38話 隣に小物あり
「ブドウ」
「はーい」
晴れた空。大木の作り出す木陰にて、ノエルに膝枕をして貰っている。
そして始まる全力甘えタイム。
もぐもぐ。ん、甘酸っぱくて良いね。今年のブドウは出来が良い。農家の人に後で感謝を伝えておこう。
「ん、美味。イチゴ」
「はいはい」
目を閉じて食べたいものを伝えるだけで口に運ばれる新鮮な果物たち。
ノエルの優しい声と、柔らかい腿の感触。葉の間から漏れてくるわずかな日差し。髪を撫でるそよ風。
どれも最高だ。
そうだ、これこそが田舎小物貴族に相応しい生活。
神と戦ったり、最強の盾部隊と共闘したり、そういうのは俺に似つかわしくない。
小物は小物らしく、小さな幸せを享受するに限る。
目を開けて、下からノエルを覗き込む。会うたびにノエルは美人になっていく。何度も思うが、こんな綺麗で気立ての良い嫁さんを手に入れられただなんて、なんと幸運なことか。
ノエルを逃すともう2度と嫁が手に入らない可能性もあるので、大事にしないといけない。もちろん心に嘘はついていないが、それでも意識的に愛情を伝えるようにはしている。
「ノエルは美人だね。目が大きくて、肌もきめ細かい。髪の毛も、伝え聞く妖精王の毛並みくらい艶やかだ。どんどん素敵な女性になる」
「ふふっ、ありがとうございます。はい、ブドウをどうぞ」
「ん、あんがと」
もぐもぐ。美味であるぞ。
「それにしてもあの戦いからもう随分と経つな」
俺はもう11歳になっていて、来年には王立魔法学園の試験を控えている。
クルスカ領は今や魔石の一大産地としてすっかりと有名になってしまった。金持ちロード一直線で、シロウのやつめ。私塾と実家のことで忙しくて全然遊んでくれない。
しかもクルスカ家を子爵家に昇格させ、ローズマル家程ではないにしろ、ある程度の自治権を持たせる動きもあるのだとか。
随分と差がついちゃったなぁ。もう同じ田舎小物貴族として肩を組めなくなるかもな。10年後にはシロウ様!って呼ぶような関係性になっちゃったりして。
やれやれ。権力と金は怖いね。
「3000人を超す神のしもべと、空に君臨する神。片や、全滅の盾部隊を一人守るハチ様!神殺しを名乗る連中が仲裁人として現れていなければ、ハチ様が全員を殺していたあの件ですね」
「うんうん。記憶力が良いね、ノエルは。あの死闘は後世に語り継ぐべきだね」
すこーしだけ盛って、ノエルにはあの戦いの顛末を語っている。少しね。物語の中くらい大物になったって良いじゃないか。誰かが不幸になるわけでもないし。
ノエルもそこらへん理解しつつ楽しんでいるので、彼女の聞き上手、もやは聞きスキルの高さには毎度助けられている。
「あまり無理をしないで下さいね。ハチ様無しじゃ、ノエルはもう一人では生きていけません」
全く、こんな素敵な人を貰っておきながら俺というやつは。もう他所のおっぱいには釣られません!
全てはおっぱいが悪いのだ。あの丸くて柔らかい物体が、いつも俺の冷静な思考を狂わせる。
「あらハチ様、その胸元のブローチは何なのでしょうか?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれた。ノエルよ」
ずっと触れてくれるのを待っていた。
今日身に着けてきた、胸元にある黄色い花のブローチ。これは王都の名のある工芸職人がアカシアの花に似せて作ったもの。細かい仕事は細部にまで施されており、花の生命を貴金属の中に閉じ込めたと勘違いするほど精巧に作られている。
おそらく豊饒のスキルタイプ持ちが作った逸品。流石豊饒。豊饒しか勝たん。花の上にはひっそりとミツバチまで添えてあるサービス精神まで。
「クルスカ家の話はしただろ?そこのお嬢さんであるミリアちゃんが王都から送ってくれたんだ。あの子、王族に気にいられたらしくて、今向こうに留学に行っているんだよ。すごいよなぁ。実家も超好景気。本人は王族を虜に。まっ、ミリアちゃん可愛いからなぁ」
たぶんあの病弱で儚い雰囲気がまた、王族連中にぶっ刺さったんだろうと予想できる。
「近くで見ても良いですか?」
「うん、どうぞ」
胸につけていたブローチを外して手渡す。もともとノエルに自慢したくてつけて来たものだ。
ミリアちゃんがただで送ってくれた。クルスカの土地での一件では、伯爵から褒美を貰っているし、クルスカ家からも直接お礼の品を貰っている。なのに、ミリアちゃんだけは未だにこうして個別に物を送ってくる。
出来た子だよ、あの子は。やっぱり俺の直観が言っていたんだよ、この子は大物になるって。他人に分け与えられる人物って、大物と相場が決まっている。毎度毎度無料で俺に物を送ってくるミリアちゃんは、間違いなく大きな器の持ち主だ。
バキゴキバキッ!!
なにか、この穏やかな昼下がりに似つかわしくない音がして、驚いて音のした方を見た。
信じられない光景。
あの優しさ99%。ユーモア1%で作られた女神みたいなノエルが、片手でブローチを粉々に握りつぶしていたのだ。
「あらあら、有名な工芸家が作ったものにしては、随分と”脆い”ですわね」
ゴキゴキバガッダ……ヒュー。
カスと化した元ブローチが風に流されて消えていく。
の、ノエルさん!?
いつから筋肉キャラに!?
「ほほっ、あんなものハチ様には似合いませんよ。何か欲しいものがあれば、ノエルにお伝えください。ローズマル家から出る遺物やアーティファクト、ハチ様の好きなものがなんでも揃っておりますよ」
「はっはひぃ……」
ブローチが勿体ないとか少し抗議したかったが、とても言い出せる雰囲気にはなかったので、震えながら口を閉じた。
昔、姉さんたちがノエルを怒らせてはダメよ、忠告してきたことがあった。その意味を少しだけ理解できた気がする。新しいノエルの一面を垣間見れて嬉しいような……ひたすら怖いような。
「……アカシアの花は、秘めた愛。あなたは私のもの、か。年下でこの決意。ふふっ、ミリア・クルスカ。敵に不足なし」
こんなノエル知らない!
あのブローチいくらするんだろうか。
きっと結構高いだろうな。
お金のことを考えていると、伯爵から貰った奨学金のことを思い出して自然と笑みが零れた。
盾持ちの一員として伯爵が逃げる時間を作った褒美として、俺には奨学金が与えられたのだ。王立魔法学園に入るために、高度な教育を受けられるようにと結構な額を包んでくれた。
しかも、伯爵直々に手紙を添えてくれたので、実家での立場も少し上がった。
信じられないことだが、以前まで、我が家の序列はこうだった。
圧倒的な頂点に、カトレア姉さんとラン姉さん。次で実家の家格が高い母上。そこから大きく差が開いて父上。その下に母の愛猫。そしてハチ。
なんということであろうか。皆さま、信じられるでしょうか!ハチは実家のタマよりも格が下だったのです。
これは人権侵害であるぞ!
危うく国際問題に発展しかけたこの序列も、伯爵からの手紙により俺とタマの序列が入れ替わった。
穀潰しのハチが、一日中寝てるタマに勝った歴史的な日である。
伯爵から頂いた奨学金だが、実は一切使わずに貯金している。
このお金は俺とノエルが将来実家を出て独立するときに、家財道具を買うお金として使わせて貰う。
「ノエル、将来は伯爵に小さな領地を貰おう。いや、その頃には代替わりしてクラウスから領地を貰うことになるかもな。貯金があるから、そこに家を建てるんだ。犬も一匹飼おう」
「素敵ですね。ハチ様望むのであれば、ノエルはどこへでも」
貴族の住まう屋敷になるが、小さなものでいい。大きいと光熱費が嵩むからね。犬も小型犬だ。顔が少しブサイクな犬種が良い。賢くて可愛いのだと余計な嫉妬を買うことになりかねん。大型犬なんてありえない。あれは大物貴族たち、家に暖炉があるような人たちが買う犬種だ。
なんて身の丈にあった幸せな未来像だろう。
伯爵から頂いた奨学金を着服しておいて、ローズマル家でのんびりと幸せな妄想ができるのには少しからくりがあった。
実は俺も今、ミリアちゃんと同じく留学中ということになっている。
伯爵から学んで来なさいという指令に従いつつ、金を使わないどころか、父上にローズマル家と親交を深めるためと言って更なる旅費を貰っている。奨学金と旅費の二毛作みたいなことをして、この地で留学兼休暇を楽しんでいる最中だった。
全小物よ、我が小賢しいさに震えおののけ。
素敵な一日を過ごした日、帰り際にとんでもない人物と遭遇することとなった。
ノエルが急いで片膝をついて貴族らしい挨拶をするから俺も釣られて礼儀正しく挨拶する。
けれど、相手はそんなの気にしちゃいない。
「がっはははは!ハチとノエル嬢。屋敷にいないから探したぞ!堅苦しいあいさつはいいから、ワシの胸に飛び込んでくるが良い!」
近くにいるのに全力の声量で話すこの男は、伯爵領で伯爵の次に有名なお方だろう。
あのクルスカの変事にて、共に神と戦った将軍である。傍には眼鏡をかけた補佐官がいる。その人も見たことがある。神の攻撃に、最後まで盾を構えていた10人の中にいた1人だ。
「飛び込みませんよ。別にあなたに懐いてないです」
大きく腕を広げているが、左腕は失ったままだった。
ジンに斬られた腕は斬られた跡が綺麗だったため、くっつくんじゃないかとか言われていたけれど、スキルによる攻撃は治療スキルを持っている人間でも対処が難しいらしい。
特に将軍が受けた攻撃は凄まじいもので、腕をくっつける治療は断念された。
しかし、当の本人は一切気にした様子がない。既に老人の域に足を踏み入れているにも関わらず、その胆力に一切の衰え無し。
あの戦いが終わって、将軍には後継になるように誘われた。一度断ったのだが、その後もことあるごとに実家のほうに手紙を寄こしてきていた。
始めは文才のある部下に書かせていたのだろう。文体も文字も綺麗で非常に読みやすかった。ノエルに返す手紙のついでに断りに返事を送っていたのだが、つい先日には将軍直々に書いたであろう手紙が届いた。そこには二文字だけ、太く大きい文字が綴られていた。
『来い』とだけ。
『断る』と、こちらも2文字で返しておいた。
それなのに、意外としつこいやつめ。
剛毅な見た目なんだから、すっぱり諦めやがれ。わざわざローズマル家まで直接やってくるとは思っていなかった。
「しつこいぞ、将軍。盾持ちにはならんと言っただろ」
「このぉ頑固者めが!」
「頑固者はそっちだ!」
「ふーふー。まあ良いわ」
猛った将軍の顔は怖かったけど、なんとか追い返せた。押し売りはごめん被る。
「ローズマルの地に来たのは他にも用事があってだな。ノエル嬢、そなたの父と密談があったのよ」
「将軍、密談なのですから、隠して下さい」
「だっはははは!すまんすまん」
まあこの人らしいけど、補佐の人も大変そうだなと同情する。
「話している途中で偶然ハチがここにいると聞いてな。それで慌てて誘いに来た。まさか断られるとは」
「まさかじゃないですけどね」
前々から何度も断りを入れている。
「しばらくは諦める。実はもう一人盾持ちに誘いたい男がいる。この地にいるんだが、どこにいるかは知らん!」
「そんな自信満々に言わんでも……」
将軍の言葉と態度には少しずれがあって、ますます補佐官の気苦労が窺い知れる。
「そういえばハチ、お前年齢はいくつだ?」
「11になりました」
両手の人差し指を使って1と1を作る。11歳にしかできない表現なので、今年年齢を聞かれたらいつもこれをするようにしている。ちょっと可愛いでしょ。
「ワシの探している男と同じ歳か。もしや知り合いだったりするか?アーケンという名だ」
もの凄い偶然だが、アーケンのことは知っている。というか、かなり仲がいい。
アーケンからもたまに手紙が来るのだ。いつローズマルの地に来るのかと問われる内容。来たなら会いに来てくれと懇願されている。
じれったく思ったのか、つい先日こんな手紙が来た。太い文字で大きく……。
『来い』2文字ででかでかと書かれていた。
『待て』と、こちらも2文字で返事をしておいた。
あれ?なんかデジャブ?
「同じ人物かは保証できませんが、俺の知り合いにもアーケンって男がいます」
「強いか?」
強いかだって?そりゃあ。
「かなり、ね」
「ならばそいつであっている!ハチが強いと認めるならば、間違いなかろう!」
アーケンは伯爵の私塾への編入を断っている。将軍が盾持ちに誘ったところで簡単に断られて試合しよう!と逆に誘われるのが関の山だと思うが、あの性格を知らないんじゃ仕方ない。
どうせどこかでアーケンの才能を聞きつけて、青田買いに来たのだろう。良いスカウト力だが、多分無駄足だろうなと思う。
「アーケンは多分聞く耳持ってくれないよ」
「構わん。一度会ってみたい。……会わねばならん。どんな男かこの目で確かめる!」
ただ単に盾持ちへのスカウトに来たのかと思っていが、将軍から感じられる雰囲気はそういう感じではなかった。
強い責任感を感じる。そりゃ後継者を探して必死なのはわかるが、まだ見ぬアーケンに託す気か?
それとも、アーケンに何か特別な縁が。
「まさか将軍ってアーケンと……何か知り合いだったりしますか?」
「ああ、最近判明したのじゃが、ありゃワシの隠し子よ!」
「い゛!?」
あまりに予想外過ぎる答えに、目を見開いて驚いた。
「将軍、隠し子なのですから、隠して下さい」
また困った顔で補佐官がフォローする。この人に、本当にお疲れ様ですと労いたい。
「だっはははは!誰も盗み聞きなどしておらぬわ。心配するでない」
壁に耳あり障子に目あり、隣に小物ありですぞ。本当に誰が聞いてるかわからいんだから、そんな驚きの情報を漏らしてくれるな。
「12年前になるか。アーケンの母と知り合ったのは。驚くほど美しい踊り子であった。魔獣に襲われた村で1人踊っておったわ。世にも美しきその踊り姿は精霊をも魅了する。あの光景は未だに忘れられん。精霊を味方にし魔獣の脅威から生き残った奇跡の女であるぞ」
12年前の魔獣襲撃。俺は当然まだこの世界に生まれていないが、確か伯爵領で有名な事件があった。魔獣と呼ばれる災厄を運ぶ存在が突如として現れた。王国に現れたのは5年ぶりで、伯爵領に現れたのは実に40年ぶりのことだったらしい。
暴れまわった魔獣は盾持ちたちによって討伐されたと聞いていたのだが、そこにアーケンの母がいたのか。
「一目で惚れた。本能的にこの女が欲しいと思った。人生をかけて口説き落とし、その時授かったのがアーケンよ!だっはははは、妻にバレたら摺りつぶされて、殺されるわい!」
ノエルの耳を塞いでおいた。
まだノエルには早いお話だ。
将軍、やることやってんねー。
妻の殺意は情状酌量の余地ありとして処理しておきますね。
「ハチ君、このことが露見すると本当にまずいので、くれぐれもご内密に」
「言いたくても言えませんよ、こんなこと。それにアーケンは友達だし、そんな気まずい話できるわけないでしょ」
補佐官に口止めをされるが、金を受け取っても口外したくないことだ。
それにしてもアーケンの父親が将軍だったとは。同い年にしては随分と身長が高いアーケンの体は、将軍譲りだったか。あの長い手足と、整った顔立ちは母親譲りってとこかな?
いけないとわかってるのに、こういうゴシップは自然と興味を惹かれるのもまた人の性。言えないが、今後アーケンと接するときにどんな顔をすればよいものか。