40話 ハチの野望
ローズマル子爵家が若手育成のために建設した訓練施設まで案内して貰い、逃げるように去っていくハチ君たちと別れた。
折角だからアーケン君とも会っていけばいいのにと言っても、何やら慌てた様子。もう少し話してみたかったけど、またの機会の楽しみとしておこう。
「どうだった?」
2人を見送った後、横に並んだ将軍にそう尋ねられた。
どうだったか。全く、随分と簡単に聞いてくれる。私が見たものを語るには少しばかり順を追って説明が必要だった。
「子爵との密談、魔獣の件を話したら随分と驚いて、怖がっているふりをしていましたよ」
「ほう、怖がっているふりを。ハチめ、何かを企んでおるのか?」
「私にはそう見えた、というだけですけどね」
ハチ君に丸眼鏡兄さんと呼ばれた象徴の伊達メガネを外す。ハチ君、覚えておいて下さい。人は隠し事をするとき、二重に細工をするものなのです。
左目にそっと指を近づけて、目からカラーコンタクトも取り外した。そしてあらわになる灰色の瞳。伊達メガネをかけている真の理由は、この目を隠すため。君程勘のいい子でもこれは見落としたみたいですね。
12年前、魔獣との戦いにおいて負傷した左目。死を覚悟するほどの痛みと熱を伴って開眼したこの灰色の目は、人ならざるものが見える。
スキルでは説明のつかないこの目は、おそらくは精霊や魔獣が見ている世界に近いものだと診断された。
魔力鑑定装置の上位互換みたいな力、神の目を持つものが王立魔法学園にいると聞くが、それと比べたら随分と不器用なものである。
神の目が全ての物体を見通すとしたら、私の持つ精霊の目は存在すら不確かな精霊世界に関するものが見えるだけ。
「それよりも早く聞きたい。ハチはどうじゃ?盾持ち正スカウト、アトスの評価を頼む」
魔獣到来を告げたことは話題の一つに過ぎない。将軍に託されたのは、スカウトとしてハチ君を見抜くこと。
将軍は本気で後継を探しておられる。我々もそのことは理解しているが、中途半端な人材では困る。
実力、求心力ともに将軍と同等、いやそれ以上の人物でなくては盾持ちの存続はあり得ない。トップに立つ者の存在はそれだけ重要であり、それを選考する私の役割も自然と重いものとなる。
「馬車の中で、握手を交わしました」
「何を感じた?」
「まるで大海のよう」
「だっはははは!海に喩えるか!それは随分とどでかいのぉ!」
単純な魔力量やスキルの優秀さで人は判断しきれない。直に会って、感じて初めてわかることもある。
「彼の魔力は恐ろしい程、もはや異常なほど大人しい。まるでお椀に入った水のよう」
「それはワシも感じておった」
「凪のように穏やかで、それでいて深海のように底が見えない不気味さ。間違いなく、将軍の後継に相応しい人物。それが彼に対する評価です」
魔力量は少ないと聞いていたのに、尽きることのない、まるで循環しているような感覚を味わった。魔力は通常、使用すれば空気中に溶けて消える。それなのに、彼の魔力はまるで無限を感じさせた。
あんな子供を前に、緊張の汗を流したのはいつ以来だろうか。
「盾持ちとしてだけでなく、純粋な戦闘力で、すでに私を上回っているでしょうね」
「謙遜するな。あれは大物だが、お前にはまだ及ばんよ」
将軍は満足そうに笑う。
スカウト役を任されてもう10年にもなるが、一度として才能を見誤ったことは無い。全ては将軍のため。この方の役に立てることが何よりもの喜びとなる。今回の判断にも自信はあった。ただ気がかりはある。
「ハチ君はもしかしたら……」
話している間に不思議と情報の整理がついて、脳内で一つの有力な説が誕生する。
ただ、これは話して良いものかどうか。
「考えていることがあるなら口にしろ。お前の判断を疑ったことは無い」
「……はい」
確かにこれは一人で抱えるには大きすぎる荷物かもしれない。
「仮説ですが、私はやはりハチ君が隠し事をしているとしか思えません。人は簡単に嘘を付けるし、態度でもごまかせる。ただ、魔力は正直なものです。彼が魔獣に怯えたふりをした際、その魔力に一切の淀み無し。通常ではありえないことです」
馬車の中で感じ続けたあの淀みない魔力。
将軍であっても、心の動揺が魔力に影響を与える。あのくらいの少年なら、心の影響が諸に魔力の乱れを生むだろう。これは訓練してなんとかできる問題ではない。
「ハチはなぜ怖がるふりをする。周りを騙して、せこいことを企む男には見えんが」
ヒントの一つ目は、この左目が与えてくれた。
「ハチ君の傍に精霊の残滓を見ました。あれは近しい者が精霊と縁を持っているか、または本人が精霊と縁があるかのどちらかです」
「ノエル嬢は?」
「彼女は善意の塊ですよ。精霊どころか、何一つ後ろめたいことの無いできたお嬢さんだ」
「となると、ハチ自身が精霊に愛された者の可能性があると?」
「ええ、その可能性が高いです」
彼の周りの人物を全て知っている訳ではないが、彼から魔力の残滓を感じたのはこれが初めてではなかった。初めて戦場で会った時にもわずかに感じられたのだ。
ヒント二つ目。
「将軍、不思議に思いませんか?貴族の子弟であり、あのワレンジャール姉妹の弟であるハチ君が、なぜ平民であるアーケン君と知り合いなのか」
先日ふとしたきっかけで、彼が将軍の元を去ったあの踊り子の子供と知ったのだが、それまでは本当にただの平民でしかなかった。
それなのに、あのハチ君と親友とも呼べる間柄。
「ほう……まさか精霊繋がりか?」
「ええ、私もそう考えました。アーケンの母親は精霊に愛された女性。もしかしたらその資質はアーケンにも受け継がれている可能性がある。二人の繋がりはまさに精霊でしょうね」
普通に考えてあり得ない組み合わせも、視点を変えてみれば自然この上ない組み合わせとなる。精霊に愛された者は非常に数が少なく、稀である。そんな二人が惹かれあうのは自然の道理といえよう。人は誰も孤独には勝てない。同じものを持つ二人が親友になるには十分すぎる理由だった。
そしてヒント三つ目。
「伯爵領において、いや、もはや王国中に我々盾持ちの名は轟いています。今や王族の子でも盾持ちになるんだと周りを困らせている方もいるのだとか」
「ワシらも随分と大きくなったよのぉ」
「伯爵領に住み、我らの名声を幼少期より聞いてきたハチ君がオファーを断る理由が全くないんですよ。彼の実家の規模、現状を考えても、この話を受けないメリットは一切無いにも関わらず、固辞し続けるその姿勢」
自分の利のために動かない人間は、決まって誰かの利を優先していることがある。しかし、ハチ君にはその様子もない。ノエル嬢のことは大事に思っているみたいだが、彼女のために自己を犠牲にする事情は全く見受けられない。
一見バラバラだったパーツだが、一つの結論が全てのパーツを組み合わせ、ハチ君の目的を白日の下に晒け出す。
「ハチ君、やっぱり精霊が見えているでしょ」
「魔獣を退けるあの力をハチがのぉ」
「豊饒の紋章にして、そしてあの年齢にも関わらず、生命のエルフィアの攻撃を守り抜いた。将軍も見たはずです。空に豊饒の魔力共鳴を起こした奇跡の光景を」
「あれらが全て精霊の加護の力であったと」
「そう考えれば最も納得ができるのです」
あと一歩。
その先に進めば、ハチ君の狙いが見えてくる。
怖くもあるが、興味もある。
「生命の神エルフィア襲撃時、なぜハチ君は逃げずに最前線に向かったのでしょう。なぜ精霊を感じられる彼が、魔獣出現の兆しあるこのローズマルの地へ。盾持ちへの入隊を拒否し、魔獣の存在に怯えたふりをして我々から距離を取る」
「結論が出たようじゃの」
はい、彼の考えがようやく見えてきましたよ。
「ハチ君は、一人で魔獣を討つ気だ」
この結論に将軍が高笑いをする。心底嬉しそうだ。
流石将軍。笑うどころか、私はこの恐ろしい結論に少し手が震えてしまっていますよ。
「だっはははは!ハチめ、あやつワシの後継を断るのは、その大いなる野望故か!神を討伐に失敗し、次は魔獣討伐へ。得られる多大な名誉と富で、まさか狙うは将軍の地位でなく、伯爵様の座だったとはな!!」
伯爵様の座か……。いいや。
下手したら、彼はもっと上を見ているんじゃないだろうか。
数か月前の戦いの後、クルスカ家の中で見たものをふと思い出した。
ミリア・クルスカ。熱く、どこか怖い視線をハチ君に向けていた。女性特有の、内に秘めた強い思いを感じ取り少しゾッとしたのを思い出す。あの歳であの思いの強さ。あれは間違いなく一角の人物になる。
彼女の恋心はなんとなく察することができた。ハチ君に対する思いを。
そして彼女は今どこにいる。
王都だ。
まさか、ハチ君。君が向かわせたのかい?君はその年にして、既に使える者は全て使おうというのか?
君の野望は一体……どこまで見据えているんだ。そしてその熱意の根源には何があるというのか。
――。
「アーケン!お前に尋ね人だ」
「ハチか!?」
「いんや。お前の言っているその同級生とは全然違うぜ。すんごい有名人だ」
「なーんだ。じゃあいいべ」
ハチ以外の訪問に興味なんてないね。
ハチはいつ来る。ローズマルの地には到着していると聞いたのに、全然会いに来てくれないべ。
しばらくシロウのやつとばっかり仲良くして、オラのことは構ってくれやしない。ああ、なんでハチとの戦いはあんなにも楽しいのか。早く会いたい。早く戦いたい。強くなったオラの姿を見せてやりたい。
来客と呼ばれた二人組は、見るからに軍人特有の佇まいをしていた。集団で戦うことを想定した二人の立ち位置、距離感。日常から溢れてんだよな、軍人の習性が。
個の強さを追い求めるオラとは対極にある存在たちだ。
「お前がアーケンか!だっはははは!良い男じゃないか!ワシの元に来い!」
「将軍、あまりにも話が性急すぎます。まずは自己紹介からしましょう」
訓練場の場長が二人にへこへこしている。場長がへこへこし出すのは面倒ごとの予兆だ。たまにこうして伯爵領中枢の権力者が来たりする。我が物顔で訓練場を行き来し、自分たちの要求を押し付けてくる。やだなー。
クラウスと同じ類だな、とすぐに興味が失せた。
権力や身分だけが一級品。
魔力量が多く、スキルも優秀なんだろうが、脳死で力に物を言わせるだけ。自分の持っているものを100%利用出来ている者など何人いようか。
少なくとも、オラはそんな人物、ハチ以外には見たことがない。
「初めましてアーケン君。私は盾持ち部隊のアトス。こちらは伯爵の軍を預かり、我らが盾部隊の隊長でもある将軍です」
歩み寄ってきて挨拶してきたのは眼鏡をかけた優男。
スッと手を差し出してきた仕草でなんとなくわかる。この人相当やるなってことが。
まあ一応少し興味が湧いたから、握手には応じておいた。
「よろしく、丸眼鏡兄さん。知ってるだろうが、オラはアーケンだ」
「丸眼鏡兄さんではありません」
あら?怒ったべ?名前で呼ぶべきだったか?
「伊達メガネ兄さんです。今日で二度言いましたよ」
……一度目は誰だべ。
「アトスと呼んでくれたら嬉しいです。将軍が先程おっしゃっておりましたが、あなたをスカウトしに来ました。栄光の盾持ち部隊に興味はございませんか?」
「全然」
ズコー。
真面目そうなアトスさんが目の前で道場の床に滑り込む。
眼鏡を直して、少し困り顔だ。
「やれやれ。今まで断られたことなんてなかったのに。1日で2人にも断れるとは」
「だって盾持ちって弱そうじゃん。オラ強くないやつらに興味ないんだよね」
「だっはははは!言われておるぞ、アトス!」
「将軍、あなたも言われているんですよ」
眼鏡をしまい、片手で手招きされた。
その顔には笑みが張り付いたまま。
「では、本当に弱いか試してみますか?」
「へぇー、やる気あるんだ。いいの?あの有名な盾持ちが11歳の平民に負けたって話が広がっても」
「ええ、構いません。私がアーケン君に負けることがあれば盾持ちは解散致します」
「おっもしれー!今言ったこと、忘れんな!」
「ふふっ、背負うものがある戦いは楽しいですね」
場内の全員がオラの勝ちを信じつつ、勝って良いのか?という不安な雰囲気に包まれる。
そんな中であの将軍と呼ばれた男とアトスさんだけが余裕染みた表情。
それにしても、将軍ってやつは流石に強いだろうな。嫌でも気なる存在感。全力で戦ったらどうなるんだろう。オラを楽しませてくれんのかな?
「ここに来る途中、君に関していろいろ聞きましたよ。同年代には一度も負けたことがないんだって?」
「それは間違いだ。ワレンジャール姉妹のランに完敗した」
「それは仕方ない。ワレンジャール姉妹は君の二つ上だし、あれは私でもきつい」
へぇー。そこは負けを認めるのか。随分と遠いなぁ、ワレンジャール姉妹は。
「それともう一人。ハチにも勝ったことがない。いつも負けてくれるけど、あいつは最後まで全力でやってくれないんだ。たぶん命を懸けた戦いなら負けるかも」
「それも仕方ない。あれは同年代で最強の座に座る子だろうね」
アトスさんが足を大きく開いて、左手を前に。右手を少し後ろに構える。格闘術を心得た者の型だった。
「体術でやるの?」
「君は何を使っても構いません。私は素手でやりますが」
「へぇー、随分と余裕じゃん」
なら遠慮なくと、手にした木剣で斬りかかろうとすると、隣から鼓膜を破る程大きな声がする。
「アトス!あまりやりすぎるでないぞ!!アーケンが怪我をしたら、どどどどうする!!」
「将軍、可愛い子には旅をさせよ。温室にいては強くは育ちませんよ」
「そそそそ、そうは言ってもな!」
なんで将軍がオラを心配してあたふたしているかは知らないが、もう我慢してやんね。
「誰が温室育ちだ。オラの前に叩き伏せられてから、同じこと言えるか見てやるっしょ!」
身体強化をして正面から素早い一撃を叩き込む。
相手は素手、軽くても手数を加え続ければそれだけ優位を築ける。武器を持たなかったことを後悔しな。長期戦に入ればこっちのものっしょ。
宙に飛び上がっての、両手で剣を振り下ろす一撃。オラの得意な形だ。
ガンッ!
「ん゛!?」
躱されると思ったが、腕をクロスさせて正面から剣を防がれる。
まるで岩を殴りつけたみたいに、衝撃が返ってきてこちらの腕がジンジンと痺れる。
連撃を入れるどころじゃなく、一旦下がった。
容赦なく打ち込んだけに、反動も大きい。少し熱くなり過ぎたべ。
「魔力量は同じくらいと見たのに……どうしてだ」
「随分と驚いていますね。まだ始まったばかりですよ?」
「あんた、もしかしてオラの木剣を折れたんじゃないか?」
剣を受け止めたあの岩のごとき硬さ。体術には相手の剣を折る技もある。それをなぜ使用しなかったのか尋ねた。
「早々に勝負が決まっては楽しくありません。これでも私は結構怒っているのですよ。誇りをもって所属している盾持ち部隊を弱いと罵倒されたことに」
「……へぇー、丸眼鏡兄さんも怒る人なんだ。ずっと笑顔だからてっきりそういう感情とかないのかと思ってた」
「丸眼鏡兄さんではありません。伊達メガネ兄さんです。あと今はかけていません」
腕が回復してきたので、また攻撃を再開する。
なんとかオラのペースにもっていかなければ。いつもはどうやって戦っていた?
そうだ、相手の動きをよく見て、手数を加える。オラには集中力と、この目がある。
相手にも必ずダメージは入っている。絶対に。いずれ生まれる隙を見つけて、渾身の一撃を入れてやるっしょ!
そう思っていたのに、ずっと冷静でいるはずなのに、攻撃が全く入らない。全てその生身で受け止められる。
防がれて急所には届いていないが、攻撃は全部一応は当たっているんだ。
なのに……なのに……なぜあんたは一歩も動じず、オラはこんなにもふらふらになっている。
床に垂れる水滴たち。それ全部がオラの汗だ。
こんなに汗が流れたのは、ハチと2時間も試合をしたとき以来だった。
「うおおおおおおおおお!!」
気合を込めて、なんとか効果のある一撃を入れに行く。
「先ほどまでの素晴らしい集中力が切れましたね。終わりです」
剣が顔をかすめ、逆に拳がまっすぐ飛んでくる。
腹の真ん中に突き刺さる一撃。
――!!
なんて思い一撃だよ。同じ魔力量って、嘘っしょ……。
――。
「アーケン、私の可愛い子」
あれ?なんだべ。
「1番強くなって、大好きな人を……」
母さんだ。
何を言い残したんだ。
ダメだ、続きが思い出せないや。
――。
ブシャー、バケツから水をかけられて意識を取り戻した。
「うあー!」
息を思いっきり吸い込んで、起き上がる。
……オラはしばらく気絶していたらしい。
目の前で将軍に説教されているアトスさん。
なんだよ。……なんでだよ。
なんでこんなにも違う。あの人はなんで、こんなにも強い。
「アトス!……さん」
「おや、目覚めましたか、アーケン君」
将軍の説教から逃げるようにアトスさんがこちらに駆け寄って来た。
眼鏡をかけなおして、笑顔で手を差し出して来る。
魔力量は変わらない。この優男のどこにオラを遥かに上回る力が……。
「随分と悔しそうな顔をしていますね」
「……正直、あんたの強さの秘密がわからない」
「あと100戦くらい死線を超えればわかるかもしれませんね。生きていればですけど」
余計にわからない。
けれど、もう少しヒントはくれるみたいだ。
「随分と戦うのがお好きみたいですね。アーケン君は何のために戦うのでしょう?」
「そんなの考えたことない。ただ楽しいから戦ってるだけだべ」
「そうですか。なんのために強さを求めるか。なんのために生きるか。それが分からぬうちは、私にもハチ君にも勝てませんよ」
「ハチ?なんでハチが出てくる」
「彼は随分と先をはっきりと見据えているようですよ」
ハチが……。
俺に足りないものをハチが持っていると?
「私は守るものを決めたときに、生きる意味となり強さを得ました。君の真の強さはそこから始まるのではないでしょうか?」
オラの強さ。
オラには何が足りないんだ?





