46話 真の豚
天井には眩い光を放つシャンデリア。
綺麗なテーブルクロスが敷かれた上にはローズマルの地伝統の料理がこれでもかと豪勢に並び、ウエイターたちが高級酒を持って客を持て成す。
赤い絨毯がまるで自分たちがスターにでもなったかのような高揚した気分を与えてくれる会場は、本当に素敵な夜会だった。
そんな幸せ一杯になれるはずの場所で、なんでこんな胸糞な思いをしなくちゃならんのか。踊るのは好きだが、踊らされるやつを見るのは嫌いだ。
第二王子ロワ・クリマージュの放つ怖すぎるプレッシャーに充てられて、クラウスの顔は青ざめている。
豚の鳴きマネをし、大貴族の嫡男であられるクラウスが四つん這いになってプライドの全てを放り出して捨てていた
先ほどまでクラウスに声をかけて貰いたそうにしていた令嬢たちは、突如現れた格上貴族のロワ・クリマージュに夢中になっており、クラウスのことは既に眼中にない。
それどころか、豚の鳴きマネをするクラウスを、第二王子ロワと一緒になってクスクスと笑う始末。口元を隠してはいるが、目元とその下卑た笑い声は隠しようが無い。
全く、貴族の世界ってのは、たまに嫌になる。
大物の上には大物がいる。
それは仕方ない。
しかし、真心というものが無いのか。
お前たちは先ほどまでクラウスに夢中だったじゃないか。会場にはいくつか人が作り出す大きな輪が出来ていた。
大抵その中心には大物がいて、周りを構って欲しい有象無象たちが囲んでできた輪だ。
俺たちの周りにも綺麗な輪が出来ている。なんたって、あの伯爵家御嫡男であられるクラウスがいるからだ。
クラウスのためにできたこの空間で、お前たちはクラウスを笑うのか。
溜まらず、俺はテーブルを殴りつけた。
ここらだけではない。夜会会場全体に伝わる程の音と衝撃で、天井のシャンデリアまで少し揺れて、明かりが一瞬明滅した。
何の茶番劇だ……!
「これは一体何の茶番だと言っている!」
怒号を発した俺に、下卑た笑いをしていたご令嬢たちが慌てて口を閉じた。まずい雰囲気をとっさに感じたのだろう。
「出しゃばるな小物」
ロワが片手をこちらに向ける。同時に、あの人を洗脳するようなプレッシャーが俺へと向かう。
「この場で出しゃばらないで何が小物か」
ロワとは目を合わせない。動揺を隠して歩き出す。なんだか、今目を合わせると取り込まれそうだ。怖すぎる。この人は、圧倒的に怖すぎた。
四つん這いになっているクラウスの元へと歩み寄り、俺は先ほどの言葉を強く投げかけた。
「クラウス様!これは何の茶番劇ですか!折角王子が下さった千載一遇のチャンスを!どいて下さい!もう第二王子の借りも返したでしょうから、この見せ場は俺は貰います!」
怒るのはあくまでクラウスに。
豚のモノマネをして約束は果たしたんだ。既に十分だろう。脇に手を差し込み立ち上がらせて、膝と手に着いた埃を払ってやった。
なんだよ。涙まで少し流しちゃって。傍若無人のクラウスはどこに行った。袖先で申し訳ないが、涙を拭ってやった。
後はおまかせを。
「ロワ・クリマージュ様。大変失礼致しました。今宵、不肖ハチが”真の豚”をお見せ致しましょう!」
その場で四つん這いになって、大きく息を吸う。
脳内に豚の映像を映す。
ワレンジャールの土地にも農家はたくさんあり、田舎故にやることも少ないので幼少の頃は良く農家に行って迷惑をかけたものだった。
その時見て、触って、感じた豚を脳内に完全にインストールする!
すーーーーーーーーー!!
「ブルルッ……ブゴッ、ブゴッブヒョゥ……フゴッ、フゴゴゴゴ……ブォォオンッ!! ブヒィンッ、ブヒッブヒッ、フンゴォ、ブォォォッ……ブラァア゛ッ、ブピィィイッッ……ブヒヒヒヒヒャハハハッッ、ブンブブブッ!! フグルッ、フゴォォ……ブフッ、ブフゥ、ブフヒョヒョォォォオンンン!! ブビョッ、ブピィィィイン、ブゴォッ、ゴフゥゥッッ……ブブブブッ!!ココホレ、トリュフ」
甲高く鳴き、膝で蹄のごとく音を立てる。そこにいるのはもう、完全なる豚であった。
一瞬訪れる静けさ。
その後に、会場を覆いつくす程の大爆笑が溢れた。
純粋にツボった者、蔑んだように笑った者、道化を楽しむ金持ち貴族。それぞれ違った笑いだったが、特に気にはしない。
役目は果たしただろう。
立ち上がって、なんとか場が丸く収まった手ごたえを感じた。膝に着いた埃を払おうとしたら、誰かが慌てて屈んで払ってくれた。
「ノエル……!」
「ハチ様にこのような汚れは似合いませんので」
まっさらな笑顔でノエルはそう言ってくれた。
何事かと集まっていた他の観衆たちが解散していく。『ステージ豚』ですっかりと会場は温まり、夜会は先ほどよりも一層会話が弾んで賑やかになった。
「……ごめんな、ノエル。情けない婚約者で」
「ハチ様、ご立派でした。ノエルにはわかっています。全部わかっています。やはり私はあなた様を誇りに思います」
「……へへっ」
照れくさくて少し頭を掻いた。
まあノエルさえわかってくれているなら、俺はそれでいい。誰に笑われたって、小物に失うものは無い。
事態は丸く収まったかと思っていたのだが、なんだか怖い視線を感じる。そちらを見ると、観衆と同じくゆっくりと拍手して、顔に笑みを張り付けたロワがいた。笑っているのに、笑っていない。
そして、何やら俺に言いたげである。
一歩歩み寄ってきて、まるで死神がカウントダウンするかのようなリズムで、また一歩。
トン、トン、トン。
しかし、死神は俺の元まで届くことは無かった。
光の戦神がその眩い聖なる光で死神を追い払ってくれたのだ。
「あっははははは。ちょっ、あっははは、ひゃっひゃっひゃひゃああ。あーひー、死ぬ―。笑い……笑い過ぎて……あっははは、あー死ぬっ」
腹がねじれるくらいツボったのか、未だに思い出し笑いをして、涙まで流しながらやってくるイケメン。
太陽の下では火のように輝く鮮やかな緋赤の髪。ほほ笑んだ今は優しいが戦場においては燃え立つような怖さを発揮する二面性のある目元。黄金化と見まがう琥珀色の瞳。
身長は185cm前後。がっしりした肩幅と細腰のバランス型。
騎士訓練で鍛えた無駄のない筋肉、ただし華奢にも見える貴公子風。
間違えるはずもない、目元にあるドラゴンの紋章。盛大にツボりながらやって来たのは、彼の有名な第一王子リュミエール・クリマージュその人であった。
ロワがその姿を見るや慌てて片膝を折って、挨拶をする。続けて次々と、辺りを囲んでいた貴族たちが静かに膝をついていく。
まるで大地が彼に跪いているかのようだった。ただ一人の登場に場の空気が一斉に変わったのを感じた。
自分のあいさつが遅れたのを感じて、俺だけは土下座しておく。
「おいおい、なんだいみんな。ロワもみんなも顔をあげてくれ。私はずっと会場にいたし、夜会の場では無礼講だ。今日はみんなもリュウと呼んでくれ。親友たちが呼んでくれる呼び方だ」
リュウ、ちょい醤油取って。もーはやくして。なんて誰も頼めやしない。
俺は頭をあげるタイミングもわからないので、隣のノエルが立ち上がるタイミングを伺っていた。
おそらくロワが一番に立ち上がり、それに続いて皆々が立ち上がる。俺の土下座もようやく解除された。
「リュミエール兄様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
「ロワ、来ていたのか。嬉しく思うぞ」
「兄さまが魔獣討伐に向かわれる目出度い席にいないわけないじゃないですか。私はそんな薄情者ではございませんよ」
「ははっ、良い弟を持てて兄は幸せ者だ」
2人が屈託のない笑顔で会話をする。
あらら……仲が悪いという噂はどこへやら。それとも、あのまぶしい笑顔の裏には、ご令嬢方もびっくりな裏の顔があるのだろうか?ちょっと足元を見てみたが、靴を踏んづけたりしていなくて安心した。
ロワが放っていたあのプレッシャーも今は鳴りを潜め、本当に仲の良い兄弟がただ会話を楽しんでいるように見えた。
「それにしても……ぶっ」
会話の最中にリュミエールが噴き出した。
やはりツボったのがまだ収まっていないらしい。随分と思い出し笑いに苦しまされているようで、今も腹を抑えながら笑っていた。ロワとの会話を切りあげ、好奇に満ちた表情でリュミエールがこちらへやってくる。
「やあ、君か。さっき豚のモノマネをしていたのは。こんなに笑わせて貰ったのは久々だ」
「寝起き、出産、満腹など多岐にわたるレパートリーがありますが、いかがですか?」
ブッとまた盛大に噴き出す。
想像してしまったのだろう。一人また腹を抱えて笑ってしまっている。
「あー、やめくれー。これ以上は笑い過ぎて死んでしまう。あっひゃひゃひゃ。あー、腹が!」
なんとか呼吸を整えて、目元の涙を指で拭いながら感想を語り始めた。
「君の豚の精度はあまりに高すぎる。実は子供の頃に牧場で過ごしていたことがあるんだ。その時に出産から出荷まで育てた豚がいた。その子のことを思い出す程のクオリティだったよ」
「豚のモノマネをして褒められたのは人生で初めてです」
「いいや、君の豚には価値がある。あまりにもクオリティが高かった」
リュミエールの意外な過去。
大都会で何不自由無く育ったかと思っていたリュミエールに、牧場で豚を飼育していた時期があると?
めちゃくちゃ気にはなるが、リュウと俺はそんなことを聞きあえる仲ではない。あっ、リュウって勝手に心の中で呼んじゃった。
「是非私にもその豚の真似を教えてくれ。宴会芸で使えそうだ」
「不敬罪で俺を殺す気ですか?宴会芸は部下たちに華を持たせてやってください。リュウ様が笑いまで取ったら、部下たちが不貞腐れてしまいますよ」
リュウって呼んじゃった!
有名人を親しい呼び方しちゃった。俺スゲーの気分を少し味わっている。
それにしても本当に凄いよな。王国のみならず、大陸中がこの方の動向を伺っている。そんな超大物が俺の前で、腹を抱えて笑ってんだもんな。人生何があるかわからないものだね。
「それにしても、なんで急に豚のモノマネなんて。いや、面白かったからいいんだけどね」
なんでかって?
言ってやりたいです。
びえええええええ。リュウ様!!あんたの弟が陰険なやつで、しかもめっちゃ怖くて、おまけに根に持ちそうなタイプで。びえええええええ。強制的に豚のモノマネをしろって!あいつです!あいつ!!
って、言いたい。
けど、言えない。
「ロワ様が慣れない地で1人退屈そうにしていましたので。ここは一発、小物ハチがかましてやろうと思いまして。ロワ様だけでなく、リュウ様も楽しんで貰えて何よりです」
「……えっ!?君がハチ君なのかい?」
「……」
黙秘で。
「驚いた。探していたのに、まさかこんな形で出会おうとは」
本当に探していたのはハチですか?
間違っていませんか?
出来れば……間違っていませんか?
「そうか、ハチ・ワレンジャール。こんな強烈な出会い方をしたのも何かの運命なのだろうな」
あっ、家名まで出ちゃった。もう俺やん。
悪いことで覚えられてないよね?それを切に願うだけだ。
「あれ?兄弟子から聞いていないのかい?私が一方的に聞いただけか」
「兄弟子?」
誰だ。
思考を巡らせるが、第一王子様と知り合いになれそうで、歳の近い人物なんて思い浮かばない。
「ほら、ゼルヴァンだ。ゼル様って呼んだ方がしっくり来るか?」
「……ああ、金を貸したかもしれない」
「うーん、多分違うなぁ。それじゃないと思うぞ」
誰?
ゼル様、誰!?
本当に心当たりがない。
「ありゃ?生命の神エルフィア捕縛時に君に会ったと聞いたんだけどな。天壊旅団団長、ゼルヴァン。本当に知らない?」
「ああっ!!」
その人か。
名前を聞いていなかったから、ゼルヴァンと聞いてもピンと来なかった。
「団長って、あの冷たい人か。冷血漢!ロボット人間!ジンを返せ!」
あの日見た、団長の冷たい視線を思い出す。いかにも闇の組織で働いていますって感じの人だったけど、本当はそう嫌いでもない。凄く印象には残っている。
「あっははは、言いたい放題だね。あれでも私の尊敬すべき兄弟子だから、あんまり言わないでやってくれ。まあ冷たいのは同意だけど」
だよな。冷凍食品ばかり食べてるからそうなるんですよ!闇の仕事が忙しくてもね、手料理を食べなさい!お母さん、心配しているわよ。
「ゼル様がハチ君を褒めていたよ。あの子には不思議なものを感じたって。ジンってのは浪人のことかな?彼は今天壊旅団が身柄を預かっている。ふふっ、あの人のことだ。ジンをどう扱うかはなんとなく想像がつく」
「ジンをどうするの?」
「いつか会うことがあれば、そう尋ねてくるだろうとも言っていた。答えが知りたいなら、強くなって我々と対等の立場になって訪ねて来い、だとさ。傲慢だよねよぇゼル様」
でも仕方ない気もする。
権力も実力も無い俺には確かに文句を言う資格すらない。……王子の尊敬する兄弟子か。この最高の性格をしたナイスガイの尊敬する相手。なんとなく、ジンは酷い目にあっていないんじゃないかと想像できた。
「そうそう、あの戦いでエルフィアを捕らえただろ?ゼル様と伯爵、そして私の協議の結果、エルフィアの身柄は王国軍が預かることとなった。つまり、今後エルフィアは私の配下となる。まあ、あれは手名付けるのに随分と時間がかかりそうだが」
「まさか魔獣討伐は、エルフィアの対価だと?」
「その通り。犠牲は多く出るが、魔獣との戦いなどめったに経験できるものではない。これを経て我が軍は一層強くなる。盾持ちにも負けない程の名声と実力を。伯爵とは随分と良い取り引きが出来たと思っている」
なるほどね。
これで王子がなぜこの地に来たのかがわかった。裏でそんな取引があったと知っていなければ、伯爵と王子の黒い繋がりを勘ぐるとろこだった。
……神を手中に収めたか。
今ある人望だけでも、既にこの人は皇太子の座に相応しい。
その上生命の髪エルフィアまで手にして、軍事力はもう国内に敵なし。これから文官たちの外堀も埋めて、いよいよ王への道を歩むのだろう。
目の前に未来の王がいる……!
お金下さいって言ったら、いくらくらいくれるんだろうか。
「随分とわくわくした目で私を見つめてくれるね」
「はい。王の資質あるお方に出会えて嬉しいですから」
ニヤリと笑った。
しかし、先ほどまでの、誰もが好むような純粋向くな笑顔ではない。
笑顔の裏に、強い決意を秘めた表情。
「アトスから聞いているよ。君は危険な思想を持っているんだって?」
……本日、会場中にあるビュッフェを食べつくそうとしていたことか?なぜバレた?あの伊達メガネ兄さんはそこまで目敏いのか?
「けれど、構わない。私はそういう野心の強い者を誰よりも好む。ロワ!君もだ。第二王子の座に甘んじることなく、是非とも僕を追い落とす気でいてくれ給え。君の危険思想も喜んで受けてたとう」
「……アトスさんとも知り合いなんですね」
「盾持ちの副官だぞ。知らない方がおかしい。私が野心家を好むと知っているからこそ、アトスは君の思想も話してくれたんだろう。あれは頭が良いからな」
考えてみれば、アトスさんも超大物だった。
一緒に死線を潜り抜けて、ここ数週間は子爵領で共に長い時間を過ごした。あの人が凄い人だってことをすっかり忘れてしまっていた。
「ハチ、魔臓才能値はどのくらいある?」
……なんで急に!?
王子との会話だ。当然聞き耳を立てている者も多い。ロワなんてがっつりこちらを見て話を聞いている。
こんな状況で、なんて羞恥プレイを。これなら豚のモノマネをさせたロワの方が優しいまであるかもしれない。
しかし、問われたものは答える他ない。相手は未来の王なのだから。
「……4444」
「ふふっ」
笑った!?今笑った!?
「魔力4000台で天を伺うか……!未だかつて、そんな男がこの世にいたか?……ハチ、お前は真に面白い男だ」
「面白くもなんともないですよ」
魔力が少ないだけだ。
「だがな、お前みたいな野心家を惚れさせて、我が配下に加えることこそが至上の喜び。ハチ、強くなれ。そして、いずれ私が叩き潰す。その時、我が配下となって貰う」
そんなことしなくても、年収1000万バルくれたら今から行きますよ。
「はいはい」
とりあえず、適当に返事しておいた。