35話 大罪の紋章
――。
「私を裏切ったらしいな。少年2人を助けて善人気どりか?」
……なんであんたがここに。今回の山はそれ程大きなものだったってことか。
「貴様には関係のないことだ。大事なのは裏切りにより計画が失敗し、伯爵が出てきたこと。事態はかなりややこしい。既に時遅し、かもしれない」
知ったことかよ。元々あんたに忠誠を誓ったつもりもない。悪いが俺はもう自由だ。新しい楽しみを見つけたのさ。
「どこへ行こうと言うのか。その血塗られた手で、また不幸を巻き散らすのか?」
ふざけんな。俺はもう変わるんだ。あいつの中に何か暖かいものを感じた。あいつと共に未来を見れば、俺も……きっと俺も。
「俺も、なんだ?まさか貴様、やり直せると思っているのか?愚か者めが。貴様い以外には全員見えておるわ。血生臭い未来がな」
元雇い主とは言え、容赦しねーぞ。俺は生まれ変わる。絶対に。新しい人生を生きるんだ。たとえあんたが立ちはだかろうとな。
「私を斬るか?そうだ。それこそ貴様に相応しい。貴様の通った道には、大事な者の血で作られたレッドカーペットが敷かれておるわ。下を見てみろ」
……下?何もないはずだ。心を惑わすのはやめろ。
「幻覚などではない。しかと目を開けて見てみよ。貴様が斬って来た者の姿が鮮明に見えておるわ。両親に、兄、弟まで。なるほど、仲間も斬ったか」
なぜ、それを……!
違う、あれは違う。
全部、仕方なかったんだ。俺は、俺はそんなことをしたかったわけじゃ!
「何を怖がる。これはお前の天命なのだ。その背中に刻まれた紋章を忘れたわけではあるまい。血塗られた運命こそ、天が貴様に与えし使命だ」
俺は人間だ。そんな使命なんてない。俺は自分で考え、自分で決めた道を行く!頼むから、もう放っておいてくれ。……頼むから。
「お前はこの地獄の螺旋からは逃げられはせんよ。私にはわかる。お前の背負った業はそんな軽いものではない。いいから私の言うことを聞け」
やめろ。俺を洗脳するのはやめろ。俺は自分の脚で立って歩いていける。心を支配するのはやめてくれ。
「大丈夫だ。安心をしろ。大事な人間を作るから深く傷つくのだ。全て、私の言う通りに斬れ。心を無にしろ。それこそが、お前に与えられた唯一の救いだ」
……救い。
「そうだ。味方は私しかいない。さあ、行け。生命の神エルフィアめ。好き勝手に暴れてくれる。収集をつけられるのはお前しかしない」
違う。俺は……違う。そんなことをしたいわけじゃ。
「何も違わないさ。心に中にある人物を斬ってこい。それで楽になれる。さあ、自分のために斬ってくるんだ。血の中にこそ、お前は存在できる」
……本当だ。俺の人生、血だらけだ。ああ、これが俺の人生。
――。
神の足元より迫ってくる浪人が一人。
先日のぼさぼさ頭は影を潜め、今日は髪の毛を束ねて妙に清潔感がある。肩から手にかけてぐるぐると包帯を巻き、長い刀を脇に挟んで一歩一歩近づいてくる。
口角が上がって愉快そうなのに、気の抜けた感じはしない。それどころか、妙に目の色が暗く、殺気を放っている。
ジン!
遠くからでもわかった。あれはジンだ!
「神さんよぉ、王子がカンカンだったぜ?」
空に浮かぶ生命の神エルフィアへと語りかける。
「興味ない」
「残りは俺が始末するから、あんたはもう下がってくんな。これ以上悪目立ちすると、おっかない連中がやってくるぜ」
「……あやつらか。まあもう良い。十分に楽しめたわ。残りはここより、地を這いずり回る人間どもの殺し合いでも楽しもう。酒は持って来たかえ?」
「すまないな。忘れちまった」
先日は長い剣を武器にしていたが、今日は自前の刀らしい。これも随分と長い。
扱い慣れている感じが桁違いで、まさに体の一部って感じだ。俺がアーティファクトを起動して一体化したのとは少し違う。ヒナコ先生みたいに、長い間武器と向き合って来た人だけが持ち合わせる一体感。パートナーと呼んだ方が良いかもしれない。
「こいつの登場は強烈なダメ押しになる」
俺たちの前に立つ将軍が落胆の籠った声色で呟いた。
「神に『浪人』まで。敵は相当に強大とみえる」
将軍はジンのことを知っていた。
有名な人なのかもしれない。
「ジンを知っているの!?」
「あの男のことか?通り名は浪人。王都の方では有名な人斬りよ」
「そんなことない!ジンはいいやつだ!」
事実は知らないが、なんか悔しくて強く言い返した。俺の前でジンの悪口は許さん!
「坊主、まっすぐ育ったお前のような人間が関わるべき相手じゃない。どういう縁かは知らんが、あやつのことは忘れろ」
皆のことを一度だけ振り返って、あの獅子のような将軍が微笑んだ。次の主運管、盾を持って突進していく将軍。
その巨体と大盾を装備した人間とは思えないスピード感で先制攻撃を仕掛けた。
刀を抜いて、器用に受けきるジン。
なんでだよ……。
神の攻撃を防いだ俺たち。そこにやって来たジンという助っ人。
なのになんで二人が戦ってんだよ!
「ジン!!」
怒りに身を任せて張り上げた声は、戦っている二人の意識を向けさせるには十分だった。少し声が大きすぎたみたいで、神をも驚かせてしまった。ちょっとやりすぎたか。
「何をしているんだ!将軍は仲間だ。俺たちと一緒にあの神をぶっ飛ばそう!全部終わらせて一緒に帰るんだよ!」
あんたにはまだ教えて貰うことがあるし、感謝もまだ伝えていない。
やることは山盛りだ。
一瞬だけ戦いは止まったものの、将軍とジンの戦いが再開された。
「ハチ、悪いが俺はお前とは相いれない。そっちの道は明るすぎて、俺にゃ歩けないらしい」
何を言っているかさっぱりだ。
大物には小物の生き方ができないってか?
バカにするな。小物の生きる道も案外悪くないんだぞ。小銭めっちゃ貯まるぞ。
「金も名誉もあんたは欲していないんだろ?じゃあこっちの道が絶対にあってる。どういう事情でそっちに付いてるかは知らないが、俺が保証する。あんたはこっち側の人間だ!」
悔しいが、金と名誉はやれないのが小物道。
しかし、それ以外なら与えてやれると俺は自信を持っている。
絶対にうまくやれるはずなのに、どうしてだジン。
「くくっ、甘いなぁハチ。将軍の言う通りだ。お前は俺みたいなのと関わっちゃいけねえよ」
死闘を繰り広げながら、それでも俺に返事をしてくれる。その誠実さがやっぱりあんたの本性だよ。
それにしても強い。
将軍は、あの広大で多くの人口を抱える伯爵領の中において最強格ともいえる人物だ。
多くのエリートが死ぬ気で目指す憧れるの盾部隊。
選りすぐられたエリートたちから選ばれた盾持ちたちの頂点に立つお人。年齢や、指揮官にある立場故に実戦からは遠ざかっているかと思われたが、神の攻撃を三度も防ぎ、直後にこの戦い様。まだまだ現役を退くには程遠い。
そんな化け物を相手に、一歩も後れを取らないジン。先日俺に見せたような怠慢は一切なく、放たれる闘気は空気をも引き裂きそうだ。
気なるのは、未だにスキルを使用していないこと。
満身創痍の将軍はわかる。他の盾持ちは既に立つことすらままならない。
そんな中、一人戦う将軍には既にスキルを使用する余裕なんてないのだろう。
だが、たった今参戦したばかりのジンが手を抜くことは理解できない。その本気度に満ちた目からは、本気で将軍の命を狙っていることが伺い知れるのに。
なんなんだ、この違和感は。
やはりスキル無しで将軍を追い詰めることは適わず、それどころか手痛いカウンターを食らうことに。
シールドバッシュ、盾から放たれるカウンター技をもろに受けたジンが吹き飛ばされる。その威力の凄まじさは上半身を見れば一目でわかる。
服がはじけ飛んで、腹の部分が赤く染まっていた。
いったそー、と思ったのは一瞬。すぐに別の感情に支配された。
盾持ちたちの動揺した声に俺もそれに気づいたのだ。
「おい……あれって」
「ああ、初めて見た」
肩口より覗くその紋章は、人生で初めて見たものだった。
スキルタイプ戦闘は優秀な紋章だ。高級車に乗っているようなステータスがあり、ドラゴン模様の紋章を持っているやつは自分から見せたがる傾向があるため、その数以上に見る機会が多い。姉さんたちもこの紋章だったからよく見たものだ。
神聖の紋章は珍しい。意識しないと本当に見かけないし、実際数も少ない。けれど、見ようと思えば結構簡単に見れる。教会に沢山いるのだ。祈る女性の模様と祈る信徒たち。教会の権力者は皆この紋章じゃなかろうか。
そして豊穣は言わずもがな。見たければ街のどこでも見れるし、俺の服をめくれば臍にスタンプっぽい紋章もあるぞ。実りの小麦から良いパンが作れるだろう。
けれど、こればかりは初めてだ。
『大罪の紋章』
ジンの肩口には、裏切りの印である血塗られた短剣が浮かび上がっている。
周りの気圧された空気に飲まれたのだろうか、俺までゾッとした。
「あまり見られたくないものを見られちまったな」
「これは驚いた。長年生きてきたが、目にするのは片手で数えられる程にしかない」
将軍ですら片手で数えられる程度。稀な紋章だとは知っていたが、それにしてもだ。将軍の立場や年齢を考えるに、俺の感覚だともっと会っていてもおかしくないと思っていた。
けれど、他の盾持ちたちの動揺具合を見るに、彼らも初めて見るらしい。大罪の紋章は俺が思っているよりもずっとずっと珍しい紋章かもしれない。そして相手に与える恐怖心も、聞いていたものよりも遥かに大きい。
ジン……!
始めて会った時から只者じゃないことは感じていたけれど、あんた本当に超大物じゃないか!!
影響を受けて感じたゾッとした気持ちなんて吹っ飛んだ。
すぐさま嬉しくて、笑顔が出てくる。この時気づいたのだ。俺は大物が好きなんだってことに。
憧れってやつかな。メジャーリーガーに憧れる野球少年のごとく、俺はきらきらした目で大罪の紋章を見つめた。
「ハチよぉ、あんまりこっちを見てくれるな。俺はこいつが恥ずかしくて仕方がないんだ。人生最大の汚点よ」
遠くから二人の戦いを見守っている俺の視線まで、ジンは的確にわかっていた。戦いに集中していないわけではない。だんだんと将軍のスタミナが尽きてきたのだ。
それも無理はない。神の攻撃を3度も防いだときに使用した身体強化で、どれほど魔力を消費したことか。歳を考えても明らかにオーバーワークだ。それでも真っ先に飛び出したのは、将たる者の責任とプライド。
格好良い。将軍もジンに負けないくらい格好良い。これだから、大物は最高だ。
「将軍、あんたには恨みはないが、そろそろ死んでくれ。これが俺の仕事なんでね」
ずっと気にかかっていたこと。ジンがスキルを使用しないことの答えが彼の口から発せられる。
「この呪われた力は人を殺すときだけに使う。……最低だろう、俺ってやつは」
ジンの刀が黒い炎を纏い始めた。
あんまり魔力量を感じなかったジンの体から、姉さんたちくらい化け物染みた魔力量が溢れる。
そして幻影を見たのだろうか。
ジンの背後に、巨大な鬼が見えた。目を擦る。いや、幻影ではない。
黒い炎を纏った巨大な鬼の上半身。ジンの刀を受け取り、自分の意志で動き始める。
こんな力、見たことも聞いたこともない。
どのスキルタイプとも違う。全く違うと言っていい。
一体このスキルは、どう魔力が働いてこういう仕組みになっているのか。俺の脳内をフル回転させたが、一ミリと答えに辿りつけてはくれない。あまりにも知識と経験が足りなさすぎる。
出てきた鬼がすぐさま攻撃に入る。刀を斜めに振り下ろした一撃が将軍の盾を二つに割った。あれは神が作ったアーティファクトだ。それをものの一撃で。信じられない威力。
次の一振りで盾ごと将軍の片腕を切り落とす。
あの胆力の塊みたいな将軍が痛みに苦悶の声をあげた。
他の盾持ちたちが心配の声をあげるが、誰も立てない。立てても今のジンの前では、何も抵抗できずに死ぬだけだろう。
将軍にとどめを刺すことなく、ジンがこちらへと歩み寄ってくる。
その目に、涙が流れているのが見えた。
ジンを見ていられるのはそこまでだった。
長い刀はこの鬼のためだったか。
背後に浮かぶ巨大な鬼は、神をも斬れるんじゃないかと思うくらい濃い魔力を伴っている。
「ハチ……お前を殺さにゃならん」
声は聞こえたが、ジンの言葉には返事をしなかった。
俺の脳内は今、あの鬼で埋め尽くされている。視線もそちらに釘付けだ。
これはほんと一体どうなってる。おいおい、この世界……面白すぎんだろ。
「かっけー……かっこよすぎんだろ、大罪の紋章!!」
「ははっ、やっぱりお前はそういうやつだよな」
鬼が刀を振りかぶった。不思議と恐怖はない。見た目の恐ろしさに反して美しい所作で刃が首元に近づいてくる。
目を閉じるのは勿体ない。全部見ていたかった。
刃は俺の首を斬ることなく、直前でぴたりと止まった。
「ハチ、なぜ俺を仲間だと呼ぶ……」
「あんたが気持ちの良いやつで、好きだからだ。それ以外に、理由なんているかい?」
ジンは言葉を発さず、ただ涙を流していた。
「早くやらぬか。その小童、うるさかったのじゃ。どけ浪人、妾が葬ってくれる」
会話を遮って、エルフィアが空に炎の矢を発生させた。
手を下さないジンをじれったく思い、俺に向けられた攻撃。
なんでか、こっちの攻撃は慌てて防ごうとしたら、ドンと強く胸を押される。
後ろに吹き飛び、後方に2,3回転した。
俺がさっきまでいた場所に突き刺さる炎の矢。
ジンが突き飛ばしてくれたのだ。押してくれなかったら、俺は咄嗟に盾を強化して防げただろうか?
「やっぱ信じてくれた人間、お前のことだけは裏切れねーや」
「ジン!腹が!」
もともと右の脇腹に凄まじい古傷を持っていたジンだが、反対側の脇腹も今の矢によって抉られていた。
「あはっ……ハチ。お前に心揺さぶられて、こんなになっちゃったぞ」
上半身ボロボロだが、わずかに残った布切れを傷口に押し当てる。
本当にタフな男だ。
めちゃくちゃ深い傷なのに、ジンの魔力は高まる一方。
「なっちゃったからにはもうね……仲間を守るために、神と一戦交えてみるかね」
鬼が空へと舞いあがり、黒い炎を纏った刀が生命の神エルフィアの腹目掛けて突かれた。
全く想定していなかった攻撃に、エルフィアは反応できず、刀が腹へと突き刺さる。黒い炎が傷口から燃え広がるが、その前にエルフィアの魔法で鬼が吹き飛ばされる。
魔法で傷ついた鬼が空から落ち、その姿を闇夜に解かせて消していく。
目の前のジンまで体にダメージを負ったみたいで、酷いやけどが体に現れ始めた。おそらくあの鬼はジン本体とリンクしている。
なら、神の攻撃をもろに受けたってことだ。あの強烈な一撃を間近で!?
ばたりと前のめりに倒れるジン。
しかし、成果はあった。
絶対的な優位を誇り、俺たちに絶望を与えていた生命の神エルフィアが空から落ちて、地面に叩き落されたのだ。
居乳墜つ……いやいや違った。巨星墜つ。
絶対に勝てないと思われたエルフィアがようやく俺たちと同じ大地に。
「狂犬めが……まさか妾にも牙を向こうとは。絶対に許さぬ。待っておれ、今首をへし折ってくれる」
ぎゃあああああああああ。
地上へと叩き落されたエルフィアだが、すぐさま立ち上がった。腹を抑えて、血を吹き出しつつも、一歩一歩近づいてくれる。
嘘だろ。あれでもまだ動くのかよ。神ってやつは、一体どれほどの生命力を持ち合わせているんだ。
慌てて、倒れたジンを背負う。アーティファクトの盾も構える。
あの状態なら俺でも防げるかも。最悪、逃げればいい。逃げは俺の十八番。今のエルフィアからなら逃げ切れる気もする。
戦ってみるか、迷わず逃げるか。どちらが安全か。
大事な判断を迷っていると、冷たい夜風が吹いた。
その夜風は夜明け前に吹く最も冷たい風だ。直に太陽が昇る証である。
しかし、夜風が運んできたのは太陽の恵みだけではなかった。
「両者そこまでだ」
「よく頑張ったわね、坊や。後は私たちに任せなさい」
黒いコートを纏った8人の人物。
俺に話しかけて来て、頭を撫でてくれるのはロングヘアーの大人のお姉さん。色っぽい笑顔で微笑んでくれた。
お姉さん……。コートの外側からでもわかる。巨乳だと。
夜風は夜の終わりを告げ、太陽と、謎の救援と……そして巨乳を届けてくれた。