41話 ハグの達人現る
姉さんたちの七光りでゲットできた許嫁であるノエル。俺は彼女の存在を心から大事に思っており、これからもずっとずっと大事にすると誓っている。
ノエルからの愛情もたくさん感じており、一生喧嘩することなんてないと思っていた。
ずっとずっと幸せに、微笑みあって生きて行けるものだと。
「帰ります!実家に帰ります!」
「ダメです!伯爵様から奨学金を貰っているでしょうに!それに季節が変わるまでノエルとずっと一緒にいるって約束しました!」
「でも帰ります!あっ、そうだ。ノエルも一緒に来なよ。それが良い」
「ダメです!ローズマル家にいることが留学の口実なのですから。伯爵に怒られますよ。不都合があるならおっしゃって下さい!絶対に逃がしませんよ!」
荷物をまとめて実家に帰ろうとする俺を、ノエルが力ずくで引っ張る。こちらには無限身体強化があるというのに、ノエルもそんな才能があったのかと驚かされる身体強化で俺の服と荷物から手を離さない。
このままだと大事な服とバッグが千切れかねない。これはドケチで知られる我が父上がくれた少ない小遣いで職人に作らせたものだ。俺は良い物を長く使うのが信条なので、服もバッグもかなり良いものだ。これが破れると心がとんでもなく痛むので、一旦力を緩めて話し合いのフェーズに持っていく。
といっても、本当のこと、魔獣のことは話せない。
アトスさんにも将軍にも口止めをされているし、されていなくてもノエルに伝えることは憚れる。
魔獣は、この世界で言う子供を怖がらせる材料として使われるものの一つでもある。
「あんた!良い子にして勉強しないと魔獣が紋章を食らいに来るよ!」とか。
「食べ物や生き物を粗末に扱うと、魔獣が夜中に家に忍び込んじゃうぞー」とか。
いろんなパターンで子供だましに使われる。かなりのしつけ効果があるらしく、おとぎ話界では不動の地位を築き上げている。#魔獣は必須だ。
実はこのハチ・ワレンジャールも、前世の記憶が戻る前に、使用人がこの魔獣作戦を使ったことがあった。
言わずもがな、ハチは腐った小物貴族の代表格みたいな人間だったので、魔獣の話をして少しでもいい子にしてやろうと奮闘した方がいたのだ。それに対して当時のハチがこう言った。
「じゃあ連れて来てみろよ、魔獣。連れて来れないのに、なんで脅しの道具に使うの?それにさ、魔獣って強いの?あんた魔獣と戦ったことあるの?ねえ、魔獣が強くて怖いってあなたの感想ですよね?ソースとかあるんですか?」
魔像って何ですか?
まだ舌足らずのガキんちょが、可愛らしい見た目で、憎たらしいことを言って使用人を論破してみせた。
ハチの言うことが尤もらしいけれど、あの使用人にまた会うことがあれば、一発ぶん殴る権利を与えたい。助走をつけても良いレベル。俺はそれだけの大罪を背負っている。
それだけこの世界では魔獣のおとぎ話が浸透しているので、魔獣のワードはそもそもがタブー寄りのものである。
実際に魔獣がこの地にやってくる可能性があることを伝えたら、ノエルに一体どれだけの恐怖と不安を与えるだろう。
大好きなノエルにそんな思いをさせたくないので、絶対に伝えることは無い。でれば、このまま俺と一緒にワレンジャールの地へ!
「ノエル、俺はいつだって大事な人たちを1番に、お金を2番に、自分のことを3番目に考えている。信じて着いて来るんだ!」
「お金が2番の時点で従えません。ハチ様が1番ならまだしも、何がなんでもハチ様にはここにいて貰います!」
またも始まる綱引き。
これは負けられないんだ。ノエル、これは君のためでもある!
決着がつく前に、ふらーと幽霊のごとく薄い存在感でとある人物がやって来た。
ノエルと必死に引っ張りあっていたこともあって、一瞬見間違えたかと思ったが、そこにいたのは間違いなくクラウスだった。
いつものキザな雰囲気も、やたらと自信に満ちた感じも無い。ボーと口を開けて、虚ろな表情を浮かべていて、足取りまで怪しい。
熱があると言われれば信じてしまいそうだが、そんな状態でどうしてローズマルの地へ。
しかし、俺はクラウスの顔を見て、ノエルとの綱引きをやめた。
希望が……希望が見えた!!
初めてだった。クラウスと遭遇して嫌な気分にならなかったのは。ノエル、もう大丈夫だよ。俺たちは助かったんだ。
引っ張りあっていた荷物を話て、クラウスへと駆け寄る。
そして、そのフラフラとした足取りのクラウスを思いっきり――抱きしめた。
ぎゅーーーーーー!!
クラウスちゃん、君のことをもう離さない!!
「……ハチ」
「クラウス様っ!!よくぞおいで下さいました!!」
これはお世辞ではない。
いつもいつも太鼓持ちばかりでそろそろ肩が凝っていたのだが、今回ばかりは本心。
どういう事情かは知らない。けれど、この魔獣が出るかもしれない地に、なんとあのクラウスがやって来たのだ。
なぜとはもう問うまい。小物に微笑む女神がたぶん確実にいる。天の運はまだ俺を見捨てちゃいない。
もしも今魔獣が現れたとしたらどうなると思う?
伯爵の子倅が魔獣の出現した地にいるのだ。
伯爵は元々水面下で子爵に協力するつもりとは聞いている。しかし、クラウスがこの地にいるとなれば話は別。水面下のみならず、大儀名分を掲げて必死にクラウスを救出しに来ることだろう。
伯爵の最高戦力をもってして、あの魔獣にぶつける。
クラウスはその為の大事な、大事な”人質”である!
うおおおおお。よくぞ参った。
孤立無援。10万の大軍に囲まれた小さな城に、勇者が援軍として駆け付けて来てくれたくらい嬉しい出来事である。
「ははっ、ハチ。やっぱり心の友は君だけだ。僕を理解できるのは君だけだ」
「え?」
嬉しすぎてクラウスの肩に顔をうずめていたのだが、なんだか湿っぽいものを感じたので顔を起してみると、泣いていた。
クラウスが涙を垂らして、鼻水までも垂らして、俺の胸へとダイブする。
ちょっ、ちょい!どうした?そして鼻水!
「うおおおおん。ハチ、ありがとう。君のハグはどれだけ暖かいんだ。ここ数日、ずっとずっと死のうと思っていた。けれど、ハチ、僕には君がまだいたんだ。大事な者を忘れかけていた!!」
「いや、え?」
なにこれ。
鼻水は……もういいや。既に手遅れだこれ。
俺の知らないところで、何か生き別れた家族くらいの盛大なストーリー進んでない?
「クラウス様、一体何事ですか。いつもの凛々しい姿はどこへやら」
「ううっ、今日はだけは泣かせてくれ。ハチの胸を借りたいんだ。ううっ、ミリア嬢を、ううっ」
「はいはい。落ち着いて下さいな。ゆっくりでいいですよー」
はい、ぎゅー。
少し強くハグしてやると、クラウスの過呼吸も和らいだ。
「ミリア嬢と楽しく王都を満喫していたんだ。それはそれは、本当に幸せだった」
「お似合いでしたよー」
そういえば、そんなこともあったなと。
ミリア嬢に一目ぼれして、代わりに声をかけて来いと言われたのが随分と昔に感じられる。
情けない事この上ないが、意外とその後はうまくいっていたらしい。
「だよな。ハチもそう思うよな!ううっ、でも、ううっ」
「はいはい。呼吸を整えて」
「ううっ、王子の野郎!ミリア嬢を奪いやがって。ううっ。王子と知り合って以降、ミリア嬢は王子とばかり。ううっ、僕のプレゼントも手紙も次第に受け取ってくれなくなり、果てには王子の護衛に面会まで拒否されたあああああああああ」
「よしよし」
やれやれ。
恋愛も弱肉強食でしたか。
俺から見るとクラウスはかなりの大物貴族だ。しかし、世の中上には上がいる。
クラウスレベルでも、王族からしたら途端に小物になってしまう。
俺たち小物は大物には勝てないんだよ。良いじゃないか、早いうちに人生の真理を学べて。俺たち小物は生まれながらに学ぶが、クラウスレベルだとなかなか学ぶ機会が無いだろうしなぁ。プラスに考えよう。
「ミリア嬢を奪われましたか。良いじゃないですか。クラウス様はモテますから、一人に固執しなくても」
「やだああああああああ。ミリア嬢が良い。僕はミリア嬢が好きなんだああああ。彼女無しじゃもう生きて行けない。わあああああ!」
こりゃ重症だ。
恋は心の病だなんて言うが、そんなもんじゃない。フグもビックリの猛毒だよこりゃ。
それにしてもモテるなぁ、ミリア嬢。手紙の中では王族たちと楽しく過ごしていると書かれていたが、俺が思っている程平穏な感じじゃないのかもしれない。
王子に気に入られたってことは、絶対に周りの令嬢から妬み嫉みを受けている。あっちは都会育ちの本場の極悪令嬢たち。心の強い子だけど、体は弱いクルスカ家の血筋だ。俺は少しだけ君のことが心配になって来たよ。
「よしよし。大丈夫ですよ~。ハチはあと2か月程留学期間がありますから、ずっとこの地で一緒にいましょうね。ずっとですよ~。帰っちゃダメですよ~」
「うおおおおお、ありがとうハチ!ずっと舎弟だと思っていてすまない。友達……いや親友だ。君だけが僕の心を理解できる、真の友よおおおおお!」
ごめんなさいねー。違いますよー。あなたは人質ですぅ。
「ハチ様!クラウス様ばかりずるいです!」
ずるいと言って、不機嫌そうな表情をしたノエル。しかし振り向けば、両手を広げて堂々と立つその姿。何を求めているのか明白だった。
一旦クラウスを放して、ノエルに駆けよって、はい!ぎゅーーーーーー。
「ふふっ、ハチ様大好き」
ノエルが腕の中でほっぺを赤くして微笑んでいた。
こっちは本心、好意のハグだ。
「ごめんよ、ノエル。さっきは帰るとか言い出して。よくよく考えてみれば、やっぱりここにいるのが良いに決まっている。もう帰るとか言わないから、残りの2か月間ゆっくり凄そうな」
「やった!わかってくれて嬉しい!ずっと一緒ですからね」
よしよし。
クラウスが来てくれたことで万事解決。安心して暮らせるってもんよ。
「ああっ……ハチ……ハチはどこだ!?なぜ僕から離れる。ハチ!僕を抱きしめてくれ!君のぬくもり無しがもう僕はダメなんだ!」
フワフワした足取りと、舌が上手に回っていない活舌で、亡霊のごとくさまようクラウス。
ありゃ危険だな。
急いで駆け寄ってハグしてあげた。
はい!ぎゅーーーーーー。
「暖かい。ハチの暖かさ、ハチの匂い、ハチの感触だああああ」
ちょっとキモいんでやめて貰って良いですか?その感想。
「ハチはここにいますからねー。大丈夫ですよー」
「ハチ、僕を放さないでくれ。ずっとずっとこのままでいてくれええええ」
しかし、こちらを立てればあちらが立たないのは至極当然。
「ハチ様!ノエルも!」
はいはい。
クラウスを放して、はい!ぎゅーーーーーー。
「ハチ!ハチはどこだ!」
はいはい、行きますよー。はい!ぎゅーーーーーー。
「ハチ様!こっちへ!」
はい!ぎゅーーーーーー。
「ハチ!」「ハチ様!」
秘儀、阿修羅千手観音百花繚乱ハグ乱れ咲き!!
――。
ノエルは公務へ、恋の病の人は病床へ、二人を送って暇ができた俺は、一応自衛のことも考えねばと思ってあの人を訪ねた。
あの人っていうか、あの神だな。自称だけど。
ローズマルの地を象徴する巨大遺跡。なぜこの地がこうなっているのかとか、一般的には知られていないが、その昔神がこうさせたと聞いている。
激情の神カナタの怒りに触れた怠惰の神ウルスが、その所持していたアーティファクトごと全てを破壊され、数千年の後の世に遺跡として掘り起こされた。徐々にかつての神が残した品が人間の世界に流通し始めている。
「あっ、いたいた」
遺跡に行くと、前回と同じ場所で採掘作業をしている見た目は人間の爺さんであるウルスがいた。ツルハシだけを持つ、無欲な爺さんにしか見えない。前回はそのツルハシの欠片をクラウスの頭にぶっさしていたが、今日はトラブルが無さそうだ。
ちょうど休憩に入るみたいで、水を飲む。
やたらと美味しそうなのは、労働の後故か。労働の後の食べ物の飲み物っておいしいよね。そこには人も神も違いはないらしい。
「おーす、ウルスの爺さん」
「……まじ、誰?」
おっほん。
まさか忘れられているとは思わず、改めて自己紹介をする。
「ハチ・ワレンジャール。ほら、昨年くらいにあんたから対となる指輪を貰っただろ?覚えてないか?」
「ああっ!……ハチ?」
思い出してねーなこれ。
それならばと、目の前で修理スキルを使用する。
脚を開いて立ち、10本の指を立てて、両手を少し前に出す。
指の先端から魔力の糸が出現し、これが紋章の影響を受けて物質を修理することが可能な修理スキルの手先となるわけだ。
外に出た魔力は通常そのまま大気中に消えていくため、スキルの長時間使用は向いていない。というか、不可能だ。
その点、修理スキルは魔力を指先から出しているだけ、それが豊饒の紋章の恩恵を受けてスキルとなる非常に低燃費のスキルとなっている。
その上更に、ウルスの爺さんから貰った浄化作用のある指輪のおかげで、魔力を浄化した後、2本ある魔力線のうちの片方から吸収されて魔臓へと戻って行く。無限身体強化と同じように、スキル使用時も魔力の循環を行っていた。半永久修理スキルってとこかな。
「どうだい?思い出したか?」
「魔力が少なくて必死に知恵を絞り出している小僧か。まじ思い出したわい」
聞き捨てならないな。俺のことをそんな風に記憶していたの?
魔力が少ないって、繊細な部分なので触れないで下さい!マリョハラですよ。
「それにしても、おにぎりうんま。まじうんま」
「ちょいちょい、俺と話してだから食べるの止めてよ」
「腹が減ったんじゃから仕方ない。ここの土地は最高よ。働ければいつも美味しい飯をくれる」
怠惰の名を冠した神なのに、随分と働き者だ。
水が飲めて飯が食えるだけでめちゃくちゃ幸せそう。実はこの神が一番幸せな神だったりして。
「じゃあ食べながら聞いてよ。あっ、そういえば生命の神エルフィアと会ったよ。知ってる?」
「もちろん。カナタ程じゃないが、かなり強い神だぞ。美人だが気性の荒い女だ。会ってよく生き残れたのぉ」
語れば長いんだけど、確かにあれと出会ってよく生きてたと思う。
「ああいうやばいのと出会ってもちゃんと自衛できるようにしたいんだよ。なんかこの地も良くない噂が立っているみたいだし」
「やばい噂?」
神でも知らないか。
話すかどうか悩んだが、黙ったままだとお悩み相談もしづらいので、耳元にそっと近づいた。
「これはここだけの話。周りには秘密だよ」
「ほう」
「ローズマルの地に魔獣出現の気配あり。もしもだよ、万が一にでも魔獣と遭遇してしまった時に、自衛の手段が欲しくてあんたを頼って来たんだ」
「そう言われてものぉ」
建国の神や、エルフィア程強くないにしても、この爺さんも神だ。下手に避難するより実はこの神の傍が一番安全だったりするのか?
「悪いが、魔獣には無力よ。まじ無理」
「なんでまた。エルフィアの力を間近に見たぞ。あれは絶対に魔獣にも負けない力だと思う。あんたも神なら、似た力は出せるはずだ」
「そうもいかんのよ。知っておるか?魔獣に効くのは紋章から得たスキルの力だけだということを」
そんなことは知っている。
ていうか、この世界はスキルを使用するためには紋章の力が必要となる。対魔獣ってだけの話ではない。
「当たり前だ」
「しかしの、神には……。そもそも紋章とは精霊が魔獣に対抗するために人に授けた力。神は紋章に頼ってスキルを使用することはない」
「はい?」
おにぎりの最後の一口を頬張って、ウルスが立ち上がる。
作業着を脱ぎ捨てると、爺さんらしいガリガリの体が現れる。
「なっなにを……」
「神と、神を生む聖女を見分ける方法を知っているか?まじ簡単じゃぞ」
方法だと?
一件なんにも違いなんてないが、さっきの話を思い出す。
神は紋章に頼ってスキルを使用しない?
上半身を徹底的に見ていく。
背中側も。
ちょっとズボンの中もチラリ。お尻もちょっとね。失礼。
腿、膝、足……。足の裏は!!
「……うそっ。紋章がない!」
「精霊は人を愛すもの。神と聖女に紋章無し。つまりはじゃ、魔獣には最も無力な存在よ。まじ魔獣無理」
ええええええええ!?





