37話 ハチが欲しい
盾を持ったハチ様を先頭に戻って来た盾部隊たちの姿は、英雄の凱旋そのものだった。背中から浴びせられる朝日が彼らを祝福し、微笑んでいるように見える。ボロボロになった彼らの姿は、どんな宝石、貴金属よりも美しく輝いている。
……ハチ様、ミリアも共に行きとうございました。
なぜ私は将軍や盾持ちたちみたいな大物じゃないのでしょう?せめて兄様くらいの才能でもあれば、あなた様の隣に立てていたはずなのに。
胸の中で何か苦しい思いを感じる。
発散できない、重たいものを。
神は捕らえられ、伯爵の軍は更に増援この地に送り込んだ。
既に屋敷は安全で、私たちは戻ってくる英雄たちを歓迎する。最高の笑顔で、彼らに最高の接待を。
「ハチ様、お帰りなさいませ!よくぞご無事でした!」
胸の内で燻る思いをなんとか隠して、最高の笑顔で出迎えた。
「ただいま!ふぃー、あっぶねー。十分働いたから、いの一番に逃げてきた!」
逃げて来ただなんて。この方は本当に面白い。
「おや、その盾は?」
「しっ、内緒だよ。そこら中に乱雑に落ちてたから、一個だけどさくさに紛れて持ち帰ろうかと」
そんな見え透いた嘘をついてくる。
今度は思わずクスッと笑ってしまった。
この人はこういう人なのだ。私を子供扱いし、真面目な話をしてくれない。
将軍を、盾持ちたちを後ろにして、最も危ない先頭で戻って来たこのお方がそんなことを考えているはずもない。
敵の脅威が去った今尚、この人はみんなを守ろうと先頭を行くのだ。群れの戦闘はいつだって最も危険だと決まっている。
あの巨大で重たい盾を今尚持ち続けているのがその証拠。いつでも臨戦態勢にあり、自分のことは後回し。みんなを守ることしか考えていない。
そんなこと、ミリアでもわかります。自分を下げて、他人を持ち上げるのが上手なお方。そんなのバレバレなのに。なぜあなたは他人をそんなにも思いやれるのに、自分のことはそれほどまでに危険に晒すのですか……。
「良いんじゃないですか?ハチ様の活躍を思えば、お一つくらいは」
「ははっ、でもミリアちゃんに悪い姿見せたくないし、やっぱり返しとくか。盗みは良くないしね」
そんな盾、100個貰おうともあなたの功績には見合っておりません。実際に戦いで何があったか仔細は聞いていませんが、ハチ様が活躍したという噂は聞いております。
何より、あなたの素晴らしさはその高潔さにこそある。
まだ10歳。
誰が神を前に活躍できると思ったか。
実際に活躍できたことは奇跡に近く、とても素晴らしいことではある。
けれど、本当に大事なのは自分のことを一切顧みずに最前線に赴いたその精神性にこそある。
あなたの高潔さに報いるには、その盾100個では軽すぎるのですよ。
「ハチ!本当に生きていてよかった。君が神の元に向かったと知ったとき、生きた心地がしなかったよ」
「ははっ、俺はその100倍生きた心地がしなかったけど、なんとか生きて帰ってこれた!運だけは大物級らしいぞ」
兄様と抱き合って、お互い生き残れた喜びを分かち合う。大好きな兄様と、ハチ様が目の前で笑いあっている。なんて素敵な光景なのでしょう。
ミリアも、脚が不自由でなければその輪に入れたのでしょうか?
思えば、兄様と仲良くなられた話にも、あなた様の美しい人間性が見て取れる。
伯爵様から招待された合宿。
合宿の目的は2つ。1つは、2年後に迫る王立魔法学園への入学試験対策のための短期集中特訓だ。
王立魔法学園は国中のエリートたちが集まる高度教育機関。そこを卒業した生徒たちは国の中枢を担う役職に就いていく。原石を磨くあの学園に入ることこそ、栄達への最短ルートなのだ。
伯爵領から多くの入学者が出れば、それだけで箔がつく。ここ数年は特に良い数字をたたき出しているらしく、満足に思っている伯爵は年々育成に力を入れいている。その功績に報いるため、王家から報奨金も出ていたりもする。
もう1つ、合宿には目的がある。見落としていた才能を拾い上げ、私塾に通わせること。私塾も王立魔法学園への入学対策も兼ねているのだが、何より将来伯爵領に貢献してくれる優秀な人材育成を目的に組織の運営がされている。
ほとんどの生徒が王立魔法学園への入学を希望するが、中にはそれよりも盾持ちになることを優先する者もいる。それ程盾持ちという役職には魅力がある。
恩を感じて王立魔法学園を卒業後、伯爵領に戻る者も多い。遅咲きの才能を開花させて台頭する者、そういうった才能を全て拾い上げるための合宿選抜でもある。
全ての投資は未来の伯爵領のため。
ありがたいことに、兄様もその枠に入れて貰うことができた。体の弱い兄様の参加を両親は良しとしなかった。けれど、真面目な兄様が受けない訳がないと知っていたため、ただひたすらに兄様の無事を祈っていました。
合宿に行って一か月後、兄様から手紙を頂いた。
涙の染みたその手紙には、合宿最終日のことが書かれていた。
兄様が倒れたこと。ハチ様が名も知らない兄様を背負って50キロも走ったこと。そして、一つしか残っていなかった私塾への編入枠をハチ様が笑顔で兄様に譲ったこと。
自分の不甲斐なさ、ハチ様の寛大さへの感謝、いろんな感情が籠った手紙は涙と共に綴られていた。
その時はまだ、世の中には素晴らしい方がいるんだなぁと他人事のようにしか思っていなかった。
けれど、どうだろう。実際にハチ様がこの地にやってきて、ようやく兄様の涙の真意を知れた。
あの方の精神は誰よりも美しく尊い。未熟な私が想像していたよりも遥か高みにいらっしゃる。
一体何があれば、あの領域まで行けるのでしょうか……。
英雄たちの帰還より数時間後、屋敷内ではまたハチ様の話で持ちきりになった。
将軍は既にお歳を召しており、後継候補探しをしているという噂はずっとあった。伯爵領の庇護下にある者として、盾持ちの話は自然と聞こえてくる。その件も当然知っていた。
将軍の元には盾持ち10傑と呼ばれる凄腕が10名程いる。彼らは盾部隊結成初期から在籍するメンバーが多く、将軍直々に鍛え上げられた英傑たちである。後継はもちろんこの中から選ばれるものと思われていた。
そんな中、突如現れたダークホース。
それがハチ様だった。
戦場の中で将軍に後継候補になるように名指しされたのだ。10傑の数人が承認しているので、かなり信憑性の高い情報になっていた。
けれど、私はこの話の結末を知っている。
それから1時間もしないうちに、続きの話が噂話となって流布する。
ハチ様が将軍の誘いを断ったのだと。
皆が驚いていたが、私は全く驚かない。
彼らはハチ様検定5級も取得していないのだろう。私は既にハチ様検定3級の持ち主。断ることなど明白であった。
おそらく、ハチ様は将軍の後継候補に興味がないわけではない。それどころか、一盾持ちにでさえ興味があるだろう。伯爵領の影響下にある貴族からすると、盾持ちというのはそれほどに魅力の強いポジションだ。
しかし、ハチ様のことだ。
そんな誘いを受けるお方ではない。
あのお方が盾持ちになるとき。そして将軍の後釜に収まろうと決めたならば、正々堂々と正面から門を叩くことだろう。
試験を突破し、最も低い序列から始め、隊員たちの心を掴んだ上で、正々堂々と将軍の後を継ぐ。
ハチ様とは、そういうお方なのだ。
気づけば、あなた様のことを視線で追ってしまっている。兄様の姿が霞むほど、あなた様だけを見ている。きっとあなた様は大物になるんでしょうね。私なんかが手の届かない程の大物に。
……ミリアも傍にいとうございます。戦場でも、地獄の底であろうとも、一緒にいとうございます。
「ん?ハチの婚約者?ああ、たしかいたよ。ローズマル子爵家のお嬢様。名前をノエルって言ったかな。向こうの家から頂いた縁談だったらしく、ハチは喜んでいたよ」
世の中には運の良い方がいます。
ノエルという方がそうです。子爵家という恵まれた環境にいながら、更に親から頂いた縁談だけでハチ様の隣にいられるお人。
今まで感じたことのない感情が腹の中で暴れまわる。
どうしたのでしょうか。私は一体。ノエルという方が、どうしようもなく……。
相手はあのローズマル子爵家のご令嬢。けれど、負けない。
私は努力をする。たとえ……誰かを追い落としてでも。
「やっ、やあ、ノエル殿」
「……あら、クラウス様」
「昨夜は申し訳なかったね。君に醜態を晒してしまった。僕は日ごろはあんなことはないんだ。もっとずっと逞しく、頼りになる。ただ、昨日は寝覚めも悪く、ついつい混乱してしまった。本当に、情けない姿を見せてしまったな」
「大丈夫ですよ。クラウス様がそういうお方でないことは承知しております。それよりも強くぶってしまい、申し訳ございませんでした」
立ち上がれはしないが、車椅子に座ったまま深く頭を下げた。
あの時はどうかしていた。感情が高ぶり、そのおかげで脚も動いてくれたのだが、あろうことかクラウス様をぶってしまった。
罰を与えられても仕方ない行動にも関わらず、クラウス様の対応は穏便なものだった。
「問題はない。普段から鍛えているからな。そ、そのぉ、僕たちのファーストコンタクトは最低だったな。だが、一番低いところから始まった方が、これからは登るだけっていう見方もできる」
「ええ、その通りですね」
次第にクラウス様の気持ちが分かって来た。
確かにこれ以上は下がりようもない。けれど、上がることもない。
「こんなでかい事件があったことだし、よかったら遠出でもしないか?」
「遠出ですか?しかし私の脚では」
「そのことは気にするな。我が家にはいくらでも優秀な使用人がいる。ミリア殿が不自由を感じることは無いし、安全も保障する」
真っさきに逃げた人の保障とは。突っ込みどころ満載だったが、無下にはしない。
「遠出とはどちらまで?」
「うーん、王都とかどうかな?今の時期は夜会も行われており、王都の有名人たちとも出会えるぞ」
「夜会ですか……」
「そうだ。僕のパートナーとして出れば皆から注目を集めよう。どうだ?歳の近い王族も夜会には来たりするぞ。知り合っておいて損はない。」
王族……。
暗い考えが脳内を過る。
「わかりました。お供させていただきます」
「ほっ。それは良かった!ではすぐに手配してくる。ははっ、よかったよかった。ひゃっほー!!」
普段見ないクラウス様の子供っぽく喜ぶ姿。
ごめんなさい。あなたの気持ちには応えることができません。
クラウス・ヘンダー。私はあなたは利用する。
……きっとハチ様を知らない方が幸せだった。
兄様がいて、優しい両親がいて、美しい植物に囲まれた人生。私の人生はそうやって静かに過ぎて終わるものだと思っていた。それで満足だった。
けれど、もうあなた様を知ってしまった。
欲しい……。どうしうもなく、欲しい!
強欲に身を焼かれ、悪女と罵られようとも、ミリアはあなた様が欲しくなってしまったのですから、仕方がありません。
私は私のやり方で大物になって、あなた様の傍にいさせて頂きます。
――。
「ふう。心癒される見た目だが、クルスカの植物は相変わらず手入れが大変この上ない」
植物たちの様子を観察して、葉に満遍なく霧状の水をかけてやり、次に根にたっぷりと水を吸わせる。
ちょうどそのクルスカの地で返事が起きて、伯爵の身も危険に晒されたと知らせが入っていた。
けれどまた速達がきて伯爵の無事と、将軍の生還を知らせる内容だった。
何もしていないが、ここ数日で何歳か老けたんじゃないかと思う程の心労に襲われる。
「全く、これでは訓練に身が入らんわい」
私塾の生徒からは鬼教官ゼニスと陰口を叩かれているのを知っている。しかし、ここ数日は鬼の姿が鳴りを潜め、また違うあだ名をちらほらとつけられ始めた。
その心労もようやく取れて、数日手加減した生徒たちに一体どんな厳しい訓練を与えてやろうかと考え始めている。
そんな折、私室の扉がノックされる。
あまり生徒が訪ねて来ることは無い。まだ朝の8時だということを考えれば、尚のことないだろう。
一体誰だと思い、入室の許可を与えると、これはこれはと驚く人物だった。
「こりゃとんでもない大物の登場だな。膝をついてあいさつをした方がいいかな?」
「やめて下さいよ、ゼニスさん。あんたと俺の間柄でそんな堅苦しい挨拶は抜きだ。なんたって、あんたは俺の恩人なんだから」
入って来た男はあの神殺しと呼ばれる組織の団長。化け物染みた実力の持ち主たちの中でも、天壊旅団最強の名を欲しいままにする男だった。
「団長様、お茶はいりますか?」
「だからやめて下さいゼニスさん。むしろお茶なら俺がいれます」
「俺の入れたお茶はそんなにまずいかね?」
「ええ、その通りです」
冗談を言い合って、お互いにケタケタと笑いあう。
団員たちからは冷たい性格と思われているこの男も、生徒たちから鬼教官と呼ばれるゼニスも、二人でいるときはまるで肉親のように打ち解けあう。
それもそのはず。
天壊旅団団長は幼少の頃にゼニスに拾われて、同じ屋根の下で暮らした間柄である。
2人には、他の人があまり知らない深い過去があった。
「仕事で伯爵領に来たので、ついでに寄らせて貰いました」
「まさか、クルスカの件はお前たちが収めたのか!?」
「ええ。といっても、到着したときにはほとんど終わっていましたよ。将軍が持ち堪えてくれました」
「そうか!やはりあのお方は凄いな」
自分なんかとは桁違いの才能。伯爵領だけにとどまらず、将軍の名声は王国中や他国にまで轟く。神が相手だったとしても、あの最強の盾持ち相手じゃ簡単にはいかなかった訳だ。
「本当によく頑張ってくれました。盾持ちたちにはまた後日礼を述べさせていただきます。おかげで生命の神エルフィア、それに『浪人』まで捕縛できた。これは大きな収穫です」
「王都の人斬り『浪人』か。それまたどでかい収穫だ」
「エルフィアには使命を思い出して頂きます。こちらは既に段取りも出来ているので、あまり時間はかからないでしょう」
団長の言葉を遮るように、もっと大事なことを要求する。
「それと今回の件の黒幕もな。我らが大将、伯爵様が襲撃されたのだ。ただでは済まさんわい」
「そちらももちろん。ただ、神の口を割らせるのはなかなかに難儀。別の糸口を辿った方が早いかもしれませんね」
「そうか。神って連中はお前の方が100倍詳しいからな。厳しくとっちめてやってくれ。でも、あんまり仕事に私情を挟むなよ?」
少し俯いた団長。
神への私情は、彼の過去に起因する。
「神に故郷を壊されたことは、仕事のときは全部忘れるようにしています。ただ、なかなかに感情というものは制御が難しいですね」
「こればかりはな」
「でも、故郷を壊されていなければ、ゼニスさんに拾われることも、グラン学長に教わることもありませんでした。自分の力を呪ったまま、今尚もがき苦しんでいたかもしれません」
「うーむ。難しいよのぉ、人生ってやつは」
団長の苦しみを全て知っているからこそ、何度も気持ちを分かち合ってきた。しかし、完全にはその痛みを理解してやれはしない。天から与えられた特別な紋章は、与えられた者にしか理解できないからだ。
「神の件はお任せ下さい。けれど、浪人の件は悩んでいます。騎士団に差し出すか、我々で処罰するか……その判断に悩んでいます」
「ありゃダメなんじゃないか?」
「俺もそう思います。けれど、将軍と共にいた少年が俺にこう叫んだんです。大罪の紋章を持つ者の気持ちがわかるのか、その苦しみが分かるのかと」
「ほー、達観した子供もいたもんだ」
自分の胸を抑える。心臓の鼓動以外にもう一つ、そこには大事なものがある。
「……子供の頃、そんな言葉を言ってくれる人がいたら、俺は一体どれほど救われたでしょうか。言っても仕方のないことですが、浪人が随分と羨ましくあります」
「まさかお前……浪人のことを救うつもりか?」
「まだ決めてはいません。けれど、彼を信じるあの少年がいる限り、もしかしたらやり直せるんじゃないかと……」
「それに関してはなんとも言えないな。浪人とは違う。お前は人を斬ったりはしない」
それでも、あの言葉の重みは、悩むには十分すぎる材料だ。
浪人の処分はゆっくり、慎重に考える必要がある。
この男の再生は、もしかしたら大罪の紋章の希望になるかもしれないからだ。
「その変わった子供の名前を聞いておくんだったな。そういうやつは俺が直々に鍛えてやれば、良い盾持ちに育つかもしれん」
「そういえば戦場でも盾を持っていましたね。ハチと名乗っていましたが、伯爵の私塾生だったりしないんですか?」
ブッ!!
飲みかけのお茶を吹き出す。団長が慌ててハンカチを差し出すが、吹き出した量は小さなハンカチでは拭いきれない。
「なんだって?お前、ハチと言ったか?」
「ええ、たしかハチ・ワレンジャールと。……ああ、もしやあの有名なワレンジャール姉妹の血縁でしたか?」
「ワレンジャール姉妹の弟だよ。けどな、弟だから覚えている訳じゃない。……そうか。ハチがその場にいたか。ぶわっははははは。あいつめ、神と将軍の戦いに巻きまれておったか!あーおかしい」
「ゼニスさんが彼を知っているとは思いませんでした」
窓から外を見る。
天壊旅団とハチの遭遇。盾持ちとの共闘。
これは偶然なのかねえ。もしかしたら、偶然なんてものは無いのかもしれない。
グラン先生、出来の悪いこのゼニスじゃ理解できないことばかりだけど、なんとなくわかることもある。
今後、この世界は随分と面白いことになる予感がしています。