊れはせんよ。ノアって神はそんなに中途半端なものを作る男じゃなかった」
背後から聞こえてくる声。
ウルスの爺さんだった。
「……大層なものを作りやがって。それにしても、戻って良かったのかよ。ここは危ないぞ。命が惜しくなったんだろ?」
「ふふっ、小物は掌もクルクルとひっくり返すが、覚悟もクルクルとひっくり返す。また腹が決まっただけのことよ」
「へっ、そうっすか」
頼もしい救援が戻って来てくれて、思わず微笑んだ。
「これでワシも小物界から追放されずに済むか?」
「小物界名誉会長の俺が保証するよ」
「それはなによりじゃ」
ウルスの爺さんが隣までやってきて、静かにゴーレムを観察する。態度こそ静かだが、隣でひしひしと感じる膨大な魔力。言葉だけじゃない、今度こそ腹を括ったらしい。
「ハチ、次の光線がチャンスじゃ。ワシが隙を作る。なんとか修理スキルで核に届かせよ」
「……うん」
「魔力は通る。核は脆く、お主の性質変化ならちゃんと砕くことも可能じゃ」
「おっす!」
ウルスの爺さんが少しだけ大きく感じられた。
表情が穏やかで、凪や悟りを感じさせる表情。
爺さん、もしかして死ぬ気か?となんとなく思った。